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光の輪郭

  • 山崎行政書士事務所
  • 2月9日
  • 読了時間: 3分

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1. 壁というキャンバスと窓という投影機

 壁とは、本来建物の内部と外部を分ける境界だが、そこに窓枠を通った光が映り込むことで、まるで自然が作り出す映像のスクリーンのようにも機能する。 光源(外の太陽光)と窓枠というフィルターがあるからこそ、壁に影の幾何学模様が浮かび上がる。その幾何学は建築構造を映し出すだけでなく、時間(太陽の位置)によって形を変え、常に移ろい続ける。 この状態は、外の世界(太陽や自然)と内部の世界(室内、壁)を結ぶ一種の“中間的次元”だと考えられる。見た目は物質的投影でありながら、そこに物理的な「物体」は存在しない。

2. 実体のない輪郭――壁に宿る虚像

 壁に映る窓の影は、**“実体のない輪郭”を提示する。窓枠の形を正確に模していながら、その線や形はあくまで光と影のコントラストから生まれる現象であり、手で触れれば何もない。 哲学的に見ればこれは「現実とは何か」「実在と虚在の区別とは何か」**という古典的テーマを暗示している。手に取れないが確かに見える――この光と影のパターンは「現象は存在を表すか、それとも錯覚か?」という問いを投げかける。

3. 外界の動きが内部を変える――時間の痕跡

 日が昇り、また傾き、夜が訪れれば、窓枠の影の位置や形は絶えず変化していく。その移り変わりは、壁という静止した面に時間の流れを刻印する行為とも言える。 もしこの動きをしばらく観察すれば、“時間の芸術”がそこにあるのを感じ取れるだろう。影を追いかけて光がなぞる軌跡は、太陽と地球の相対運動の結果でもある。これは、部屋の中に居ながら宇宙の動きを感じさせる不思議な体験だ。 哲学的には、“世界の大きなリズム” が壁の上に縮図として描かれている、と見なすこともできる。

4. 枠という概念の再解釈――内部と外部のあいだ

 窓枠の影は一種の**“枠”を示すが、それは建築設計上の「窓」という機能を反転させるかのように壁に投げかけられている。通路としての窓が、光と影の形を通じて「視界を妨げる格子」のようにも見えたり、逆に「幾何学的な装飾」にも見えたりと、多様な解釈を誘発する。 これは「枠(frame)」という概念の再解釈につながる。何かを区切る枠は、外と内を分割すると同時に、見え方自体を形作る。壁の上の四角い影は、「ここからここまで」という恣意的区画**を具体化し、観る者に“何を外、何を内とみなすか”を問いかける存在へと昇華している。

5. 見る者が与える意味――光と影の対話

 最後に、この窓枠の影を「どう感じるか」は、観る者の解釈次第だ。人によっては単なる日常風景であり、また別の人にとっては詩的なインスピレーションの源となる。 ここには、**「世界が提示する客観的現象」と「観る者の主観的意味づけ」**の相互関係がある。影自体はただ光の遮蔽によって生まれた濃淡でしかない。しかし、それを美しい模様や哲学的暗示として受け取るか、それとも何も見いださず通り過ぎるかは、観る者の自由だ。 この自由こそが、人間が“世界”をいかに豊かに感じ取れるか、あるいはいかに無視できるかを示す。光と影は世界の常だが、その組合せに意味を見いだすのは、やはり人間の存在意義の一端なのだろう。

エピローグ

 壁に映る窓枠の光と影――単純な現象のようでいて、そこには時の流れや外界と内界の関係、実体の無い輪郭への視線、そして鑑賞者の意識が交錯する。 哲学的に言えば、光と影は物理的な事実だが、人がそこに感動や美、あるいは感情を投影することで初めて“景色”や“意味”が生まれるのだ。窓枠の影は、窓を媒体として外の世界を室内に映し出す一時的な現象であり、その変化は儚く、かつ永遠に繰り返す。 もしあなたが壁に射す光と影を見つめたとき、その中にどんな物語を想像するだろうか。そこに透明な宇宙があり、見えない大いなる運行がほのかに輪郭を現しているかもしれない。日常の一片が、こうして限りない思考の窓を開けてくれるのだ。

(了)

 
 
 

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