緑響く道をゆく
- 山崎行政書士事務所
- 5月4日
- 読了時間: 7分
第一章 森と絵との出会い
初夏の陽射しが山あいの町に降り注ぐころ、幹夫(みきお)は学校の写生会で森を訪れていた。遠くに見える稜線、手前の雑木林。風ひとつない静かな緑の中、幹夫の筆先はなぜか心許なく迷うばかりだった。人一倍感受性が強いと言われる彼の瞳にも、このときはまだ「何か」を捉えきれないでいたのである。
家に戻ると、母が蔵の奥から古い段ボール箱を見つけてきた。亡き父が生前、大切にしていた美術書や画集が収められているという。埃を払って箱を開けると、そこには青く澄んだ湖や深い緑の森を描いた絵の複製が何枚もあった。東山魁夷の名前──幹夫は初めてその画家の存在を知る。
幹夫は何気なく一冊の画集を開いた。すると、ページをめくる指が止まる。 「緑響く」と題されたその絵には、深い緑の森が湖面にそっくり映り込み、森の奥に佇む白馬が小さく浮かび上がっていた。音も人影もない。ただ静かな鼓動だけが絵の中に息づいているように感じられる。 幹夫は息を飲んだ。胸の奥から、心臓の鼓動が緑の底へ落ちていく。はじめて感じる不思議な震えに、幹夫はそっと画集を閉じた。何かが自分の中に生まれようとしている、そんな予感だけが確かにあった。
第二章 静寂の中の声
それから幹夫は、夜更けまで父の残した東山魁夷の画集を眺めるのが習慣となった。月明かりの差し込む居間で一人、ページを繰りながら聞こえてくる気配に耳を澄ます。「緑響く」からは、やはり森の奥底から沸き立つような重厚で静かな響きが流れ出していた。
ある晩、幹夫は裏山へ足を運んだ。空には無数の星がまたたき、足元には白く立ちこめた霧がゆらゆらと揺れている。森閑とした闇の中、幹夫はそっと瞳を閉じた。すると木々のかすれるようなざわめきに混じり、亡き父の声がどこか遠くで呼んだように感じた。 ──みきお…みきお…。
はっとして目を開けると、深い闇ばかりが広がっている。だが幹夫は恐怖ではなく、懐かしさに似た温もりを胸の奥に覚えた。風はまったく吹かないのに、森がかすかに揺れているような感覚。東山魁夷の絵から伝わってきた“静寂の音”が、実際に森の中に生きている気がしてならなかった。
その夜から、幹夫のなかに小さな火が灯る。絵に描かれた森に潜む幻影と、自分の心が深く結びつき始めているのを感じるようになったのだ。
第三章 亡き父の記憶
夏休み、幹夫は母の実家のある町へ二人で出かけた。そこではちょうど東山魁夷の巡回展が開かれていると知り、幹夫の胸は高鳴る。初めて「本物」の作品と対面できるのだ。 母に頼み込むと、思いのほかすんなり許しを得て、美術館へ向かう。当日、幹夫は展示室の重い扉を押し、ひんやりとした空気の中に足を踏み入れた。
薄暗がりに浮かぶ「道」「白馬の森」「緑響く」──いずれも画集で見慣れたはずの作品だったが、実物の大きさと色彩の奥行きは圧倒的であった。特に「道」は幹夫の足元からまっすぐに伸びてきて、まるで未来へ誘いこまれるような錯覚を覚える。 父もこの絵が好きで、何度も見に行っていた──母の呟きは幹夫の耳にかすかに届いた。父は戦地から戻ったあと、東山魁夷の絵に救いを見出していたらしい。 母は言葉を継がず、ただ懐かしそうに展示室を見回す。幹夫はその横顔に、父の面影を垣間見たように思う。ああ、父は生きていたのだ…。あの緑の森の中に、今もひっそりと息づいているのだ──そう思うと、胸に熱いものが込み上げ、幹夫は黙って俯いた。
第四章 創作への目覚め
夏休みが明けて新学期が始まると、幹夫は担任の浩一先生から「放課後、美術室へ来なさい」と呼び止められた。行ってみると、母が先生に見せたという一枚の絵が机の上に広げられている。 それは幹夫が夏休みにひそかに模写した“東山魁夷風”の風景画だった。決して完成度は高くないが、その筆致には静かで深い「何か」が宿っていたと浩一先生は言う。
「もっと自由に描いていいんだよ。技術的なことよりも、君が心で感じたものをそのまま出してごらん」
幹夫の胸は高鳴り、けれど恥ずかしさに頬が熱くなる。自分の描いたものを褒められるなんて初めての経験だった。先生はスケッチブックや古い画材を手渡してくれた。 それから幹夫は放課後になると森や川辺へ通い、黙々とスケッチを重ねる。だが実際に描き始めると、自分の未熟さに打ちひしがれたり、風景が思うように紙の上に宿らず苦しむ日々が続いた。 そんなとき、ふと木漏れ日や川のせせらぎの音に身を浸していると、不思議と心が解放され、もう一度筆を握ろうと思えるのだった。森が幹夫を受け入れてくれている──そんな感覚に支えられ、彼は次第に“描くこと”が楽しくなっていく。
第五章 森の幻影
秋も深まり、学校の美術クラブで高原の湖へスケッチ旅行に出かけることになった。夕暮れが近づき、湖面をオレンジ色の光が淡く染めはじめる。ほかの生徒たちは帰り支度を始めるが、幹夫だけはまだ筆を置かず、岸辺に残っていた。
やがて日が沈み、薄暮の中に湖畔の森が影のように佇み始めたとき、幹夫は誰もいないはずの対岸に白い影が浮かぶのを見た。 白馬の姿──いや、それだけではない。誰かがその馬に乗っているようにも見える。 あれは父なのだろうか。もしくは「緑響く」のあの白馬の幻なのか。幹夫は動けずに息をのむ。心臓の鼓動が耳鳴りのように響き、手元の筆は震えた。 そっと視線を移すと、白馬は一瞬そこにいて、次の瞬間には湖面に溶け込むように消えていく。まるで湖が白い息を吐き出して吸い込んだかのように、幻影は跡形もなく消え失せた。
幹夫は震える手でスケッチブックを開き、急いでその情景を描きとめようとした。空の色、森の静けさ、沈黙の中を漂う白い影…。すべてが曖昧に溶けあって、手元はもどかしく筆を走らせる。けれどそのもどかしさこそ、幹夫が初めて“自分だけの絵”を描こうとする必死さであった。 夕靄の中で幹夫は確かに感じたのだ。父が森の奥からそっと微笑み、幹夫を見守っている──そのまなざしを。
第六章 青い風の行方
やがて冬が訪れ、学校では文化祭の準備が進む。浩一先生の勧めもあって、幹夫は湖畔で見たあの幻影をテーマにした作品を出品しようと決めた。タイトルは「冬の幻」。 雪がちらつく日も、放課後に森のあちこちを歩き回り、スケッチを積み重ねる幹夫。ときおり夏子(なつこ)が寒そうに手をこすりながらついてきてくれた。彼女は口数こそ多くないが、幹夫の絵をいつも真っ直ぐに見てくれる。そのまなざしは、幹夫にとってもうひとつの“暖かな光”だった。
しかし冬のある日、母が急な病で入院してしまう。幹夫は母の見舞いへ行くたび、これまで感じたことのない不安と焦燥に押しつぶされそうになる。だが病室の母は、幹夫の持参した未完成のスケッチを見て、涙を浮かべながら小さく笑った。
「お父さんの描いていた絵も、こんな静かな森だったわ…」
その言葉に、幹夫は両親の想いを自分が受け継いでいることを悟る。自分の描く絵は、父の生の証でもあり、今を生きる自分自身の証でもあるのだ。 幹夫は夜を徹して筆をとった。白馬の幻と差し込む冷たい光、雪の降り積もる森の透明な青──それはまるで、東山魁夷の絵に憧れながらも、自分ならではの心象を刻んだ一枚となる。やがて「冬の幻」は完成し、文化祭の展示会場に静かに飾られた。
観に来た生徒や先生たちは、その絵の前で小さく息を呑む。そこに描かれている雪降る森はひどく寂しそうでありながら、どこか優しい光に包まれているからだ。表立った賛辞の言葉はない。ただ、作品を前に立ち尽くす人々の沈黙が、幹夫にはなによりも嬉しい反応だった。
第七章 道、その先へ(エピローグ)
それから数年後、幹夫は東京の美術大学へ進学し、冬の帰省でひさしぶりに故郷へ戻ってきた。降りしきる雪の中、幹夫は母や恩師の浩一先生、そして夏子の待つ町へ帰る。 高校を卒業し、新たな道を模索していた夏子は、遠からず東京へ出るつもりらしい。別れを惜しむというよりも、彼女はどこか誇らしげに微笑む。その笑顔を見たとき、幹夫の胸にはまたあの“青い風”が吹き抜けた。
翌朝、幹夫は母の家を出て、一人で森の道を歩く。木々は葉を落とし、白い雪化粧に包まれている。ふと見上げると、森の奥へまっすぐに続く細道があった。幹夫はそっと目を細める。ああ、ここにも道があるのだな…。東山魁夷の「道」を思わせる光景に、幹夫の記憶が揺れる。 そのとき背後から夏子の声がした。いつの間にか追いかけてきた彼女と並んで、幹夫は雪の道を歩き始める。 やがて森を抜ける手前、幹夫はふと振り返った。そこには、かつて彼を導いてくれた白馬の幻がいるような気がした。風もなく、木立だけが静かに震える。 白馬は見えない。だが幹夫には確かに感じられる。父と、森と、絵の声。もう振り返らずに進んでいけるだろう、と幹夫は思う。
──雪の道はなおも遠くへ伸びている。 新しい朝の光が、雪面に儚くきらめく。幹夫と夏子はゆっくりと歩を進め、その背中を、いつかの白馬が静かに見送るようにして姿を消した。やがてすべてが白い静寂に溶け込む。 降り積もる雪の音すら聞こえない。そこには、東山魁夷の絵画と川端康成の筆致が溶け合うような、深い静けさだけが在った。





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