風が羽衣を連れ去る
- 山崎行政書士事務所
- 1月12日
- 読了時間: 5分

第一章:羽衣イベントの開幕
三保の松原は、青い海と連なる松の緑が印象的な観光地だが、今年の夏は特に盛り上がっていた。なぜなら、町が総力を挙げて企画した「羽衣伝説オブジェ展示」のイベントが開かれるからだ。 このオブジェは、若いアーティストが地元の伝承をモチーフにデザインした大がかりなもので、天女の羽衣をかたどった曲線と淡い光が特徴。町中が「観に行かなきゃ!」とそわそわし、海沿いの通りにはいつも以上の人出が見られた。 **遥(はるか)は、このイベントの実行委員として準備を手伝っていた。華やかで夢のあるオブジェが、松原の一角に舞台のように設置され、夜にはライトアップされる予定。子どもからお年寄りまで楽しみにしていると聞いて、彼女も自然と笑みがこぼれる。「羽衣伝説」は地元が誇るシンボルだから、このイベントを成功させたいという思いが募っていた。
第二章:嵐と消えたオブジェ
ところが、イベント初日の夜に突然の大嵐が三保の浜を襲う。天気予報では注意報は出ていたが、まさかここまで激しい暴風雨になるとは想定外。準備に奔走していた遥が気づいたときには、突風がオブジェを直撃し、スタッフが慌てて押さえようとしたが… 次の瞬間、羽衣オブジェが宙を舞うように飛ばされてしまった。 ビニールやファイバーで作られた軽めの構造だったとはいえ、まさかここまで大きな被害が出るとは。 大人たちはどうにもできず、オブジェは暗い夜空を背景に海岸線の先へ消え去ってしまう。あっという間の出来事で、茫然と立ち尽くすしかなかった遥たちのもとに、大粒の雨が追い打ちをかける。イベント初日は台無しに終わり、不安と後悔が渦巻いていた。
第三章:本物の羽衣が飛んだ?
翌朝、町に驚きの噂が広がる。「本物の羽衣が風に運ばれたらしい」と誰かが言い出し、あっという間にSNSでも拡散され始めた。言うまでもなく、実際はオブジェが飛ばされたに過ぎないのだが、物語じみた言い回しが好まれたのか、人々は「天女が怒ったのでは」と半ば騒ぎになっている。 「いやいや、あれはただのイベント用だよ」と事実を説明しようとしても、なぜかうまく浸透しない。逆に**「本物の羽衣があったから強風に乗って飛ばされたんだ」と信じ込む人までいるから困りもの。 しかし、遥は少しだけこの噂に惹かれている自分を感じていた。「羽衣伝説って、単なる昔話じゃなく、何か町にとって特別な意味があるんじゃないか?」**と思えるのだ。彼女自身、幼いころから祖母に聞かされた天女の話が好きで、そこには温かなメッセージを感じていた記憶がある。
第四章:オブジェの行方を探す
嵐の翌日には、町役場やボランティアが合同で捜索を開始するが、オブジェは見つからない。そもそもどこまで風に飛ばされたのか、海に落ちたのか陸に流れたのかも見当がつかない。 遥は仲間数人とチームを組み、近隣の漁村や外れの林道まで探して回る。道中、地元住民からは**「松原の昔話が動き出したんじゃない?」**と半分冗談めかして言われ、苦笑するしかない。だがどこかで心が跳ねる感覚も否めない。もしかしたら本当に“天女が羽衣を取り戻した”?という淡い夢のような想像が、彼女の中に芽生え始めていた。
第五章:土地に隠された過去
捜索の一環で、遥は古い町家の納屋で偶然発見した古文書に目を止める。そこには**「羽衣を巡る約束が破られたとき、天女は風を起こして羽衣を取り戻す」という手記が書かれていた。 驚くと同時に、それが実際の歴史的事実ではなくても、この地の先人たちが“羽衣”と呼ぶ何かを大切にしていたことは確かだと感じる。羽衣伝説は単なる観光ネタではなく、昔の人間関係や土地の争い、そして和解や救いを象徴していたのかもしれない。 それを知るうちに、オブジェの制作に携わっていた地元アーティストが「先祖の遺言を形にしたかった」**と語っていた言葉が頭をよぎる。もしかすると、このオブジェを故意に風に乗せた“何者か”がいるのでは……? それが一族の名誉や約束を守るための行動だったかもしれない。ほんとうに嵐の自然現象だけが原因なのだろうか。
第六章:家族の絆と羽衣のメッセージ
やがて、オブジェの一部が川の下流で見つかったという報せが届き、遥は急ぎ現場へ向かう。そこには大きく破れた帆状のパーツが打ち上げられ、子どもたちが面白がって眺めていた。 それは既に原型を留めない姿だが、光にかざすと繊細な刺繍がまだ僅かに残り、天女の羽衣を意識した曲線が読み取れる。**「ああ、せっかくの作品がこんなに……」**と心痛むが、一方で遥は、これでも事件が終わったとは思えない奇妙な余韻を感じる。 “天女が羽衣を取り戻し、この地を見守る”――昔から祖母に聞かされた話が胸を衝く。そうか、たとえ形が壊れたとしても、そこに込められた願いは消えないのだ、と彼女は悟る。まるで大切なのは“形”ではなく、“その思い”なのだ、と。
第七章:風が運んだのは希望
結局、嵐によるオブジェの飛散は、不測の事態だったと正式発表された。しかし町には**「本当は天女がオブジェを風に乗せ、羽衣を再び解放した」というロマンめいた解釈をする声も上がり、誰もそれを完全に否定しようとしない。 そして、町の人々は改めて天女伝説の意味を思い返す。観光目当てだけではなく、祖先が土地を愛し、守ろうとした歴史や、羽衣が象徴する“繋がり”や“恩返し”が物語に溶け込んでいるのではないか……と。 遥もまた、破れたオブジェの布切れを残りのスタッフと手分けして回収しながら、涙が出そうになる。いつかこの町で、新たな羽衣を作り直す日が来るかもしれない。だが、そのときは「人々の思いが詰まった、本物の羽衣」にしてあげたい――そんな願いが胸に広がる。 夜、浜辺を歩くと、松の梢をそよがせる風が耳元で静かに囁くような気がする。まるで天女が「わたしの羽衣を、ありがとう」**と伝えているかのように。遥は柔らかい笑みを浮かべ、空には満天の星が輝いていた。きっとこの町にとって、風が運んだのは恐怖だけでなく、未来へ繋がる新たな希望なのだ――そう思えてならなかった。





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