top of page

静岡駅、午後四時



 静岡駅のコンコースには、午後四時といふ刻限にだけ生まれる匂ひがある。改札の機械油と、パン屋の甘い湯気と、濡れたコートの羊毛とが、なぜか一つに溶けてゐる匂ひである。人はその匂ひを嗅ぎながら歩く。歩くことによって、家へ帰る理由を正当化するやうに。

 幹夫はその人の流れの中へ、いつものやうに紛れ込んでゐた。白い天井の蛍光燈が、どの顔にも同じ光を塗りつける。学生の頬も、背広の男の額も、買物袋を提げた女の指先も、等しく平べつたい。幹夫はそれを見て、奇妙な安心を覚えた。ここでは誰も特別ではない。特別でないことが、むしろ救ひになる。

 足音は絶えず、しかし一つ一つは確かに孤独である。革靴の乾いた打音、運動靴の擦れる音、ヒールの尖った小気味よい音。どれも互ひに触れ合はない。擦れ違ひながら、擦れ違つたことに気づかない。目が合ふことさへ稀である。

 幹夫は改札口の手前に立ち、電光掲示板を見上げた。発車時刻の数字が、きちんと整列してゐる。人間よりも数字の方が、よほど真面目に見えた。数字は嘘をつかない。少なくとも、嘘をついてゐるやうには見えない。ところがその数字の下に立つ人間は、みな急いでゐながら、どこか頼りない。急ぐ理由が、本人にも確かでないやうな急ぎ方である。

 幹夫は自分の手帳を鞄の中で探り、定期入れの角に触れた。定期券――それは一枚の紙片でありながら、彼が「幹夫」であることの証明にも似てゐた。定期券がなければ改札は開かない。改札が開かなければ、彼はこの駅の向う側へ移動できない。移動できない者は、やがて係員に見咎められる。「お客様、どうかなさいましたか。」

 その「お客様」といふ呼び名が、幹夫にはいつも不思議でならなかつた。ここでは誰もが「お客様」である。名前は要らない。年齢も職業も、親の顔も、過去の失敗も、全て括弧に入れられてしまふ。括弧に入れられたものは、当分の間、存在しないのと同じである。

 幹夫はふと、心の底で呟いた。

 ――私は、誰かである必要があるのか。

 この問いは、改札機の「ピッ」といふ音よりも小さく、しかし確実に胸を叩いた。幹夫は誰とも関係を持たない。職場では名字で呼ばれ、返事をするだけで一日が過ぎる。家に帰れば、誰も「お帰り」とは言はない。電話も鳴らない。鳴らぬことに慣れきつてゐる癖に、慣れきつた静けさが、ときどきひどく不自然に思へる。

 彼はコンコースの中央にある時計を見た。長針が十二を指し、短針が四を指してゐる。午後四時。秒針が一秒ごとに刻むたび、群衆の流れがほんの僅か、形を変へる。秒針は誰の胸の上にも同じやうに落ちて、同じやうに消える。ここでは人間の差は、切符の種類くらゐのものである。

 学生が笑ひながら走り抜けた。二人連れの女が、片方の肩に片方の肩を寄せて歩いてゐる。作業服の男は缶コーヒーを握り、まだ温かいそれを手袋代りにしてゐる。幹夫は、その一つ一つの姿に「人生」を見ようとしたが、すぐに諦めた。人生といふ言葉は、他人の背中に貼るには大きすぎる。背中に貼つた途端、言葉だけが浮いてしまふ。

 彼はベンチの端に腰を下ろした。座つた瞬間、人の波が自分を避けるやうに分かれ、またすぐ元へ戻つた。誰も彼に注意を払はない。注意を払はないのが、この場所の礼儀である。幹夫はそれを理解しながら、どこかで期待してゐた。誰かが自分の肩に手を置き、「あなたは大丈夫ですか」と言ふことを。だが、肩はいつまでも軽かつた。

 軽い肩を持つてゐると、存在まで軽くなる。存在が軽くなると、名前まで曖昧になる。幹夫は「幹夫」といふ名を、心の中で二、三度繰り返してみた。みきお、みきお。音だけが先にあり、そこへ後から人物が追ひつく。いや、追ひつくと思ひ込む。音が人物を運んで来るのではない。人物が音に縋つてゐるのだ。

 そのとき、構内放送が流れた。機械のやうに滑らかな声である。「お忘れ物のお知らせをいたします――」幹夫は反射的に耳を澄ませた。誰の名が呼ばれるのか。名が呼ばれる者は、少なくともこの駅の中で一瞬だけ、輪郭を持つ。だが放送は最後まで、固有名を一つも言はなかつた。黒い傘、茶色い紙袋、赤い帽子。物だけが列挙され、人間はどこにも現れない。幹夫は思はず笑ひさうになつた。物の方が人間よりも、よほど名前に近いのではないか。

 彼は定期入れを取り出し、改札へ向かつた。改札機の前では、人々が次々とカードを翳し、何事もなかつたやうに通り抜ける。あの狭い口を通るために、人は皆「行き先」を持つてゐるふりをする。行き先のない者は、弾き返される。

 幹夫は、ふと立ち止まつた。今、ここで定期券を鞄へ戻し、このまま踵を返したらどうなるだらう。コンコースの向うへ歩き続ければ、駅の外へ出られる。駅の外へ出れば、街の雑踏へ紛れられる。雑踏へ紛れれば、さらに大きな雑踏へ、さらに――。どこまで行けば、幹夫は「誰でもない者」になれるのか。

 しかし、その想像はすぐに壁にぶつかつた。「誰でもない」と思ふその瞬間に、思つてゐる者が残る。残る者は、やはり「誰か」である。名前を剥がしても、剥がされた肌が痛む。痛みがある限り、そこに主体がゐる。

 幹夫は改札機に定期券を翳した。機械が「ピッ」と鳴り、口が開いた。開いた口は無表情で、しかし確かに彼を通した。そのとき幹夫は、何かに許可されたやうな気がした。許可されたのは帰宅ではない。存在である。通してもらへたから、今日も自分は「この世の側」にゐる、と。

 だが同時に、胸の奥で別の声が囁いた。許可されるやうな存在に、価値があるのか。価値のために存在するのか。存在のために価値を作るのか。

 ホームへ下りる階段の途中で、幹夫は振り返つた。コンコースは相変らず明るく、相変らず人で溢れてゐる。誰も彼を見てゐない。誰も彼を知らない。知つてゐる必要もない。

 群衆の中の孤独は、冷たいのではなく、むしろ温い。温いが、底が抜けてゐる。踏みしめても踏みしめても、確かな地面に届かない。

 幹夫は階段を降り切り、列車の来る方角を見つめた。風がトンネルから吹き上げ、彼の髪を僅かに揺らした。彼はその揺れを感じながら、もう一度だけ心の中で呟いた。

 ――誰かである必要を疑ふ。だが、それを疑ふ私だけは、どうしても消えない。


 
 
 

最新記事

すべて表示
AIが自分を監査する時代に、企業は何を設計すべきか

――「自己監査クラウド」と法的責任の現実 クラウド運用の現場では、「AIに監視させる」「自動で是正する」「人は最後に見るだけ」という発想が、もはや珍しくありません。 構成逸脱を自動検知し、ログを解析し、「これは規程違反です」とAIが判断する。 一見すると理想的な世界です。しかし、 クラウド法務の視点 で見ると、そこには明確な“落とし穴”があります。 「自己監査クラウド」は技術的に可能か? 結論から

 
 
 

コメント


Instagram​​

Microsoft、Azure、Microsoft 365、Entra は米国 Microsoft Corporation の商標または登録商標です。
本ページは一般的な情報提供を目的とし、個別案件は状況に応じて整理手順が異なります。

※本ページに登場するイラストはイメージです。
Microsoft および Azure 公式キャラクターではありません。

Microsoft, Azure, and Microsoft 365 are trademarks of Microsoft Corporation.
We are an independent service provider.

​所在地:静岡市

©2024 山崎行政書士事務所。Wix.com で作成されました。

bottom of page