静岡少女ミラージュ — 登呂遺跡と近代批判
- 山崎行政書士事務所
- 1月14日
- 読了時間: 7分

〔登呂遺跡、朝の薄光(うすびかり)〕
静岡市の郊外にある登呂遺跡(とろいせき)。弥生時代の集落跡が再現され、遊歩道や簡易的な展示が整備されている。春先の朝、薄い霧が漂うなか、木製の高床倉庫のレプリカがかすかに見える。周囲はまだ観光客の足音が絶えて、しんとした静寂(しじま)がある。そんな遺跡の端にある緑の空間で、高校一年生の少女・**楓(かえで)**が一人立ち尽くす。彼女は、小さなスケッチブックを抱(かか)え、遺跡の古代住居(こだいじゅうきょ)をじっと見つめていた。穏やかな瞳(ひとみ)の奥には、どこか現実(げんじつ)を越えたイメージがあふれているようだ。
〔教師・神崎(かんざき)の内なる声〕
楓の担任で、日本史を教える教師が**神崎(かんざき)**という女性だ。30代半ばで、やさしい物腰(ものごし)ながらも、自らの教育観に揺るぎない信念を持っている。彼女は戦後日本の教育が“形ばかりの近代化”を重視し、本来の日本の歴史や精神の根幹(こんかん)をないがしろにしていると感じていた。「弥生時代をただ“農耕が始まった時期”なんて要約(ようやく)するだけでは、日本人が育んできた生命観や祭祀(さいし)の深さを分からずに終わってしまう」――そんな思いを胸に秘(ひ)めている。職員室では「もっと受験に直結(ちょっけつ)する知識を教えなさい」と指導(しどう)されるが、神崎は納得(なっとく)できないまま日々を送る。一方で、生徒の楓が描く“古代の祭”のようなスケッチを見ては、何か儚(はかな)い残響(ざんきょう)を感じ取り、「この子には、わたしたちが見失ってきた何かが見えているのかもしれない」と思っている。
〔楓が見る夢:弥生の少女との出会い〕
楓は夜になると、不思議な夢を見る。土のにおいが濃厚(のうこう)で、焚(た)き火がゆらめき、その光の中を草のスカートをはいた古代の少女が走り抜ける。「ここは私たちの土地。この稲(いね)が血となり、祭りが生の証(あかし)よ」――そんな言葉が木霊(こだま)するなか、楓はその少女に手を引かれて弥生の夜へ迷い込む。ふと目を覚ませば、現代の登呂遺跡に戻っている。だが頭には、まだ太鼓や拍子木(ひょうしぎ)の音がかすかに残り、胸は高鳴りが止まらない。彼女は「もしかしたら、私のなかに弥生時代の誰かがいるのかもしれない」とさえ思い始める。
〔学校という近代の城壁――神崎への圧力〕
そのころ、神崎は校長室に呼び出される。「あなたの授業は、近現代史に時間を割きすぎ、弥生や古墳時代など遠い過去を浪漫(ろまん)として語り過ぎだ」と上層部から苦言(くげん)を呈(てい)される。「近代国家の成立(せいりつ)こそが教育の要点でしょう? 戦後の民主主義を中心に据(す)えて教えなくては——」その空虚(くうきょ)な言葉に、神崎は反論(はんろん)しようとしても、うまく声が出ない。日本史が、ただの制度変遷(せいどへんせん)や近代化論で語られることに苛立(いらだ)ちを感じながらも、この学校システムのなかでは反抗(はんこう)は難しい。うっすらと感じる無力感(むりょくかん)が、彼女をじわじわと蝕(むしば)んでいく。
〔夜の遺跡:血の祭祀(さいし)の幻と近代批判〕
ある晩、楓はどうしても夢と現実が曖昧(あいまい)になり、登呂遺跡へ向かう。遺跡公園は薄暗(うすぐら)い街灯(がいとう)の光だけが頼りで、ほとんど人影もない。そのなかで、茅葺(かやぶ)きの住居(じゅうきょ)のレプリカが黒いシルエットを浮かべる。楓は震(ふる)えながら中に入ると、土間(どま)のような場所に赤いしみが見える気がする。「……これは血?」 いまにも古代人が集い、豊穣(ほうじょう)を祈って血を捧(ささ)げる儀式が始まるかのような幻影(げんえい)に捕(と)らわれ、彼女の意識は遠のきそうになる。そこへ神崎が駆(か)けつける。「何をしているの?」――教師としての使命感(しめいかん)で、生徒の危うい行動を止(と)めようとするが、同時に、自分の心にも“弥生の祭”への憧(あこが)れと、現代への不満(ふまん)が広がっているのを感じる。楓は、まるで誰かに憑依(ひょうい)されているように「血を捧(ささ)げるの、そうすればわたしたちの魂(たましい)は目覚める……」と呟(つぶや)く。神崎は「そんな危険(きけん)なことしないで!」と抱き締めるようにして止めるが、楓の瞳(ひとみ)は古代の霊(れい)が宿(やど)っているかのごとき光を放つ。
〔学校との衝突と“弥生人への回帰”〕
翌日、学校側は「夜の遺跡で生徒が騒ぎを起こした」として大問題(だいもんだい)に取り上げる。神崎が不適切(ふてきせつ)な指導(しどう)をしているのではと疑(うたが)われ、「戦後教育を否定するような教師は困る」と暗に指(ゆび)を差(さ)される。彼女は説明(せつめい)する間もなく、辞職(じしょく)を示唆(しさ)される圧力(あつりょく)に直面(ちょくめん)し、ショックを受ける。だが同時に、楓の胸に燃える何かが「嘘(うそ)ではない」という確信(かくしん)も抱いている。学校という近代的な制度(せいど)が、古代からの魂(たましい)を否定(ひてい)するように動くことに、大いなる疑問(ぎもん)を感じずにはいられない。
〔夜明けの祭礼――血と美への到達か〕
そして夜、楓は再び遺跡へ向かい、今度こそ“弥生の祭”を再現(さいげん)しようとする。刀(かたな)などはないが、石の祭壇(さいだん)をイメージした場所で、指先をわずかに傷つけ、血を滴(したた)らせようと試みる。朝(あさ)が来る前に、古代の霊(れい)と融合(ゆうごう)する儀式を果たしたいのだ。まるで死と美の美学(びがく)が幼(おさな)い少女に憑(ひょう)依したかのような恐ろしさと神秘(しんぴ)が同居している。そこへ必死(ひっし)に追ってきた神崎は、「そんなことしても何も変わらない。日本の誇(ほこ)りは、理想や美を現代に繋(つな)ぐことで守られるんだ」と叫び、楓を抱(だ)きしめる。しかし楓の口からはか細い声(こえ)で、「現代なんて、嘘(うそ)ばかり……。わたしは……弥生に戻りたい」と涙混じりに吐き出(はきだ)され、神崎は強く胸に痛みを感じる。戦後の嘘を暴(あば)く言葉とも思えるが、それは純真(じゅんしん)な子どもの魂から出る叫(さけ)びでもある。
〔夜明けとともに少女の姿が消える〕
朝日(あさひ)が昇(のぼ)り、薄紅(うすべに)の光が登呂遺跡を染(そ)めていく頃、神崎が意識(いしき)を取り戻してみれば、楓は傍(かたわ)らにいない。土(つち)の上には微(かす)かに血(ち)の跡(あと)が混じり、風に揺らぐ草の間からは、誰かの足跡(あしあと)が川辺(かわべ)へ続いているようにも見える。だが楓の姿はどこにもない。人々が集まり、騒動(そうどう)になったが、警察が捜索(そうさく)しても楓は見つからないまま。神崎は途方(とほう)に暮れながら、この遺跡の薄霧(うすぎり)のなかに、弥生の少女と重なる楓の面影(おもかげ)を見ているような気がしてならない。まるで何かに呑(の)みこまれたかのように。
〔結末:儚(はかな)い光と近代への問い〕
後日、学校では神崎の授業(じゅぎょう)が“教科書にない余計(よけい)な歴史観(れきしかん)を吹き込んだ”として問題(もんだい)視されるが、彼女はどこか開き直(なお)ったように静(しず)かな態度を保(たも)つ。「もし子どもたちが古代の霊を感じ、そこに真実(しんじつ)を見たとしても、それを嘲笑(ちょうしょう)する権利(けんり)は誰にあるのでしょうか?」そう問いかける神崎の声は、どこか震(ふる)えているが、むしろ確信(かくしん)めいた響(ひび)きがある。楓の失踪(しっそう)については“家出”や“事故”などさまざまな憶測(うわさ)が立つが、決定的(けっていてき)な足取りはつかめず、メディアもあまり取り上げない。結局(けっきょく)、現代社会は彼女を“例の事件”として忘れていくかに見える。
早朝の登呂遺跡には、かすかな風が吹き、土のなかに弥生の残像(ざんぞう)が眠(ねむ)る。神崎は再びここを訪れ、朝日の斜(なな)めの光のなかで、木枠の住居(じゅうきょ)レプリカを眺(なが)めながら呟(つぶや)く。「戦後教育や近代文明が軽んじてきた、古代の魂(たましい)というものが本当にあるのだとしたら……それは、楓のなかで息づいていたのかもしれない。」川のせせらぎが遠くから聞こえ、遺跡を回るように霧が漂う。少女がまとう白い裳裾(もすそ)と、血の捧(ささ)げられる祭祀(さいし)の幻想が一瞬かすめる。その光景はまるで生と死の境(さかい)を映し出し、同時に近代批判の余韻(よいん)をも残すかのように。神崎はふと顔を上げる。きっともう、楓はこの現代には戻ってこないのかもしれない。でも彼女が示した“日本の古代精神”は、どこかで今も啼(な)いている。朝日の中に浮かぶ登呂の畑(はたけ)と復元住居が、あたかも少女の失われた姿を映(うつ)す鏡(かがみ)のように、呼吸しながら静かにたたずんでいるのだった。





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