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踏切に消えた声

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月12日
  • 読了時間: 5分

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第一章:深夜の噂

 七ツ新屋の踏切は、昼間は至って普通の通勤・通学路。警報音とともに遮断機が上下し、人々が行き交う何の変哲もない小さな踏切だ。ところが、地元には奇妙な噂が囁かれていた。 「深夜にあの踏切に立ち止まると、誰かの声が聞こえる」 さらに、聞いてしまった人の中には、「引き込まれそうになった」と口を揃えて言う者がいる。声の主は、かつてそこで起きた事故の犠牲者だろうか。事実か作り話か定かではないが、夜の踏切にはあまり近寄らない方がいい——そんな漠然とした警戒が、人々の間で暗黙のルールとなっていた。

第二章:梨央の調査

 大学で民俗学を専攻する梨央(りお)は、地元に残る都市伝説を卒論の題材にするため、各地を巡っていた。七ツ新屋の踏切の噂を聞いたとき、彼女の好奇心が強く刺激される。「深夜に声が聞こえる? 事故の犠牲者……?」 あまりに“よくある怪談”のように思えたが、彼女としてはそれを“単なる虚構”と済ませず、可能性を確かめたいという知的探究心に駆られた。地元の図書館や新聞の縮刷版を漁っても、特別大きな事故の記録は見当たらない。けれど、戦後の混乱期やその後に小さな事故が起きても、すべての記事が見つかるわけではないし、何か埋もれた歴史があるかもしれない。 「踏切を夜に実際に訪れてみるしかないか……」——梨央は心の奥に微かな恐怖を抱きつつ、計画を立てる。夏も終わりに近づく頃、夜の空気が少しひんやりしてきたタイミングを見計らい、彼女は懐中電灯を持って七ツ新屋の踏切へ足を運んだ。

第三章:夜の踏切

 深夜、街の灯が薄れ、虫の音がしきりに響く中、踏切の警報灯は沈黙したまま静かに立っている。線路の先には闇が広がり、遠くの街灯がかすかに道を照らすだけ。 「本当に声なんて聞こえるの……?」 自問しながら踏切に近づいた梨央は、線路沿いに辺りを見回す。特に変わった様子はない。警報が鳴る気配もなく、電車の走る音さえ遠くに聞こえるだけ。 が、やがて線路を吹き抜ける風に混じって、かすかな人の気配を感じた。どこからともなく、「……う……け……」という微弱な声のようなものが耳に入ってきた気がする。 「気のせい……じゃ、ないよね?」 心臓が高鳴る。彼女は思わず踏切の上で足を止める。線路の向こうから、今度はもう少しはっきりと「……た……すけ……」と聞こえた。しんとした夜の中、微かな声が電気のように全身を走っていく。「助けて……?」 梨央の手は汗ばみ、懐中電灯を握る指先が震える。もし本当に誰かが、あの世から声を上げているとしたら……?

第四章:事故の痕跡

 翌日、梨央は震える気持ちを抑えながらも、さらに踏み込んで調査を続ける。地元の人に話を聞いてみると、「昔、あそこで子どもが事故に遭ったらしい……」という噂や、「夜になると赤い服の子どもが立っているのを見た」など、断片的な目撃談があることがわかった。 しかし、正式な記録は見当たらない。何か隠されているのか、それとも小さな事故が風説として形を変えて伝わっているのか。どちらにせよ、あの踏切が常に人々の恐怖の的になっているのは間違いない。 梨央は「助けて」と訴える声が耳に焼きついて離れず、真夜中にあの場所を再訪しようか迷っていた。「もし再び声が聞こえたら、私はどうすればいいの……?」——彼女の心をじわじわと不安が侵す。それでも好奇心には逆らえない。

第五章:踏切の夜、再び

 深夜、再び踏切を訪れた梨央は、線路沿いをゆっくりと歩く。前回と同様に風が止まり、虫の音さえ減り、世界が耳鳴りのような静寂に包まれる。 線路を見つめていると、不意に**「…たす…けて…」という弱々しい声が耳に触れる。今度ははっきり聞こえた。怖いというより、言い知れない悲しみが彼女の胸を締めつける。 「誰かいるの? 大丈夫?」と声を掛けても、返事はない。だが、まるで手を伸ばせば届きそうなほど近くに感じる。「助けて」**と繰り返すその声は、まるで闇に溶け込むように途切れがちだ。 やがて、踏切の脇に小さく何か光るものが落ちているのを見つける。拾い上げると、古びたお守りのような形。名前が書かれているが、すでに判読しづらい。もしかして、これが事故の被害者に関連する持ち物だったのだろうか。

第六章:声の正体

 そこからさらに聞き込みを続け、梨央はついに語りたがらない地元の年配者から、ぽつりと**「あの踏切で昔、親子が死んだんだ……」**と重い事実を聞かされる。 父親が育児放棄して逃げ、それを追いかけた母親と幼い子どもが線路で事故に遭った——正確な経緯は曖昧だが、そんな悲惨な事件があったらしい。しかし正式な記録は当時の混乱で消えてしまい、今は一種の都市伝説の形でしか残っていないとか。 「母親は子どもを助けようとして、子どもは母親を求めて……」 そんな話を聞くだけで、梨央は胸が苦しくなる。もし、あの声の主がその子だとしたら、母を求めて「助けて」と訴えているのかもしれない。

第七章:失われた安らぎ

 再度夜の踏切を訪れた梨央は、子どもの声が聞こえたらどうするか、決めていた。線路の上でじっと待つと、やがて微かな**「……たすけて……」が耳を打つ。 彼女は震える声で、「大丈夫だよ。もう怖くないよ」と呟いてみる。まるで迷子の子どもを宥めるように。すると、一瞬だけ吹き抜ける風が梨央の髪を揺らし、警報灯がぼんやり点滅した気がした。「……ありがとう……」**と微かに聞こえたのは、ただの幻聴だろうか。 しかし、その瞬間、梨央は涙がこぼれそうなほど切なくも温かい感覚に包まれる。まるで、ずっと待ち続けていた子どもの魂が、ようやく誰かに受け止めてもらえたように感じられた。 翌朝、踏切を通る人々はいつも通りで、特に変わった様子はない。でも梨央の中では、あの踏切に宿る声が、きっと安らぎを得たのではないかという確信めいた気持ちが芽生えていた。

 以来、夜にあの声は聞こえなくなったと言われている。人々は「なんだか気味が悪い噂も自然と消えたよね」と口々にし、いつの間にか平穏な踏切に戻っていく。 「踏切に消えた声」——それは誰かの叫びと願いが混ざり合った残響だったのかもしれない。梨央は今も夜になるとあの場所を思い出し、「きっとあの子は母の元へ帰れたはず」と信じ、静かに手を合わせるのだった。

 
 
 

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