赤い城壁の影、塩とライムの配合――デリー・レッドフォートのまんなかで
- 山崎行政書士事務所
- 9月14日
- 読了時間: 5分

デリーの光は、午前でも容赦がない。金属の音をまとった熱が空から降り、赤い砂岩の城壁は巨大なオーブンのように光っていた。ラール・キラー――レッドフォートの正面、広い前庭には人がぽつぽつと散り、インドの三色旗が風をつかんで揺れている。鳥の影が旗の上を横切るたび、広場の空気が一度だけすっと冷える気がした。
入場ゲートの前で、私は早々に困った。チケット売り場の表示は「オンライン決済推奨」。SIMの調子が悪く、画面の読み込みがいつまでも回り続ける。背中を汗が伝う。そこへ、隣に並んでいた大学生くらいの青年が「UPIで払ってもいい? 現金で返してくれれば」と申し出てくれた。彼のスマホでQRを読み取り、彼にお金を渡すと、受け取りながら「Welcome to Delhi」と肩をすくめる。たったそれだけなのに、城壁の赤が少し柔らかく見えた。
セキュリティの列で、警備員が私の帽子のつばを指差して冗談めかして言う。「今日は日焼け止めが必要だよ」。笑って通過すると、広場の端の屋台から「ニンブー・パーニー!」という声。ライムをぎゅっと絞り、黒塩と砂糖とクミンを小さなグラスでシャカシャカ振る。ひと口。酸っぱさのあとに、黒塩の硫黄めいた香りが鼻に抜ける。思わずむせると、店主が「これがデリーの正しい配合」とウインクした。身体の中のネジが一本締まり直す。
赤い壁の中へ入ると、外の喧騒が一枚減る。芝生の向こうに低いドーム、奥には列柱が続く。日陰を選びながら歩いていると、修学旅行の子どもたちが駆けてきた。先生に「歩いて、走らない!」と言われ、いっせいにスピードを落とす。ひとりの少年が靴ひもを結び直せずにしゃがみ込み、私はつい手を出して蝶結びを作った。少年は胸を張って「Thank you, bhaiya!(お兄さん)」。彼のカードの隅には小さなインド旗のシール。ポケットに手を入れた指先が、さっきの黒塩の粉の感触を思い出す。
「ディワン・イ・アーム(一般謁見の間)」の柱陰で休んでいると、隣の叔母さんが持っていたオーディオガイドの電池が切れたらしい。目が合ったので、私のイヤホン片方を差し出す。叔母さんはひそひそ声で「分け合えば半分涼しい」と言い、バッグからアールー・パラーター(じゃがいも入りの薄焼き)を取り出して、四角にちぎってくれた。ピリッと辛いアチャール(漬物)まで添えて。石の床に座って半分こしながら、ガイドの声が「ムガルの王は――」と真面目に説明を続ける。歴史の大きな話と、パラーターの温度が、同じイヤホンから混ざってくるのが少しおかしい。
歩き疲れて、影のない回廊に迷い込んだときのことだ。突然、頭上からぱらぱらと音がした。見ると、城壁の上の作業員がホースで散水をしているのだった。細かい霧が風に運ばれ、道の上に薄い冷気の帯を作る。私はたまらずその帯に足を踏み入れた。汗がいっせいに引き、皮膚が一枚軽くなる。すると、近くにいた警備員が手でジェスチャーして**「二周回れ」**と合図をくれた。言われるまま往復すると、彼は親指を立てて笑う。仕事の合間に、こっそり設けてくれる冗談みたいな避暑地。
「ディワン・イ・カース(特別謁見の間)」をのぞくと、ひんやりとした空気が流れていた。天井の装飾の一部は失われているのに、光の入り方だけがやけに上品だ。そこで、私の帽子がまた風にいたずらされ、床の上をくるんと転がった。拾い上げてくれたのは、小さな女の子。赤いストライプのワンピースに、三色旗のヘアピンをつけている。彼女は無言で帽子を私に手渡し、指で小さく敬礼した。私は胸の前で手を合わせ、彼女の父親も笑ってうなずく。言葉がいらない瞬間は、だいたいこういうふうに気圧が下がったみたいにやってくる。
見学の終わりに近づくころ、私は道に小さな紙片を落とした。入場券の半券だ。拾いに戻ると、門番の年配の男性が先回りして拾い上げ、「スーベニア」と片目をつぶった。紙は汗と霧でふやけ、角がふにゃりとしている。バッグにしまうと、彼は屋台を指さして「チャーイ?」と尋ねる。頷くと、彼は自分のカップを私のカップに少し分けてくれた。ねっとり甘く、スパイスで熱い。土のカップ(クルハル)を飲み終えたあと、地面の端でぱきっと割る。土に戻る音は気持ちがいい。
外に出ると、広場の光は朝よりも丸くなっていた。入り口の少年が紙の小旗を並べ、風の強さによって向きを変える。私は一本買って、シャツの胸ポケットに挿した。留め具を探していると、彼が安全ピンを差し出し、器用に留めてくれる。仕上がりを確認して、親指と人差し指で小さな輪――オーケーのサイン。思えば今日一日、いろんな人の親指を見た。Welcomeの親指、避暑地の親指、ありがとうの親指。親指は言語を超える。
城門前の道を渡ると、チャンドニー・チョークの方からクラクションと呼び込みの合唱が聞こえる。私は屋台でジャレビー(揚げ菓子)を一枚だけ買い、指先に砂糖をまとわせて噛んだ。蜜が歯にからみ、その甘さの向こうから、さっき飲んだニンブー・パーニーの黒塩がふっと顔を出す。甘いとしょっぱいの配合。デリーはきっと、ずっとこの配合で動いている。
帰り際、チケットを助けてくれた青年を広場の端で見つけた。「さっきはありがとう」と声をかけると、彼は「もう慣れた?」と笑い、スマホのカメラを上に向けた。三色旗がきれいに画面に収まる瞬間まで、私たちは無言で待った。風がひと呼吸吹いて、旗がふくらんだところで、彼がシャッターを押す。撮り終えてから、彼は言った。
「ここでは、風に合わせて待つのが上手い人が、いい写真を撮る」
赤い城壁の影が長く伸びる。私は胸ポケットの小旗を指で押さえ、ゆっくり歩き出した。今日いちにちの出来事――UPIの助け、黒塩のライム水、半分こしたパラーター、霧の帯を二周、敬礼みたいな仕草、土に戻したカップ――それぞれが、城壁のレンガみたいに積み重なって、赤い温度を保っている。
旅の記憶は、建物の大きさより配合で残るのかもしれない。甘さとしょっぱさ、日差しと影、歴史の重さと日常の軽さ。その配合を、広場の風がちょうどよく混ぜてくれる。レッドフォートを離れても、唇の端にはまだ、黒塩の気配が少しだけ残っていた。





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