赤い空と紙旗の結び目――ボスポラス、共和国記念日の夜
- 山崎行政書士事務所
- 9月15日
- 読了時間: 4分

昼のフェリーでカドゥキョイからベシクタシュへ渡った。船が出ると、誰かがシミット(ゴマのリングパン)をちぎってカモメに投げ、細いグラスのチャイに小さなスプーンがチリンと鳴った。隣のおじさんがパンをちぎる手を止めて、「küçük küçük(細かくね)」と笑う。大きく投げると鳥が喧嘩するから、という生活の知恵。私は真似してほんの指先分だけを空へ送った。ボスポラスは、それだけで機嫌を直してくれる。
祝日の飾りで赤い国旗がどこも揺れている。露店で小さな紙旗を買ってポケットに差し込み、橋のたもと――オルタキョイのモスクが水に張り出すあたり――へ。夕方の風は塩を含んで湿っぽい。ここで最初の“やらかし”だ。ザクロジュースを一息で飲みすぎて、白いシャツに真っ赤な点が星のように散った。屋台のお兄さんは慌てず、「Soda!」と炭酸水のボトルを取り出し、紙ナプキンに少し垂らしてトントンと叩く。みるみる赤が薄くなる。「no problem」と言って肩をすくめる仕草まで、手当ての一部みたいに軽い。
日が落ち、橋が赤く点きはじめる。観覧場所を探してうろうろしていると、知らないおばさんが私の紙旗を見て、棒の先をひとねじりして短くしてくれた。「Böyle iyi(こうするといい)」と親指を立てる。確かに持ちやすい。さらに彼女は私の首の薄いストールを見て、結び目をあご下で八の字に整えてくれた。「風が出るから」。イスタンブールでは、ものが風と仲直りする結び方を、誰もが自然に知っている。
待ち時間にクンピル(焼きじゃがの具だくさん)を頬張っていると、前の少年の耳が冷たさで赤くなり、花火の音を怖がって目を潤ませた。私はバッグを探り、飛行機でもらった耳栓を一組見つける。父親に差し出すと、「Sağ olun(ありがとう)」と深く会釈。少年はおそるおそる耳に差し込み、頷いた。私の手には、さっきおばさんがくれた焼き栗が二つ。ひとつを半分に割り、隣の家族と分け合うと、丸い湯気がふっと落ち着く。Half for luck――どこの街でも効く合言葉だ。
夜八時、汽笛が長く鳴って、空の合図が始まる。最初の一発が水面に白い花を逆さに咲かせ、次の瞬間、空全体がトルコの赤で満ちた。ドン、ドン、胸骨に届く音。橋の上から、海の上から、いくつものプログラムが呼応し、観客の「Cumhuriyet Bayramı kutlu olsun!(共和国記念日おめでとう)」がさざ波のように広がる。紙旗の棒が手のひらの汗で少し滑るたび、さっきのひとねじりがちゃんと支えてくれる。
煙が流れて一瞬暗くなると、どこからともなくチャイ売りが現れ、小さなトレイにグラスを並べて「チャーイ、チャーイ」。私は砂糖を半分だけもらい、隣のご夫婦のビスケットを半分こする。遠くの水上でも花火が上がり、船の影が光の中で透明な骨格だけになった。空に文字が書けるなら、たぶん今日の最初の一文字は「分」だと思う。分かち合うの分。分けるたびに、赤は濃く、音はやさしくなる。
真夜中に近づき、人の塊が一斉に動き出す。押されて紙旗の棒が折れかけたが、前にいた青年が手首から外したシリコンのリストバンドで棒をくくり、即席のギプスにしてくれた。「Güle güle kullan(たっぷり使ってね)」。スマホの電池が3%まで落ちて冷や汗をかいたときは、別の学生が「şarj?」とモバイルバッテリーを差し込んでくれた。花火は空の大事件だけれど、地上にあるのは小さな修理と半分この連続だ。
帰りのフェリー乗り場は行列。風が冷える。紙旗を丸めてポケットにしまおうとして、私は思い直し、棒の折れ目に小さな結び目を作った。前の親子が寒そうなので、バッグの中の予備のマフラーを差し出すと、お母さんが「** paylaşmak güzeldir**(分け合うのは素敵)」と笑った。船が岸離れすると同時に、甲板の上の人たちがもう一度小さく拍手した。誰にともなく、同じ夜を過ごした相手に。
対岸の丘に赤がまだ残り、橋はゆっくりもとの色へ戻っていく。私は紙旗の結び目を指で確かめ、ザクロのしみがもうほとんど見えないことに気づく。今日の出来事――炭酸水のトントン、ストールの八の字、耳栓、栗の半分こ、折れた棒の即席ギプス、差し込まれたバッテリー――どれも、空の赤の下でやわらかく光っている。
イスタンブールは物語の大都市だが、心に残るのは手の温度だ。花火が消えたあとも、結び目はほどけず、チャイの甘さは口の奥に残る。フェリーが桟橋に近づくころ、どこかでまた「ヤシャスン・ジュムフリエット(共和国よ、いつまでも)」の合唱が聞こえた気がした。私は紙旗をしおりみたいにバッグに差し込み、胸の中でもう一度ひとねじりを作る。次の誰かに温度を渡すために。





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