第7話:会社がカフェになる 〜スイーツデー地獄編〜
- 山崎行政書士事務所
- 2月8日
- 読了時間: 12分

1 巻き込まれは、出勤より早い
「おはようございま……せん」
朝の「Fig & Spoon(フィグ&スプーン)」は、だいたい静かだ。静かすぎて、冷蔵庫の「ブーン」が“今日の議題”みたいに聞こえる。
杉山美月は、カウンターの上でイチジクの葉っぱを描いた紙ナプキンを眺めながら、心の中でつぶやいていた。
(……イチジク、終わった。でも騒動は終わらない)
そこへ、ドアベルがチリンと鳴った。
入ってきたのは星野剛志。いつもの“甘党を隠す会社員”の顔ではない。スーツがいつもより固い。目がいつもより死んでる。
「……星野さん?」
美月が声をかけると、星野は深く息を吸って言った。
「僕、今日、有給なんです」
香里がすかさず言った。
「えっ、ずるい!」
星野が返す。
「ずるくないです。命を守るためです」
美月が嫌な予感で聞く。
「何があったの」
星野は真顔で告げた。
「会社の“スイーツデー”責任者に任命されました」
香里が拍手した。
「おめでとうございます!」
星野が言った。
「嬉しくないです」
美月が目を細める。
「……誰に任命されたの」
星野の口が重く開いた。
「比護部長です」
香里が「えっ」と声を上げる。
「比護部長って……あの、急に厨房に現れて、味見して、最後に“抽選にしたら?”って言い残して帰った、あの?」
星野がうなずく。
「その人です」
美月は静かに言った。
「……あの人、普通の部長じゃない匂いがした」
星野が言った。
「匂いどころじゃないです。僕の会社、今日から僕を“甘味の担当”だと思ってます」
香里が笑顔で言った。
「最高じゃないですか! 人生、甘くなりましたね!」
星野が言った。
「人生、苦いです」
美月が聞き返す。
「で、責任者って……具体的に何を」
星野は、つらそうに、しかしはっきり言った。
「明日の社内イベントで、スイーツを200人分用意する係です」
店の空気が、固まった。
香里が指を折り始めた。
「200人……えっと、店長、うち、席数……」
美月が冷静に答える。
「席数は関係ない。問題は材料」
星野がさらに追い討ちをかける。
「しかも、比護部長が言いました。“君の推しの店で”って」
香里が胸を張る。
「推しの店! うれしい!」
星野が言う。
「僕は言ってません。“推し”って言葉が勝手に口から出たことになってます」
美月は、いつもの結論を言った。
「……巻き込まれてるね」
星野はうなずく。
「はい。今まさに」
2 問題は「イチジク」ではない。「200」である
美月は腕を組んだ。
「200人分。うちはカフェ。ケータリング屋じゃない」
香里が両手を挙げる。
「でもチャンスです!200人が一斉に“イチジクうまっ”って言ったら、その後の人生——」
美月が遮る。
「今季のイチジクは終わった」
香里が固まる。
「……え」
星野が小声で言った。
「それが、今日、有給取った理由ですか……?」
美月は頷く。
「最後の一箱、昨日の“ミニパフェ事件”でほぼ尽きた。残ってるのは……」
冷蔵庫を開けて、美月は言った。
「イチジクジャム(業務用)」
香里が言った。
「ジャムでもイチジクです!」
美月が言った。
「“完熟”はもうない」
星野が言った。
「完熟じゃなくても、会社の人は多分……」
美月が言った。
「会社の人の舌を信じるな。たまに“コンビニのプリンで感動”する層もいる」
香里が言った。
「そういう層、尊いです!」
星野が言った。
「尊いとかじゃなくて、僕の上司です」
美月は即答した。
「無理だよ」
星野は、泣きそうな顔で言った。
「……じゃあ僕、会社で謝って——」
香里が突然、カウンターの下から段ボールを引っ張り出した。
「店長! これ!」
段ボールには大きく書いてある。
SPOON 1000本
美月が言った。
「……例のスプーン」
星野が言った。
「昨日の入れ替わりで届いたやつですよね」
香里が嬉しそうに言う。
「つまり! 200人分のスプーンはある!」
美月が言った。
「スプーンだけ配ってどうする」
香里が言う。
「スプーンは“希望”です」
星野が言った。
「希望じゃなくて在庫です」
美月は考えた。200人分。材料は限られる。でも、スプーンはある。
そして、美月の頭の中で、ひとつの不穏な答えが浮かぶ。
「……“社内ミニパフェ”なら、いけるかもしれない」
星野が顔を上げる。
「ミニパフェ?」
香里が食いつく。
「ミニ! いい! 映える!」
美月が言う。
「映えなくていい。でも、“配れる”」
香里が言った。
「配るなら“当たり券”も配れます!」
美月が即座に言った。
「やめろ」
3 比護部長、メール一本で地獄を作る
星野がスマホを見て青ざめた。
「……部長から全社メールが来ました」
美月が聞く。
「何て?」
星野が読み上げる。
【全社】明日“Fish & Spoon Day”開催各自スプーン持参不要(支給)参加者は1Fロビー集合服装:白が望ましい以上
美月が静かに言った。
「……Fish?」
香里が目を丸くする。
「フィッシュ!? うち、魚やってません!」
星野が言った。
「僕もやってません!」
美月が言う。
「誰が“Fig”を“Fish”にしたの」
星野が震え声で言った。
「多分、部長の入力ミスか……自動変換か……」
香里が妙に感心する。
「部長、魚好きなんですね」
星野が言う。
「違います! これは地獄です!」
美月はつぶやいた。
「……明日、会社の人、魚が出ると思って来る」
香里が言った。
「魚の代わりにイチジクジャムは……」
美月が言った。
「戦争が起きる」
星野が言った。
「僕が死にます」
4 ライバルはこういう時に必ず来る
その時、ドアベルが鳴った。
「こんにちは〜。なんか面白そうな匂いがして」
入ってきたのは根岸。(ルージュフルール店長。今日も“偶然”らしい)
根岸は店内を見回して、ニヤッとした。
「なに? ケータリング?」
美月が言った。
「違う。巻き込まれ」
根岸が笑う。
「最高じゃない。巻き込まれって、伸びるのよ」
星野が言った。
「伸びてほしくないです!」
根岸は星野を見て言った。
「あら、あなた。会社の人? 例の巻き込まれ係」
星野が言った。
「係じゃありません……でした……昨日までは……」
根岸は美月に耳打ちした。
「ねえ。200人分なら、うちも混ぜてよ。“滝ホイップ社内版”とかさ」
美月が即答する。
「いらない」
根岸が言う。
「冷たい。甘味は優しさよ」
美月が言う。
「あなたの甘味は暴力」
香里が小声で言った。
「滝ホイップ、会社に持ち込んだら、床が終わります」
星野が言った。
「床より僕が終わります」
根岸は肩をすくめた。
「ふーん。じゃあ“貸し”ね。困ったら泣きつきなさい」
美月が言った。
「泣かない」
星野が言った。
「僕は泣きます」
5 前日仕込み:イチジクジャムが200の顔になる
その夜、店は工場になった。
カップがずらり。スプーンがずらり。星野がずらり(帰れない)。
美月は淡々と指示を出す。
「ジャムは一層目。ヨーグルトクリームが二層目。グラノーラが三層目。上に薄くハチミツ。見た目は白に寄せる」
香里が言った。
「白! 部長メールの“服装:白”に合わせるってことですか?」
美月が言う。
「合わせてない。でも、偶然そうなった。偶然は味方にする」
星野がカップを持ちながら言った。
「これ、200個……」
香里が笑顔で言った。
「星野さん、数える係です!」
星野が言った。
「数える係になってる!」
香里がすっと真顔になる。
「数えるの、重要です。昨日、“当たり全部事件”があったので」
美月が言った。
「反省はしてるんだ」
香里が胸を張る。
「はい。今日は“当たり”って書きません!」
星野が言った。
「書かないでください。ほんとに」
深夜、200個目のカップが並んだ瞬間、星野が小さく拍手した。
「……完成」
美月が言った。
「完成じゃない。ここから“搬入”という地獄がある」
星野が凍った。
「……搬入」
香里が明るく言った。
「大丈夫です!私、台車借りてきました!」
台車を見て星野が言った。
「……これ、家庭用ですよね?段ボール一個でギシギシ言ってますよ?」
香里が言った。
「ギシギシ言う台車は、頑張ってる証です!」
美月が言った。
「頑張りで物は運べない」
6 当日:オフィスビルのロビーがカフェになる瞬間
翌朝。オフィスビル1Fロビー。
台車は、ギシギシどころか、泣いていた。
星野が汗だくで言う。
「……なんで僕が押してるんですか」
香里が言う。
「星野さん、会社員なので“社内搬入”に強いと思って!」
星野が言った。
「強いわけない!」
美月は無言で前を歩く。この人は、黙ってる時が一番怖い。
ロビーに着いた瞬間、警備員が立ちはだかった。
「すみません。事前登録は?」
星野が言った。
「あ、えっと……“Fish & Spoon Day”で——」
警備員が眉をひそめた。
「魚?」
美月が小さく言った。
「……ほら、魚」
香里が笑顔で言った。
「魚じゃないです! イチジクです!」
警備員がさらに困る。
「イチジク……えっと、危険物は?」
星野が言った。
「危険なのは僕の立場です」
警備員が言った。
「すみません、冗談はいいので。冷たいものは? 液体は? 量は?」
香里が元気に言った。
「200です!」
警備員が固まった。
「……200?」
美月が言った。
「200“個”です」
警備員が言った。
「……ここ、食品搬入は事前申請が必要です」
星野が叫んだ。
「部長が“ロビー集合”って——」
警備員が言った。
「ロビー集合は“集合”。搬入は“搬入”」
美月が言った。
「……言葉って残酷」
その時、エレベーターから人が降りてきた。白い服の社員が、次々と。
「Fish & Spoon Dayってここ?」「魚出るの?」「スプーン支給って何?」「え、パフェ? 魚じゃないの?」
星野が頭を抱えた。
「ほら! みんな魚と思ってる!」
香里が言った。
「魚じゃないって説明しましょう!」
美月が言った。
「説明すると混乱する。混乱してる時に説明は“油”」
警備員が言った。
「すみません、ここで配るのは——」
美月が一歩前に出て、静かに言った。
「……じゃあ、配る場所を“ロビーの外”にします」
警備員が言った。
「外?」
香里が言った。
「建物の前の歩道で! “出店”です!」
星野が叫んだ。
「出店って何!? 会社ですけど!?」
美月が言った。
「会社は人が集まる。人が集まる場所は、だいたい店になる」
星野が言った。
「理屈が怖い!」
7 歩道スイーツデー:社員が並び、警備が並び、星野が崩れる
建物の外。歩道に並ぶ社員。歩道に並ぶカップ。歩道に並ぶスプーン。
香里が声を張った。
「いらっしゃいませー!本日は“Fig & Spoon Day”(フィグです!フィッシュじゃないです!)ミニパフェ、どうぞー!」
社員がざわつく。
「フィグって何?」「魚じゃないのか……」「白いから魚っぽいってこと?」「魚っぽいデザートって何?」
星野が言った。
「“魚っぽいデザート”って概念を作らないで!」
そこへ、エレベーターから降りてくる影。スーツ。無表情。穏やかな目。
比護部長だった。
星野が青ざめる。
「ぶ、部長……」
比護部長はにこやかに言った。
「お、賑わってるね」
星野が言った。
「賑わわせたの、部長です……」
比護部長は美月に軽く会釈した。
「杉山さん。今日は出張カフェ?」
美月が言った。
「違います。事故です」
比護部長が頷く。
「事故は大事だよ。組織は事故で団結する」
星野が叫んだ。
「そんな団結いらないです!」
比護部長は社員たちに向かって、落ち着いた声で言った。
「皆さん。魚は出ません。でも、甘いものは出ます。そして今日の目的は——」
星野が小声で言った。
「……目的?」
比護部長が続けた。
「“甘いものを食べて、余計な会議を減らす”ことです」
社員が拍手し始めた。
「いいぞー!」「会議いらない!」「甘いの最高!」
星野が呆然とした。
「……部長、会議嫌いだったんですね」
比護部長が笑う。
「嫌いじゃない。でも、会議よりパフェの方が短い」
美月が言った。
「それは真理」
香里が小声で言った。
「名言出た……!」
8 クライマックス:ライバルの乱入、そして“滝ホイップ”の敗北
その時、誰かが叫んだ。
「うわ! 何あれ!」
振り向くと、根岸がいた。台車に乗った巨大な何か。白いホイップが、山。滝。岩壁。
根岸が堂々と言った。
「遅れた! 共同開催でしょ!」
美月が言った。
「共同って言ってない」
根岸が言った。
「心で言ったでしょ」
星野が言った。
「心で契約しないでください!」
警備員が根岸を止めた。
「すみません、その液体量は——」
根岸が言った。
「液体じゃないわ。ホイップよ」
警備員が言った。
「……液体です」
根岸が言った。
「心は固体」
警備員が言った。
「規定は厳格です」
根岸が地団駄を踏む。
「こんな日に厳格とか言わないでよ!」
美月が小声で言った。
「ほら、滝は社会に負ける」
香里が言った。
「滝ホイップ、会社に拒否されました!」
星野が言った。
「今日は勝てる気がする……」
根岸は悔しそうに、しかし少し笑って言った。
「……いいわ。退く。でも覚えてなさい。いつか“社内ホイップデー”をやる」
星野が叫んだ。
「やらないでください!」
根岸は去った。滝とともに。
9 結末:魚じゃなくても、人は笑う
ミニパフェは、きれいに200個さばけた。むしろ、社員が「もう一個」と言い出し、香里が慌てて言った。
「ありません!200は200です!今日は“当たり全部”じゃないです!」
星野が言った。
「よく言った……」
比護部長が最後の一個を手に取り、美月に言った。
「杉山さん。今日の味、いいね。イチジクが“主役”じゃなくても、ちゃんと“イチジク”がいる」
美月は少しだけ表情を緩めた。
「ジャムですけどね」
比護部長は頷く。
「ジャムも、果実の形だよ。形が変わっても、残るものは残る」
香里が小声で言った。
「……急に深い……」
星野が小声で言った。
「部長、やっぱり普通の部長じゃない……」
比護部長は星野の肩をポンと叩いた。
「星野くん。君、今日よくやった」
星野が固まる。
「……僕、何をしたでしょうか」
比護部長が笑う。
「巻き込まれた」
星野が言った。
「褒められてます?」
比護部長が言った。
「褒めてる。巻き込まれは、場を丸くする才能だ」
星野が言った。
「丸くするなら僕の目の下のクマも丸くしたいです」
香里が言った。
「星野さん、それ、かわいいです!」
星野が言った。
「かわいくないです!」
10 オチ:新しい役職は、だいたい余計
店に戻る道すがら、星野のスマホが鳴った。また比護部長からのメール。
星野が読み上げる。
【個別】星野くん次回のスイーツデーもよろしく役職:社内スプーン管理者追伸:Fishは誤字ではない。社内の冗談だ。
星野が立ち止まった。
「……社内スプーン管理者?」
美月が言った。
「それ、何するの」
香里が言った。
「スプーン数えるんじゃないですか!」
星野が叫んだ。
「また数えるの!?」
美月は静かに言った。
「……世界は残酷だね」
香里が笑顔で言った。
「でも、甘いです!」
星野が言った。
「甘いのはパフェだけでいいです!」
店のドアベルがチリン、と鳴った。店内にはいつもの匂い。そして、いつもの予感。
(次は何が来るんだろう)
美月はため息の代わりに、短く笑った。
(第7話・了)





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