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緑走る台地 ~動力~

第一章 消えない火種

 翌朝、ぼんやりした曇天の下、幹夫は印刷所へいつもどおり足を運んでいた。 東京の街では軍拡のニュースがますます色濃く報じられ、人々の間に息苦しい緊張感が漂い始めている。新聞の社会面では「反戦ビラ集団検挙」や「国防献金キャンペーン」など相反する話題が交錯し、昭和の不安定さを映し出していた。 「山岸や井上はどうしているのか……。父は静岡で茶畑を守る策を進め、体調を取り戻しつつある。けれど、東京はまだ息が詰まるようなまま……」 幹夫はそう胸の内でつぶやきながら門をくぐる。まるで呼応するかのように、印刷所の奥からは慌ただしい声が響いていた。

第二章 堀内の焦燥

 工場に入り機械の調整にかかろうとすると、堀内が疲れ切った顔で寄ってきた。 「幹夫……きょうも軍の担当がくるらしい。いつもの巡回じゃなく、“抜き打ち検査”だそうだ。社長はヒヤヒヤしてる」 またか、と幹夫は思わず視線を落とす。ビラの集団検挙後、ますます印刷所に疑いの目が向けられているのかもしれない。 「俺たちが怪しまれる筋合いはないはずだけど、紙の流通が厳しくなる一方だし、今やちょっとした端材の扱いでも変に勘ぐられる。ほんとに息が詰まるよ」 堀内は小さく唇を噛む。「木下のように辞めていく者がまた出るんじゃないかとも言われてる。……おまえはまだ大丈夫か? 父さんも回復したなら、無理にここで消耗しなくても……」 だが幹夫は首を振る。 「ここを放り出せば、軍の監視がさらに強まるだけだと思う。俺はもう少し踏み止まる。井上や山岸がどこかであがいてるのと同じように、父も静岡で奮闘してる。だから……」

第三章 抜き打ち検査

 昼少し前、噂通り軍服姿の二人組が姿を見せた。社長が慌てて対応に出るが、彼らは以前にも増して厳しい目つきで工場内をくまなく見回す。 「用紙の在庫はどこにある?」 「端材はどう扱っている? 『在庫一掃』は本当に終わったのか?」 鋭い問いに、社長は汗をかきながら説得する。幹夫たち職人は息を潜め、いつ「怪しいものはないか」と問い詰められるかと緊張する。 堀内がチラリと幹夫を見て、わずかにうなずく。「大丈夫だ」とでも言いたげだが、その表情は決して穏やかではない。いつ、どこから“ビラの残り香”が見つかるか分からないからだ。

第四章 静かなる紙束

 検査が一通り終わると、軍人たちはすぐに帰ることはなく、奥で社長と打ち合わせを始めたらしい。幹夫と堀内はホッと胸をなで下ろしつつ、気を抜けないまま作業場を立て直す。 廃材置き場を見ると、以前のように紙束が山積みされているわけではない。念入りに管理しているがゆえに、どこを探してもビラの痕跡など見当たらないだろう。 (山岸たちが集団検挙の前に“在庫一掃”を利用して持ち出した紙……いまはどこかでビラを刷ったりしているのか。それとも、もう捕まってしまったのか……) 胸の底で幾重もの疑問が渦巻く。紙が持つ可能性を知っているからこそ、それが静かに置かれたままである光景がむしろ恐ろしい。“いつでも燃える火種になる”――そんな気配を感じさせるためだ。

第五章 母からの手紙

 夜、下宿に戻ると、またポストに郵便が投函されていた。差出人は静岡の母。 手紙を開くと、文面には父・明義の回復が着実に進んでおり、**「地主の○○氏や町役場の新任職員らが父と協力して農家の再建を試みている」と書かれている。さらに、「いまはまだ大きく動けないが、風鈴の音のように小さな希望が集まっている」**という言葉もあった。 幹夫は思わず喉がつまる。母まで“風鈴の音”に言及するとは――。あの古びた鈴を母が贈ってくれたのは、やはり特別な意味があったのだろうか。 (父さん、少しずつ力を取り戻しているんだ。いつか俺が戻れば、一緒に動けるかもしれない……)

第六章 風鈴の奥

 夜更け、幹夫は部屋の灯を消し、二つの風鈴を見やる。静岡の鈴と東京の鈴――いずれも主張することなく、黙したまま闇に溶け込んでいる。 でも、その奥底には確かに「音を発する可能性」が眠っている。まるで父や井上、山岸たちのように、沈黙しながら決して諦めていない魂を感じるのだ。 (父さんは遠く静岡で“再建”を目指し、ここ東京では堀内や仲間が軍拡に耐えながら何とか踏み止まっている。俺は……いつかこの二つを繋ぐ架け橋になりたい。それが、父さんの言う“機会アレバ再ビ立チ会エ”という意味なのかもしれない……) 幹夫は薄い布団に横たわり、風鈴に手を伸ばそうとしたが、そっと止める。「今はまだ、その時じゃない……」――そんな気がしたのだ。

エピローグ

 薄明が近づく頃、外で軍用トラックの音が聞こえ、昭和の激しい足音がまた始まろうとしている。 「茶畑を取り戻す者たち、ビラを撒き続ける者たち、ここで紙を捨てられずに踏み止まる者たち……。すべてが風鈴の音のように小さな響きかもしれないが、必ず、何かを動かす力になるはずだ。」 幹夫は布団から起き上がり、二つの風鈴に深く一礼をしてみる。自分に言い聞かせるように、「今日も印刷所を守る」と決意を固め、また新たな一日を迎えるのだった。 やがて窓辺をかすかな風が横切り、二つの鈴がかすかに擦れ合う短い音を立てる。それは幹夫を励ますかのような優しい合図――彼はその余韻を手放すまいと、しっかり胸に刻んで立ち上がった。

 ——(続くかもしれない)

 
 
 

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