茶会ノ夜、燃ユ
- 山崎行政書士事務所
- 1月14日
- 読了時間: 5分

第一章:葵屋の秘め事
静岡の山々がわずかに萌黄色(もえぎいろ)を纏(まと)い、里には春先の微かな温暖(おんだん)な空気が流れはじめる頃、老舗(しにせ)の茶問屋**葵屋(あおいや)**では「夜茶会」という名の極秘行事が行われる。二十年に一度しか開かれないというその茶会は、ごく限られた者だけが招かれる儀式であり、参加者は皆“仮面”をつけ、“能(のう)の装束”を思わせる服装に身を包まねばならないといわれていた。
葵屋は代々、最上級の静岡茶葉を扱い、武家の系譜とも深く結びつく家柄だという。茶の歴史はただの商売ではなく、かつて武将が闇夜に茶を嗜(たしな)みながら死を賭して語り合った――そんな逸話が幾多も交わる世界。茶葉の一枚一枚に、武家文化の残滓(ざんし)が染みこんでいるのかもしれない。
第二章:青年実業家・藤堂(とうどう)の執着
藤堂(とうどう)は東京で成功を収めた若き実業家。だが、その内面には虚無(きょむ)を抱え、“真の美”を求め続けていた。 夜茶会の噂を聞いた藤堂は、一目参加してみたいと思ったが、葵屋の主(あるじ)からは「武家の血筋と、心身ともに極めた者しか受け入れぬ」と断られてしまう。 しかし藤堂は執念の末、背後で暗躍(あんやく)する旧華族の縁(えにし)などを駆使し、特別招待状を手に入れる。時は春爛漫(はるらんまん)。桜の花びらが舞う静岡の町を通り抜け、ついに彼は葵屋の屋敷へ足を踏み入れることとなった。
第三章:夜茶会の緞帳(どんちょう)が上がる
月の出が遅い春の宵(よい)、葵屋の奥座敷に集まった招待客たちは、全員が能面や鬼面(きめん)にも似た仮面をつけている。女性は華やかな襟(えり)を覗(のぞ)かせ、男たちは唐織(からおり)のような袴(はかま)をまとい、まるで“能”の世界から抜け出したかのようだ。 薄暗い廊下を抜けると、突如として艶(つや)やかな香(かお)りが漂い、茶室(ちゃしつ)には深紅(しんく)の炉が据(す)えられていた。炉には炭火(すみび)が燃え、炎が妖艶(ようえん)に揺れる。その明かりを背に、当主が静かに声を上げる。 > 「今宵(こよい)は、武家の血に連なるものと、美を極めし者が集う夜。ここでは生と死を賭した一椀(いちわん)の茶を交わす――」
藤堂は仮面の下で息を呑(の)み、この空気が尋常ではないことを確信する。単なる“茶の湯”ではなく、美と死が交錯(こうさく)する密室劇(みっしつげき)だ。
第四章:己の死を言葉に託す点前(てまえ)
茶室には一人ずつ呼び出され、独自の点前を披露する儀式が始まる。参加者はまず、「己の生と死」を象徴する言葉を捧げ、続いて手際よく茶を点(た)てる。しかし、その所作(しょさ)の中には剣術の型(かた)を思わせるような武家の影がある。 ある女性参加者は能面をかぶりながら、舞(まい)のように足を運んで茶を点て、「死を賜(たまわ)るがゆえに、我が血は永遠」と囁(ささや)くと、一口(ひとくち)だけ飲んで小刀(しょうとう)を懐紙(かいし)に置いた。 さらに、別の男は激しい息遣いを押さえつつ、「生の悦楽(えつらく)は死の闇に揺蕩(たゆた)うのみ」と叫び、狂気(きょうき)じみた笑みを浮かべる。藤堂は自分の順番が近づくたび、震えとも興奮ともつかぬ感情に襲われる。
第五章:藤堂の衝撃―“美の究極形”に触れる
ついに藤堂が茶室の中央へ進み出る。炎が赤々(あかあか)と揺らぐなか、仮面の奥で汗が流れ、心拍が高まるのを感じる。正座(せいざ)して呼吸を整えるが、うまく言葉が出ない。 > 「……私の生は、空虚だった。ならば、ここで死を想定した美に酔(よ)おうではないか……」 ぎこちなくつぶやいた藤堂は、震える手で茶を点(た)てる。その所作の中に、武家の血を引く者たちのような品格はないが、ぎりぎりの精神が注ぎ込まれ、一瞬、炉の火が大きく揺れるかのように見えた。 茶を一口すすると、苦味(にがみ)の奥に甘さが広がり、頭の中が真っ白になる。まるで闇に呑(の)まれながらも、命のきらめきを得るような錯覚(さっかく)が彼を捉(とら)える。“これが、死を賭(か)けてまで求める茶の湯の頂点なのか?”――藤堂は幻惑(げんわく)の中で一瞬そう思う。
第六章:炎と静寂のクライマックス
同じ空間では、他の参加者たちがそれぞれの思いをぶつけ、仮面の男が短刀(たんとう)で手のひらを傷つけて血を茶碗(ちゃわん)に垂らす、などという危険な行為も始まる。 炎がますます赤く燃え上がり、部屋全体が血と香煙(こうえん)に包まれる中、“最後”を思わせる声が上がる。「今夜、この茶室こそ儚(はかな)い舞台。武家の魂を復活せしめるために……」 誰かがろうそくを倒し、紙垂(しで)を撒(ま)き散らした拍子に火が加速(かそく)する。燃えさかる火炎が壁を舐(な)め、炭火の炉から飛んだ火の粉が簾(す)や畳に燃え移る。 参加者たちが悲鳴や嬌声(きょうせい)を放ちながらも、逃げずにそれを見つめている姿は狂気(きょうき)そのもの。藤堂は一瞬、外へ駆(か)けだしたい衝動(しょうどう)を感じるが、その目は炎に溶ける茶室の中に“死の美”を見出し、足がすくむ。
結末:夜明けに昇る煙
夜が深まるうちに、屋敷は炎に包まれ、遠くから駆けつけた者たちが慌てふためく声が聞こえる。火の粉が闇夜を舞い、まるで満天の星と狂乱の舞踊(ぶよう)を演じるよう。 何人が生き残ったのか、何人が焔(ほのお)の中で散ったのか――誰にも判然(はんぜん)としない。外から見れば“火事”という一点でしかなく、真夜中のうちに建物は焼き落ち、炎に呑まれた仮面と衣装は灰(はい)と化してしまった。 翌朝、地元の消防や警察が現場を調べるが、瓦礫(がれき)の中から数枚の残骸(ざんがい)と、割れた茶碗のかけらだけが見つかる。 「茶会ノ夜、燃ユ」――一夜限りの死の宴(うたげ)は、現実の世にはほとんど何も痕跡を残さず、人々が噂(うわさ)を囁(ささや)く程度に終わる。 しかしこの惨事が、藤堂を含む何人の命を呑(の)みこんだのか、外部にはわからない。もしかすると、炎を見届けて外へ出た者もいるだろう。だが、その**“死への陶酔(とうすい)”が空々しくも燃え上がった深紅(しんく)の炎は、“美の炎上”**として読み手の胸に凶(きょう)する余韻を残すのだ。
かくして、その炎の先にあったのは破滅か、それとも究極の美の頂点か――誰も語れない。ただ、茶の香(かお)りがわずかに漂う灰色の煙だけが、春の夜空へまっすぐに昇っていった。





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