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第4話:星野の甘党隠しがバレる日 〜会社にFigoがいる!?〜

1 健康週間という名の“甘味狩り”

星野剛志は、会社の自動ドアが開いた瞬間、まず息を止めた。受付横の掲示板に、嫌な言葉が踊っていたからだ。

今週は“糖質オフ週間”です。差し入れ・持ち込み菓子は原則ご遠慮ください(総務)

「原則って……」

星野は小声でつぶやき、腕に提げた紙袋を背中側に隠すように持ち替えた。紙袋には、無慈悲なほど明瞭に店名が刷られている。

Fig & Spoon

(見つかったら終わる)(いや、終わらない。終わるのは“静かな甘党生活”だ)

星野はこそこそとエレベーターに乗り、三階のオフィスへ。ところが――

「おはよーございます!」

背後から、同僚の**南(みなみ)**が元気に声をかけてきた。南は、こういう時に限って目ざとい。

「星野さん、それ何ですか?」

「え、あ……えっと……資料です」

「紙袋に入った資料?」

「……紙袋資料」

「かわいい資料ですね」

南は紙袋を覗き込もうとした。星野は反射で回転した。

「ダメ!」

「え、なに急に武術!?」

星野は咳払いをした。

「今、糖質オフ週間だから……お菓子は……」

「えっ、じゃあそれお菓子なんですか!?」

「いや、違う、違うんだ。違うけど、違わなくも……」

南はニヤリとした。

「星野さん、隠してる時点で甘党確定じゃないですか」

星野は真顔で言った。

「甘党ではない。俺はただ、仕事の合間に……精神の安定を……」

「砂糖で?」

「……クリームで」

「アウトです!」

そこへ、背後から部長の低い声が落ちてきた。

「星野」

星野は固まった。

「今日、本社の監査が来る。接待はお前がやれ」

「え、ぼ、僕がですか?」

「お前、なんか袋持ってるだろ。慣れてそうだから」

(慣れてそうって何にだ)(接待か? 甘味か? どっちだ)

星野が言いかけた瞬間、総務の女性が追撃した。

「あと、糖質オフ週間ですから。監査でもお菓子は禁止です」

星野は内心で叫んだ。

(監査でお菓子禁止って、何を監査するんだ。胃袋の潔白か)

2 “比護部長”という名前が、最悪に響く

昼前、全員にメールが回った。

本社より 比護(ひご)部長 が来社されます。各自、整頓・整理・挨拶徹底。

星野は、比護の二文字を見た瞬間、背中が冷えた。なぜなら――昨日、店で領収書に書いた宛名が頭に焼きついていたからだ。

Figo

(……まさか)(比護=ひご=フィーゴ?)(そんなわけ……)

そこへ南が顔を出した。

「ねえ星野さん。比護部長って、なんか……サッカー選手みたいじゃないですか?」

星野は反射で言ってしまった。

「Figo……」

南の目が輝いた。

「やっぱり! 星野さん知ってるんだ!」

「いや、違う、俺は……」

別の同僚が割り込む。

「星野、接待担当なんだろ? じゃあ比護部長の好物、把握してる?」

星野は、なぜか正直に答えそうになった。

(イチジク……)(いや、柿……)(いや、今日は“柿は海じゃない”の話じゃなくて……)

「……えっと、健康志向の方だと思います」

南が言った。

「健康志向! じゃあプロテインとか!?」

「いや、監査だよ?」

「監査って健康だよね!」

何がどう健康なのか分からないが、南は納得していた。この会社の会話は、たまに三段跳びで着地しない。

3 監査の男は、昨日の“地味なスーツ”だった

午後一。フロアが妙に静かになった。

受付から案内され、現れたのは――地味なスーツ。落ち着いた歩き方。スマホを静かにポケットへ。そして、星野が昨日“また来た”と震えた、あの人物。

(……いる)(会社に、いる)(会社にFigoがいる)

男は一礼した。

「比護です。今日はお世話になります」

部長が頭を下げる。

「こちらこそ! 星野、案内しろ」

星野は青ざめたまま、比護の横に立った。比護が星野の顔を見て、ほんの少しだけ口角を上げた。

「……昨日ぶりですね」

星野の魂が抜けた。

「き、昨日……?」

部長が目を丸くする。

「星野、お前、比護部長と面識あるのか!?」

星野が言い訳を探す前に、比護がさらっと言った。

「駅前で、たまたま」

星野は心の中で比護に感謝した。

(ありがとう、たまたまって言ってくれて)(でもそれ、たまたまじゃない。俺が“巻き込まれ担当”だからだ)

比護は淡々と歩きながら言う。

「ところで星野さん。あなた、あの店の――」

星野は即座に小声で止めた。

「だ、だめです。ここではダメです」

比護は小さく頷いた。

「なるほど。糖質オフ週間でしたね」

星野は震えた。

(知ってるんだ。全部知ってる)(この人、監査で来たんじゃない。甘党を狩りに来たんだ)

4 社内に広がる“牡蠣ダイエット”という怪情報

その頃、星野の机では別の事件が育っていた。

南が、星野の紙袋をちらっと見たのだ。

「Fig & Spoon……」

南は、昨日の話を思い出した。“カキ”が牡蠣に化けた事件。看板に書かれた「牡蠣はありません(※海)」の注意書き。

南は、勝手に結論を出した。

「星野さん、牡蠣ダイエットしてる……!」

そして、その噂は秒速で拡散した。なぜなら、この会社は“噂”の方が案件より早い。

「星野、牡蠣食ってるらしい」「監査に備えて海のミネラル?」「牡蠣って糖質ないよね」「星野、プロ意識高い……」

星野が戻ってきた時、同僚が真顔で言った。

「星野、牡蠣って効果ある?」

星野は言った。

「まず、俺は牡蠣を食ってない」

「えっ、でも袋」

「袋は……イチジクだ」

「イチジク!? 牡蠣じゃないの?」

「柿でもない。イチジクだ」

「じゃあ星野、イチジクダイエット?」

星野は机に突っ伏した。

(ダイエットじゃない)(俺はただ、甘いものが好きなだけなんだ)(なぜ“好き”が“戦略”になるのか)

比護が横を通り、低い声で言った。

「誤解は、層になりますね」

星野は小さく返した。

「パフェみたいに言わないでください……」

5 “おもてなし”が必要なのに、甘味は禁止

監査の合間、部長が星野を呼びつけた。

「星野。比護部長の昼食後、何か出すだろ? 飲み物だけじゃ失礼だ」

総務が即座に反論する。

「糖質オフ週間ですから」

部長が言う。

「監査に失礼はできないだろ」

総務が言う。

「糖質は失礼じゃないです、健康です」

部長が言う。

「健康で失礼になることもある」

総務が言う。

「ありますか?」

星野が言った。

「今です」

全員が星野を見る。星野は胃がきゅっと縮んだ。

(ここで“Fig & Spoon”って言ったら死ぬ)(でも、言わないと接待が成立しない)(そして比護部長は、昨日のパフェを食べた人だ)

星野は、最も無難な方向に舵を切った。

「……果物なら、糖質オフ週間でも、ギリ……?」

総務が言う。

「果物は糖質あります」

部長が言う。

「じゃあ、空気を出すか」

総務が言う。

「空気は糖質ゼロです」

星野は言った。

「……空気パフェやる店、知ってます」

部長が言った。

「頼んだ。星野、任せた」

(任せたって言うな)(俺は営業じゃない)(巻き込まれ担当だ)

星野は震える手でスマホを取り出し、例の店に電話をかけた。

6 電話の向こうで、香里が“監査”を“乾杯”に変える

「はい、Fig & Spoonです!」

電話口の声は、明らかに元気が良すぎた。江口香里だ。星野は周りに聞こえないよう、声を落とした。

「江口さん……星野です……」

「あっ! 巻き込まれ常連さん!」

「その呼び名やめてください……今、会社で……監査で……」

香里が即答した。

「乾杯ですか!? おめでとうございます!」

「監査です!」

「監査って、乾杯の親戚みたいなものですよね!」

「違います!」

香里の向こうで、美月の声がした。

「香里、何騒いでるの」

香里が受話器を手で押さえて叫ぶ。

「店長! 星野さん、会社で乾杯するって!」

美月が言った。

「会社で乾杯する人は、たいてい明日会社にいない」

星野は必死に訂正した。

「乾杯じゃないです! 本社の監査です! 比護(ひご)部長が……」

香里が目を輝かせた(声のトーンでわかる)。

「ひご!? フィーゴ!? えっ、まさか……あの人!?」

星野は息を止めた。

「……昨日の人です」

香里が叫んだ。

「やっぱりぃぃぃ!!」

美月が遠くで言う。

「香里、叫ぶな。電話が割れる」

香里は息を整えて言った。

「で、星野さん。監査用のおもてなし、ですね?」

「そうです。ただ……会社が糖質オフ週間で……」

香里が即答する。

「じゃあ“糖質オフ・イチジクパフェ”ですね!」

星野が言った。

「どうやって?」

「イチジクを……気合いで糖質オフにします!」

「気合いで変わらない!」

美月が受話器を奪ったらしい。声が変わった。

「星野さん。正直に言って。何人分」

星野が小さく言った。

「……比護部長一人、です」

美月が即答した。

「じゃあ作る」

星野が言った。

「え、糖質……」

美月が言った。

「糖質オフ週間を作った人が、パフェ禁止を決めたなら、責任を取ってもらう」

星野が震えた。

「店長、怖いです」

美月が言った。

「怖がって。美味しいものはだいたい怖い」

7 根岸が来ると、必ず“余計な火”がつく

その夕方。会社の受付がざわついた。「差し入れです」という声。紙袋。大きなリボン。

差出人欄には――

ルージュフルール 根岸

星野の顔から血の気が引いた。

(来た)(絶対来ると思った)(この人、世の中の“揉め事の匂い”だけ嗅いで生きてる)

根岸はにこやかにフロアへ現れ、比護の前に紙袋を置いた。

「比護部長、ですよね? お疲れさまです。うちの“豪華イチジクパフェ”差し入れです」

部長が目を輝かせる。

「おお! いいじゃないか!」

総務が即座に言う。

「糖質オフ週間です!」

根岸が笑う。

「ご安心を。これは“精神的糖質オフ”です」

総務が言った。

「意味が分かりません」

根岸が言った。

「甘いのに罪悪感が減る。これが精神的糖質オフ」

星野がぼそっと言った。

「ただの言い訳……」

根岸は星野を見つけると、笑顔がさらに濃くなった。

「あれ、星野さん。ここでも巻き込まれてるの?」

「巻き込まれてません。働いてます」

根岸は比護に言った。

「ちなみにこの星野さん、牡蠣パフェ騒動の――」

星野が即座に遮った。

「言わないでください!」

根岸が嬉しそうに言った。

「ほら、巻き込まれてる」

比護は静かに頷いた。

「なるほど。巻き込まれの職人ですね」

星野が言った。

「職人じゃないです」

根岸は肩をすくめた。

「うちのパフェ、召し上がりますよね? ね?」

比護はにっこり笑った。

「ありがとうございます。……ただ、私は今日、別の店のものも試す予定なんです」

根岸の笑顔が固まる。

「別の店……?」

比護が言った。

「Fig & Spoon」

その瞬間、星野は“終わった”と思った。部長が振り向く。

「星野! お前、比護部長の行きつけ知ってるのか!?」

星野は、言い訳の層を積み上げた。

「いや、行きつけというか、たまたまというか、駅前で――」

根岸が言った。

「駅前でパフェ食べる監査って、面白い会社ですね」

総務が言った。

「監査は、もっと真面目にやってください」

比護が言った。

「真面目にやってます。だから甘味も真面目です」

(真面目に甘味)(世界で一番説得力があるようで、ない)

8 クライマックス:監査室に届いた“ふわふわの証拠品”

そこへ、受付から内線が入った。

「Fig & Spoonさんから、お届け物です。……えっと、グラスが、揺れてます」

星野が立ち上がった。

「僕が行きます!」

部長が言った。

「逃げるな!」

総務が言った。

「糖質は禁止です!」

星野が言った。

「逃げてません! 止めに行きます!」

受付に行くと、そこには保冷箱。そして、その横で香里が笑顔で立っていた。なぜか、手には小さな札。

“柿は海じゃない”証明書(自家製)

星野が震えた。

「……江口さん、なぜ来た」

香里が言った。

「監査って現場ですよね? 現場には人が必要じゃないですか!」

「いらない!」

香里が保冷箱を開ける。

そこには、上品に組み上げられた――“イチジク×柿の秋パフェ(※木)”

香里が小声で言った。

「糖質オフは無理でした。なので、“罪悪感オフ”にしました」

星野が言った。

「根岸さんと同じこと言ってる……」

香里が言った。

「そういう時は、同じ方向に世界が曲がってる証拠です」

星野が言った。

「曲がらないでください」

香里は胸を張った。

「でも安心してください。今日は“監査”の方が来てるんですよね?」

「はい」

「監査って、味見してくれますよね?」

「監査は味見しないです」

香里が言った。

「えっ、監査って“舌”でやるんじゃないんですか?」

星野が言った。

「それは“審査”です」

香里が言った。

「似てる! 監査と審査、似てる! もうこれ、シフォンケーキとシフォンソフトですよ!」

星野が言った。

「今ここで過去話しないでください!」

9 比護部長は“比護”で、“Figo”だった

結局、パフェは監査室へ運ばれた。総務が目を吊り上げる。

「これは糖質――」

比護が手を上げた。

「責任は私が取ります」

総務が驚く。

「えっ」

比護が言った。

「監査は、会社の仕組みだけじゃない。空気も見る。空気がピリピリしてたら、数字は正しくても会社は壊れます」

部長が深く頷く。

「たしかに!」

星野が思った。

(部長、今だけ理解が早い)

比護はスプーンを取り、パフェを一口。しばし沈黙。

根岸が身を乗り出す。

「いかがです?」

比護は静かに言った。

「……柿が主役。イチジクは香りで支える。“海じゃないカキ”が、ここまで成立するとは」

総務が小声で言った。

「海じゃないカキ……?」

香里が嬉しそうに頷く。

「木です!」

星野が言った。

「ここで木の説明しないでください!」

比護は続けた。

「それから――星野さん」

星野が固まる。

「はい……」

比護が言った。

「あなたの“甘党隠し”は、もう社内で隠せていません」

星野は言った。

「……ですよね」

南が声を上げる。

「やっぱり星野さん甘党だったんだ!」

同僚たちが口々に言う。

「牡蠣じゃなかったの?」「イチジクだったの!?」「じゃあ今までの噂、全部――」「全部、層だったのか……!」

比護は小さく笑った。

「私はSNSでは“Figo”です。ただ、今日は監査で来ました。そしてもう一つ――」

比護はグラスを軽く掲げた。

コミュニケーションの監査も」

部長が感動したように言った。

「さすが本社……!」

根岸が言った。

「何それ、悔しい……」

総務が言った。

「糖質オフ週間、来週から撤回していいですか?」

部長が言った。

「撤回はしない。週一にする。……“スイーツデー”だ」

星野が叫んだ。

「えっ、僕のせいで制度が変わるの!?」

南がニヤニヤする。

「星野さん、スイーツ担当決定ですね」

星野は崩れ落ちた。

(静かに甘党でいたかっただけなのに)(会社の制度を動かした)

10 後日譚:静かな客は、もう静かじゃいられない

翌週。Fig & Spoonのドアが、開店と同時に開いた。

「いらっしゃいませ――」

美月の声が止まった。なぜなら、星野が一人ではなかったからだ。

星野の背後に、同僚が十人以上並んでいた。全員、どこか申し訳なさそうに、でも目は輝いている。

南が言う。

「店長さん! 会社でスイーツデー作ったので、団体で来ました!」

美月が低い声で言った。

「……団体は、静かに食べられない」

星野が言った。

「僕もそう思う」

香里が満面の笑みで出てくる。

「星野さん! 巻き込まれの成果、出ましたね!」

星野が小声で言う。

「成果って言わないでください……」

そこへ比護がふらりと入ってきた。店内の全員が固まる。

比護は穏やかに言った。

「今日は監査ではありません。個人的な……味の確認です」

美月がぽつりと言う。

「味の監査じゃないですか」

比護が微笑む。

「監査は、人生に必要です」

星野が呟いた。

「……僕の人生、監査入りすぎだよ」

店内に笑いが広がった。イチジクの香りが、いつもより賑やかに揺れた。

(第4話・了)

 
 
 

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