駿府・精神(こころ)の実験
- 山崎行政書士事務所
- 1月14日
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〔静かなる序章:駿府城下に吹く新旧の風〕
春先の静岡市中心部、駿府城公園の桜がちらほらと散りはじめ、整然とした石垣と濠(ほり)の水面(みなも)が、朝日にきらきらと反射している。ここはかつて徳川家康が晩年を過ごした城下(じょうか)の地。歴史が滲(にじ)む風景のなかに、近代ビルや整備された公園が混在する様は、一見すると調和しているようで、かすかな違和を孕(はら)んでいるかのようにも見える。その一角の会館で、「戦後日本の精神と教育を考える」と題する講演会が開かれようとしていた。そこで壇上に立つ評論家・**津島(つしま)**は、静かだが力のこもった声で言葉を紡いでいる。
〔言葉による再興を説く者——津島の講演〕
津島は四十代半ばほどの落ち着いた雰囲気の男。若いころには西洋哲学を究(きわ)めるため留学(りゅうがく)も経験したが、近年は日本の伝統に光を当て、戦後教育や社会制度の歪(ゆが)みを批判する“新保守”の論客(ろんきゃく)として注目されつつある。「戦後の教育は、人間の内面を形づくる価値観の根源(こんげん)を見失(みうしな)っている。われわれは一度この地に根付(ねづ)く**“家康の精神”**を見直し、日本のアイデンティティを再興すべきではないでしょうか」そう力説する彼の目は、穏やかながら強い光を宿(やど)している。だが、会場には「保守的すぎる」などと小声で批判を囁(ささや)く者もいる。マスコミ記者たちも引き気味に見守る中、講演会はしずしずと終了(しゅうりょう)を迎える。
〔武士道の再生を求める青年——高峯〕
講演の後、楽屋裏(がくやうら)へ立ち寄(よ)った青年自衛官がいた。名を**高峯(たかみね)**という。二十代後半、がっしりとした身体(からだ)を軍服のようにキビキビと動かし、津島に興味津々(きょうみしんしん)な眼差(まなざ)しを向ける。「私は自衛官ですが、現代のわれわれが本当に国を守っているのか疑問(ぎもん)を抱いています。……家康公の教えが眠る駿府の地で、**武士道(ぶしどう)を再生することが可能ならば、その答えが得られるかもしれない」凛々(りり)しい声で語るその横顔(よこがお)は、一歩間違えれば“死と美の合一”**に走りかねないほどの純粋(じゅんすい)さが滲(にじ)んでいる。津島は静かに頷(うなず)き、「言葉と教育を再構築(さいこうちく)することでこそ人間の精神は変わる」と返すが、高峯は「肉体を賭(か)けて証明(しょうめい)しなければ薄っぺらいではないか」とやや過激(かげき)な口調で言い放つ。二人の視線が交錯(こうさく)し、奇妙(きみょう)な共感(きょうかん)と齟齬(そご)を同時に生み出していた。
〔駿府城公園をめぐる二人の対話〕
翌朝、彼らは駿府城公園を連れ立って巡る。桜吹雪(さくらふぶき)がはらはらと舞(ま)う中、石垣に腰かけて談(だん)を交わす。津島は「戦後日本が捨てたものは何か」を理論的(りろんてき)に語り、教育制度の弊害(へいがい)を矢継ぎ早(やつぎばや)に批判(ひはん)する。高峯は「言葉で語るだけでは魂に届かない。剣(つるぎ)や肉体(からだ)で示せるものがある」と反論(はんろん)するが、その背景には「現代社会は空虚(くうきょ)だ。だから血をもって誇りを示すしかない」という狂気(きょうき)めいた思想が潜んでいる。この城跡に漂う空気に触れるとき、二人とも不思議な昂(こう)ぶりを覚える。家康が晩年を過ごしたという歴史が、まるで武将(ぶしょう)の亡霊(もうれい)を息づかせ、時代を超えた力を放っているかのようだ。
〔メディアの冷酷(れいこく)な視線と批判〕
そんな二人の行動に対し、マスコミから「極端な保守思想だ」「危険(きけん)な主張だ」と批判(ひはん)が相次ぐ。SNSでも火がつき、「レトロで時代錯誤(じだいさくご)」という罵倒(ばとう)から「真の日本を守る勇者(ゆうしゃ)だ」など熱狂(ねっきょう)的な擁護まで、賛否(さんぴ)が真っ二つに分かれる。もっとも激しい意見を飛ばしてくるのは都会の評論家や教育者で、津島が論じる“日本的精神の再興”を理解するどころか、逆に「再軍備(さいぐんび)に繋(つな)がるのか?」と政治的に煽(あお)ってくる。津島は、理詰(りづ)めで説明しようとするが、きわめて防御的(ぼうぎょてき)な空気が漂い、まるで世間が一斉に牙(きば)をむくような圧力(あつりょく)を感じてしまう。
〔狂気に染まる青年、高まる破滅への欲動(よくどう)〕
一方、高峯の内面(ないめん)は日増しに危うくなっていた。駿府城公園の石段で深夜に稽古(けいこ)を繰り返し、木刀(ぼくとう)を振るう姿は誰にも見られたくないほど鋭(するど)い。まるで本当に**命を落とす覚悟(かくご)で戦う武士(ぶし)のようだ。津島が言う「言葉や教育の再構築(さいこうちく)」を高峯は生温(なまあたた)いと感じ、ある夜、ついに「ここで俺は自ら血を流し、武士道を体現(たいげん)したい」と漏らすに至(いた)る。二人は激しくぶつかり合う。「死を選んだところで何も変わらない」「いや、肉体を捧(ささ)げることで初めて日本の魂を取り戻せる」――その論戦(ろんせん)は死と美の香(かお)りに満ち、津島は言葉をなくすほど衝撃(しょうげき)を受ける。「……それはもはや思想ではなく狂気(きょうき)だ」**と呟(つぶや)く。
〔夜、駿府城跡に甦る“亡霊”〕
そしてついにクライマックスの夜がやってくる。高峯は甲冑(かっちゅう)でも用意したかのような和装(わそう)で城跡(しろあと)に現れ、刀らしきものを手にして石段を上る。目撃した通行人が悲鳴(ひめい)を上げ、SNSで瞬く間に拡散(かくさん)される。津島はそれを止めるべく走り寄るが、高峯は心ここにあらずの状態で、「ここで血を捧(ささ)げれば家康公も満足する。戦後日本を目覚めさせる契機(けいき)になる」とかすれ声で繰り返す。周囲には警察と報道カメラが集まり、怒号(どごう)とフラッシュが入り乱れ、混乱(こんらん)が頂点(ちょうてん)に達する。津島は必死(ひっし)に説得し、「死によって得られるものは何もない。言葉の力こそが……」と叫ぶが、高峯の瞳(ひとみ)は燃え尽きる寸前の炎(ほのお)を宿(やど)している。
〔終幕:朝日射(さ)す石垣と痛ましき静寂〕
何が起こったのか、次の瞬間を見届ける間もなく、夜が明ける頃にはすべてが終わっていた。警官たちが城跡の石垣を確認するが、高峯の姿は見当たらない。数滴の血痕(けっこん)らしき跡と、布の切れ端(きれはし)が見つかっただけだ。津島は石段に倒れこむようにして呼吸(こきゅう)を整え、「この国の魂は、また何かを失ったのか、あるいは再生の光を見たのか……」と呟(つぶや)く。そこへ朝日が差し込み、桜(さくら)の花びらが微かに舞(ま)い落ちてくる――儚(はかな)いながらも美しい、まるでかすかな救いのように。新聞各紙は「危険思想の青年、自衛官が失踪(しっそう)か」と報じ、一方でネット上では“自作自演では?”など冷ややかな反応も混在する。津島に対しても「時代遅れの保守論客(ほしゅろんきゃく)」と揶揄(やゆ)する声が絶えない。しかし、真相(しんそう)は何もわからぬまま、時間だけが過ぎていく。駿府城公園には平穏(へいおん)が戻り、観光客が石垣を撮影し、鳩(はと)があたりをうろつく。だが、その石段の片隅(かたすみ)には三滴の血らしい染みがうっすらと残り、朝日のなかで赤く輝(かがや)く――。読者はそこに、な“日本精神の再構築”を唱(とな)える論考、“死と美”への陶酔(とうすい)の予感が重なりあい、“この国はどこへ向かうのか”という問いを突きつけられる。静岡の地で交錯(こうさく)した二人の思索(しさく)と行動は、まだ完全には解決しないまま、暁(あかつき)の光のなかに溶けていくのだった。





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