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終点ではない

一 東京――銀の鈴は鳴らない

午前五時四十六分、東京駅の地下にある「銀の鈴」は、いつものように黙っていた。

始発を待つ人々の足音、スーツケースの車輪、コンビニ袋の擦れる音。まだ一日が始まりきらない駅のざわめきの中で、その男は発見された。

遺体は待ち合わせ広場の端、清掃用具室の前に横たわっていた。胸元に小さな白いカードが置かれている。

銀の鈴は鳴らない

カードの裏には、時刻表から切り取られたらしい細長い紙片が貼られていた。

06:00 東京発06:07 品川着

「次は品川、か」

警視庁捜査一課の刑事、倉木遼は、声に出してから自分の浅はかさに気づいた。犯人がそんなに単純なわけがない。だが、駅の空気はすでにその言葉に従って動き始めていた。鑑識の声、無線の呼び出し、上官の怒鳴り声。すべてが、東京から品川へ流れ出そうとしている。

被害者の所持品から、身元はすぐに割れた。

山辺久遠。旅行エッセイで知られる作家で、東海道新幹線に関する本も何冊か出している。倉木も署の待合室で彼の本を見たことがあった。軽い文体で、駅にまつわる人間模様を書く男だった。

「山辺は、駅をよく知っていたんです」

隣でそう言ったのは、相棒の篠原灯だった。鉄道会社から出向してきたかのように時刻表を読み、駅の構造を頭の中に持っている若い刑事だ。

「犯人が山辺を殺したのなら、山辺の本を読んでいる。山辺を殺したのが犯人でないなら――」

「なら?」

「この事件は、山辺の文章で書かれています」

倉木は銀の鈴を見た。

誰かを待つための場所。誰かが来ないことを知る場所。

六時七分、品川行きの列車は時刻どおり東京を出た。倉木たちは乗らなかった。乗れば、犯人の用意した筋書きに乗ることになる。

だが警察は動いた。

そして六時十三分、品川駅港南口のコインロッカー前で、第二の遺体が見つかった。

警察は一歩遅れた。

二 品川――雨は海へ戻る

品川駅の朝は、東京駅よりも鋭かった。

ビル群へ急ぐ人波が、濡れてもいない床を雨のように走っていく。港南口のロッカー前に倒れていたのは、河野弓子という六十代の元看護師だった。

カードには、また短い言葉。

雨は海へ戻る

裏には紙片。

06:14 品川発06:25 新横浜着

「また次を示している」

若い捜査員が言った。

倉木は黙ってカードを見た。字は印字だった。感情を消すための文字。しかし、その言葉だけは不思議に濡れていた。

河野弓子のバッグには、封の切られていない手紙が入っていた。宛名はなかった。便箋の一行目だけが目に入った。

――あの日、私はあなたをお母さんから引き離しました。

灯が息を止めた。

「どうした」

「いえ。何でもありません」

倉木は見逃さなかった。灯の目はカードではなく、手紙の紙質を見ていた。古い紙を思い出すような目だった。

河野弓子は十八年前、品川駅近くの小さな診療所に勤めていた。診療所はもうない。院長も亡くなっている。だが古いカルテの控えから、一人の女性の名前が浮かび上がった。

雨宮奏。

浜松出身のピアニスト。十八年前、新大阪で転落事故に遭い、死亡したとされる女。だがその事故記録は不自然なほど薄かった。現場写真も、証言も、ほとんど残っていない。

「山辺久遠が、雨宮奏のことを書いていたな」

倉木は記憶を探った。

彼の代表作の一つに、『終着駅のピアノ』という小説があった。若い女が東京から新大阪まで旅をし、各駅で別れと再会を繰り返す物語。美しいが、どこか人の傷を覗き込むような小説だった。

灯が低く言った。

「その小説、未完の原稿を盗作したという噂がありました」

「誰の?」

灯は答えなかった。

新横浜への警戒態勢が敷かれた。ホーム、改札、駅ビル、周辺ホテル。警察は今度こそ先回りしたつもりだった。

六時二十五分、新横浜駅に列車が着く。何も起きない。

だが六時二十九分、駅近くの結婚式場から通報が入った。

白い花束の下で、第三の遺体が見つかった。

三 新横浜――白い花束は帰れない

新横浜の式場は、朝には似合わない場所だった。

閉じたチャペル。誰も座っていない椅子。祭壇の前に置かれた白い花束。その花束にカードが差し込まれていた。

白い花束は帰れない

被害者は佐伯信也。元写真家。現在は式場の専属カメラマンだった。

彼の部屋から、古いアルバムが押収された。新幹線の駅で撮られた写真ばかりだった。東京、品川、新横浜、静岡、浜松、名古屋、京都、新大阪。日付は十八年前の十月十七日。

その中に一枚だけ、人物写真があった。

若い女が、新横浜駅のホームで笑っている。片手には譜面ケース。もう片方の手には、白い花束。

裏には、手書きの文字。

――奏へ。新大阪で式を挙げよう。佐伯信也

「婚約者だったのか」

倉木が言うと、灯は首を振った。

「たぶん、約束だけです。式は挙げられていません」

佐伯は十八年前、雨宮奏と婚約していた。しかしその後、別の女性と結婚している。雨宮奏の事故後すぐのことだった。

佐伯のパソコンには、削除されたファイルがあった。復元された動画には、佐伯自身が映っていた。画面の中の彼は、酒に酔ったように目を赤くしていた。

「奏は死んだんじゃない。殺された。俺は知っていた。でも言えなかった。山辺が――」

映像はそこで途切れていた。

山辺。

東京駅で死んだはずの男の名前が、また出てきた。

倉木は違和感をはっきり掴んだ。事件が山辺の死から始まったのではない。山辺の名を消すために、山辺の死が置かれたのだ。

第三の紙片には、こうあった。

06:32 新横浜発07:18 静岡着

「静岡か」

倉木は無線を取った。

「全員に伝えろ。犯人は駅そのものではなく、駅にまつわる記憶を使っている。ホームだけを見るな。待ち合わせ場所、昔の勤務先、周辺施設、過去の写真に写った場所。全部だ」

灯が言った。

「でも、それでも遅れます」

「なぜだ」

「犯人は次の場所を教えているんじゃありません。私たちが次を見ている間に、過去へ潜っているんです」

その言葉の意味を、倉木は静岡で知ることになる。

四 静岡――富士は見ていた

静岡駅のホームから富士山が見える日は、誰もが少しだけ足を止める。

その朝も、雲の切れ間に白い稜線が浮かんでいた。だが倉木には、それが美しいものに見えなかった。何かを見ていながら黙っている目のように見えた。

第四の被害者、片桐豊は、駅の警備員だった男だ。定年後は駅近くの茶店で働いていた。その店の裏口で倒れていた。

カードには、

富士は見ていた

紙片には、

07:22 静岡発07:49 浜松着

片桐のロッカーには、古い勤務日誌が隠されていた。十八年前の十月十七日、そのページだけが破り取られている。しかし、破り残しに筆圧が残っていた。

灯が鉛筆を寝かせ、紙の上をなぞった。

浮かび上がった文字は、短かった。

――女、怯えている。男二人。見なかったことにする。

片桐は見ていたのだ。

雨宮奏が、誰かに連れられて新幹線へ戻されるところを。助けを求めたかもしれない女を、見なかったことにした。

「なぜ黙った」

倉木は、もう答えられない男に問いかけた。

片桐の妻は、病院の廊下で泣き崩れていた。彼女は捜査員にぽつぽつと話した。

「主人はずっと、富士山を見るのが嫌いになったと言っていました。若いころは、あんなに好きだったのに。あの日から、晴れた日はカーテンを閉めてしまうんです」

倉木は静岡駅のガラス越しに富士を見た。

駅は人を運ぶ。だが、逃げる人を助けるとは限らない。帰りたい人を帰すとも限らない。

浜松への捜査線が広がった。

灯は移動中、何度も時刻表の紙片を並べ替えていた。

「おかしいんです」

「何が」

「この時刻、今の時刻表じゃありません。列車番号もない。でも、駅間の並びと時間は整っている。これ、十八年前の臨時列車の時刻かもしれません」

「雨宮奏が乗った列車か」

灯は答えなかった。

代わりに、紙片の端を指でなぞった。

「裏に、薄く文字があります。切り取られた原稿の裏です」

倉木は紙片を受け取った。印刷された時刻の裏に、うっすらと手書き文字の断片があった。

――終点では、ない。

その言葉を見た瞬間、灯の顔から血の気が引いた。

「篠原?」

灯は窓の外を見た。東海道の景色が、速度に溶けて流れていた。

「その言葉を、私は知っています」

五 浜松――音のない鍵盤

浜松は音の街だ。

楽器店の看板、音楽教室のポスター、駅構内のピアノ。だがその日の浜松駅で、ピアノは誰にも弾かれていなかった。鍵盤の蓋は閉じられ、表面に白いカードが置かれていた。

音のない鍵盤

第五の被害者は、早乙女律子。かつて雨宮奏が師事したピアノ教師だった。

早乙女の自宅から、雨宮奏の名前で書かれた古い楽譜が見つかった。タイトルは『終点ではない』。だが、その曲は十八年前、早乙女律子名義で発表され、彼女に大きな名声を与えていた。

「盗んだのか」

倉木がつぶやくと、灯が言った。

「奏さんは、音楽だけじゃなく、文章も書いていました。旅の記録、駅の記憶、人との約束。たぶん山辺の小説は、奏さんの原稿を元にしている」

「君はなぜそんなに知っている」

灯は長い沈黙のあと、答えた。

「私は、雨宮奏の娘です」

駅のアナウンスが、遠くで次の列車を告げた。

倉木は何も言わなかった。問い詰めるには時間がない。驚くには事件が速すぎる。

灯は続けた。

「母は私が七歳のとき、東京へ行きました。新大阪で会う約束でした。『終点ではない』って、電話で言ったんです。新大阪は終わりじゃない、そこから一緒に始めようって。でも母は帰ってこなかった」

「なぜ黙っていた」

「私情を疑われたくなかったからです。けれど、もう隠せません」

紙片には次が示されていた。

07:52 浜松発08:24 名古屋着

倉木は灯を見た。

「君を捜査から外すべきだな」

灯はまっすぐ見返した。

「外したら、犯人の勝ちです。犯人は私に見せたいんです。母を裏切った人間たちが、順番に死んでいくところを」

「君が犯人だと疑われる」

「それも、犯人の筋書きです」

倉木は決断した。

「なら、その筋書きを破る。名古屋へ行くぞ」

浜松を出る列車の窓に、灯の顔が映った。刑事の顔と、母を待ち続けた子どもの顔が重なっていた。

六 名古屋――金時計は待っている

名古屋駅の金時計は、いつも誰かを待っている。

待ち合わせる恋人。久しぶりに会う家族。商談へ向かう男。別れを告げる女。時計の下には、それぞれの時間が集まっている。

第六の被害者、志摩光一は、金時計のすぐ近くで見つかった。

志摩は大手不動産会社の元役員だった。十八年前、東海道沿線の駅周辺再開発に関わっていた男で、山辺久遠のスポンサーでもあった。

カードには、

金時計は待っている

紙片には、

08:27 名古屋発09:02 京都着

志摩の鞄には、古い封筒が入っていた。中には雨宮奏の原稿のコピーと、山辺久遠からの手紙。

――原稿は預かった。君が黙っていれば、誰も傷つかない。

倉木はそこで、事件の中心が復讐ではないと確信した。

復讐なら、犯人は黙って殺せばいい。だがこの犯人は、見せている。見せながら、別のものを隠している。

名古屋県警の鑑識から、東京の第一遺体について追加報告が届いた。

「東京の遺体、山辺久遠本人ではありません」

電話口の声は硬かった。

「所持品は山辺のものでしたが、歯型と過去の医療記録が合わない。身元はまだ不明です」

倉木は息を吐いた。

やはり。

山辺久遠は死んでいない。

彼は最初に自分の死を置き、捜査線から消えた。その上で、品川、新横浜、静岡、浜松、名古屋と、過去を知る者たちを殺している。

「灯」

倉木は言った。

「山辺は君を犯人にするつもりだ。雨宮奏の娘が、母を裏切った人間を東海道新幹線の駅で殺している。世間はその物語を信じる」

灯は金時計を見上げた。

「母は、山辺を信じていました」

「知っているのか」

「母の古いノートに書いてありました。『山辺さんなら、私の言葉を東京まで運んでくれる』って」

倉木は拳を握った。

山辺は言葉を運んだのではない。奪ったのだ。

京都へ向かう列車の中で、灯は窓の外を見つめたまま言った。

「母は、私に駅の話をしてくれました。東京は出発の駅。品川は別れの駅。新横浜は約束の駅。静岡は見守る駅。浜松は音の駅。名古屋は待つ駅。京都は嘘が古くなる駅。新大阪は――」

「新大阪は?」

灯の声は震えた。

「再会の駅です」

七 京都――千年の嘘にも朝が来る

京都駅は、古い都の玄関でありながら、どこか未来の建物のようにそびえている。

ガラスと鉄骨。長いエスカレーター。空中を渡る通路。人々は過去と未来の間を上り下りしている。

第七の被害者は、甲斐良介。弁護士だった。

十八年前、雨宮奏の事故処理を担当した男。遺族に示談を勧め、警察に事故として処理させ、関係者の名前を記録から消した。

彼は京都駅ビルの非常階段で倒れていた。

カードには、

千年の嘘にも朝が来る

紙片には、

09:05 京都発09:19 新大阪着

その裏に、今度ははっきりと手書き文字が残っていた。

――灯へ。――終点ではない。――新大阪で、待っている。

灯は紙片を握りしめた。

「これは母の字です」

「山辺が原稿から切り取ったんだ」

倉木が言った。

「山辺は、君のお母さんの言葉を使って、君を誘っている」

そのとき、灯の携帯が鳴った。

非通知。

倉木が頷くと、灯はスピーカーにした。

「灯ちゃん」

男の声だった。やわらかく、文章を読むような声。

「大きくなったね」

灯の顔が凍りついた。

「山辺久遠」

「お母さんに似ている。奏さんも、駅ではいつもまっすぐ前を見ていた」

倉木が合図し、逆探知が始まる。

山辺は笑った。

「無駄だよ。君たちはいつも一歩遅い。時刻表は、遅れる者のためには作られていない」

灯が低く言った。

「母を殺したのは、あなたですか」

沈黙。

それから山辺は、優しく答えた。

「殺したのは、約束だよ。守れない約束は、人を殺す」

通話は切れた。

逆探知の結果は、新大阪駅周辺。

倉木は無線を掴んだ。

「新大阪を封鎖しろ。山辺久遠は生きている。最終目標は篠原灯だ」

灯が立ち上がった。

「私も行きます」

「当然だ」

倉木は言った。

「だが君は餌じゃない。刑事として行く」

京都を出た列車は、西へ走った。

東海道の終わりへ。いや、誰かが終わりだと思わせた場所へ。

八 新大阪――終点ではない

新大阪駅は、東京駅ほど華やかではない。京都駅ほど美しくもない。だがそこには、行き先を変える力がある。

東へ戻る人。西へ向かう人。大阪の街へ降りる人。新幹線を降りて在来線へ乗り換える人。

終わりではなく、分岐点。

山辺久遠は、二十七番ホーム下の業務用通路にいた。

警察の包囲を避けるためではない。むしろ、倉木たちがそこに来ることを待っていたかのようだった。

彼は黒いコートを着て、古い革鞄を持っていた。テレビで見た作家の顔より痩せていたが、目だけは妙に若かった。

「やっと来た」

山辺は言った。

「物語は、読者が最後のページに辿り着かなければ完成しない」

倉木は拳銃を構えた。

「山辺久遠。殺人容疑で逮捕する」

山辺は笑った。

「殺人? 君たちは何も知らない。私はただ、十八年前に終わるはずだった物語を終わらせているだけだ」

灯が一歩前に出た。

「母の原稿を返してください」

山辺の表情が、初めて歪んだ。

「奏さんは、才能があった。音楽にも、文章にも。だが才能だけでは世に出られない。私が形にしてやった。私が、彼女の言葉を本にした」

「盗んだんですね」

「救ったんだ」

山辺の声が荒くなった。

「彼女は馬鹿だった。再開発の不正だの、金の流れだの、そんなものを告発しようとしていた。志摩も、甲斐も、佐伯も、河野も、片桐も、早乙女も、みんな傷つく。私も傷つく。だから止めた。なのに彼女は、新大阪で君に会うと言った。全部話して、新しく始めると」

灯の目に涙が浮かんだ。

「だから殺した」

山辺は答えなかった。

代わりに革鞄を開けた。中には、古いノートが入っていた。雨宮奏の旅の記録。駅ごとの短い言葉。譜面。小説の断片。

倉木は見た。

「銀の鈴は鳴らない」「雨は海へ戻る」「白い花束は帰れない」「富士は見ていた」「音のない鍵盤」「金時計は待っている」「千年の嘘にも朝が来る」「終点ではない」

それは犯人の言葉ではなかった。

雨宮奏が、娘に残した言葉だった。

「あなたは母の言葉で、人を殺した」

灯の声は静かだった。

山辺は首を振った。

「違う。あいつらが先に裏切った。私は彼らを裁いた。君のために」

「私のためじゃない」

灯は言った。

「あなたは、自分の小説を守るために殺した。母の原稿を盗んだこと。母を死なせたこと。十八年間、母の言葉で名声を得ていたこと。それが暴かれるのが怖かっただけです」

山辺の目が暗くなった。

その瞬間、彼は鞄から小型のナイフを抜き、灯へ向かって踏み込んだ。

倉木は撃たなかった。

駅の下には配管があり、壁があり、跳弾の危険があった。代わりに彼は山辺の腕へ飛び込んだ。二人はコンクリートの床へ転がった。灯がナイフを蹴り飛ばす。山辺は呻き、なおもノートへ手を伸ばした。

「それは私の作品だ」

「違う」

倉木は山辺の手首を押さえた。

「これは、雨宮奏の遺書だ」

灯がノートを抱きしめた。

遠くで、新幹線の到着放送が流れた。

まもなく列車が到着します。黄色い線の内側までお下がりください。

その声は、十八年前にも同じように流れていたのだろう。雨宮奏が娘に会うため、新大阪へ降りようとしたときにも。誰かを信じ、誰かに裏切られ、それでも終点ではないと信じていたときにも。

山辺は逮捕された。

彼が第一の被害者に仕立てた男は、山辺の元編集者だった。山辺の盗作疑惑を追い、雨宮奏の原稿の存在を知ったため、東京駅で殺された。山辺はその男に自分の所持品を持たせ、自分が死んだように見せかけた。

品川の河野は、幼い灯を一時的に預かりながら、金で沈黙した。新横浜の佐伯は、奏との婚約を捨て、証言を拒んだ。静岡の片桐は、奏が連れ戻されるのを見ながら見逃した。浜松の早乙女は、奏の曲を自分の名で発表した。名古屋の志摩は、不正の中心にいた。京都の甲斐は、事故として処理した。

彼らは皆、十八年後に山辺から呼び出された。「雨宮奏の娘が真実を知った」と脅され、駅へ来た。そして、死んだ。

山辺は復讐者を装った。だが本当は、証人を消していただけだった。

終章 新大阪の朝

数日後、倉木と灯は新大阪駅のホームに立っていた。

事件は報道され、山辺久遠の本は書店から姿を消した。雨宮奏のノートと楽譜は、遺族のもとへ返されることになった。

灯はホームの端で、母のノートを開いた。

最後のページには、短い文章があった。

――灯へ。――駅は、別れる場所ではなく、また会うための場所です。――東京で嘘が始まっても、品川で泣いても、新横浜で約束が破れても、静岡で誰かが黙っていても、浜松で音が消えても、名古屋で待ちぼうけになっても、京都で嘘が古くなっても。――新大阪は終点ではありません。――あなたが歩き出す場所です。

灯は泣かなかった。

長い時間をかけて、ようやく泣かないで読めるところまで来たのだ。

倉木は隣に立ち、線路の先を見た。

列車が入ってくる。東京から来た列車。これから西へ向かう人々を降ろし、東へ戻る人々を乗せる列車。

駅には、無数の記憶が刻まれている。

別れ。再会。裏切り。約束。

そして、ときには真実も。

灯がノートを閉じた。

「倉木さん」

「何だ」

「母の曲、いつか浜松で弾いてもらえるそうです」

「そうか」

「タイトルは、そのままにします」

倉木はうなずいた。

「いいタイトルだ」

新大阪駅の自動放送が、次の列車の到着を告げた。

灯はホームの先を見つめた。もう誰かを待つ子どもではなく、真実を知った刑事の目で。

終点ではない。

それは、始まりの名前だった。

 
 
 

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