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2025年春夏ファッション:デザイナー視点による総合的考察(シルエットの革新、創造性の再起動、そしてパリから世界へ)

  • 山崎行政書士事務所
  • 7月14日
  • 読了時間: 6分
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I. シルエットの革新:構築と解体の狭間で

2025年春夏において最も際立ったのは、ボディと衣服との関係性そのものを問い直すような構築的シルエットの再解釈です。伝統的なフォルムへの回帰と、実験的な分解の両極端が共存することで、身体というキャンバスに対する新たな造形哲学が生まれつつあります。

まず、オーバーテーラリングの再定義。Saint LaurentやStella McCartneyのランウェイには、クラシカルなスーツのボキャブラリーを引用しながらも、ジャケットの肩をわずかに落とし、パンツのウエストを曖昧にすることで「権威」と「揺らぎ」を共存させたスタイルが目立ちました。これらは単なる復古主義ではなく、1970年代のユニセックス革命を、Z世代以降の「ジェンダー・スペクトラム」の文脈で再構築したものと捉えられます。

対照的に、フルイド(流動的)でセンシュアルなドレープの探求も加速しています。Chloé、Issey Miyake、Victoria Beckhamといったブランドは、シフォン、テンセル、再生オーガンジーなど、新しい“軽さ”をまとう素材を駆使し、あえて体に密着する構成と余白のあいだに曖昧な境界を作り出しました。こうした表現は、自己を他者に対して“どう見せるか”という装いの根源に立ち返り、透明性・柔軟性・官能性といった身体性の多層的な読み替えを試みています。

また、ディスラプティブなボリューム操作も顕著でした。Acne Studiosでは、レザールックをベースにしながら丸みを帯びたボリュームジャケットを展開し、まるで身体が内側から膨張しているかのような錯覚を誘発。一方SacaiやKhaiteでは、ボディに対して非対称的・断続的に張り付くディテールを加え、運動中の動きや重力のゆらぎを感じさせる構造を提示しました。

ここで注目すべきは、これらのシルエットが単に視覚効果を追求するのではなく、身体の不完全さや多様性を肯定するデザイン哲学と結びついている点です。たとえばAnn Demeulemeesterでは、あえて一方の肩を外したジャケットや、脚の片方にのみ大きなギャザーを寄せたスカートを通じて、“均衡からの逸脱”が美であるという思想を可視化しました。

さらに、レイヤリングの意味変容も興味深いポイントです。過去の機能的重ね着とは異なり、2025年春夏のレイヤードは「個人の編集権」そのものを象徴します。Brandon Maxwellのように、ドレスにナイロンパーカを重ねることで、「夜」と「朝」、「官能」と「実用」が一体化した装いが成立。これはパンデミック後のライフスタイルと価値観の多様化が、服のレイヤーにも反映されていることを示しています。

II. デザイナーの選択:創造性の復権と反・同調主義

2025年春夏において、ファッションの創造性はラグジュアリーの商業主義から脱却し、「物語性」と「実験精神」に回帰する兆候を見せ始めました。

象徴的なのは、Valentinoに着任したアレッサンドロ・ミケーレ。Gucci時代のバロック的美学を封印し、Valentinoの持つロマンティシズムと融合させた今回のデビューは、“ポスト・アーカイブ時代”のリファレンス解体の好例でした。モデルごとに異なる時代と階級の記号が交錯するルックは、まるでファッション史をコラージュ的に再編集したかのよう。スタイリングの「混沌」は、むしろアイデンティティの多層性を可視化する手法であり、ブランドの再解釈以上に、「人間という存在の多様な文脈」にアプローチしていたと言えます。

同様に、Loeweのジョナサン・アンダーソンは素材探求を深化させ、まるで「物質の振る舞いそのもの」をデザインするような手法をとりました。ボディの重力に逆らうようなアッパー構造、布地が浮遊するようなスカート、クラフトとテクノロジーの境界に立つその作品群は、もはやファッションの域を超え、「可動彫刻」のような美学すら感じさせます。

また、Miu Miuのミウッチャ・プラダは、Z世代とアルゴリズム時代における「リアルな個性」をテーマに掲げ、服の“間違い”を逆手に取るようなスタイリングを展開。スカートの前後を逆に穿いたようなコーディネートは、自己演出と偶然性が混ざり合う現代的なアイロニーを孕んでいます。

そして、アップサイクルという点ではJunya WatanabeやDuran Lantinkが真価を発揮しました。単なる環境配慮ではなく、服の履歴を再編成する創造行為としての“リメイク”を提示。分解・再構築・誇張という方法論は、時代に倣うのではなく、自らの語り口を確立しようとする強いパーソナル・ナラティブの表現でもあります。

III. パリ発:ファッションの「精神的中心地」としての再起動

パンデミック後の数年間、パリコレはその影響力において他都市と拮抗状態にありました。しかし2025年春夏は、パリが再び**「ファッションの精神的中心地」**として世界に影響を与えることを確信させるシーズンとなりました。

その理由は、いくつかの層で重なり合っています。

まず、ショー演出の再定義。たとえばMiu Miuの会場は、ベルトコンベアで新聞が流れるインスタレーションを備え、「情報の真偽性」というテーマを視覚的に表現。Coperniはディズニーランド・パリを舞台にポップカルチャーとファッションの境界を打ち破り、Celineはグランパレの改装完了と共に「時間の重み」を纏った演出を行いました。

また、パリ発の色彩と装飾の復権も重要です。近年Quiet Luxuryに偏っていた世界市場に対し、フューシャピンクやピーコックグリーン、鮮やかなラッフルやフリンジなど、「見せる喜び」と「誇張された装飾性」が堂々と帰還。Balenciagaはガーター付きドレスで大胆なセクシュアリティを提示し、Louis Vuittonは金属的光沢と対比的プリントを融合。これらは、ファッションが「避けられない視覚的言語」であることを再認識させます。

さらに、ジェンダー・ナラティブの再配置もパリならではの繊細さで進行中です。Saint LaurentやGivenchyでは、男性モデルがフリル付きのブラウスやビスチェを自然に着こなす姿が提示され、もはや“ジェンダーレス”はラベルではなく、ファッションの前提として内在化されつつあることを示しました。

総括:未来へ向けての試着室

2025年春夏ファッションは、明確に次のステージに入りました。それはトレンドの循環ではなく、価値観と衣服との新しい関係性の模索であり、装いが単なる装飾ではなく、「社会への問いかけ」として再定義されるフェーズです。

シルエットの崩壊と再構築、素材の解釈と思想化、そして個性と物語性の統合。これらが同時並行的に進行する現在、ファッションデザイナーにとって衣服は単なる商品ではなく、**身体と時間と思想の接点にある「生きた構造物」**として再び息を吹き返しています。

そして、パリという都市はその変革の中心として、過去の美学に敬意を払いながらも、未来への挑発と実験の精神を世界に投げかけ続けているのです。

 
 
 

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