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肉体は坂を欲する

 日本平へ上がる坂道の入口に立つと、幹夫はいつも、思想の輪郭が汗によって測られてゆくのを感じた。言葉は、どれほど精巧に組み立てられても、結局は唇と舌の運動でしかない。だが坂道は、容赦なく腿と肺に命令を下し、命令に従わぬ者の身体を即座に罰する。幹夫はその単純な苛烈さを愛した。現代のあらゆる善意が複雑に歪み、責任が分散し、誰も罪を引き受けぬ世界にあって、坂はただ一つの明快な倫理であった。

 午後の空は薄いガラスのやうに乾いてゐた。静岡の冬は、東京の冬のやうに刃物じみてはいない。海の近い湿りが、寒さの角を丸める。しかし、その丸さは人を甘やかす。幹夫は甘やかされるのが嫌いだった。甘やかしは肉体を腐らせる。腐った肉体は思想をも腐らせる。腐敗した思想ほど醜いものはないが、醜さはしばしば、醜さそのものを自覚しない。幹夫は、そこに最大の恐怖を見出してゐた。

 坂の途中、道の脇に茶畑がかすかに見える。刈り揃えられた緑の列は、自然の顔をしてゐながら、実は人間の意志の痕跡である。幹夫はその幾何学の美に、軍隊の整列を思った。秩序があるところ、そこに美が生まれる。しかし秩序は、ただ眺めるだけでは肌へ届かぬ。秩序は皮膚の痛みと結びついた時にのみ、血肉となる。

 幹夫は歩き始めた。最初の百メートルほどは、まだ思想が先を走る。足が上がるたび、彼の内側では語句が整列する。人は何のために生きるのか。美はどこに宿るのか。意志はどのように証明されるのか。――彼の問いはいつも壮麗な舞台装置を必要とし、その舞台の上で自らを照らし出すことを欲した。

 だが坂は容赦がない。二百メートル、三百メートルと進むと、呼吸は次第に音を帯びはじめる。肺は水を欲し、喉は鉄のやうに乾き、額の内側から熱が湧く。幹夫はその瞬間、奇妙な安堵を覚えた。思想が敗れる時、彼は救われる。救いとは、甘い慈悲ではない。むしろ、余計な言葉が剥がれ落ちることだ。肉体の苦痛が精神の贅肉を削り取る――それは一種の浄化であり、彼にとって唯一信じ得る宗教だった。

 坂道の傍らに、車が通り過ぎる音がした。窓の中には、暖房に守られた顔がある。あの顔の中には、今日という日の汗がどれほどあるのだろう。幹夫は彼らを軽蔑しない。軽蔑は容易い。容易い感情は、すぐに腐る。彼はむしろ、自分が軽蔑するために生きてゐるのではないことを確かめたかった。確かめるためには、まず自分の肉体を痛めつけねばならない。肉体が痛めつけられぬ思想は、結局ただの観念の遊戯である。

 幹夫は自分の腕を見た。薄いシャツの下で、前腕の筋がわずかに浮く。彼はその線を美しいと思った。だが同時に、その美が無力であることも知ってゐた。美しい腕がある。美しい脚がある。だがその美は、どこへ向かうのか。美は、目的を失うとたちまち装飾になる。装飾は、死んだものの最後の粉である。幹夫は装飾を憎んだ。装飾を憎むのは、装飾に惹かれる自分を知ってゐるからである。

 坂はさらに急になった。視界の端で、街の屋根が段々と低くなる。空が広くなる。広くなる空は、自由の象徴のやうに見えるが、幹夫にとって自由とは常に疑わしい言葉だった。自由は怠惰の別名になりやすい。自由は責任の放棄に化けやすい。自由が美を生むこともある。しかしその美は、鋭い形式を持たぬ限り、すぐに崩れる。

 彼は息を吐いた。吐きながら、胸の内側に何かが裂けるような痛みが走った。心臓が自分を叱責しているのか。肺が反乱を起こしているのか。あるいは、ただ生が生であることを証明しているのか。幹夫はその痛みに、むしろ歓喜に近いものを覚えた。生は、痛みなくしては感知できない。快楽は、しばしば生を曖昧にする。だが痛みは生を確実にする。生が確実である時、死もまた確実になる。確実な死ほど、美しいものはない――幹夫はそんな倒錯に、何度も誘惑されてきた。

 坂の途中に小さな踊り場があり、そこで彼は立ち止まった。立ち止まることは敗北ではない。敗北は、立ち止まったことを言い訳することだ。幹夫は言い訳をしなかった。言い訳をしないこと、それ自体が形式だった。彼は掌を膝に当て、汗が指の間を滑るのを見つめた。汗は汚い。しかし汚さには美がある。汚さは、肉体が働いた証拠だからだ。働かぬ肉体ほど、清潔で、そして空虚だ。

 遠くに富士山が見えるはずの方角がある。だがその日は薄い雲がかかり、輪郭は曖昧だった。幹夫は曖昧を憎んだ。曖昧は現代の美徳である。曖昧は優しさの顔をして人を怠らせる。曖昧は責任の所在をぼかし、ぼかしたまま誰も傷つかぬふりをする。幹夫は、傷つかぬふりほど醜いものはないと思った。傷つくなら、正しく傷つくべきだ。正しく傷つくためには、正しい形式が必要だ。だから彼は坂を登る。坂は、傷つくことを正しくする。

 再び歩き始めると、足の裏が熱くなった。靴の中で皮膚が擦れる感触がある。幹夫はその擦れを歓迎した。擦れるということは、摩擦があるということだ。摩擦があるということは、世界が存在するということだ。存在する世界に対してのみ、意志は意味を持つ。もし世界が柔らかい霧のやうにすり抜けるだけなら、意志は空を掴む。

 坂の上に、制服姿の少年が二人並んで歩いてゐた。彼らは笑ひながら、息も切らさずに登ってゐる。若さが美しいのは、未来があるからではない。若さの美は、まだ形式が定まってゐないところにある。定まってゐないものは、いかようにも造形できる。幹夫はその可能性に嫉妬した。嫉妬は嫌いな感情だ。だが嫉妬は、まだ生きてゐる証拠でもある。死んだ者は嫉妬しない。

 少年たちは幹夫を追い抜き、軽い会釈を残して行った。幹夫はその会釈の中に、無邪気な礼儀と、無意識の残酷を感じた。少年は自分が残酷であることを知らない。知らないままの残酷は、世界を明るく照らす。幹夫はその明るさを羨んだ。羨む自分を恥じた。恥は肉体を緊張させる。緊張は美を生む。幹夫は恥によって、再び背筋を伸ばした。

 やがて坂は終わり、視界がひらけた。風が吹く。風は汗を奪い、皮膚を冷やす。幹夫はその冷えに、奇妙な喪失感を覚えた。苦痛が遠ざかると、世界はまた曖昧になる。曖昧になると、思想が戻ってくる。思想が戻ってくると、彼は再び自分の中の汚れを意識する。汚れは汗によって洗い流されるのではない。汗はただ、汚れを照らすだけである。

 幹夫は柵の前に立ち、下を見下ろした。静岡の街が広がってゐる。海の方に光があり、山の方に影がある。どちらも美しい。だが美しいだけでは、彼には足りなかった。美は眺めるだけでは完成しない。美は行為によってのみ、血を得る。幹夫は、行為のない美を恐れた。行為のない美は、観念の墓場である。

 彼は深く息を吸った。肺に冷たい空気が入る。入った空気は、どこか刃のやうに清かった。幹夫はその刃を、胸の内側へ押し当てるやうにして、静かに思った。

 ――私は坂を登った。だから、私はまだ生きてゐる。

 その言葉は、慰めではない。誇りでもない。証拠である。証拠がある限り、幹夫はもう少しだけ、自分を許すことができる。許しは優しさではない。許しは、次の行為へ向かうための、冷たい猶予である。

 風が吹いた。幹夫のシャツは皮膚に貼りつき、そして少しずつ乾いていった。乾くにつれて、さっきまで確かだった痛みが薄れていく。薄れていく痛みの代わりに、再び思想が立ち上がる。思想は美しい。だが思想は危険だ。思想は肉体を忘れさせる。肉体を忘れた瞬間、彼はまた坂を求めるだろう。

 幹夫は、坂の下を見下ろしながら、次の坂道のことを考えてゐた。

 
 
 

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