遺言書が語る~遺言書の謎と家族の果て~
- 山崎行政書士事務所
- 2025年1月6日
- 読了時間: 14分

第一章 依頼人の死
行政書士・芦沢邦彦(あしざわ くにひこ)は、その日の夕方、事務所の隅に積まれた大量の資料を前にため息をついていた。50代半ばの芦沢は、地味な性格ながら誠実な仕事ぶりで地元の信頼を得ていた。彼の事務所の名前は「芦沢行政法務事務所」。駅から少し離れたビルの3階にあり、来客が多いわけではないが、コツコツと遺言書や各種契約書の作成を請け負っている。
その日の午後、芦沢は依頼人である寺坂友輔(てらさか ゆうすけ)に呼ばれていた。寺坂は地元の資産家で、かなりの財産を保有していると噂されている。だが詳細な資産状況を外部に漏らすことはなく、遺言書作成の相談も慎重だった。「近く、遺言書を整えたいのだが……」と寺坂は、煙草のヤニで黄ばんだ書斎で静かに語った。「今まで弁護士事務所に任せてきたが、あまりにも周囲の目が気になってな。あなたなら、比較的目立たずに、正確な書類を仕上げてくれそうだ」芦沢は苦笑しつつ、「もちろん、守秘義務もありますし、安心してご相談ください」とうなずいたのだった。寺坂の依頼は、事前の用意が念入りだったこともあり、芦沢にとって特別に難しいものではなかった。そして今日、正式に遺言書を作成し、あとは本人に署名押印をもらう段階まで進めたところで、寺坂の仕事部屋での手続きは完了した。
ところが、その夜の遅い時間。芦沢のもとへ一本の電話が入る。電話の向こうで、慌ただしい声が響く。「芦沢先生、寺坂さんが、先ほど倒れて……救急車を呼んだんですが、病院に着いた時にはもう……」
寺坂友輔が死亡――。予想もしていなかった突然の訃報に、芦沢は思考が停止しそうになった。
第二章 疑惑の遺言書
翌朝、芦沢は寺坂家を訪れた。寺坂邸は洋風の屋敷で、築年数は古いものの、庭木が手入れされ、どこか重厚な歴史を感じさせる。応対に出たのは寺坂の長男・寺坂洋輔(ようすけ)だった。30代半ばで、会社経営をしているという。姿勢はスーツ姿でビシッと決めているが、その表情には焦りがにじんでいた。「昨夜、父が倒れたそうです。まだ検視結果はわからないんですが、心臓発作という話で……」洋輔は声を震わせながら言う。そして、奥から長女・寺坂麻里(まり)が出てきた。麻里は40歳近くで、父に対してかねてより複雑な感情を抱いていたらしい。理由は、寺坂が再婚した後妻との問題や、麻里が実家を出ていた経緯などが噂されていた。「それで、先生」麻里が不自然なほど警戒した目で芦沢を見つめる。「父は遺言書を作っていた、と聞きました。私たち家族にどういう内容かは一切知らされておらず……。そちらの書類は今どうなっているんですか?」
芦沢は、昨夜書面を完成させ、寺坂本人の署名押印まで確認したが、それはまだ公正証書化していない段階だった。「遺言書は私の事務所で保管しております。寺坂さんが“しばらく内密に”とおっしゃっていたので、私以外の誰も内容を見ていません」
それを聞いて、洋輔と麻里は顔を見合わせる。
「先生、お願いがあります。こちらとしても父の死因がはっきりするまで家の中は混乱している。いずれ相続の手続きをする際に内容を確認させてください」芦沢は申し訳なさそうにうなずいたが、その時、微妙な違和感を覚えた。寺坂本人が「数日後に公正証書にする」と約束していたのに、なぜ急に昨夜に作成を急いだのか――そして、その晩に倒れるとは、一体どういう偶然なのか。
第三章 火種
寺坂が亡くなって三日後、葬儀がとりおこなわれた。表向きは心臓発作による突然死とされていたが、近しい知人の間では「遺産をどう分配するか揉めていたらしい」とか「後妻との間に子どもがいるのではないか」など、様々な噂がささやかれていた。さらに火種を大きくしたのが、芦沢のもとに突如訪れた一人の男の存在だった。男の名は五味川(ごみかわ)。寺坂と生前、金銭的な取引があったという人物だ。やや年配で、つかみどころのない雰囲気を漂わせている。「先生、失礼します」五味川は芦沢の事務所に入り、深々と頭を下げる。「寺坂さんが作ったとされる遺言書ですが、あれは“偽造”ではありませんかね?」
当然、芦沢は反発する。「偽造とは、どういう根拠でしょうか? 私は本人の前で書類を作成し、きちんと署名押印を確認しました」「ですが、寺坂さんの筆跡や文体が、普段とは明らかに違うと感じるんです。それに、日時の書かれ方だって不自然ですからね」芦沢は内心で動揺した。確かに寺坂本人は、遺言書の文案について細かい言い回しを気にしており、何度も下書きを修正していた。筆跡が揺れている箇所もあったのは事実だった。しかし、それは偽造ではなく、寺坂が加筆訂正を繰り返した結果だと思っていたのだ。
「法的に見れば、本人が署名押印し、かつ有効要件が整っていれば効力は生じます。五味川さん、あなたは寺坂さんとどのような関係で? どうしても納得できないのなら、別の専門家に筆跡鑑定を依頼するしかないでしょう」
五味川はそこで唇を曲げ、静かに言い放つ。「寺坂さんとは、過去に一度大きな契約がありました。私はその履行を待っていた。ところが突然の死で支払いが宙に浮いてしまった。もし今の遺言書が本物で、しかもその契約について触れられていないのだとすれば……いろいろと問題があるんです」
その後、彼は「いずれ裁判も辞さない」と言い残し、事務所を出て行った。
第四章 ほころび
寺坂の相続問題は一筋縄ではいかなかった。寺坂の家族からは、遺産の分配に関して内輪でもめている様子が見受けられる。遺言書の内容を芦沢が確認したところ、大半の遺産が二人の子ども――洋輔と麻里――に均等に渡ることになっている。しかし細かい財産項目の中に、どうにも説明が難しい不動産の記載があった。所在地や地目の記述が曖昧で、実態がつかめない。その部分を寺坂が強く押し込んできたのだ。さらに、寺坂に付き添っていた後妻の存在が公式には確認されていない。周囲には「内縁の妻」としか紹介されておらず、少なくとも婚姻届けは出していなかったようだ。しかしその女性の行方が、寺坂の死後ぱったりとわからなくなっていた。
芦沢はやがて不審に思い、寺坂が生前に残していたメモや、行政書士として過去の相談記録を洗い直した。すると、その女性が寺坂の名義を使ってある物件の賃貸契約をしていたことがわかる。契約書の住所は、寺坂宅とは別の小さなマンションだった。そこに何があったのか。
一方で、五味川が言う“契約”の存在も気にかかった。寺坂のファイルを調べても、その契約に該当する書類は見当たらない。相当念入りに隠されているのか、それとも実体がないのか――。芦沢は真相に近づくほどに、自分が深みにはまっていくのを感じた。
第五章 闇に潜む脅威
ある晩、芦沢は事務所で遺言書関連の資料を整理していた。すると、廊下から人の気配がする。ビルは夜間はオートロックになっているはずなのに――。心臓が早鐘を打つ。何者かが無理やり入ってきたのではないか。恐る恐るドアを開けようとすると、突然「ガシャン!」という音が響き、近くにあったガラス窓が割れた。何か硬い物体が投げ込まれたらしい。飛び散る破片。芦沢は咄嗟に伏せたが、足をかすめ、軽い切り傷を負ってしまった。部屋の電気を消し、暗闇のなかで身を隠す。見えない相手に狙われている――。背筋に冷たい汗が伝う。しばらくして足音が遠ざかり、階段の方へ走り去っていく気配があった。
警察に通報し、現場検証をしてもらうも、有力な手がかりはつかめなかった。防犯カメラの死角になっていたらしく、犯人の姿は映っていない。「先生、やはり遺言書の件で恨みを買ったんじゃないですか?」警察からはそう言われたが、芦沢には確証がない。ただ、寺坂の死から間もなく、自分が暴力的な脅しに遭うというのは、あまりにも偶然とは思えない。
第六章 秘密の写真
翌日、芦沢は寺坂家に連絡を入れ、遺言書の件だけでなく、寺坂の私物についてもう一度確認したいと申し出た。すると、寺坂洋輔は少し渋った末に承諾した。「実は……父の書斎に古いアルバムのようなものがありました。そこに見慣れない写真が混じっていたんです」洋輔とともに書斎の棚を探ると、埃をかぶった箱が見つかった。中には古いモノクロ写真が多数入っている。その写真の中には、若かりし頃の寺坂と、見知らぬ男性のツーショットがあった。背景は工場か倉庫のような場所で、二人とも真剣な表情をしている。裏に「昭和五十年、H港倉庫」と走り書きがある。
「父は昔、何をしていたんでしょうね……。僕が子どもの頃、あまり詳しくは教えてもらえなかったんですが」「これ、五味川さんという方に関係あるかもしれません」芦沢はピンときた。五味川が言っていた“過去の契約”は、寺坂の若い頃の仕事が絡んでいるのではないか。
写真の束を見直すと、そこには現在の寺坂家では想像もできない、荒んだ環境や危険な取引を連想させるような風景が写っていた。写真の一部には、別の場所で書類らしきものを取り交わしている姿が写り込み、しかも第三者らしき男が後ろで笑っている。五味川に似た顔。確信した。寺坂と五味川は、かなり昔から“何か”を共有していたのだ。
第七章 過去との接点
それから数日後、芦沢はある弁護士事務所を訪れた。そこはかつて寺坂が顧問契約をしていたというが、現在は解約している。弁護士の名前は吉岡といい、すでに老齢であり、最近は後進に任せきりだという。吉岡は芦沢に、当時の寺坂の仕事について打ち明けた。「昭和五十年前後、寺坂さんは港湾関連の仕事に手を出していた。正確には、“海外に中古機械を輸出する会社”との名目だったが、その裏で違法な商売があったという噂が絶えなかった。私はあまり関わりたくなくてね」「五味川という方も、その頃から寺坂さんと付き合いが?」「ええ、彼はブローカーのような存在で、複数の企業と連絡を取り合っていた。具体的にはわからないが、相当危うい取引をしていたらしい。私にもはっきりとした情報はないが……」
芦沢は、この“危うい取引”が遺言書に影を落としていると感じた。もしかしたら、寺坂は後悔すべき過去を抱えたまま、多額の資産を築いたのではないか。そして死ぬ前に、その負い目を清算しようとした?
第八章 真相への糸口
寺坂が残した遺言書には、先述の曖昧な不動産が記載されていた。再度精査すると、その不動産は港に近い埋立地にあり、かつて寺坂が利用していた倉庫跡がある区画を連想させる。芦沢は、その区画の地番を追いかけ、法務局や市役所で当時の記録を探した。すると、所有権が転々としており、名義が寺坂の個人名になったり、別の会社名義になったり、再び寺坂に戻ったりしている。取引金額も異常に高かったり安かったり、常識では考えられない動きがある。「これが、昔の“裏取引”の隠れ蓑になっていたのか……」
もしかすると寺坂は、死ぬ前にその土地にまつわる真実を遺言書で改めて整理しようとしたのではないか。だがなぜ、わざわざ曖昧な書き方をしたのか。さらに疑問が浮かぶ。寺坂が署名押印した遺言書は、五味川の言うとおり偽造なのか、本物なのか。何者かが寺坂になりすまして作成した可能性は――。
芦沢は作成日当日のことを思い出した。寺坂は「筆が進まない」と、何度も考え込み、書類の文面をいったん自分で書き写し直していた。その筆跡は確かに震えがちだったが、高齢ゆえやむを得ないと思っていた。あれが不正の痕跡だとしたら……。
第九章 闇の告発
ある日の夜遅く、芦沢が帰宅すると、アパートのドアの下から一通の封筒が差し込まれていた。差出人不明。中身は写真のコピーと、メモ書きだった。写真のコピーには例の倉庫で撮られたと思われる場面が映っている。そしてメモにはこう書かれていた。
「ここに眠るものは、世間に知られてはならない。遺言書が暴こうとしているのは、あの時の“秘密”。私が守らねばならないのだ」
差出人は誰なのか。後妻か、あるいは五味川か。それとも寺坂の息子や娘か。だが文面からすると、遺言書が暴こうとしている秘密を「守りたい」立場の人物に違いない。
翌朝、芦沢は意を決し、遺言書の真相解明のために寺坂家へ向かった。だが突然、駅の近くで誰かに腕をつかまれる。振り向くと、そこに立っていたのは五味川だった。「芦沢先生、あんた、まだ私を疑ってるんだろう? だが、真犯人は別にいるはずだ」五味川の声には疲労の色が滲んでいた。「寺坂と私は、たしかに過去に闇の取引をした。それゆえに守りたいものがある。一方で、この遺言書によってすべてが暴かれてしまえば、私もヤバい。だが、寺坂は本当に死んでしまったんだ。もう昔の罪を償うのは不可能だ。先生、頼む、これ以上踏み込まないでくれ」
まるで脅しとも哀願ともつかない言葉に、芦沢は複雑な思いを抱く。寺坂の死に五味川が関与しているかどうかは不明のままだが、少なくともこの男も事件の黒幕ではないように感じられた。
第十章 裁判の幕
寺坂の死からしばらくして、家族間で遺言書の効力をめぐる争いが本格化した。遺言書が有効か否か、その筆跡は本物かどうか――。結局、長男の洋輔と長女の麻里が原告・被告の形で、裁判所に遺言書の検認と無効確認訴訟を起こす運びとなった。その過程で、五味川も「遺言書が偽造だ」と主張し、争いに加わる。芦沢は証人として出廷することになり、自分が寺坂の署名押印を直接確認した旨を証言した。だが、被告側(五味川)の代理人弁護士は畳みかける。「先生は、本人が署名するところを“直接”すべて見たのですか? 書類の裏に寺坂さんがサインをしている際、その手元から一瞬でも目を離したことはないのですか?」
厳しい問いに、芦沢は言葉を詰まらせた。あの日、寺坂が机に伏せるように書類を隠す形でサインをしていた場面があった。筆が震え、何度も書き直していた。もしかしたら、そのうちのいくつかは他人が書いた線も混じっていたのかもしれない――。不安が頭をもたげる。
第十一章 最後の手がかり
裁判は長期化の様相を見せたが、途中で決定的な手がかりが浮上する。後妻と思われる女性がひそかに残していた日記の存在だ。相続人調査の一環で別の行政書士が発見し、証拠として提出された。そこにはこう記されていた。
「あの人(寺坂)は遺言書を作ると言っていたけれど、本当はすべてを告白するための“告白書”を用意していた。過去に倉庫で起こった事故、闇の金の流れ、すべてを清算しようと。だがその日は様子がおかしかった。誰かが寺坂を脅迫していたようだ。だから急にサインが震えて……」
この日記が示すところでは、寺坂はあくまで「本当の遺言書」とは別に“告白書”を書こうとしていた節がある。その“告白書”には五味川との黒い取引の詳細も含まれていたのだろう。だが、その計画を察知した何者かが圧力をかけ、寺坂は半ば強制的に現在の遺言書にサインさせられたのではないか――。
もしそうだとすれば、筆跡に微妙なブレが生じたのも説明がつく。寺坂本人が極度の緊張状態でサインせざるを得なかったからだ。偽造というより“脅迫下で作成された真正な署名”とも言える。その行為が公正か否かはともかく、法的には本人の署名押印をもって有効とされる可能性もある。
第十二章 決着
裁判の最終段階で、後妻の日記が証拠として採用され、寺坂のサインが本人によるものだが、著しい瑕疵(=脅迫や意思欠缺)があったかどうかが争点となった。脅迫があったのなら遺言としては無効となるが、実際の法廷では脅迫行為を立証するのは容易ではない。一方、五味川らが主張する完全な偽造という線は、筆跡鑑定で否定された。結果、遺言書は有効と判断され、寺坂の遺産は子どもたちへ分配される運びとなった。しかし、不透明な不動産の問題や、過去の闇取引については「当事者不在のため解明が難しい」とされ、事実上、闇に葬られる形になった。
法廷を出ると、洋輔と麻里が沈んだ面持ちで芦沢に礼を言った。「先生には、本当にご迷惑をおかけしました。ただ、父の本当の思いは、まだどこかに眠っているように感じます。いつか、それも明らかになるんでしょうか」芦沢は曖昧に微笑むしかなかった。遺言書が本当は何を語ろうとしていたのか――。寺坂の真意は、もはや誰にもわからない。
終章 遺言書が語る嘘
それから数週間後、芦沢の事務所は日常を取り戻していた。多くの資料が整理され、寺坂家の一件もひとまず法廷上は決着がついた。しかし、ときおり芦沢は、あの事件の本当の結末を考えずにはいられない。寺坂はあの“告白書”を書いていれば、自らが築いた財産の裏にある闇を洗いざらい白日の下にさらしたのか。それとも、脅しに屈して遺言書を公的に残し、自分が隠してきた事実を墓場まで持っていこうとしたのか。事件後、五味川も姿を消した。彼が恐れたのは社会的制裁なのか、あるいは過去を公にされることだったのか。それすらも定かではない。
ある日、芦沢の机の引き出しに入れたままだった寺坂の最後の遺言書のコピーを見返す。そこには静かな文字で、「私の全財産を洋輔、麻里に」と記されている。その一文は一見何の変哲もないが、字の端々に微妙な揺れが混じっているようにも思える。文字の裏に隠された意図。まるで「私が真実を語ることはできないが、この文面が語る嘘に気づいてほしい」と囁いているようだった。
芦沢はわずかに息をのむ。そして一枚の紙を丁寧にファイルに戻し、そっと閉じる。遺言書が語る嘘――それは、死者がどうしても伝えきれなかった“闇”そのものだったのかもしれない。時は流れ、真実がいずれ表に出ることがあるのかないのか。だが、この遺言書に関わったすべての人間に、一つの教訓だけははっきりと刻まれた――人は皆、過去の罪と秘密からは、そう簡単には逃れられないということを。







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