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紫の丘と幹夫の春



春の終わりを告げる風が、静岡の山間を抜けてゆく頃――幹夫は、学校の帰り道をひとりで歩いていた。

近道の小道には、誰も通らない斜面がある。そこは町の人々から「紫の丘」と呼ばれていた。手入れもされず、草もまばらに生い茂るその場所に、ある年の春から突然、紫の花が咲きはじめた。

――ケープマーガレット。それが花の名前だと、幹夫は後で図鑑で知った。

幹夫はその丘が好きだった。なぜなら、どこにもない色をしていたからだ。絵の具では出せない。口にしても言い表せない。それは紫ではなく、空の匂いを含んだ光そのものだった。

彼はランドセルを地面に置き、そっと花の群れに手を伸ばした。やわらかい花弁は、指先に触れると震えるように揺れた。

「おばあちゃんの匂いがする……」

彼はそう呟いた。去年の春に亡くなった祖母は、花が好きだった。とくに、菊のように力強く、でも儚さを持つ花を好んでいた。遺影の写真も、薄紫のブラウスに身を包んでいた。

風が吹いた。丘の花々が一斉に、波のように揺れる。

幹夫の胸の奥に、なにかが立ち上がる。悲しみでもなく、寂しさでもなく、それは「見えない誰かがここにいる」という、不思議な感覚だった。

「おばあちゃん、いるの?」

問いかけに返事はない。けれども、花たちは優しく揺れ続けた。

彼は花の間に座り、空を仰いだ。そこには、どこまでも高く、透きとおった青。一輪、二輪と、蜜蜂が音もなく飛び交っていた。

風が止み、空気がぴたりと静まる。

幹夫は目を閉じた。そして、そっと祈るように呟いた。

「ぼくも、こんなふうに咲けるかな……」

それは、少年が春に誓った、はじめての願いだった。

 
 
 

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