青き深みの光
- 山崎行政書士事務所
- 1月19日
- 読了時間: 7分

駿河湾は、日本でもとりわけ深い海のひとつと言われています。静岡市の海岸線から遠く沖合へと続くその海底は、暗く静かな深淵になっており、人の目が届かないほど奥行きがあります。そこには不思議な生きものたちがたくさん暮らしていました。
海面に映る明るい空を見ながら、深い闇の底でこっそり囁きあう魚たち。彼らは人間たちに知られぬまま、遠い昔から独自の世界を築いてきたのです。
深海の村の光る魚
駿河湾の深みには、小さな“深海の村”と呼ばれる場所がありました。そこでは、ブルーアイと呼ばれる光る魚が、まるで星のように群れをなしながら生活していました。ブルーアイたちの瞳と鱗には、弱い光を放つ性質があり、暗闇の中をきらきらと照らしだすのです。
普段は静かな海底で、岩や砂の間をぬうようにして泳ぎ、プランクトンや小さな生き物を食べて暮らしています。けれどある日を境に、深海の村で異変が起こりはじめました。遠くから黒い濁りのようなものが流れ込んできて、海底に堆積し、ある魚たちは苦しそうに体を震わせ始めたのです。
「このままでは、深海の村のみんなが病気になってしまう……」
ブルーアイの若い魚・スルガは、仲間を見て胸を痛めていました。自分も最近、鱗の輝きがなんだか弱まっているように感じます。海が汚れはじめた原因が何なのか、誰もはっきりとはわかりません。
そんなとき、村の長老のところへスルガが相談に行くと、長老は深いため息をつきながら、ゆっくり話し出しました。
「昔、この海には“海の護り星”と呼ばれる者がいての。もし外からの汚れが海の底を侵すときは、人間に警鐘を鳴らし、力を借りて海を清めたそうじゃ。しかし、いつしか人間と深海の魚たちの交流は途絶えてしまった。いまこそ、その交流が必要かもしれんのう……。」
スルガは思わず尾びれを震わせました。人間たちは海の上を船で行き来し、きれいな海をたのしむものだとばかり思っていたけれど、実際にはこの黒い濁りを作り出しているのもまた、人間の活動かもしれません。しかし、このままではお互いに不幸なままです。
少年との出会い
そこでスルガは仲間たちを説得し、「海の護り星」の言い伝えをたどって、浅い海域へ出ることを決心しました。暗い深海を抜けて上へ上へと泳ぐにつれ、水温が上がり、光が差しこんできます。スルガはまばゆい光に目を細めながら、やがて海面近くの浅瀬までたどり着きました。
ある日、駿河湾沿いの浜辺に、釣りが好きな少年・タケルがやってきます。まだ少し幼さの残る顔立ちに、静岡の柔らかい日差しをたっぷり浴びた肌が健康的に輝いていました。タケルはいつものように小さな釣り竿を手に、防波堤に腰掛けて釣り糸を垂らします。
と、そのとき、海面が僅かに青く光ったように見えました。不思議に思ってのぞきこんだタケルは、海中で光る魚がじっとこっちを見ているのに気づきます。
「なんだ、あの魚……? 光ってる……!」
タケルは驚きながらも、怖がるより先に興味が湧き、そっと手を差し伸べました。するとスルガは人間という存在に戸惑いながらも、長老の言葉を思い出し、思い切ってタケルに近づいてみました。
なんと、不思議なことにスルガの微かな光がタケルの手にも伝わり、うっすらと青い輝きがタケルの周囲を彩ったのです。頭の中にはかすかな声が響きました。
「助けて……わたしたちの、海を……」
タケルは耳をすませ、思わず声に出しました。「いま……なんて言ったの? もしかして、君は海の魚なのにぼくの言葉がわかるの?」
もちろんスルガに口はありません。でも、青い光が言葉の代わりとなって、タケルにメッセージを伝えているようでした。
海の危機
そこからスルガとタケルの奇妙な交流がはじまりました。タケルは放課後や休日になると海辺にやって来て、浅瀬にいるスルガと会い、海の深いところで何が起きているのかを聞き出しました。
汚れの正体は工場排水や生活排水の一部が、きちんと処理されずに海へ流れこんでいること、さらに外来のごみやマイクロプラスチックなどが深海へ沈んでいることが大きな原因だとわかってきました。
タケルは学校での環境学習で習った知識も総動員し、どうにかこの実態を大人たちに伝えられないかと考えます。両親や先生に話してみても、はじめは「そんな深海の魚と話ができるなんて夢みたいなこと」と取り合ってもらえませんでした。
それでも、タケルはあきらめず、海辺の清掃活動や、地域の漁師さんへの相談を続けました。「最近、漁場が荒れて魚が減った」と嘆く漁師さんもいたので、彼らにスルガの話を伝え、少しでも海の状態を調べてみようと呼びかけたのです。
「もし本当に深海の生きものが苦しんでいるなら、それは海面の生きものや、人間の暮らしにも影響するはずだ。みんなで力を合わせなければ、いつか取り返しのつかないことになるかもしれないよ。」
青い光の行方
やがて、タケルの努力が少しずつ周囲の人々の関心を集め始めました。漁師や市役所の職員、学校の先生たちが協力して、駿河湾の環境を調べる調査チームが結成されます。深海探査用の小型潜水艇を貸してもらえることになり、タケルは特別にその調査に同席させてもらうことになったのです。
潜水艇が少しずつ海底へ降りていくと、やがて暗い水の世界が視界を覆いました。タケルは緊張しながらも、スルガがいる方向を指さし、操縦士たちに進む道を示します。ヘッドライトの光の先に、うっすら青く輝く小さな群れが見えてきました――ブルーアイたちです。
しかし、その群れのまわりには、黒や茶色のヘドロが堆積し、小さなビニール片やプラスチック袋がからみついていました。ごく弱い光だけが点在する姿は、まるで星空が汚れた雲に覆われているようでもあります。
スルガは懸命に青い光を振り、潜水艇を見つめました。モニター越しにその様子を見た研究員たちや漁師たちは、言葉を失ったまま深刻そうに息をのみます。
「ここまで汚染が広がっていたのか……。」
そのとき、スルガの体がいつになく強い青光を放ちはじめました。タケルには、はっきりと“声”が伝わってきます。
「わたしたちは、まだ諦めてはいない。人間といっしょに、海を生きたいと思っている。どうか、この深海を、駿河湾を再び澄んだ世界にしてほしい……。」
タケルも涙まじりにモニター越しに叫びました。「ぼくたちも、汚れた海で漁ができなくなるなんて嫌だし、このまま放っておけない。スルガ、一緒にがんばろう!」
海と人を結ぶ虹のきらめき
その後、駿河湾の深海汚染問題はメディアにも取り上げられ、工場排水の管理を見直す取り組みや、海岸清掃、漁協による海洋調査が一斉に始まりました。タケルの学校でもSDGs(持続可能な開発目標)について話し合いが活発になり、子どもたちが中心となってビーチクリーン活動をするようになります。
夏の日差しがまぶしいある朝、タケルはいつもの浜辺へ向かいました。砂浜にはごみを拾う学生や市民が増え、あちこちで笑顔が交わされています。タケルは海の浅瀬をのぞき込み、スルガの姿を探しました。
すると水面に小さな青い光が集まり、ひとつの輪を描くようにきらきらと輝きました。そこにはスルガをはじめとしたブルーアイたちの姿があり、前よりも元気そうに尾びれを振っているように見えます。
「ありがとう……タケル。まだ問題は山積みだけれど、こうしてみんなが動きはじめたことが、何よりも大きな一歩なんだよ。」
タケルはそっと微笑みました。海面に映る青空と、青く光る魚たちの群れがとけあって、まるで虹色のきらめきを放っているようにも見えます。
――こうして、駿河湾の深海に暮らす不思議な生きものたちは、ひとりの少年との出会いをきっかけに、人間たちと手を取り合いながら海を守る道を歩みだしました。海面のさざめきは、今日もまた青く光る魚たちの声を人々に届けようとしているのです。





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