電波の供物
- 山崎行政書士事務所
- 5月12日
- 読了時間: 16分

――地方テレビと広告代理店の斜陽――
一 「お願い」という圧力
県央テレビの営業局には、朝から湿った空気が流れていた。
梅雨前の街はまだ晴れていたが、局内だけは別だった。営業部の窓際には、過去の看板番組のポスターが貼られている。二十年前なら、それは権威の壁だった。地元企業の社長たちは、その壁の前で頭を下げ、番組提供の枠をもらうことを「名誉」と呼んだ。
だが今は違う。
若者はテレビを見ない。地元スーパーの広告費は動画配信へ流れ、住宅メーカーはInstagramに予算を寄せ、葬儀社でさえ検索広告の効果測定を口にする。
それでも、県央テレビはまだ、自分たちが地域の空気を決める側にいると思っていた。
「例の法務事務所、また投稿してます」
営業局の若手、岩瀬が言った。
画面には、青嶺法務事務所のX投稿が映っていた。
《朝の情報番組枠でCM放送実績あり。地域事業者の契約・許認可・クラウド法務を支援します。》
たったそれだけだった。
だが営業局長の黒沼は、口元を歪めた。
「番組名は?」
「直接は出していません。ただ、画像に番組を想起させる表現があります」
「想起させる?」
「はい。局側としては、番組ブランドの毀損リスクがあると」
「局側って、うちだろ」
黒沼は吐き捨てるように言った。
会議室の奥には、広告代理店・東邦メディアリンクの営業担当、佐名木が座っていた。スポンサーである青嶺法務事務所から広告費を受け取り、県央テレビへ出稿をつないだ男だ。
本来なら、彼は広告主の側に立つべきだった。
だが地方広告の現場では、正論は取引額の前で曲がる。
年間で何千万円分もの番組枠を扱うテレビ局と、単発でCMを出した小さな法務事務所。どちらに頭を下げるべきかなど、業界人なら考えるまでもなかった。
黒沼が言った。
「佐名木さん。スポンサーに伝えてください。削除を“お願い”します」
「お願い、ですね」
「命令じゃない。あくまでお願いです」
「文面は局で作りますか」
「いや、そちらから送ってください。代理店経由のほうが柔らかい」
佐名木は一瞬だけ顔を上げた。
「柔らかい、ですか」
「そう。うちは直接言っていない。代理店さんが調整している。そういう形が一番いい」
黒沼は、業界の古い笑い方をした。
誰も責任を負わない時の笑い方だった。
その日の午後、佐名木はメールを打った。
件名はこうした。
《青嶺法務事務所様:県央テレビからのお願い》
“お願い”。
彼はその二文字を見つめた。
頼みでもある。圧力でもある。命令ではないが、断ると次がなくなる。
地方テレビの世界では、「お願い」は最も便利な暴力だった。
本文にはこう書いた。
「番組名等を想起させるSNS投稿につきまして、視聴者の誤認を避ける観点から、削除をご検討いただきたく存じます。また、生成AIによる投稿であるとうかがっておりますので、今後、当該番組名等に関する投稿を行わないよう設定できる機能がございましたら、ご対応いただけますと幸いです」
送信ボタンを押した瞬間、佐名木は小さく息を吐いた。
何を設定しろというのか、自分でも分からなかった。
AIの仕組みも、Xの仕様も、海外ベンダーの運用も分からない。ただ、局が言った。キー局が見ている。番組ブランドを守る必要がある。
それだけで、スポンサーへ送るには十分だった。
二 白いケース
問題はSNSだけではなかった。
数日前、青嶺法務事務所には白いプラスチックケースに入ったCM素材が届いていた。
その素材は、青嶺の代表である高瀬亮介が、別の制作会社に依頼して作ったものだった。ナレーション、字幕、BGM、ロゴ、秒数。すべて自費で整えた。
ところが放送予定は直前で流れた。
理由は「番組編成上の都合」。
高瀬は、放送が流れたなら素材は自分に戻るものだと思っていた。
だが、素材は戻らなかった。
県央テレビから東邦メディアリンクへ渡っていた。
高瀬がその事実を知ったのは、佐名木からの何気ない一言だった。
「素材につきましては、局から弊社に返却されております」
高瀬は電話口で沈黙した。
「なぜ、御社に返却されるのですか」
「通常、放送用素材は広告会社が受け取り、放送局へ搬入する流れですので」
「通常?」
「はい。業界上の一般的な流れです」
「私は説明を受けていません」
「局側は、説明した認識とのことで……」
「認識ではなく、事実を言ってください」
佐名木は黙った。
高瀬の声は荒くなかった。むしろ静かだった。静かな怒りほど、営業担当にとって扱いにくいものはない。
「日時。場所。誰が。何を。どのように説明したのか。書面でください」
「確認します」
「確認ではなく、説明です」
「各所に確認しまして」
「各所とはどこですか。県央テレビですか。キー局ですか。御社の上司ですか」
佐名木は、受話器を持つ手に汗をかいた。
彼は知っていた。
この案件は、誰も正面から受けたくない案件になっている。
局は「通常の流れ」と言う。代理店は「局から聞いた」と言う。キー局は「ブランド管理」と言う。スポンサーだけが、具体的な説明を求める。
そして具体的に説明しようとした瞬間、誰も前に出てこない。
三 代理店の本音
東邦メディアリンクの会議室は、古いカーペットの匂いがした。
壁には「地域と企業をつなぐ広告の力」と書かれた社訓が掲げられている。
営業部長の戸倉は、佐名木の報告を聞き終えると、深いため息をついた。
「高瀬さん、面倒だな」
「かなり論点を整理してきています」
「法務事務所だからな」
「社印入りの書面を求められています」
「出せるわけないだろ」
「では、どの名義で回答しますか」
「お前の名前でいい」
佐名木は一瞬、聞き間違いかと思った。
「私の名前、ですか」
「営業担当なんだから」
「ですが、局側の要請を弊社として伝えている形です」
「だからこそ、会社名義にできないんだよ」
戸倉は苛立ったように机を指で叩いた。
「いいか。局を怒らせるな。うちは県央テレビの年間枠で食ってる。青嶺法務さんの単発CMとは金額が違う」
「しかし、広告主は顧客です」
「きれいごとを言うな」
その言葉は、会議室に落ちたあと、しばらく消えなかった。
戸倉は続けた。
「広告主の顧客満足? そんなものは局との関係があって初めて成立する。局に嫌われたら、枠も情報も回ってこない。番組連動企画も、イベント協賛も、自治体案件も全部飛ぶ」
「でも、今回はこちらから削除を求めています」
「削除を求めたんじゃない。お願いしたんだ」
「相手は圧力と受け取っています」
「受け取り方の問題だ」
佐名木は黙った。
業界では、いつもそうだった。
都合が悪いと「受け取り方」になる。証拠を求められると「認識」になる。責任を問われると「調整中」になる。強制ではないと言いたい時は「お願い」になる。
そして、誰も謝らない。
四 夜の座敷
その夜、県央テレビの黒沼と東邦メディアリンクの戸倉は、駅南の小料理屋にいた。
表向きは「情報交換会」。
だが実態は、利害の確認だった。
個室には、県央テレビの編成担当、代理店の媒体担当、制作会社の社長、地元イベント会社の専務もいた。地方広告の金は、こういう場所で静かに配られる。
「今年の夏祭り特番、協賛枠どうします?」
制作会社の社長が言った。
黒沼は刺身をつまみながら答えた。
「県内メーカーに声かけてる。ただ、最近はテレビだけじゃ渋い。SNS展開込みにしないと金が出ない」
戸倉が笑った。
「テレビ局がSNS頼みですか」
「斜陽だからな」
黒沼も笑った。
その笑いには、自虐と傲慢が混じっていた。
彼らはテレビが弱くなっていることを知っている。広告費が減っていることも知っている。若い世代が番組名に価値を感じていないことも知っている。
それでも、地元ではまだ使える。
市長選の討論番組。高校野球のダイジェスト。夕方ニュースの特集。老舗百貨店の催事中継。自治体の広報番組。地元企業の社長インタビュー。
テレビ局に嫌われると、地域の表舞台に立ちにくくなる。
だからスポンサーは、黙って金を出す。
黒沼は酒を注がれながら言った。
「青嶺の件は、あまり騒がせないでくださいよ」
戸倉は苦笑した。
「こちらも困っています。社印を出せとか、根拠を示せとか」
「根拠なんて、番組ブランド保護で十分でしょう」
「それを文書でと言われると」
「文書にしたら負けです」
黒沼はさらりと言った。
「文書にしないから、運用で済む。運用で済むから、関係が守れる」
戸倉は、その言葉を覚えておこうと思った。
運用で済むから、関係が守れる。
つまり、責任を残さないから、利権が回る。
個室の襖の向こうから、テレビ番組でよく見る地元タレントの笑い声がした。彼もまた、局のイベント司会で食っている。
黒沼は声を潜めた。
「うちはね、番組を守ってるんですよ。誰でも勝手に番組名を使ったら、局の品位が落ちる」
戸倉は頷いた。
だが本音では、別のことを考えていた。
品位ではない。値段だ。
番組名を使えることに価値があるから、局はそれを囲い込む。スポンサーが自由に実績として使えば、局の許認可権のようなものが弱まる。「使わせる」「使わせない」を握るから、テレビ局はまだ偉そうにできる。
斜陽産業の最後の利権は、電波そのものではなかった。
「名前を使わせる権利」だった。
五 スポンサーの孤立
高瀬は、青嶺法務事務所の応接室でメールを印刷していた。
五月十五日。県央テレビからのお願い。五月二十六日。素材返却についての説明要求。五月二十七日。代理店からの「悪意はない」との返信。五月二十八日。担当者が「自分の判断を超える」と述べた連絡。五月二十九日。行政機関への申立て案。
時系列に並べると、構図は明らかだった。
局は直接出てこない。代理店が前面に出る。代理店担当者は判断できない。上席は社印を出さない。キー局の担当者名は出ない。だが削除だけは求められる。
高瀬は赤ペンで一文を書いた。
「顧客である広告主が、なぜ監督対象になっているのか」
そのとき、スマートフォンが震えた。
佐名木からだった。
「高瀬先生。お世話になっております」
「はい」
「例の件ですが、弊社としても各所に確認を進めております」
「各所とはどこですか」
「県央テレビ様、関係部署、社内上席です」
「キー局は?」
「そこは県央テレビ様経由になります」
「つまり、御社はキー局から正式な委任を受けているわけではない?」
佐名木は答えなかった。
高瀬は続けた。
「削除要請の主体は誰ですか」
「県央テレビ様からのお願いとして」
「県央テレビが正式主体ですか」
「確認中です」
「削除しなければどうなりますか」
「そこまでは聞いておりません」
「では、法的根拠は?」
「番組ブランドの保護という観点で」
「法的根拠を聞いています」
「確認します」
高瀬は目を閉じた。
確認。確認。確認。
それは、現代の責任逃れの合言葉だった。
「佐名木さん」
「はい」
「あなたを責めているわけではありません。ただ、御社は広告代理店ですよね」
「はい」
「広告代理店は、広告主の利益を代理する立場ではないのですか」
電話の向こうで、佐名木が息を飲む気配がした。
高瀬は静かに言った。
「今の御社は、局の要請を私に伝えるだけの伝令です。しかも、誰の責任か分からない要請を、私にだけ具体的に実行させようとしている」
「そのような意図では」
「意図ではなく、構造の話です」
高瀬は、印刷したメールの束に視線を落とした。
「テレビは斜陽産業になったと言われています。それでも、地方ではまだ信用の装置として機能している。だから私は広告を出した。しかし、出した瞬間に、局のブランドを守るための下請けにされるなら、それは広告ではありません。上納です」
佐名木は何も言えなかった。
六 社印
翌日、東邦メディアリンクの役員会議で、青嶺法務事務所の件が議題に上がった。
議題名は「一部広告主対応について」。
一部広告主。
その言い方ひとつで、会社の姿勢は決まっていた。
代表の水谷は、資料を読まずに言った。
「社印は出すな」
戸倉が頷く。
「はい。担当者名義で調整します」
「局との関係は?」
「現状維持です」
「ならいい」
佐名木は、会議室の端に座っていた。
発言権はなかった。
だが、腹の底で何かが煮えていた。
会社は、顧客への説明より局との関係を選んだ。局は、正式文書より代理店経由の圧力を選んだ。キー局は、名前だけが影のように現れる。スポンサーは、誰に向かって反論すればいいのかも分からない。
水谷が佐名木に視線を向けた。
「君、先方にうまく言っておいて」
「うまく、ですか」
「大人の対応だよ」
「具体的には」
「謝りすぎない。認めすぎない。怒らせすぎない。局に飛び火させない」
それは営業方針ではなかった。
隠蔽の作法だった。
佐名木は初めて、はっきりと言った。
「広告主の利益は、どこに置くのでしょうか」
会議室が静まった。
戸倉が眉を吊り上げた。
「何だ」
「弊社は広告代理店です。広告主から費用をいただいています。局のブランド保護を理由に広告主へ削除やAI設定を求めるなら、依頼主体、根拠、範囲、費用負担を明確にすべきです」
水谷は笑った。
「正論だな」
その笑いは、称賛ではなかった。
「君はまだ若い。正論だけでは、この業界は回らない」
「回っているように見せているだけではないでしょうか」
戸倉が机を叩いた。
「佐名木」
水谷は手で制した。
「いい。デジタル推進室に回せ」
佐名木は、水谷を見た。
「異動ですか」
「適材適所だ。テレビ局対応には向かない」
その瞬間、佐名木は理解した。
この業界で最も危険なのは、不正を暴く者ではない。
当たり前のことを、当たり前に言う者だ。
七 放送されないニュース
県央テレビの夕方ニュースでは、その日も「企業の説明責任」が特集されていた。
食品表示の誤認。中古車販売の不適切広告。自治体委託事業の不透明会計。
キャスターは真剣な顔で言った。
「消費者や取引先に対して、企業には透明な説明が求められます」
そのニュースを、黒沼は営業局のテレビで見ていた。
隣にいた編成担当が笑った。
「うちが言うと説得力ありますね」
「皮肉か」
「いえ、番組としては立派です」
黒沼は黙った。
番組としては立派。
それがテレビ局の免罪符だった。
報道は正義を語る。営業は曖昧に稼ぐ。編成はブランドを守る。代理店は泥をかぶる。スポンサーは頭を下げる。
組織の中で部門が分かれているから、誰も自分の手を汚したとは思わない。
だが外から見れば、同じテレビ局だった。
高瀬はそのニュースを見て、笑わなかった。
ただ、画面を写真に撮った。
そしてメモに書いた。
「自社が説明責任を語る番組を放送しながら、自社の広告取引では説明主体を曖昧にする。この二重性こそ、斜陽テレビの病理である」
八 公開質問状
数日後、高瀬は、架空名義ではなく自分の事務所名で公開質問状を出した。
ただし、相手方の実名は伏せた。
質問は淡々としていた。
一、SNS投稿削除要請の正式な主体は誰か。二、広告代理店は誰の代理人として当該要請を伝えたのか。三、番組名・局名・放送実績の表示について、どの範囲が許され、どの範囲が許されないのか。四、生成AIによる投稿を停止させる設定を求める場合、その作業範囲、実現可能性、費用負担、責任分界はどのように整理されるのか。五、放送中止後のCM素材返却先について、広告主本人ではなく代理店へ返却した根拠は何か。六、これらを「お願い」と表現した場合、広告主が拒否した際に不利益が生じないことを保証できるか。
投稿は広がった。
地方企業の経営者が反応した。
「うちも似た経験がある」「局に嫌われるのが怖くて言えなかった」「代理店は味方だと思っていたが、実際は局の顔色ばかり見ていた」「テレビCMは信用を買うものだと思っていたが、実際は局への服従料だった」
一方で、テレビ関係者らしき匿名アカウントも反応した。
「番組ブランド管理は当然」「小口スポンサーが騒ぎすぎ」「業界の慣習を知らないならテレビに出すな」「局も代理店も忙しい。細かい客は迷惑」
高瀬は、それらを見て確信した。
問題は一件の行き違いではない。
業界の体質だった。
斜陽産業は、衰えるほど尊大になる。
かつての権威を失いかけているからこそ、残された名前や番組枠にしがみつき、スポンサーにまでその価値観を押しつける。
テレビは、まだ強い。
だが、その強さは未来に向かう強さではない。
沈む船の上で、まだ船長の帽子だけは守ろうとする強さだった。
九 最後の会食
黒沼と戸倉が再び会ったのは、駅前ホテルの地下にある会員制バーだった。
照明は暗く、会話は低かった。
「広がってますね」
戸倉が言った。
黒沼はグラスを傾けた。
「名前を伏せているなら、放っておけばいい」
「行政機関にも出すようです」
「行政が何をする。民間広告の話だ」
「ただ、素材管理は突かれるかもしれません」
黒沼は舌打ちした。
「だから最初に潰しておけばよかったんだ。投稿削除だけで終わらせるはずが、素材の話まで掘られた」
戸倉は言った。
「局側で正式に説明していただければ」
黒沼の目が細くなった。
「戸倉さん。うちに火を持ってくる気ですか」
「そういう意味では」
「代理店でしょう。調整するのが仕事でしょう」
戸倉は黙った。
その瞬間、力関係は明白だった。
広告代理店は、スポンサーには強く出る。だがテレビ局には弱い。テレビ局は、キー局には弱い。キー局は、世論には弱い。だが世論になる前の個人には強い。
この階段の一番下に、いつも広告主が置かれる。
金を払っているのに。
いや、金を払っているからこそ、逃げにくいのだ。
黒沼は言った。
「テレビはね、まだ地域の信用なんです。そこに乗りたいなら、こちらのルールを守ってもらわないと」
戸倉は、ふと高瀬の言葉を思い出した。
広告ではない。上納だ。
彼はその言葉を口にしなかった。
言えば、自分の会社の食い扶持が揺らぐ。
そして彼もまた、家のローンを抱え、子どもの学費を払い、役員昇進を待つ身だった。
正義は、生活費の前でよく沈黙する。
十 電波の墓標
半年後、佐名木は東邦メディアリンクのデジタル推進室にいた。
仕事はウェブ広告の運用、検索広告、動画配信、SNSキャンペーンの設計。テレビ局との会食はなくなった。局の営業局へ頭を下げに行くこともない。
数字は残酷だった。
表示回数。クリック率。コンバージョン。CPA。離脱率。視聴完了率。
テレビのように「地域への浸透力」や「番組ブランド」といった曖昧な言葉では逃げられない。
だが佐名木は、その残酷さを嫌いではなかった。
少なくとも、数字は「お願い」という顔をして圧力をかけてこない。
ある日、彼のもとに新規相談が来た。
県内の小さな町工場だった。
担当者は言った。
「昔はテレビCMも考えたんですが、最近ちょっと怖くて。放送した後の使い方とか、番組名の扱いとか、よく分からなくて」
佐名木は、打ち合わせメモの一行目にこう書いた。
「広告主の利益を最初に確認する」
それは本来、当たり前のことだった。
だが、その当たり前を明文化しなければならない業界に、彼はまだいた。
その日の夕方、佐名木は駅前を歩いた。
ビルの屋上には、県央テレビの古い電波塔が見えた。
夕陽を浴びて、塔は美しかった。
美しいものが、正しいとは限らない。
長く続いたものが、誠実だとも限らない。
地域に根差したものが、地域の人間を大切にしているとも限らない。
テレビは、街の上に立っていた。広告代理店は、その影で生きていた。スポンサーは、その光に照らされることを夢見ていた。
しかし、その光の角度を決めていたのは、いつも金と慣習と沈黙だった。
佐名木は、スマートフォンを取り出し、高瀬に短いメールを書いた。
《あの時、私は広告主の側に立てませんでした。申し訳ありません。今さらですが、あの件で、自分の仕事の意味を考えるようになりました》
送信するまで、五分かかった。
返信は翌朝届いた。
《よくある話を、よくある話で終わらせないことです。テレビが斜陽かどうかより、斜陽になった時に人をどう扱うかが、その産業の本質だと思います》
佐名木は、その文章を何度も読んだ。
窓の外では、朝の情報番組が始まっていた。
スタジオの出演者たちは笑顔で言う。
「今日も、地域の皆さまに寄り添う情報をお届けします」
佐名木はテレビの音量を下げた。
そして、町工場の広告設計書を開いた。
最初のページには、こう書いた。
《広告とは、媒体の権威を買うことではない。広告主が、自分の言葉で顧客に届くための道を設計することである》
電波塔は、まだ街に影を落としていた。
だがその影の外にも、道はあった。
斜陽のテレビが守ろうとしたブランドの外側で、記録される言葉と、測定される広告と、黙らないスポンサーたちが、少しずつ朝を作り始めていた。







コメント