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露は句読点を置く


麻機(あさばた)遊水地の朝は、草むらぜんたいが薄い紙に水の字を写し取ったようで、葉という葉の先に、ちいさな丸い息がいくつも光っていました。幹夫は長靴であぜ道をゆっくり歩き、いつもの地図帳をひらきます。 一—風の地図。二—森の水の字。三—海の拍子。四—砂のアルバム。五—光の地図。六—黄昏の綴じ糸。七—梅の暦。八—潮の宛名。九—トンボの座標。十—たんぽぽの風の切手。十一—川の透かし。 そして、まだ白い十二ページ目の上に、鉛筆で題を書きました。〈露—句読点〉。

 そのとき、細い葉の先でバネのように身をしならせ、ハグロトンボがひとつカチンと翅の根を鳴らしました。翅のすじは黒い五線譜、光を通すとところどころ琥珀色です。「やあ、幹夫くん。きみの地図帳は、よく綴じられ、透かしも入った。けれど、まだ息継ぎが足りない」「息継ぎ?」「そう。世界を読むときの句読点さ。ぼくらは朝の露で、それを置く」

「どうやって置くの?」「順番は三つ。 一つ、行(ぎょう)を選ぶ。草は紙、葉脈は罫(けい)。きょうはカサスゲの帯でいこう。 二つ、拍子を決める。朝の遊水地は四、タン・タン・タン・タン。ただし息を入れるところは二で切る。 三つ、露を集めて離す。集めれば丸い句点、離せば細い読点。光が強いとコロンになり、陰で重なればセミコロンになる」

 幹夫は葉の先を指でそっと撫で、しずくを端に呼び寄せました。丸い点は置いたばかりの句点みたいに、じっと動きません。「つぎは読点だ」とトンボ。 幹夫が息を細く吹くと、丸い露は細くのびて、葉の縁をすべって小さな尻尾をつくりました。「それで『ここで、いちど息をして』という合図になる。ほら、池のミズカマキリが、読点の先で方向を変えただろう?」

 草むらの奥では、朝の鳥が低いタ・タを二度打ちました。黄昏で覚えた二拍子の予告のようです。「じゃあ、コロンは?」「光の方へすこし傾けて、二粒並べる。これから説明が続く、という印だ」 幹夫は葉をそっとねじり、露を二つわけました。ふた粒は寄りそい、足もとの泥水に短い金色の写しを落とします。

「きみの地図帳にも、句読点を置こう」 トンボは空の座標を点検し、葉から葉へ透明な糸を渡しました。「原点は、あの杭の影。東の標はヨシの穂。季節の標は露の数。——原点のうえに一度だけ、名前の影を通してごらん」 幹夫は立ち、杭の影に自分の影の中心をすっと合わせました。 ——カン。 胸のなかで鐘が小さく鳴り、いちばん端のしずくが、丸い句点になってぴたりと止まりました。

 幹夫は十二ページ目の余白に、見たままを書きつけます。〈行=カサスゲ〉〈拍子=四/息=二〉〈句点=集める〉〈読点=離す〉〈コロン=二粒〉〈名影=鐘で固定〉

 そのとき、風向きがすこし変わり、用宗の塩の気配が薄く混ざりました。露のひとつが震えて落ち、葉の下の泥に小さな丸い痕を残します。「落ちたのは句点の終わりだ」とトンボ。「文章が次の行へ移る。落ちた場所に小さな※印をつけておくと、あとで浜の宛名とつながるよ」 幹夫は泥の痕のそばに、割りばしの先でちいさな星印をつけ、ノートにも「※=浜の返事」と書き足しました。

 ほどなく、日が高くなり、露の粒は少しずつ細っていきます。「**校了(こうりょう)**の時間だ」とトンボ。翅の縁がかすかに青く強く光りました。「仕上げは三つ。 ひとつ、余白を残す。言い足りなかった音のために。 ふたつ、二拍子で読み返す——タン・タン。 みっつ、露のひと粒を小瓶に移し、梅の暦の棚に並べる。季節の味に『朝の息』を足すためにね」

 幹夫はポケットから小さなガラス瓶を出し、指の腹でしずくをひと粒すくって入れました。瓶の底で光が丸く震え、梅の砂糖の匂いが遠く思い出されます。「よし、句読点の一式はできた」とトンボ。「じゃあ、ぼくの地図帳の文章も、よみやすくなるね」「うん。句読点があると、帰り道が増える。読む人はそこで息をして、次の道を見つけられる」

 幹夫は十二ページ目の下に、まとめの行を一本置きました。〈露=朝の句読点。集めて丸、離して尾。二粒は説明。名影で止め、余白で息を残す〉

 帰り道、安倍川は三拍子で石を撫で、清水のクレーンは首を止め、駅北口のひまわりは正午の鐘を胸のなかでひとつ鳴らしました。 家に戻り、地図帳を机にひらくと、窓から入った駿河の風が十二ページ目をそっとふくらませます。瓶には朝のしずくが小さな星となって光り、たんぽぽの切手台帳の端で、今日の日付の行に丸い印がひとつ増えました。

 ——風は道しるべ、水は文字、海は拍子、砂は配達、光は時刻、黄昏は綴じ糸、梅は暦、潮は宛名、トンボは座標、たんぽぽは切手、川は透かし。 そして露は、読む人のための句読点。 ぼくは、その句点と読点を見極め、行間を整える、朝の校正係だ。

 
 
 

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