第7話 M365会議室、今日も予約不能
- 山崎行政書士事務所
- 5月12日
- 読了時間: 17分

青葉通りの契約書は今日も笑う
静岡市葵区、青葉通りから少し入った山崎行政書士事務所では、その朝、会議室が空いていた。
空いている。
物理的には、空いている。
しかし、事務所の共有カレンダー上では、なぜか会議室が午前九時から午後六時まで、びっしり予約されていた。
予約者は、陽翔。
「陽翔くん」
所長の山崎香澄が、湯呑みを片手に静かに言った。
「はい」
「今日、会議室を一日中使う予定があるの?」
「ありません」
「では、なぜ予約しているの?」
陽翔はタブレットを見つめ、真剣な顔で言った。
「僕ではありません」
「予約者、陽翔くんになってるけど」
「それは、会議室が僕を選んだのかもしれません」
「選挙みたいに言わないで」
悠真が書類を整えながら、いつもの冷静な声で言った。
「先週、陽翔くんがテスト用に作った定期予定では?」
陽翔の顔が止まった。
「……会議室予約の挙動を確認しようとして」
「して?」
「毎週月曜、火曜、水曜、木曜、金曜、午前九時から午後六時まで」
「それは挙動確認ではなく、占領です」
香澄がため息をついた。
さくらが笑いをこらえながら、ホワイトボードに書いた。
今日の教訓: 会議室は支配しない。
そのとき、事務所の奥で奏汰がヘッドホンをつけたまま、ぼそっと言った。
「会議室にも人権があります」
「ありますか?」
陽翔が聞く。
「少なくとも、予約権限はあります」
「それは人権じゃなくてシステム権限ですね」
悠真が言った。
香澄はカレンダーを開き、陽翔の定期予定を解除した。
すると、会議室はようやく自由を取り戻した。
青葉通りの木々が、窓の外でさらさらと揺れている。 事務所に、平和が戻った。
……と思った、その五分後。
入口の鈴が、からん、と鳴った。
「山崎先生! 会議室が予約できません!」
入ってきたのは、地元企業・静岡みらい商事の総務部長、内田だった。
後ろには、情報システム担当の若手社員、森下。さらに、外部委託先のシステム会社から来た担当者、久米が続いている。
内田部長は、ノートパソコンを抱えていた。 森下はスマートフォンを二台持っていた。 久米は分厚い資料を持っていた。
そして三人とも、顔に同じ表情を浮かべていた。
Microsoft 365に振り回された人の顔である。
「どうぞ、おかけください」
香澄が穏やかに案内する。
「今日は、Microsoft 365の運用整理の件ですね」
「はい」
内田は深くうなずいた。
「Teams会議が始まらない。SharePointの権限が誰にあるのか分からない。退職者アカウントがまだグループに残っている。委託先の方がどのフォルダを見られるのかも曖昧で……」
森下が小さく付け加えた。
「あと、第三会議室が来月まで予約不能です」
陽翔がぴくっと反応した。
「会議室予約不能……」
奏汰がヘッドホンを少しずらした。
「今日の主題ですね」
悠真が陽翔を見る。
「君は黙っていよう」
「まだ何もしてません」
「今朝、していた」
「反省しています」
内田は、疲れた顔で笑った。
「うちでも似たようなことが起きています。誰かが定期予定を入れたまま退職して、その予定がずっと会議室を押さえているんです」
「退職者の定期予定が、今も会議室を支配している……」
陽翔が震えた声で言った。
「M365怪談ですね」
「怪談にしない」
香澄が言った。
森下がスマートフォンを見ながら言った。
「しかも、その退職者アカウント、まだ一部のチームの所有者になっているみたいで」
応接室の空気が、一瞬だけ固まった。
奏汰がヘッドホンを外した。
「それは怪談ではなく、要対応です」
蓮斗も奥から顔を上げた。
「所有者が退職者だけのチームがあると、管理できなくなります」
陽翔が小声で言う。
「Teamsの中に、退職者の亡霊が……」
「陽翔くん」
「はい。要対応です」
打ち合わせが始まった。
内田たちが持ってきた資料には、Microsoft 365の利用状況がざっくりまとめられていた。
ざっくりしすぎていた。
Teamsのチーム一覧。 SharePointサイト一覧。 ユーザーアカウント一覧。 退職者一覧。 委託先アカウント一覧。 会議室一覧。 そして、謎のメモ。
「第三会議室、神の領域」
さくらが読み上げて、首をかしげた。
「これは?」
森下が耳まで赤くなった。
「すみません。誰も予約を消せなくて、社内でそう呼ばれていて……」
陽翔が目を輝かせた。
「第三会議室の主ですね」
「主?」
「予約を司る存在です」
悠真が静かに言った。
「存在しません。設定があります」
奏汰はノートパソコンを開き、ヘッドホンを再びつけた。 画面を見ながら、音楽を聴いている。
内田が不安そうに尋ねた。
「あの、音楽を聴きながらで大丈夫ですか?」
奏汰は画面から目を離さずに言った。
「権限表は、リズムがあるほうが直しやすいです」
「そういうものですか?」
「人によります」
陽翔が真顔で補足した。
「奏汰くんは、SharePointの権限をジャズのように読みます」
「読まない」
奏汰が即答した。
りながホワイトボードに大きく三つの箱を書いた。
Teams会議。 SharePoint権限。 アカウント管理。
「まず、混乱を分けましょう」
香澄が言った。
「全部まとめて“Microsoft 365が大変”にすると、どこから手をつければいいか分からなくなります」
内田が深くうなずいた。
「まさに今、社内でそうなっています。何か起きるたびに、全部“Teamsが悪い”になっています」
森下が小さく言った。
「Teamsは悪くないんです。たぶん」
「たぶんを外してあげましょう」
みおが資料を抱えて入ってきた。
「道具が悪いというより、置き場所と使い方が決まっていない感じですね」
陽翔が小声で言う。
「結論の妖精、今日も早い」
「妖精?」
内田が不思議そうに聞く。
「事務所内の役職です」
「違います」
悠真が言った。
最初に整理したのは、Teams会議だった。
森下が画面を共有する。
「会議リンクが二つ作られて、参加者が半分ずつ別の会議に入ることがあります」
「分裂会議ですね」
陽翔が言った。
「静岡と清水で別々に開催されるみたいな」
「いや、同じ部署内で分裂します」
森下は疲れた笑いを浮かべた。
「あと、会議室を予約したつもりなのに、Teams会議だけできていて、物理会議室が取れていないこともあります。逆に、会議室だけ取れて、Teamsリンクがないことも」
さくらがホワイトボードに書いた。
会議の三点セット: 日時 参加者 場所またはTeamsリンク
陽翔が手を挙げた。
「お菓子は?」
「必須ではありません」
香澄が言った。
「安倍川もちがあると会議の出席率が上がります」
「それは別の施策です」
奏汰が画面を見ながら言った。
「会議作成のルールが統一されていないです。個人予定から作る人、チャネル会議から作る人、会議室だけ押さえる人、Outlookで招待する人。入口が多すぎます」
「入口が多いと、迷子になりますね」
りなが言った。
「予約の流れを決めましょう。原則として、会議主催者がOutlookまたはTeamsから参加者と会議室を同時に招待する。オンライン参加がある場合はTeamsリンクを必ず付ける。会議室だけの仮押さえは禁止ではないけれど、期限を決める」
内田がメモを取った。
「仮押さえの期限……いいですね。うち、仮押さえが本押さえより強いんです」
陽翔がうなずいた。
「仮のはずなのに、なぜか永久政権になるんですよね」
「まさに」
森下が苦笑した。
そこで陽翔がなぜか自信満々に立ち上がった。
「会議室予約なら、僕に任せてください」
全員が陽翔を見た。
悠真が言った。
「今朝、会議室を占領した人が言うと重みが違う」
「失敗から学んだ者は強いんです」
香澄が微笑む。
「では、陽翔くん。会議室予約の運用ルール案を作って」
「はい。会議室予約の主として」
「主にはならないで」
陽翔はホワイトボードに勢いよく書き始めた。
一、会議室は必要な時間だけ予約する。 二、仮予約は二営業日以内に確定する。 三、参加者と会議室を同時に招待する。 四、オンライン参加者がいる場合はTeamsリンクを作成する。 五、退職者や異動者が主催する定期予定は棚卸しする。 六、会議室を愛する。
「最後は不要です」
悠真が言った。
「会議室にも人権が」
「それも不要です」
内田は声を出して笑った。
「でも、分かりやすいです。特に退職者の定期予定はすぐ確認します」
次に、SharePoint権限の整理に入った。
ここで、奏汰の目つきが変わった。
ヘッドホンから音楽が漏れているわけではない。 けれど、画面を見る指の動きが、妙に滑らかになった。
「これは……」
奏汰がつぶやく。
蓮斗が横から画面を見た。
「権限がかなり複雑ですね」
森下がうなだれた。
「はい。部署別サイトを作ったあと、プロジェクトごとに共有して、その後、外部委託先にも一部共有して、さらに個別ファイルリンクが増えて……」
奏汰が淡々と言った。
「SharePointの森です」
陽翔がすぐに乗った。
「青葉通りの奥に広がる、権限の樹海」
「入った人が“編集可”のリンクを持って帰ってくるんですね」
さくらが言う。
「怖いです」
香澄は苦笑しながら、話を戻した。
「まず、誰が何を見られるべきかを整理しましょう」
かなえが契約書ファイルを開いた。
「委託先との契約も確認します。外部の方に共有する資料の範囲、秘密保持、アクセス終了時の対応、再委託先への共有可否。このあたりが書かれているか見ます」
内田が少し驚いた。
「Microsoft 365の話でも、契約書を見るんですか?」
「はい」
かなえはうなずいた。
「権限設定は技術の話ですが、誰に何を見せてよいかは契約と運用の話でもあります」
みおが言った。
「鍵を作る人と、鍵を渡していい相手を決める人は、両方必要なんですね」
陽翔がメモを取る。
「本日の湯呑み候補」
「湯呑みに鍵の話を印字しないでください」
さくらが言った。
奏汰は、SharePointサイトとグループの関係を権限表に直していった。
部署サイト。 プロジェクトサイト。 経営資料フォルダ。 委託先共有フォルダ。 全社員向けポータル。 旧プロジェクト保管庫。
それぞれについて、所有者、編集者、閲覧者、外部共有の可否を整理する。
「所有者は最低二名。退職者や異動者が含まれていないか定期確認。外部共有は原則として専用フォルダ。個別ファイルリンクの乱発は禁止ではなく、期限と目的を明確にする」
奏汰は、涼しい顔で言った。
陽翔が感心したように見る。
「音楽を聴きながら、権限表が整っていく……」
「職人芸ですね」
さくらが言った。
森下は画面を見て、少し感動したように言った。
「すごい。今まで、誰が何を見られるのか、説明できなかったんです」
「説明できない権限は、運用できません」
奏汰が言った。
悠真が静かにうなずいた。
「契約書と同じですね。説明できない条項は、揉めたときに困ります」
香澄は内田に向き直った。
「大事なのは、完璧な権限表を一度作ることではありません。人の入退社や異動、プロジェクトの開始と終了に合わせて、更新できる流れを作ることです」
「うちは、退職時のアカウント停止はやっています」
内田が言った。
「ただ、その人が所有者になっているチームや共有リンクまでは見ていませんでした」
森下が小さく言う。
「正直、そこまで見る時間がなくて」
香澄はやわらかく言った。
「一人で抱えると続きません。退職手続きのチェックリストに入れて、総務と情シスで分担しましょう」
さくらが新しいチェックリストを作り始めた。
退職者アカウント対応: サインイン停止 メール転送または自動応答 Teams所有者の確認 SharePoint所有者の確認 共有リンクの確認 委託先・外部共有の解除 ライセンスの整理 データ保管方針の確認
陽翔がのぞき込む。
「“退職者の亡霊を成仏させる”は入れないんですか?」
「入れません」
さくらが即答した。
森下は、思わず笑った。
「でも、社内説明ではそのほうが伝わるかもしれません」
「伝わるんですか?」
悠真が眉を上げる。
「うちの社内、そういう表現のほうが通る部署があります」
内田が真面目に言った。
香澄は笑いながら、少しだけ考えた。
「では、正式な資料には書かず、研修の口頭説明で控えめに使いましょう」
「所長が許可した!」
陽翔が嬉しそうに言った。
「控えめに、です」
昼過ぎには、委託先のアクセス制御の話になった。
久米が資料を出した。
「弊社は、静岡みらい商事さんのM365運用支援をしています。現在、弊社担当者三名が一部の管理権限を持っています」
蓮斗が尋ねた。
「その三名は、固定ですか?」
「原則固定ですが、繁忙期に別メンバーが対応することがあります」
かなえが契約書を確認する。
「契約書では、委託先担当者の範囲や変更時の通知、再委託の有無、アクセス権限の返却について、少し曖昧ですね」
久米は申し訳なさそうに頭を下げた。
「実務優先で進めてしまっていました」
「責める話ではありません」
香澄が言った。
「ただ、会社の情報に触れる権限ですから、誰が、何のために、どの期間アクセスできるのかを明確にしましょう」
奏汰が続けた。
「委託先アカウントは、個人ごとに発行する。共有アカウントは使わない。権限は必要最小限。作業が終わったら権限を外す。定期的に棚卸しする。管理者権限を使う作業は記録する」
陽翔が小声で言う。
「共有アカウント、便利そうに見えて、あとで“誰がやったか分からない沼”になりますからね」
「その表現は悪くない」
悠真が言った。
「悠真さんから、悪くない判定!」
「騒がない」
みおがぽつりと言った。
「権限って、信用していないから絞るんじゃなくて、信用を続けるために整えるんですよね」
応接室が少し静かになった。
久米がゆっくりうなずいた。
「委託先の立場でも、そのほうがありがたいです。曖昧なまま強い権限を持っていると、何か起きたときに疑われるのが怖いので」
内田も頷いた。
「そうですね。こちらも、委託先さんを疑いたいわけではありません。お互いを守るために、権限と記録を整える必要があるんですね」
香澄が微笑んだ。
「その通りです」
午後三時、最大の難所に入った。
第三会議室である。
森下がカレンダーを開く。
「これです。来月末まで、毎週火曜と木曜の午後が押さえられています。主催者は、去年退職した営業部の村田さんです」
陽翔が腕を組んだ。
「ついに来ましたね。第三会議室の主」
悠真が言った。
「主ではなく、残存予定です」
「言い方が冷静すぎます」
奏汰が画面を見ながら言った。
「会議室メールボックス側の予定として残っています。主催者アカウントが無効化されているので、通常の参加者側からは変更できない状態です」
森下が目を丸くする。
「そんなことがあるんですね」
「あります」
奏汰は涼しい顔で操作手順を確認し、管理者として会議室の予定を整理する方法を説明した。
陽翔は横で、なぜか神妙な顔をしていた。
「陽翔くん?」
さくらが聞く。
「会議室予約の主として、成仏の瞬間を見届けています」
「主じゃないです」
奏汰が少しだけ口元をゆるめた。
「解除します」
クリック。
第三会議室の午後に、ぽっかり空きができた。
その瞬間、内田と森下が同時に声を上げた。
「空いた!」
久米も拍手した。
さくらも拍手した。
陽翔は立ち上がり、両手を広げた。
「第三会議室、解放!」
「大げさです」
悠真が言った。
しかし、香澄も少し笑いながら拍手していた。
「でも、よかったですね」
内田は本当に嬉しそうだった。
「会議室が予約できるだけで、こんなにありがたいとは思いませんでした」
森下がうなずいた。
「今日、社内の定例会がちゃんと開けます。たぶん、全員同じ会議に入れます」
陽翔が感動したように言った。
「“全員同じ会議に入れる”という平和」
みおが微笑んだ。
「当たり前が戻ると、拍手したくなりますね」
その言葉どおり、午後四時、テスト会議が行われることになった。
参加者は、内田、森下、久米。 山崎事務所からは、香澄、奏汰、陽翔、さくら。 物理会議室は、解放された第三会議室ではなく、山崎事務所の応接室。 オンライン参加は、悠真と蓮斗。二人とも同じ事務所内にいるが、動作確認のため別室から参加した。
「では、始めます」
森下がTeams会議の開始ボタンを押す。
リンクは一つ。 参加者は正しい。 会議室も予約済み。 外部参加者の権限も確認済み。 画面共有もできる。
数秒後、画面に悠真の顔が映った。
無表情である。
続いて、蓮斗の顔も映った。
こちらも無表情である。
陽翔が言った。
「画面が冷静です」
「何の感想ですか」
さくらが笑う。
森下が少し緊張しながら言った。
「音声、聞こえますか?」
悠真が画面越しに答えた。
「聞こえます」
蓮斗も言った。
「画面共有も見えています」
内田が、思わず両手を合わせた。
「つながった……」
久米が拍手した。
さくらも拍手した。
陽翔は立ち上がって拍手した。
香澄も笑いながら拍手した。
奏汰はヘッドホンを片耳だけ外し、涼しい顔で小さく拍手した。
画面の中の悠真は、拍手せずに言った。
「通常動作です」
陽翔が言った。
「通常動作に感謝する回なんです」
蓮斗が静かに頷いた。
「たしかに、通常動作は大事です」
その一言で、さらに拍手が起きた。
Teams会議が普通に始まり、普通に画面共有でき、普通に全員が同じ場所に集まる。
それだけのことだった。
けれど、それだけのことが、会社の毎日を支えている。
会議に出られる。 必要な資料が見られる。 見てはいけない資料は見えない。 退職した人のアカウントが、いつまでも残らない。 委託先の人も、必要な範囲で安心して作業できる。 会議室が、謎の主に支配されない。
小さな当たり前を整えることは、働く人の不安を減らすことだった。
テスト会議が終わると、内田は深く頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました。Microsoft 365の運用って、ただ便利なツールを使うだけだと思っていました。でも、ルールがないと、便利さが混乱に変わるんですね」
香澄はうなずいた。
「便利な道具ほど、みんなが同じように使える決まりが必要です」
奏汰が言った。
「M365は、会議室、ファイル、チャット、権限、アカウントがつながっています。一か所の曖昧さが、別の場所の混乱になります」
陽翔が言う。
「会議室予約の小さな混乱が、社内の平和を乱すこともあります」
悠真が画面越しに言った。
「今朝の自分に言っているのかな」
「はい。深く反省しています」
森下が笑った。
「でも、陽翔さんのおかげで、会議室予約ルールが一番分かりやすくなりました」
陽翔は胸を張った。
「失敗は運用ルールの母です」
「それは少し危険な名言ですね」
さくらが言った。
かなえは、委託先契約の修正メモを内田に渡した。
「こちらは次回、契約条項として整えましょう。委託先のアクセス範囲、担当者変更時の通知、権限返却、作業記録、秘密保持。技術設定と契約の両方で支える形にします」
久米が受け取った。
「弊社側でも確認します。曖昧なまま運用するより、そのほうが安心です」
みおが静かに言った。
「誰が何を見られるかを決めるのは、壁を作ることじゃなくて、安心して同じ部屋に入るためなんですね」
陽翔はすかさずメモを取った。
「湯呑み候補です」
「今日は会議室予約票に印字したらどうですか」
さくらが冗談で言う。
悠真が画面越しに即答した。
「しない」
「遠隔でも止めるんですね」
陽翔が感心した。
夕方、静岡みらい商事の三人が帰ったあと、事務所には静かな達成感が残っていた。
さくらはホワイトボードを消しながら言った。
「今日は、ちゃんと会議に出られただけで感動しましたね」
りながうなずいた。
「業務フローって、派手ではないけど、こういう当たり前を支えるんですよね」
あやのが赤ペンを片づけながら言った。
「契約書も同じです。何も起きないようにする仕事って、地味だけど大事」
奏汰はヘッドホンを首にかけたまま、権限表を保存した。
ファイル名は、きわめて普通だった。
「M365_権限整理表_初版.xlsx」
陽翔がそれを見て、少し不満そうな顔をした。
「もっと夢のある名前にしませんか?」
「しません」
「たとえば、“第三会議室解放記念_権限表.xlsx”」
「しません」
「“M365会議室、今日も予約可能.xlsx”」
「しません」
香澄は笑いながら、お茶を淹れた。
「でも、今日の思い出としては悪くないタイトルね」
悠真が別室から戻ってきた。
「正式ファイル名には向きません」
「分かっています」
香澄は湯呑みを配りながら言った。
「でも、今日もひとつ、会社の中の小さな不安が減りました」
青葉通りの外では、夕方の風が木々を揺らしていた。 通りを歩く人たちは、それぞれの職場から、それぞれの家へ帰っていく。
その裏側には、たくさんの当たり前がある。
会議が始まる。 資料が開ける。 必要な人にだけ情報が届く。 退職した人のアカウントが静かに役目を終える。 委託先も、発注側も、余計な疑いを持たずに仕事ができる。
それは派手な成功ではない。
けれど、働く人にとっては、とても大切な平和だった。
山崎行政書士事務所では、今日もその平和を少しずつ整えている。
ただし翌朝。
事務所の会議室カレンダーに、新しい予定が入っていた。
件名は、
「第三会議室解放記念式典」
主催者は、陽翔。
時間は、午前九時から九時十五分。
場所は、山崎行政書士事務所会議室。
参加者は、全員。
香澄は画面を見て、思わず笑った。
「十五分だけなら、まあいいかしら」
悠真は静かに言った。
「議題は?」
陽翔は胸を張った。
「会議室に感謝する会です」
奏汰がヘッドホン越しにぼそっと言った。
「Teamsリンク、ついてない」
陽翔の顔が固まった。
全員が一斉に陽翔を見た。
陽翔は、そっと予定を修正した。
Teamsリンクが追加された。
その瞬間、事務所に拍手が起きた。
青葉通りの契約書は、今日も笑う。 ちゃんと会議に出席できるだけで、少し世界が平和になることを知りながら。





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