top of page

大手の歯

門というものは、城の口である。口は普段、何も噛まない。噛まない口ほど威厳を装える。だが一度噛みはじめれば、口は威厳ではなく本能になる。——大手門は、慶応四年三月のある朝、初めて本能の口になろうとしていた。

まだ夜が薄く残る刻、枡形の石は冷たく、冷たさがこちらの脛を叱った。石垣の目地に溜まった水は黒く、黒い水面には、江戸の空が映っていた。空は青い。青すぎる。澄みすぎた青は、いつでも不吉だ。澄みすぎた青は、破滅の舞台装置になる。

百人番所の内部は、木が古い匂いを持っていた。汗と煤と、乾いた油と、何度も拭かれた畳の匂い。長い棟の中に、百という数が押し込められている。百という数は便利だ。百という数は、個々の名を剥ぐ。名が剥げると、人は楽になる。楽になった瞬間、人は平気で死ねる。

私はその百のうちの一で、名は長谷川新九郎といった。名を呼ばれることは少ない。百人組は、名よりも順番で動く。番所の梁の下で、私たちはただ「歯列」として並ぶ。歯は一本ずつの形を持つのに、噛むときにはただ一つの白い列になる。白は潔白ではない。白は、汚れが目立つことを初めから知っている者の色だ。

火縄銃を抱える腕が、妙に重かった。火縄の匂いは、祈りに似ている。だが祈りに似た匂いほど残酷だ。祈りは現実を変えない。現実を変えないまま、人を死へ送る。

「新九郎」

百人頭の榊原主膳が、私を呼んだ。主膳の声は低く乾いていて、乾いた声は涙を許さない。涙は湿っている。湿り気は秩序を崩す。秩序が崩れると、百は百でいられなくなる。

「今日だ」

それだけで十分だった。今日——という一語の中に、交渉の破談も、西の軍勢の進発も、江戸が火の都になる未来も、すべてが折り畳まれている。折り畳まれた未来は薄い。薄いものほど鋭く刺さる。

「外門を破られたら、枡形に入れるな。入れたら、殺せ」

主膳は淡々と言った。淡々とした命令ほど残酷なものはない。命令が淡々としているとき、命令はすでに倫理から離れている。倫理から離れた命令は、ただの作業になる。作業になった殺しほど、人を長く腐らせる。

私は頷いた。頷きは楽だ。頷けば、心が追いつくふりをする。ふりをするうちに、心も形に似てくる。

番所の片隅で、若い同心が紙を畳んでいた。恋文だろう。紙は軽い。軽い紙が人を生かすことも、殺すこともある。私は懐に入れた自分の紙の重さを思った。日本橋の髪結いの娘が、短く書いた一枚——「生きて戻れ」と。生きて、という言葉ほど無責任なものはない。無責任だからこそ、救いになることもある。

外で太鼓が鳴った。太鼓はいつでも、遠い理屈を近い肉に変える。

砲声は、桜田の方角ではなく、意外に近かった。大手町の外郭に、舶来の砲が据えられていたのだろう。破裂音が、腹の水を揺らす。骨が震える。骨が震えると、思想が剥がれる。剥がれた思想の下に残るのは、ただ「息」だけだ。

外門が揺れた。木が呻く。呻く木の音は、人間の呻きに似ている。似ているから気味が悪い。城の口が、喉を鳴らしている。

「撃つな、まだだ!」

主膳の声が走る。早撃ちは武士の恥だと、昔から言う。だがこの戦は、恥の形が違う。恥は名乗りを奪われ、正しさの衣を奪われ、ただ「速度」だけが恥を決める。速度が正義になる時代ほど不潔なものはない。

二発目で、外門の上の瓦が跳ねた。粉塵が舞い、石にぶつかって白い煙になる。白い煙は清潔に見える。清潔に見える破壊ほど危険だ。人はそれを「刷新」と呼びたがるからだ。

やがて、外門の向こうで喚声が上がった。官軍、と誰かが叫んだのが聞こえた。官軍という言葉は、刃のように軽い。軽い言葉ほど人を殺す。

門が破れた。

敵が、橋を渡り、枡形へ雪崩れ込む。枡形は箱だ。箱は、人を詰めて殺すために作られた美しい幾何学だ。幾何学は正しい。正しいものほど残酷だ。敵は箱の中で曲がり角を失い、逃げ場を失い、そしてこちらの銃口の「正しさ」に出会う。

「いま!」

火縄が落ち、火が走り、鉄が吐かれる。轟音。硝煙。口の中の金属の味。撃った瞬間、私は相手の顔を見てしまった。若い。髷が短く、髪の生え際に汗が光っている。目は濁っている。濁りは恐れであり、怒りであり、未練だ。未練の顔は万国共通だ。

彼は倒れた。倒れ方が、妙に丁寧だった。丁寧に倒れる死ほど、こちらの胸を汚すものはない。汚れた胸は、後で「大義」という洗剤を欲しがる。洗剤は、臭いを消す。臭いが消えれば、次の死が来る。

私は二発目を込めながら、指が震えるのを感じた。震えは恐怖ではない。恐怖に似た、感情移入だ。相手の倒れ方に、こちらの未来が映ったのだ。

枡形の石の上に、赤が増えていく。赤は白い石の上で驚くほど純粋に見える。純粋に見える赤ほど不潔だ。純粋に見える瞬間、人は血を「意味」に変えてしまう。

敵も撃ってくる。ミニエー銃の乾いた音が、木の柱を叩く。木片が飛び、頬に当たる。木片は温かい。温かい破片ほど残酷だ。熱が「生きている」ことを思い出させるからだ。

百人番所の前に、敵が雪崩れ込んできた。長い番所の廊下が、急に銃眼になる。廊下という生活の場所が、殺しの通路に変わる瞬間、私は吐き気を覚えた。生活と戦は、同じ素材で出来ている。だから戦は生活をこんなに簡単に破る。

主膳が叫んだ。

「門は閉めろ! 内門は渡すな!」

内門——大手三の門の向こうに、二の丸がある。あちらへ入れれば、城は「口」を噛みちぎられる。口が噛みちぎられれば、顔が崩れる。顔が崩れれば、徳川という化粧は剥がれる。化粧が剥がれたあとに残るのは、ただの肉だ。肉は、どの旗の下でも同じように焼ける。

私は柱の陰から、敵の動きを見た。敵の隊列の中に、白い羽織の者がいた。腕が上がり、何かを指示している。指示は遠い机の上から来るはずなのに、この瞬間だけは、白い袖の動きが世界の中心に見えた。世界の中心が袖の動きになる夜ほど、卑しいものはない。

「新九郎!」

主膳が私を見た。その目には、敗北の予感があった。予感は言葉より先に目に宿る。

「殿は……?」

私は口が勝手に動いた。聞いてはいけないことを聞く口だ。主膳は答えなかった。答えぬことが答えだった。殿は、もう「ここ」にはいないのだろう。ここで歯列が噛んでいる間に、口の奥の舌は逃げている。舌が逃げても、歯は噛む。噛むことが、形式の最後の仕事だからだ。

私は急に、怒りを覚えた。怒りは正しい。正しい怒りほど危険だ。正しい怒りは、死を美しくする。

そのとき、番所の梁が軋んだ。軋みは、木の悲鳴だ。木は泣かない。泣かない木が悲鳴を上げるとき、人間はようやく自分の滑稽を知る。

火の粉が舞い込んできた。江戸は燃え始めている。江戸の火は速い。火は、正義の火でも革命の火でもない。いつでも愚かさの火だ。愚かさの火ほど、よく人を清めた気にさせる。

私は銃を捨て、槍を取った。槍は遅い。遅い槍で、速い弾の時代を迎え撃つのは滑稽だ。滑稽は恥だ。恥は生の証拠だ。だが私は、滑稽を選んだ。滑稽を選べるのは、もう未来が薄い者だけだ。

敵が番所の戸口へ突っ込んでくる。私は槍を突いた。突くという動作は単純だ。単純さは救いに似ている。救いに似た動作ほど、後で手が汚れる。

槍先が、誰かの喉に入った。入った感触は、魚を突くのに似ていた。似ていることが恐ろしい。恐ろしいから、私は目を逸らした。逸らす動作は卑怯だ。卑怯でも、生き残る者は卑怯でしかいられない。

「下がれ!」

主膳の声が聞こえた。だが誰が下がるのか。百の歯が一斉に下がれば、口は開く。口が開けば、時代が噛み砕いたものが中へ流れ込む。

主膳は、番所の中央に立っていた。その背中は小さかった。小ささは弱さではない。重いものを背負いすぎた者だけが持つ縮み方だ。

「……門を閉めたまま死ね」

主膳が言った。私はその言葉に、救いと呪いを同時に嗅いだ。閉めたまま死ぬ。閉めるという形式に、死が従属する。従属した死は整う。整った死は、美しい。美しい死は危険だ。危険なのに、私は胸の奥が一瞬だけ軽くなるのを感じた。軽さは罪だ。

次の瞬間、主膳の肩が跳ねた。銃弾だ。彼は倒れなかった。倒れない背中ほど恐ろしいものはない。倒れないことで、周囲の者の心を縛るからだ。

「新九郎」

主膳が、こちらを見ずに言った。「生きろ。——生きて、この門の臭いを覚えていろ」

臭い。その言葉が、胸に刺さった。臭いは、物語を拒む。物語は臭いを消す。臭いが残る限り、死は飾られない。

私は答えられなかった。答える暇がないのではない。答えれば、私は彼の言葉を「受け取ったふり」にしてしまう。受け取ったふりは、最も残酷な慰めだ。

爆ぜる音。番所の一角が燃え、煙が梁に絡みつく。私は目の前が白くなり、膝が抜けた。白い煙は祈りに似ている。祈りに似た煙ほど、現実を隠す。

倒れたまま、私は枡形の外を見た。石垣の上に、徳川の葵が煤で汚れている。汚れた葵は、あまりに人間的だった。人間的な紋ほど、哀しいものはない。

そして私は、意識が薄くなる瞬間に、奇妙なことを思った。この戦は、殿のためでも、旗のためでもない。この門の「閉じ方」のための戦だ。時代はいつか開く。ならばせめて、閉じる形だけは美しく——そう思いかけた自分を、私は憎んだ。美しさに逃げるのは、最も卑しい。

目が覚めたとき、私は縄で縛られていた。縛られる縄の痛みが、まだ生きていることを教える。生きているという事実は、戦場ではいつでも恥だ。枡形の石は黒く濡れ、赤はもう乾いて茶色になっていた。乾いた血ほど現実だ。現実は、色を褪せさせる。

大手門は、焼けていた。門の木は炭になり、口は歯を失っていた。歯を失った口は、もう噛めない。噛めない口は、ただ開いている。開いた口は、時代の風を飲み込む。

私は、百のうちの「一」として生き残った。生き残った一は、もう百ではない。百でいられぬ一は、これから一生、数えられない痛みを背負う。

何年か後、私は役所に勤めた。刀ではなく筆で働いた。筆は軽い。軽い筆が、いちばん人を殺すことがある。私はそれを知っていたから、筆を持つ指にいつも冷たさを残そうとした。冷たさは正しい。正しい冷たさだけが、甘い正義を拒む。

ある春の日、私は東の御苑の外側を歩き、石垣に手を置いた。石は昔と同じ冷たさだった。冷たさは変わらない。変わらないものほど残酷で、しかし救いでもある。耳を澄ますと、百人番所の梁が軋む音が、まだどこかで鳴っている気がした。あの音は、英雄譚にはならない。ならないからこそ、私の胸の中で生き続ける。

私は、その音を美しく語らないまま、ただ抱えて歩く。門が開いたあとに残るのは、勝利でも大義でもない。あの日、門の内側に充満した硝煙と汗と、焼けた木の臭い——それだけだ。

そして、その臭いを消さぬことだけが、江戸城大手門百人組の、私に託された最後の「番」なのだと思っている。

 
 
 

コメント


Instagram​​

Microsoft、Azure、Microsoft 365、Entra は米国 Microsoft Corporation の商標または登録商標です。
本ページは一般的な情報提供を目的とし、個別案件は状況に応じて整理手順が異なります。

※本ページに登場するイラストはイメージです。
Microsoft および Azure 公式キャラクターではありません。

Microsoft, Azure, and Microsoft 365 are trademarks of Microsoft Corporation.
We are an independent service provider.

​所在地:静岡市

©2024 山崎行政書士事務所。Wix.com で作成されました。

bottom of page