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虹を数える約束――ヴィクトリアの滝で借りたポンチョ

  • 山崎行政書士事務所
  • 9月15日
  • 読了時間: 5分
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リビングストンの朝は、乾いた土の匂いに火を落とした直後の薪の匂いが混じっていた。ザンベジ川へ向かうタクシーの窓から見える空は、雲の縁だけが白くほどけていて、日差しはまだやわらかい。ゲートで入園料を払い、「Mosi‑oa‑Tunya / Victoria Falls」の文字をくぐる。モシ・オ・トゥニャ――“雷鳴のように響く煙”。この土地の言葉で滝をそう呼ぶのだと聞いていた。世界最大の**水のカーテン(幅1,708m)**が、今日はいったいどんな声で喋るのだろう。

最初のつまずきは、入ってすぐにやってきた。売店で買った薄いポンチョの襟が、首もとでうまく結べない。風がふっと上がると、ビニールが裏返って顔に張り付き、私はたちまち半透明の烏賊みたいになる。あわてていると、屋台の女性が手招きした。名札にはプレシャスとある。彼女はポンチョの襟を外側に一度折り返し、八の字で紐を結び、最後に胸の前で一回ひねって「赤ちゃんみたいに抱えるの」と教えてくれた。さらにポケットから透明の小袋をひとつ。「カメラはこれに。ミストは雨じゃない、霧の手だから」。彼女の手は温かく、ビニールは急に頼もしい衣服になった。

遊歩道へ入ると、空気の温度が一気に下がる。白い霧が立ち上がり、石畳に細かな糸が降り注ぐ。視界の向こう、断崖が裂け、谷がまるごと水で縫われていく。耳の中に太鼓の皮みたいな振動が広がり、胸骨の裏側まで濡れた音が届いた。足もとでは、流れ落ちる水が谷底で白くほどけ、そこから生まれた風がこちらへ返ってくる。私は一歩ごとに合羽の裾を握る。プレシャスの「赤ちゃんみたいに」という言葉を思い出すたび、霧は怖くなくなった。

最初の展望台で、私は早速やらかした。レンズキャップがポトン、と濡れた岩へ落ち、するすると小さな黒い舟になって端へ向かう。手を伸ばす前に、近くにいた少年が素早く拾い上げ、キャップを指でつまんで差し出した。「Welcome to the Smoke」と得意げに言う。彼の母親が微笑み、「**ありがとうは“タンディー”**って教えて」と小声で耳打ちした。私は拙い発音で「ズィツ・タンディー」と礼を言い、少年は満足そうに胸を張った。彼がキャップを返してくれた感触は、滝の轟音よりも長く指に残った。

道を進むと、が一本、二本と増えていく。角度を変えるたび、薄い糸が重なって幅広の帯になる。バンダナをかぶったおばあさんが孫娘と手をつなぎ、空に指を伸ばして何本も数えている。目が合うと、おばあさんは「今日は八本まで出たよ」と片目をつぶった。私は親指を立て、ポンチョの袖から小さなジンジャービスケットを出して孫娘に渡した。彼女はビスケットを半分に割り、私に半分を返す。甘さはすぐ霧に溶けたのに、分け合う手つきだけははっきりと残った。

途中、サルが私のバックパックに興味を示した。ジッパーに指をかける仕草がやけに熟練している。レンジャーのタナシャがすっと現れ、「目を合わせず、ファスナーを前に」と低い声で助け舟。彼は私のバッグに小さなカラビナを一つ付けて、「シンプルがいちばん効く」と笑った。礼を言うと、彼は「この滝はナショナルパーク世界遺産。生き物も景観も“同じ舞台”で守るんだ」と肩をすくめる。舞台の袖で、静かなルールを一つ教わった。

やがて遊歩道は断崖の縁へ出た。谷は深く、反対側の岩肌からも複数の流れが黒い壁を箒で掃くみたいに落ちている。私は柵の前で立ち尽くし、足の裏の力が抜けていくのを感じた。近くにいた旅行者のカップルが写真に苦戦している。私は思い切って「撮りましょうか」と申し出た。彼女のストールが風で翻り、彼が慌てて抑える。私はプレシャスの八の字を思い出し、ストールの端を一回ひねって襟に通す。それだけで布はおとなしくなり、二人の顔は滝の霧よりも明るく写った。

昼過ぎ、Rainforest Caféのテラスで温かい紅茶を頼む。ポンチョから滴る雫が床に点々を作り、店員の青年がさっと小さなバケツを置いた。「ここでは誰のポンチョも雨樋になるから」と彼が笑う。隣のテーブルでは、地元の学生たちがジンバブエ・ダラーの小銭を重ねて割り勘をしていた。足もとで濡れた靴を脱ぎ、靴下を手の平で絞ると、少年のころの川遊びみたいな匂いが立った。私はつい笑ってしまい、向かいの席の女性が「It gets inside you, doesn’t it?(ここは体の中まで水が入るのよね)」と頷いた。

午後、雲が低くなり、霧がさらに濃くなった。帰り際、ゲート近くでプレシャスがちょうど店じまいをしている。私は小袋のおかげで無事だったカメラを見せて礼を言うと、彼女は私のポンチョの裾を指して「まだ“赤ちゃん抱っこ”できてる?」と確認してくれた。私は親指を立て、代わりに持ってきたのど飴を彼女に渡す。彼女は笑って、ジャカランダ色の小さなリボンをポンチョの紐に結んでくれた。「お守り。風の機嫌が悪い日でも、写真は撮れる」。結び目は濡れてもほどけず、帰り道のバスの中で指先がそこばかり触ってしまう。

車が走り出すと、窓の外でザンベジ川がゆっくり夜になっていく。崖の向こうの水煙は遠くからでも見えて、街の光よりも確かな合図だ。今日の出来事を、滝の音のに合わせて数えてみる――八の字の結び目、落としかけたキャップ、虹の帯、半分こしたビスケット、カラビナの音、ストールの一回転、小さなバケツ、ジャカランダの結び目。どれも小さくて、でも胸の中でやわらかい音を立てる。

ヴィクトリアの滝は、たしかに“世界最大の水のカーテン”で、ザンビアとジンバブエの国立公園と世界遺産に守られている。けれど、私の記憶にいちばん強く残ったのは、“大きさ”よりも直し方だった。襟を直し、ストールを直し、心細さを直し、見知らぬ誰かの一日を少しだけ直す。轟音の前では、そんな手つきがどれもよく効く。

ホテルに戻ってポンチョを干すと、ジャカランダのリボンが風にふわりと揺れた。耳の奥ではまだ水が鳴っている。次にまたここを訪れるときも、私はきっと赤ちゃん抱っこを思い出して、結び目を確かめ、虹を数えるだろう。八まで数えられなくてもいい。誰かと半分こにして、笑いながら数え直せば、滝はまた、ちゃんと返事をしてくれる。

 
 
 

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