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蒼き煙と、白き峰——蒲原の夜明け物語

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月16日
  • 読了時間: 4分

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. 煙にかすむ富士山

 夜明け前の静かな町を、小さな影がトコトコと歩いていく。穂積 光汰はまだ十二か十三ほどの少年だが、紙工場で雑務を手伝い、生計を助けている。 通い慣れた道の先には、どっしりと構える工場の煙突がそびえ、白い煙がもくもくと立ちのぼっている。その背後には、はるかに富士山が見えるはずなのに、煙と薄暗い空に溶け込んでしまってほとんど形がわからない。「いつか、ちゃんと富士山を見てみたいな…」 光汰はかすかな願いを胸に、工場の門をくぐる。小刻みに動く機械音と、紙の匂いが漂う作業場は、いつも彼の目をしょぼしょぼさせるが、家のために働く使命感が彼を前へ進めていた。

2. 古参職人との会話、工場の夕焼け

 夕方になると、工場の仕事がいったん区切りを迎える。光汰は使い終わった道具や掃除用具を片づけていると、古参の職人・蜷川 宗介の姿が目に入る。 蜷川は口下手で、普段はあまり話さないが、その日は珍しく光汰にこう声をかけた。「昔はな、こんな大きな煙突もなくて、富士山はもっとよく見えたもんだ。今は煙が増えちまって、山がかすんで見える…」 曇った目で煙を見つめる蜷川の横顔に、光汰は心が少し痛む。すると、作業場の外から赤い光が差し込んでいた。 外へ出ると夕焼けが工場の壁を染め、辺りを柔らかい黄金色に包んでいる。煙突の先から流れる煙は、赤紫色の空にとけ込み、遠くには薄ぼんやりと富士山の稜線が浮かんでいた。「本当はきれいな山なんだよ、富士山は。煙なんぞには負けない光を放っている…」 蜷川が小さくつぶやき、光汰はまるで胸の奥をそっと押されたような、不思議な感覚を抱いた。

3. 少女・汐里との出会い、海辺の風景

 工場を出た光汰は、その足で海辺へ向かった。帰り道の途中、砂浜近くでハンカチが落ちているのを見つけたからだ。白い布には、「汐里」という名が丁寧に刺繍されている。 聞き込みをすると、それは干物屋の娘のものらしい。光汰が干物屋へ向かうと、店先では汐里という少女が海の香りをまといながら手伝いをしていた。「これ、落としてたよ」 光汰がハンカチを差し出すと、汐里は目を丸くして受け取り、「ありがとう、本当に助かったわ」と笑った。「私、富士山が大好きでね。海辺から富士を眺めると、夕方には赤紫になって、まるで山頂が虹色に輝いているように見えるの」 汐里が話すその声は、どこか明るさを帯びていて、光汰の心をやわらかくする。「でも、最近は工場の煙が多いから、はっきり見えない日も多いんだよね」 互いに富士山を好きだと知り、二人はなんとなく意気投合した。

4. クライマックス:夜明け前の不思議な光景

 ある晩、工場の休憩所で蜷川が光汰に言った。「富士山をじっくり見るなら、夜明け前がいい。煙も少なく、空気が澄んでいるからな」 光汰はその話を汐里に伝え、「明日の朝、もっと早く起きて、町外れの高台まで行ってみない?」と誘った。汐里も賛同し、まだ闇が色濃い時間帯に二人は合流する。 夜明け前の町には、わずかな街灯の明かりと工場の灯が瞬いていた。煙突から上がる煙は、海風に流され、細い筋になって空へ消えていく。 やがて、空が白んできたころ、高台の上でふと風が強く吹き、煙がさらわれるように遠くへ流れていく。それまでぼんやりしていた富士山の稜線が、黄金色にきらめく朝日を浴びてくっきりと姿を現した。 「わぁ…」 汐里が小さく声をあげ、光汰も息を呑む。まるで山そのものが「おはよう」と囁いてくれているようだ。すると、風が耳元で微かな声を運んでくる。「煙もまた、人の暮らし。山はそれを責めはしない。それでも、清らかな光をわけへだてなく注ぎ、見守るよ…」 それは風の音とも、朝のざわめきとも区別のつかない囁きだったが、二人の胸にはっきりと伝わるぬくもりがあった。

5. 結末:それぞれの日常へ戻り、希望の光

 日の光を受けて、富士山の白い頂は眩いほどに輝き、工場の煙が青くゆらめきながら上空へ流れていく。「煙は消えないけど、富士山はこの町を受け止めてくれるんだね」 汐里が笑顔を浮かべ、光汰もうなずいた。「これからも僕は工場で働くけど、いつかもっと大きくなって、煙だらけにならないように考えられるかもしれない。山にも海にも、きれいに笑ってもらいたいから…」 二人は高台を降りて、それぞれの仕事や家の手伝いに向かう。工場の煙は朝の光の中で淡い蒼色を帯び、海辺には波の音が静かに響いていた。 富士山は変わらぬ静寂と堂々たる姿で、町ごと人々を包み込むようにそびえ立っている。まるで「またおいで」とでも言うように、白い峰が朝日に照らされ、やわらかな希望の光を二人に送り届けていた。

(了)

 
 
 

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