第6章 別れは、地形になる
- 山崎行政書士事務所
- 2月11日
- 読了時間: 8分

第一部「白い世界の輪郭」
第6章 別れは、地形になる
さよならは、言葉では終わらない。置かれた石が、坂の角度が、「ここまで」と言ってしまう。それでも湿り気だけは、境を越える。
「……書けないな」
ナガタが、紙束の上で指を止めた。止めた指先に、墨の黒がうっすら移っている。黒は濃いほど、触れたものに残る。残ったものは、あとで洗っても消えにくい。そういうものを、私たちはこれから書く。
「書けない、じゃない」私は言った。「書くんだ。ただ——見せ方を選ぶ」
ナガタは、嫌な顔をするのをやめて、困った顔に切り替えた。困った顔は正直だ。嫌な顔はまだ余裕があるが、困った顔は余裕がない。
「“見てはならぬ”を破るところだぞ」彼は言った。「上は“人心を乱すな”って言ってた。覗き見と腐れと追いかけっこ、全部乱れる」
「乱れを消したら、もっと乱れる」私は硯の水面を見た。水面は静かだ。静かすぎる静けさは、闇に似る。闇に似る静けさは、禁を破らせる。
「そもそも“見る”は、私たちの仕事だ」私は続けた。「見て書く。見てしまったことを、見えないふりで済ませると、文章が嘘の匂いを持つ」
ナガタは小さく息を吐いた。
「じゃあ、どこまで“見る”」「匂いまでだ」私は言った。「形を描きすぎない。だが湿り気と匂いは逃がさない。黄泉は“臭い”という事実で、十分怖い」
ナガタが、紙束の端から異伝を一枚引き抜いた。
「こっちは、追手に投げるのが葡萄だ」彼は紙の文字を指で叩く。「こっちは筍。こっちは桃。……黄泉って、ずいぶん食いしん坊だな」
私は、笑いそうになって堪えた。笑いはここでは危険だ。笑いは救いにもなるが、救いが早すぎると、痛みが薄まる。痛みが薄まると、国の底が空洞になる。
「黄泉が食いしん坊なんじゃない」私は言った。「逃げる者が、手の中の“生”を投げるんだ」
「生?」「葡萄も筍も桃も、季節の味だ。噛めば汁が出る。歯が働く。——生きてる証拠だ」私は紙を受け取り、異伝の行間を見た。「追いかけっこに見えるけど、本当は“生”と“死”の綱引きだ」
ナガタは黙り、布を少しだけ握った。握った布に、彼の体温が移る。体温が移るのを見ると、私は不思議と落ち着く。人の体温は、どんな禁を破っても、まだ戻れる側にある。
私は筆を取った。
黄泉比良坂の石の冷たさを、紙の上に置くために。
イザナギは、待った。
「見てはならぬ」と言われた闇の中で、待つというのは苦しい。闇は時間を伸ばす。伸びた時間は禁を薄める。薄まった禁は、指先を動かす。
湿り気が、息に混じる。
坂の石は濡れているのに、水音がしない。水音のしない湿り気は、耳を油断させる。耳が油断すると、目が働きたがる。目は、確かめたがる。
確かめるとは、見ることだ。
イザナギの手は、知らぬ間に髪へ伸びる。髪を留める櫛に触れる。櫛の歯は硬い。硬いものは、闇の中で頼りになる。頼りになるものは、禁を破る道具になる。
——一書曰く、櫛の歯を折りて、火をともす。
火は、闇を切る。闇が切れた瞬間、世界は戻れなくなる。戻れなくなるのは、見たものが目に残るからではない。見たものの“匂い”が、胸の奥に残るからだ。
小さな火が灯り、湿った空気がいっそう濃くなる。火は湿り気を浮かび上がらせる。湯気のようなものが、闇の奥から立ち上がる。湯気はあたたかいはずなのに、黄泉の湯気は冷たい。
そこで、イザナギは見た。
そこにいるはずのイザナミを。
だがそこにいたのは、妻という名で呼べるものではなく、黄泉に馴染みすぎた気配だった。肌は土に近づき、髪は湿った闇に溶け、身体は“戻れない”という匂いを持っていた。
——一書曰く、八つの雷、そこに宿る。
雷は空にいるものだと、人は思い込む。だが雷は、地にも宿る。地の底の熱が、湿り気と出会うとき、雷は生まれる。黄泉はその出会いが濃すぎる場所だ。
イザナギの喉が鳴る。
声にならない音が出る。声にならないから、闇がそれを拾う。闇が拾うと、拾われた音は、相手に届いてしまう。
イザナミが、動いた。
動いたというより、気配がこちらを向いた。向いた気配は、羞恥を連れてくる。羞恥は怒りに変わる。怒りは、足音になる。
「……見たな」
その声は、怒りというより、痛みだった。痛みの声は、聞いた者の足をすくませる。足がすくむと、逃げるのが遅れる。遅れると、追いかけっこが始まる。追いかけっこは、国の地形を彫る。
イザナミは叫ぶ。
「黄泉の者ども! 追え!」
闇の奥から、黄泉醜女が現れる。醜い、というのは顔のことではない。醜いとは、湿り気が行き場を失って固まった姿だ。固まった湿り気は、手足に絡み、息を奪う。
イザナギは走る。
走りながら、背中で闇の匂いを感じる。追ってくる匂い。腐葉土の匂いに似た、甘くて重い匂い。甘い匂いは人を眠らせる。眠ったら終わる。だから走る。走ることが、生の側の礼儀になる。
坂を上る足音が、石に弾かれる。石は湿って滑る。滑る石は、走る足から“余分”を奪う。余分が奪われると、心が剥き出しになる。剥き出しの心は、恐怖でいっぱいになる。
恐怖がいっぱいになると、人は手にあるものを投げたくなる。
投げると、背負っていたものが軽くなる。軽くなると、あと一歩が出る。あと一歩が出れば、境界に近づく。
——一書曰く、鬘を投げれば、葡萄となる。——一書曰く、櫛を投げれば、筍となる。
イザナギは、髪を飾るものを投げた。投げられたものは、闇の中で実を結ぶ。葡萄の房が、濡れた闇に紫の光を落とす。筍が、ぬめった土を割って立ち上がる。
追手は、それに群がる。
群がる姿は滑稽だ。だが滑稽さは、悲しみの隣にある。生きる者が投げた“季節の味”に、死の側の者が夢中になる——その光景は、可笑しいのに、胸の奥が冷える。死は飢えている。死はいつも、生活の匂いを欲しがる。
イザナギは、その隙に駆け上がる。
坂の上の空気が、少しだけ薄明るくなる。薄明るさは、希望に似ている。希望は、勘違いでも力になる。力になるから、走れる。
だが追手は尽きない。
闇の匂いが、また背中に迫る。迫る匂いは、言葉を短くする。短くなった言葉の代わりに、息が荒くなる。荒い息は、生の音だ。生の音は、闇を苛立たせる。
——一書曰く、桃を投げて追手を退く。
桃は、春の匂いを持つ。春の匂いは、黄泉には強すぎる。黄泉は季節を持たない。季節を持たない場所に、春の匂いを投げ込むと、空気が裂ける。裂けた空気の隙間から、光が入る。光は、黄泉の者には痛い。
桃が坂に転がり、追手が怯む。
怯んだ一瞬の間に、イザナギは坂の口へ辿り着く。
そこに、石があった。
大きな石。ひとりの力では動かないはずの石。だが境界に来ると、人は自分の力の限界を勘違いする。勘違いは、神話の燃料だ。
イザナギは石を引く。
引くというより、世界に頼む。世界よ、動け、と。世界は、時々、人の頼みに応える。応えるのは優しさではない。境界が必要だからだ。境界がなければ、国は息をできない。
石が、ずるり、と動く。
石の腹が地面を擦り、湿った土の匂いが立つ。土の匂いは、生の匂いにも死の匂いにもなる。匂いが二つの顔を持つところが、境界だ。
千引の石。
石が坂を塞ぐ。塞がれた瞬間、黄泉の湿り気が、そこで止まる。止まると、匂いが濃くなる。濃い匂いは、長く残る。だから境界は、いつも匂う。
石の向こうから、イザナミの声がする。
声は届く。届いてしまう。石は匂いを止めても、言葉までは止めない。言葉は、湿り気よりしつこい。
「恥をかかせたな」
恥は、怒りになる。怒りは、呪いになる。呪いは、制度になる。制度になると、国になる。嫌な順番だが、避けようがない。
イザナミは言う。
「ならば、汝の国の人草を、一日に千人、絞り殺さん」
千人。
数が出た瞬間、恐怖は具体になる。具体になる恐怖は、逃げ場がない。逃げ場がないから、人は答える。答えることが、次の世界の約束になる。
イザナギは言い返す。
「ならば、我は一日に千五百の産屋を立てん」
千五百。
数は冷たい。だが千五百という数には、不思議な温度がある。死に負けないための数ではなく、死を抱えたまま続くための数だ。続くというのは、勝つことではない。減りながら増え、増えながら減る、その揺れを引き受けることだ。
石の前で交わされた言葉は、夫婦喧嘩のようにも聞こえる。だが夫婦喧嘩の形を借りて、世界は“生と死の比率”を決めた。比率を決めるというのは、国の骨格を決めることだ。
石は黙っている。
石が黙っているから、言葉だけが響く。響いた言葉は、谷に残り、坂に染み、土に溜まる。溜まったものが、いつか風土になる。
それが——別れが地形になる、ということだ。
私は筆を置いた。
紙の上には、坂があり、石があり、匂いが残った。匂いは本当に残る。書いていると、部屋の中の空気まで少し湿った気がする。黄泉の湿り気が、文章を伝ってこちらへ滲む。
ナガタが、紙を覗き込みながら言った。
「……数、書くのか」「書く」「千人とか千五百とか、急に算数になるな。神話って」「算数じゃない」私は言った。「“揺れ”だ。この国は、揺れを数で覚えた。死がある、という事実を、毎日という単位で引き受けるために」
ナガタは黙り、やがて小さく頷いた。
「……別れが石になるの、いいな」「いい、という言い方は変だが」「でも分かる。言葉だけの別れより、石の別れのほうが……ちゃんと痛い」
痛い。
痛いものは、忘れない。忘れないから、続けられる。
私は紙の端に、小さく書き足した。
——ここに、道塞ぎの石あり。——一書曰く、これを千引の石と曰ふ。
そして、ふと気づく。
黄泉から戻ったイザナギは、このままでは生の側に馴染めない。黄泉の匂いが、まだ肌に残っている。残った匂いを落とすには、水が要る。川が要る。禊が要る。
つまり、次に来るのは——湯気だ。
ナガタが、どこか救われたような顔で言った。
「……次、洗う章だな」「そうだ」私は答えた。「この国は、汚れたら洗う。洗って、また外へ出る。雨が降っても、雪が降っても、花粉が飛んでも——外で生きる」
外では、雨が完全にやんでいた。
雨上がりの匂いが、廊下の向こうから流れてくる。土と木と遠い水の匂い。その匂いは黄泉の匂いと似ているのに、決定的に違う。違いは、光だ。光が混じるだけで、湿り気は生の匂いになる。
私は硯の水を替え、墨を摺り直した。
次の頁には、白い余白がある。余白は、洗い場だ。
——地の底の湿り気を、光の湿り気に変えるための。





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