top of page

風の町、ミルハウス

  • 山崎行政書士事務所
  • 2月3日
  • 読了時間: 4分

ree

 オランダの広々とした低地に、小さな運河と風車が並ぶ町がある。その名はミルハウス(Millhouse)。首都アムステルダムから電車を乗り継いで二時間ほどの場所にあり、周囲を運河と平原が囲んでいる。観光地というほど華やかではないが、静かでのどかな風景が広がり、訪れた者の心を落ち着かせてくれる。

1. 運河沿いの朝

 朝早く、まだ太陽が地平線から顔を出しかけた頃、エヴァという名の少女は自宅の扉を開け、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。家のすぐ裏には、運河と小さな桟橋があり、その先には木造の風車が佇んでいる。 水面は朝陽の光を受けて金色にきらめき、風車の羽根は風を受けてゆっくりと回り始めた。エヴァは「今日も平和な一日になりそうだ」と心の中でつぶやき、木靴を鳴らしながら桟橋を歩いてみる。朝の運河には霧がほんのりと立ちこめ、視界の先が柔らかなベールに包まれているようだ。

2. チーズ職人の仕事場

 ミルハウスには古くからチーズ作りの文化が根づいており、エヴァの祖父・コルネリスは町でも評判のチーズ職人だった。彼の工房は運河沿いにあり、窓を開け放つと、爽やかな風がチーズの熟成室をかすめていく。 まだ若いエヴァも、時々その手伝いをする。大きな乳桶に牛乳を注ぎ、酵素を加えてかき混ぜる。やがて凝固した固形物を布で絞り、小さな木型に詰める作業が続く。どこからか牛の鳴き声が聞こえ、のんびりとした空気に包まれているのが、ミルハウスの日常だ。 「エヴァ、今日は新しいハーブを混ぜたチーズを仕込むから、手伝ってくれないか?」 祖父が声をかけると、彼女は「もちろん、オパ(おじいちゃん)!」と笑顔で応える。静かな町だが、新しい挑戦はいつでも歓迎される。

3. 町の中心とマーケット

 昼頃になると、エヴァはチーズの作業をひと段落させてから、町の中心部にある小さなマーケットへ向かう。そこでは地元の野菜や果物、花の苗などが並び、訪れた人々が思い思いに買い物を楽しんでいる。 ミルハウスは決して大きくないが、古い教会と広場を中心に、幾筋もの運河が走り、カラフルな家々が並ぶ風景は、まるで絵本のようだ。広場の片隅には移動式のストロープワッフル屋台があり、キャラメルの甘い香りが漂っている。エヴァはいつもその香りにつられ、つい一枚買い求めてしまう。 マーケットの隣にある小さなカフェでは、地元の人々がコーヒーや紅茶を啜りながら、おしゃべりに花を咲かせている。会話の話題は、今日のチーズの売り上げや、今度の風車祭り、近所の誰かが飼い始めた猫のことなど、どこまでも穏やかだ。

4. 風車祭りの準備

 ミルハウスでは、毎年春先に風車祭りが開催される。その日は町中の風車に飾り付けが施され、運河では小舟が往来し、人々は民族衣装をまとってダンスや音楽を楽しむ。エヴァとその友人たちも、ダンスの練習に余念がない。 祭り当日まで一週間を切ったある日、エヴァたちは広場の一角で木靴ダンスのリハーサルをしていた。リズミカルな足音が石畳に反響し、見守る町の人々の拍手が暖かい。遠くでは、祖父のチーズや屋台のワッフル、花売りのチューリップが祭りに向けて準備を進めているのが目に入る。

5. 夕暮れの運河

 長い春の日が終わりに近づき、町はオレンジ色の夕陽に染まっている。エヴァは家族と夕食を済ませると、少しだけ外を散歩することにした。しんとした運河沿いを歩いていると、風車が夕闇に溶け込み、シルエットだけがゆっくりと動いているのがわかる。 「明日は風が強いだろうか」と思いを馳せながら、川面に映る風車の影と自分の姿が重なるのを見つめていると、少しだけ自分が大人になったような気分になる。運河を渡る小さな木製の橋を渡るとき、板の隙間から川の流れが見え、コポコポと水の音が耳に心地いい。

6. 夜の調べ

 夜になると、町は静寂に包まれる。街灯の少ない運河沿いでは、家々の窓から漏れる柔らかな明かりが、ほのかに水面を照らしている。風車も仕事を終えたかのように、ゆっくりと羽根を止めた。 エヴァはベッドに入る前に、二階の小窓を開けて夜の空気を吸い込む。はるか遠くにかすかな月明かり、そして星が瞬いている。オランダの空気は湿り気を帯びながらも、どこか清涼で、彼女を優しく包み込んでくれる。 「ミルハウスの町は、今日も穏やかだったな……」 そう思いながら、エヴァは深い眠りへと落ちていく。明日もまた、風車は回り、チーズは熟成し、運河にはさざ波が立ち、平和な日常が繰り返されるのだろう。

エピローグ

 ミルハウス。地図の上では小さな点に過ぎないが、そこにはオランダの昔ながらの風景と文化が鮮やかに息づいている。 人々は風車を大切に守り、チーズや花々を育てながら、運河の水音とともに暮らしていく。その慎ましくも豊かな日常は、まるで風に乗って広がっていく音楽のように、訪れた人の心を和ませる。 今日もきっと、エヴァは祖父のチーズ工房で新しいレシピを試していることだろう。遠くから聞こえる風車の回転音が、その穏やかな営みにそっと拍子を合わせている。

(了)

 
 
 

コメント


bottom of page