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象の通り道でエンジンを切る町

  • 山崎行政書士事務所
  • 9月14日
  • 読了時間: 5分
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南インドの朝は、湿った緑の匂いが濃い。茶畑の端から赤い土の道に下りると、「ELEPHANT CROSSING」と手書きの看板が立っていた。バス停の脇のチャイ屋では、鋳鉄の鍋がとろとろ鳴り、店主のおばさんが「通り道だよ、クラクションはダメ」と眉を上げる。紙コップに注がれた熱いチャイを受け取り、私は言われるまま道の端に立った。空気の粒子がざわつく。森の奥で、竹が一本「パン」と折れる音がする。

先に現れたのは、緑の制服を着た森林局の見張り役だった。名札には「Ramesh」。彼は口元に人差し指を立て、私に手短なサインを送った――木の幹を一つ挟んで、声を出さず、立ち位置を変えないこと。二、三歩あとずさると、茂みが割れ、灰色の胴体が滑るように現れた。長い牙が白く光り、耳の縁にはオレンジ色の斑点。写真で見た“アジアゾウ”のそのままの質感が、汗の匂いと一緒にこちらへ届く。

ゾウは驚くほど静かだった。足が地面に触れるたび、胸の内側が薄く震える。聞こえるか聞こえないかの低い音が、骨に伝わってくる。Rameshが囁く。「声じゃなくて、体で話すんだ。だから僕らも静かにする」。ゾウは落ち葉の山を鼻でほぐし、若い枝をまとめて口へ運んだ。見張り役が前に出たりしないのは、ここが“象の時間”だからだという。人間の都合は、少しだけ後回しにする。

そこへ、村の小さなスクールバスがやってきた。運転手は交差点のずっと手前で停まり、エンジンを切って子どもたちに「静かに」と合図した。窓から身を乗り出した男の子が、私のカメラを見て目を丸くする。私はレンズを下げて、胸の前で両手を合わせた。彼は同じように手を合わせ、口を結んだまま笑う。ひとつの道路を、見知らぬ者同士がそっと共有している。こんなやり取りが、この土地では日常なのだという。

緊張は別のところからやって来た。私の足元で、レンズキャップがころりと転がって道の中央へ出てしまったのだ。拾いに行くには、あと一歩が近すぎる。横で見ていた茶屋のおばさんが、スリッパの先で器用にキャップをこちらへ弾き返してくれた。「ほら、こういう時は足でね。手は大げさだから」。私は無言で親指を立て、胸が少し軽くなる。

ゾウはゆっくりと進み、道の反対側の林に消えた。エンジンの音が戻る前、Rameshが私の肩をぽんと叩く。「終わり。今のは立派な“譲り合い”だ」。みんなが少しずつ動き始める。スクールバスの子どもが小さく手を振り、運転手が帽子のつばを上げる。私はチャイ屋へ戻り、さっきのおばさんに礼を言って、追加でバナナのフリッターを頼んだ。揚げたての熱が指に映る。

「さっきの“長い牙”の子は、村では“ラージャ(王様)”って呼ぶのよ」とおばさん。「畑に降りると困るけど、通り道は尊敬する。昔からここは、彼らの道なんだもの」。チャイの泡が静かに沈む。店先の木陰には、白い糸を結んだ小さな祠がある。誰が置いたのか、黄色い花が一輪。派手ではない。けれど、はっきりと誰かの気持ちがある。

午後は、Rameshの案内で森林の縁を歩いた。彼は道の途中で立ち止まり、赤土に残った丸い足跡を指さす。「昨夜のものだ。幅はこのくらい。子どもかな」。土の窪みには雨粒の残りが光っている。彼がポケットから小さな布切れを取り出し、私の足首を指差した。見ると、うっかりアリ塚に踏み込んでしまって赤いアリが数匹。布にはココナッツオイルが染みていて、これを塗ると嘘みたいに痒みが引く。「森では、かくのは負けだよ」と彼は笑った。

しばらく歩くと、農家のおじいさんが橋のたもとで待っていた。今日の夕方は畑のサトウキビの搬出がある。ゾウが通る時間と重なるかもしれないから、見張り役に一声かけておくのだという。おじいさんは竹の棒で地面に線を引き、片側に小さな山を作った。「ここまでが彼らの道。ここからが私たちの畑。でもね、雨が多い年は線が変わる。だから目印より、心のほうを柔らかくしておくんだよ」。言いながら、ポケットから出したグァバを半分に割り、ナイフで塩をひとつまみ。渡された実を齧ると、甘さの中に草の匂いがした。

夕方、道沿いはオレンジ色に染まり、鳥が高い木に戻っていく。しばらく静寂が続いたあと、遠くで低い雷のような音――いや、雷ではなく、またあの“体で聞く音”が来た。二度目の渡りだ。今度は道の向こう側から、若いメスと小さな仔が姿を見せる。Rameshが私の前に手を広げ、さらに距離を取るよう促す。メスは私たちのいる方向を一瞥するだけで、仔の背中にそっと鼻先を当てた。仔はその触れ方に背を丸め、母の腹に寄り添う。通り過ぎる一瞬、仔の目と私の視線がぶつかった。ガラス越しではない、生温い目。私は胸の中で「行ってらっしゃい」と言った。口に出さずに。

日が落ち、最後の赤みが森に吸い込まれる頃、村の人たちはいつもの仕事に戻っていった。スクールバスは遅れた分だけ笑い声が増え、チャイ屋では鍋が二つに増えた。私はRameshに握手を求めた。彼は手のひらを開き、指先で私の手首に細い木綿の紐を一巻きして、固結びを作った。「ここではこれが“また来い”の印さ」。日本で見た白いお守り紐と少し似ている。触れると、汗でしっとりして、体温が移っていた。

宿への帰り道、道路脇の看板の前で一台のオートリクシャーが停まった。運転手がヘッドライトを消し、手のひらを耳に当てるような仕草をする。私も真似をしてみる。風の流れの中に、かすかに低い音が混じる――さっきの家族が、もう一本向こうの小道で森に戻っていくのだろう。エンジンをかけ直した運転手が、「Good night, elephants」と英語で小さくつぶやいた。誰にともなく、でも確かに届くように。

旅には、その土地が当たり前にしている優しさに出会う瞬間がある。ここでは、それが“エンジンを切る”ということだった。クラクションを短く我慢し、ヘッドライトを一瞬落とし、声を低くして目を合わせる。譲るのは道だけじゃない。時間と、気配と、体の振動の一部を、少しお裾分けする。

ポケットの中で、Rameshの結んだ紐が手首に触れた。細い糸なのに、心持ちは不思議と強い。ゾウの通り道は、たぶん人の通い合う道でもある。次にこの道を歩くとき、私はまたエンジンを切り、静かに手を合わせるだろう。いい夜を、と体で言いながら。

 
 
 

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