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風と川の交響曲

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月19日
  • 読了時間: 4分

 


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静岡市の朝は、駿河湾からの潮の香りと、安倍川の爽やかな流れを乗せた風が混ざり合って始まります。市のはずれにある小さな家に暮らす青年・**隼人(はやと)**は、幼いころから音楽の世界に憧れていました。いつかは大きな舞台で自分の作った曲を演奏したい、そんな密かな夢を抱きながら、日々を過ごしています。

 ところが、隼人の作る曲はどこか淡白で、聴く人の心に強く響かないと指摘されることが多くありました。曲そのものは美しいメロディーを持っていても、「何かが足りない」という感想ばかり。隼人自身も、その“何か”が何なのかわからずに、悩んでいました。

 ある朝、隼人は気晴らしに安倍川のほとりを散歩していると、川面を渡る風が、まるで音色のように聴こえてくるのを感じました。川のせせらぎのリズム、水面をかすめる鳥の羽ばたき、そっと吹き抜ける風が草を揺らすささやき。すべてが異なる音を奏でていながら、ひとつの調和を感じさせるのです。

「こんなに豊かな音が、身近な場所にあふれていたんだ……」

 隼人はしばらく耳を澄まし、川辺の自然が織りなす音を心に吸い込むように聴き入りました。すると、とつぜん風が強く吹き、彼の髪を乱すと同時に、まるで声が聞こえたかのようにかすかに囁きます。

「わたしは安倍川の風。人と水と大地を結ぶために、ずっとここを吹き渡ってきた。君も、この音たちを大切に思うなら、耳を澄ましてその意味を聴いてごらん。」

 隼人は自分の胸が不思議とどきどきしているのを感じました。「もしかして、足りないのはこういう自然の息づかいなのかもしれない……」

 そこで彼は楽譜を広げ、川辺の石に腰掛けて、周囲の音を五線譜に書きとめはじめました。鳥のさえずりは高音のフルート、川のせせらぎは柔らかなストリングス、風の音はホルンのように――何度も聴き返し、心の中でいろいろな音に変換してみるのです。

 それからしばらくの間、隼人は毎日安倍川や駿河湾の海辺を歩き、風の吹く茶畑の中を巡り、そこかしこに宿る“自然の音”を集めました。波打ち際で砕ける波音は打楽器のリズム、茶畑のやわらかな風のそよぎは木管のやさしいメロディー……。ノートには書ききれないほどの音の断片が詰め込まれていきました。

 ある日の夕方、駿河湾を見渡せる日本平の丘に立つと、夕日が海を金色に染め、遠く富士山がシルエットを浮かばせていました。その景色の中にも、自然の呼吸のような豊かな“音”があるのを隼人は感じます。穏やかな心地よい静けさの向こうに、地球がゆっくりと息づくような低い響き。隼人の耳には、まるでホールいっぱいにオーケストラが響いているかのように聞こえました。

「そうか……自然そのものがひとつのシンフォニーなんだ。あとは、この音たちをどう紡ぎ合わせるか……」

 彼は心に湧き上がるインスピレーションを手がかりに、家へ戻り、夜通しピアノの前で作曲に没頭しました。言葉では表しきれない感動や、自然からもらった息づかいを、楽譜に込めたい――。

 そして何日か後、初めての試演会が開かれました。招待されたのは隼人の友人たちや、音楽関係者、地元の人々。曲のタイトルは「風と川の交響曲」。朝の光のような明るいメロディーで始まり、海の波音と川のせせらぎが重なり合う中盤、そして茶畑を渡る風が優しく通り抜け、最後には夕日のあたたかな余韻を思わせる壮大なフィナーレが奏でられます。

 演奏が終わると、聴いていた人たちはしばし呆然としたあと、大きな拍手を贈りました。その表情には、自然の風景を追体験したような、穏やかで感動した面持ちが浮かんでいます。

「隼人くんの音楽は変わったね。まるで風と川の音をそのまま音符にしたようだ。」「そう、聴いていて、駿河湾の海辺を歩いている気分になったよ……」

 たくさんの称賛の言葉を受けながら、隼人は胸いっぱいの感動を味わいました。あのとき、安倍川のほとりで風の声を聴き、自然の音に耳を澄ませたことが、自分の作る音楽をこんなにも変えてくれたのだ――。

 演奏会が終わり夜道を歩くと、安倍川沿いには穏やかな月の光が落ち、川面にゆらめく星のような光がささやきます。隼人はその音にもそっと耳を傾けました。すると、どこからかまた風の声が聞こえます。

「音楽は、自然と人間を結ぶひとつの橋。君がまた新たな音を生み出すときは、いつでも川や風、海や山の声を聴きにおいで。わたしたちは、いつでもここにいるよ。」

 隼人はそっと目を閉じ、かすかな風を頬に感じました。たとえ五感でとらえられなくても、自然のほうからはいつだって響きが届けられている。それを感じ取り、形にするのが自分の役目なんだ――そう確信したのです。

 ――こうして隼人は、静岡の風や川、海や茶畑の音を糧に、これからも音の旅を続けていきます。その響きはやがて、遠い街まで届き、人々の胸に静かな感動を呼び起こすことでしょう。安倍川のせせらぎは、今日もまた優しいメロディーを奏でながら、未来を紡ぎ出す音楽家をそっと導いています。

 
 
 

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