羽衣の盗人
- 山崎行政書士事務所
- 1月12日
- 読了時間: 6分

第一章:盗まれた屏風
三保の松原の一角に、小さな美術館があった。地元の有志が運営するその施設は、さほど著名な作品を所有しているわけではないが、「羽衣を纏う天女」を描いた江戸時代の屏風が一番の目玉として控えめに展示されていた。 ある朝、その屏風が忽然と姿を消したと連絡が入り、警察が動き始める。現場を担当することになった刑事の冬馬は、にわかには信じがたい思いで美術館に駆けつけた。まるで怪盗か何かの仕業を思わせる謎めいた犯行――だが、そんな派手なイメージとは裏腹に、現場には淡々とした空気が漂っている。 美術館の警備は最低限。夜間は防犯カメラが動いているはずだが、盗難が発覚した時点でカメラのデータは消えていた。不審者の侵入経路も、鍵の破壊もない。あまりにも手際の良すぎる犯行が、冬馬を戸惑わせる。
展示室を見回すと、埃ひとつない床に一枚の古い羽根が落ちていた。鳥のものか、あるいは飾り物か、それだけでは断定できない。隣にはメモ用紙が置かれ、走り書きで**「これは天女の羽衣だ」**と意味深な一文が残されている。バカバカしいと思いながら、冬馬はその羽根をそっと袋に収め、胸騒ぎを押し殺した。
第二章:捜査の始動と違和感
警察内部では、地方の小さな美術館で起きた窃盗という程度の扱いで捜査が始まる。署長も「新聞に大きく載るような事件ではないが、迅速にやってくれよ」と気軽に言うだけだ。 だが、冬馬は最初の現場検証で抱いた**“違和感”が頭を離れない。あまりに痕跡が少なすぎるのだ。犯人は相当な手慣れだろうが、あり得ないほど綺麗に痕跡を消しているようにも思える。それでいて、あの“羽根”と“天女の羽衣”という挑発めいたメモをわざわざ残していく――。 まるで、何かを意図的に伝えたがっているようだ、と冬馬は感じる。普通なら足がつく可能性を減らすために一切の物証を残さないものだが、これは逆だ。「奴らは何を狙ってる?」** それを一考してもすぐに答えは出ない。
第三章:隠された暗号
消えた屏風について詳しく調べるうち、冬馬は一枚のスケッチを見せてもらう機会を得る。美術館の職員が、江戸期の文献を参考に描き起こした“天女の衣”の模様だ。そこには一見ただの花鳥風月の図案にしか見えないが、よく見ると奇妙に絡み合う文字列のようなものが散りばめられている。 「これは……暗号か何か?」 職員は首を振り、「いえ、私も細かいところは把握していません。ただ、屏風の図案には時々読めそうな漢字や記号が隠れていると言われています」と説明する。実際の屏風を観ればさらに確信を得られただろうが、すでに盗まれて確認はできない。 さらに、羽衣伝説では天女が地上に舞い降り、漁師に羽衣を奪われるが、最終的に取り戻して天に帰る。ところが**「天界の罠」なる設定が一部文献に記され、天女が人間を試すための仕掛けだったという別解釈もあるという。 今回の盗難は、その「天界の罠」**と関係があるのではないか? そもそも暗号を仕込んだ屏風を盗む人間の目的は何だ? いよいよ事件の捜査は混沌とし始める。
第四章:欲望と動機
冬馬はある筋から耳にした情報で、この屏風に金融的価値がついていることを知る。海外のコレクターが江戸絵画に高値をつける流れがあるらしい。また、地元の不動産会社が美術館の用地を狙っているという話もある。**「ここは金銭絡みが深そうだ」**と踏むが、それだけでは“天女の羽衣”云々というファンタジーめいた要素は説明しきれない。 そんなとき、捜査の過程で出てきた旧家の文書が、冬馬の目を留めさせる。「天女とは表向きの名前であって、実は秘密の記号を使い取引を行っていた」――まるで幕末の密貿易や藩士同士の陰謀が関係しているかのような記述があるではないか。 果たして、この屏風はその“秘密の取引”を暗号化したものなのか?そして、あの天女は誰を試そうとしている? 冬馬は、人間の欲望がこの伝説を利用し、さらには封じ込めようとする構図を想像し、息が詰まるほどのプレッシャーを感じる。
第五章:関係者の思惑と誘い
捜査が進むにつれ、冬馬の周囲に不穏な動きが増す。取材を装ったジャーナリストや、急に現れた外国人バイヤーが、「もし屏風が流出しても、黙っていれば利益が得られる」などと囁く。 さらに同僚刑事からは「組織に逆らうな。これは上の方で揉み消したがってる案件だ」と警告を受ける。どうやら、上層部には政治的影響を恐れる一派があり、これ以上の騒ぎを許す気はないらしい。 しかし冬馬は、あの「天女の衣を描いた屏風」に隠された暗号や“天界の罠”という言葉が気になって仕方ない。何かを隠蔽するためにこの屏風は盗まれ、メモで“羽根”を残した犯人は、逆に何かを伝えたいのでは? そう考えると、一見矛盾にも思える行動に筋が通ってくる気がした。
第六章:天女の計量
ついに冬馬は、捜査の糸口を得て屏風の一部写真を手に入れることに成功する。そこには伊達な図案ではなく、正真正銘の暗号が巧妙に描かれていた。漢字や仮名に見える模様が、金融関係の記号や帳簿の符号らしきものを示している可能性が高い。 「昔からこの町で“羽衣”として大きな金銭のやりとりが隠され、何かの取引が行われていたのか?」 冬馬の背筋が凍る。人々は天女伝説を通して、美術品だけでなく、裏の闇取引をカモフラージュしていたのかもしれない。それを“天界の罠”と称していたのではないか。 この暗号を解けば、町の有力者が隠している不正や犯罪が暴かれる危険性がある。だからこそ、犯人は屏風を盗むことで“秘密を守りたい”一派と、メモで羽根を残すことで“真実を暴きたい”一派の両方がいるのでは、と冬馬は推理する。
第七章:裁きの行方
捜査を続けた冬馬は、最終的に屏風の行方にたどり着く。そこは地元の政財界と繋がるブローカーの隠れ倉庫だった。おそらく海外に流出させようとしたところを踏み込んだ形だ。だが犯人らは既に逃げ去り、屏風は破損の一歩手前で放置されている。 中に挟まれた古文書や暗号が、やはり決定的な裏取引の証拠だと判明する。どうやら町の名士たちが江戸期から続く怪しい取引を隠蔽し続け、“羽衣伝説”のシンボルである屏風にその記録を仕込んだのだ。 今回の盗難は、内輪の抗争で暴露された不正を封印するためだった。羽根とメモを残したのは、良心の呵責に耐えかねた共犯者の仕業だったという推測が成り立つ。
物語のクライマックスで、冬馬がこの真実を“握りつぶすか公表するか”悩む姿が描かれる。もし町を守りたいなら、公にしたら混乱と騒動が起きるかもしれない。一方で、警察官として真実を闇に葬るのは職業倫理に反する。 結局、冬馬は決断する。**「たとえどんな結果を招いても、事実を隠すわけにはいかない」**と。 そして、公表を目指す過程で、多数の圧力や脅迫が押し寄せるが、彼は一歩も引かない。
事件のその後、町は騒然となったが、羽衣伝説という綺麗ごとの裏に潜んでいた人間の欲望が白日の下に晒される結果となる。しかし、冬馬はふと思う。天女伝説を悪用した者たちの罪こそ、**“天女が人間を試す罠”ではなかったか、と。 海を見渡す三保の松原には、涼しい潮風が吹き抜ける。冬馬は砂浜に一人立ち、遠く富士山を背にして、「これが天女がもたらした裁きなのかもな……」**とつぶやく。まるで、誰もが背負う罪や欲望を量りにかける“羽衣の盗人”が人間を裁いているかのように感じられ、彼はやるせない苦笑を浮かべるのだった。





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