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裂けた尾の風景

──昭和二十二年・蒲原町にて──


ぼくの住んでいた町には、海があった。

それは海であって、海でなかった。あるいは、**“父のいない家の外側”**と呼びかえても、ほとんど同じ意味になる。蒲原町。東海道沿いの、どこにでもある、どこにもないような町。

戦争が終わったことを、ぼくが本当に理解したのは、五月の空に泳がなかった鯉を見たときだったと思う。

母がぼくの名前を呼ぶ。

鯉のぼりを揚げる日だ、と。去年は父が竿を立てた。今年は、いない。“いない”という事実が、蒲原町の海のように黙って横たわっている。

祖母は「菖蒲を軒先に吊るしたよ」と言った。それは魔除けらしいが、何からの魔なのか、誰も答えなかった。

鯉のぼりは、去年のままだ。ぼくは、布にしみ込んだ汗や埃のにおいを嗅ぐ。そこには父の匂いが――あるようで、ない。

母が竿を支え、ぼくが紐を結ぶ。祖母は座敷で何も言わず、手を膝に置いて、目を閉じている。たぶん、父のことを考えている。あるいは、それ以外の何か。

風が吹かない。

それは単なる気象の問題ではなく、記憶のなかの欠落と連動する事象であった。

泳がない鯉は、鯉でない。空に揚げられているのに、動かない布。

それはまるで、死んでしまった父の名を口にせず、彼の不在だけを家族が背負って生きることに似ていた。

学校では、担任の石川先生が「みんな、元気に泳げ」と言った。それは鯉の話ではなく、子どもの比喩だった。ぼくは、それにうなずきながら、口を閉ざしていた。

泳げる、と思わなかった。そもそも、泳ぐという行為に意味があるのかすら、わからなかった。

午後、風が吹いた。

突然の突風に、鯉が宙に躍った。破れかけた尾が、ばさりと裂けた。空気が断裂したような音がした。

母が叫び、祖母が立ち上がり、ぼくは目を見開いた。

その瞬間、父が戦場で裂けていった姿が、ぼくの目の奥に投影された。

「彼は泳いだのだろうか」「風がなかったのではないか」「あるいは、風に逆らって泳ごうとして、裂けたのではなかったか」

ぼくはそう考えた。いや、考えずにはいられなかった。

そして、その裂けた尾を、ぼくは縫わなかった。母も、祖母も、誰も手を加えなかった。

鯉の尾は、裂けたまま、揺れていた。

それは、たぶん――“語られなかった父”の、語り得る最後の断片だったからだ。

夜になって、ぼくは詩のようなものをノートに書いた。

それは、誰かに読ませるためのものではなかった。読むという行為そのものが、破壊になることがある。それは、ぼくのなかでただ“裂け目を残す作業”だった。

「泳がない鯉は、死んだ父の背骨。それを掲げる竹は、ぼくの沈黙。裂けた尾が、言葉を拒む。けれど、夜の風が、そこに韻律を刻む。」

ノートを閉じると、外から風の音がした。そして、わずかに、空の色が変わった気がした。

そのとき、ぼくは思った。

ぼくは鯉ではない。風でもない。裂けた尾そのものであって、誰かに泳がせてもらう存在ではない。

ぼくが動くのは、たぶん、自分で自分の裂け目に気づいたときだ。

そして、そこから風が吹くと信じられる日が、来るかもしれないと――それを、思った。

 
 
 

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