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苔むす岩間に息づく、冬の水の音

  • 山崎行政書士事務所
  • 2月23日
  • 読了時間: 4分

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1. 山あいの冷気と滝のしらべ

冬の沼津から少し山あいへと足を伸ばすと、森が深くなるにつれて空気がひんやりと澄んでいくのがわかる。道端の草木には、かすかな霜が降り、陽があまり差し込まない渓谷では昼でも薄暗さが漂う。やがて谷間に一筋の水音が反響しているのを耳にすると、近くに滝があることを察する。岩肌を伝う水の音は、風の音よりもかすかに低く響き、冷たい空気をさらに研ぎ澄ますかのようだ。

2. 滝壺へと降りる道

苔むした岩間を慎重に下りながら、遠くの光に導かれるように滝壺へ近づく。やや湿度が高く、落ち葉が積もった地面は歩くたびにしっとりとした音をたてる。視界が開けると、森の緑と灰色の岩壁のあいだから、細長い白い糸のように水がすべり落ちているのが見える。冬の水量は派手ではないが、その分、一条の流れがかえって凛々しく、静けさのなかに鮮明に浮き立っているように感じる。

3. 冬の滝に宿る静寂

冬の滝は、夏のような激流の豪快さこそないが、冷気に包まれた周囲の空気と相まって、不思議な神秘性を感じさせる。流れ落ちる水が岩を洗い、細かな霧を生じさせている。その微粒子が陽の光にかすかに反射し、もし日中なら虹のような彩りが見えるかもしれない。しかし、日の短い冬の夕刻では、淡い青灰色の光があたりを支配しており、滝のシルエットがより際立つかたちだ。

4. 岩と苔、時間の記憶

滝壺の周囲を見渡せば、しっとりと湿った岩の表面に苔が幾重にも重なり、緑色のレイヤーを成している。長い年月をかけてここに根付いたそれらの苔が、**「時間が積み重なった形跡」**を視覚化しているかのように感じられる。水という一瞬ごとに形を変える存在と、じっくりと成長する苔――両者が同じ場所で共存しながら、岩肌を変容させている。ここには自然の営みの“微妙な連携”とでも呼ぶべきものがある。人間が手を入れていないにもかかわらず、滝はこの岩間に秩序を生み出しているかのようだ。

5. 哲学的思索――流れと永遠

冬の滝を前にすると、**「流転」と「不変」**という二つのテーマが浮かぶ。水は絶えず形を変え、留まることなく落ち続けるが、滝の姿自体は大きくは変わらない。これは私たちの生活や存在にも重なっているのではないか。日々の暮らしはめまぐるしく、同じ瞬間は二度と訪れない一方、人生全体の流れは普遍のリズムを持つとも言えそうだ。あるいは、苔むした岩や何万年も変わらない地形を見るとき、自然は人間よりもはるかに長い時間軸で存在しているという視点に気づかされる。私たちが生きる数十年など、この滝にとっては一瞬の出来事だろう。

6. 冷気を纏い、また日常へ

静かに滝を見下ろしながら、しばし佇むと、耳が寒気にかじかむほどの冷たさに気づく。冬の山間は想像以上に気温が低い。ここでふと、「そろそろ戻らねば」という現実感が甦る。もしもう少し暗くなれば、足元の岩場も危険が増すし、気温もさらに下がるだろう。短い時間だったが、この滝に対峙することで得た“心の澄みわたる感覚”を胸に刻み、来た道を引き返す。滝の音は少しずつ小さくなり、やがて森の入り口に戻る頃には、また日常の喧騒が頭に浮かびはじめる。しかし、この滝が教えてくれたのは**“流れの儚さと自然の永遠性”**、そして人間がそこに寄り添うことの意義なのかもしれない。

結び:流転に浸る、静寂の落差

冬の沼津の滝は、季節の冷たさと水の透明感を通じて、普段の忙しい思考を一旦リセットさせてくれる力を持っている。深い森の中で落差を下る水しぶきや苔むした岩は、私たちに自然の奥深さを思い出させ、同時にそこに宿る無常や悠久を映し出す。日常という忙しさに戻る前に、一瞬だけ立ち止まって、大地の息吹と水の旋律に耳を澄ませば、そこには“人間という小さな存在が、大きな自然の流れの一部である”ということを、改めて実感させる静寂がある。結局、滝はただそこにあり、水は絶えず落ち続け、苔はじわじわと広がり、岩は変化を繰り返す――それらのプロセスを前にして、私たちはこの世界での生き方を少しだけ謙虚に見つめ直すのではないだろうか。冬のしんとした空気が、その問いをより研ぎ澄ましてくれる。

 
 
 

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