top of page

影の白粉

石段は、いつも乾いている。平和記念公園の朝はよく磨かれ、植え込みの葉は無言の光沢を持ち、川面はゆっくりとした呼吸を保っている。ここでは、悲しみさえも整列する。整列した悲しみは、祈りに似ている。祈りに似ているものほど、時に不潔だ。――人は、それで安心してしまうからだ。

私は箒を持ち、石段の隅を掃いていた。観光客が笑いながら写真を撮り、子どもが水を跳ねさせ、鳩が人間の足元を当然のように歩く。鳩の無神経は、むしろ救いである。無神経ほど公平なものはない。

私はふと立ち止まり、指先で石の表面を撫でた。冷たい。冷たさは、過去の温度を拒む。拒まれる温度ほど、こちらの胸の奥で熱くなる。

石段には、薄い染みが残っている。輪郭だけが、かつての人間の姿勢を覚えている。影。影は本来、光に従う従者だ。だがあの日の影は、光のほうが人間に従った。従ったというより、奪った。奪ったものを影として置き去りにし、肉をどこかへ持ち去った。

私はその影の縁を、何度も何度も見てきた。見てきたくせに、慣れない。慣れるということは、赦すことに似ている。赦しは甘い。甘い赦しは、すぐ腐る。腐った赦しは、次の無関心になる。私は無関心になりたくない。

——それでも、私はここで働いている。それは贖罪ではない。贖罪という言葉は、美しすぎる。美しい言葉は、現実の臭いを消してしまう。現実は消えない。消えないから、私は毎朝、箒を持つ。

指先が、影の輪郭の上で止まった。輪郭の内側には、何もない。「何もない」という事実だけが、これほど濃いものになれるのか、と私は思う。濃い虚無。虚無が濃くなると、形になる。形になった虚無は、芸術に似てしまう。似てしまう瞬間、私は自分の中の卑しさを嗅ぎ取って、吐き気を覚える。

私は、あの日も同じ吐き気を覚えた。

八月六日の朝は、蝉の声がうるさかった。うるさいほど生が濃い。濃い生は、死を欲しがる。欲しがる死は、若者にとって美の別名だ。私は十七だった。十七の肉は、世界より先に自分の形を信じる。

建物疎開の作業で、私はここを上り下りしていた。板を運び、釘を打ち、汗を流す。汗は塩辛い。塩辛さは、生の現実だ。現実を抱えたまま、私はいつも別のことを考えていた。

――死ぬなら、潔く。――死ぬなら、姿勢よく。――死ぬなら、誰かの記憶に残る形で。

形。形は救いだ。形があれば、意味が生まれる。意味が生まれれば、痛みは耐えられる。私はそう信じたかった。信じたかったから、姿勢を正し、顔を上げ、空の青さを無遠慮に受け入れていた。

その瞬間、光が来た。

「眩しい」という言葉では足りない。眩しさは眼に来るのではない。骨に来る。骨の中に、白い釘が打ち込まれる。世界全体が白粉を叩いたように白くなり、白の中で、すべての音が失われる。蝉も、釘も、叫びも、沈黙の底へ沈む。

私は自分の両手を見た。両手が、知らない手のように見えた。皮膚の色が変わるのではない。意味が変わるのだ。意味が変わると、手は急に恐ろしくなる。手は、誰かを支えるためにあるのか、誰かを押し倒すためにあるのか、分からなくなる。

白の次に来たのは、風だった。風というより、圧だった。圧は身体から輪郭を奪う。輪郭が奪われると、人は自分の名前を失う。名前を失った肉は、ただの物体になる。物体になった瞬間、私は初めて「死」と出会った。死は観念ではなく、重さだった。

石段に伏せた。石は冷たい。冷たさは現実だ。現実だけが私を救った。救ったという言葉は正しくない。現実は救わない。ただ、私をその場に留めただけだ。留められた肉が生き残った。生き残るということは、偶然という名の不公平だ。

白が引いたあと、世界は別の色になっていた。空は黄色く濁り、木々は黒い影になり、人間は人間の顔を失った。顔を失った肉が歩き、歩く肉が倒れ、倒れる肉がまた起き上がろうとする。起き上がろうとする意志が、どれほど醜く、どれほど美しいか、そのとき私は理解できなかった。ただ、喉が焼けるように渇き、口の中に金属の味がした。

そして私は、石段の上に“それ”を見た。

影。人ひとり分の影が、そこに残っていた。輪郭は驚くほど鮮明だった。肩の傾き、首の角度、膝の折れ具合。まるで、誰かが石の上に黒い墨で人体素描を描いたように、端正で、静かで、――不吉なほど整っていた。

私は息を呑んだ。整ったものは美しい。美しいものほど危険だ。危険なのは、私の胸がその影を「美しい」と思いかけたからだ。思いかけた瞬間、私は自分を憎んだ。憎んでも遅い。心は一瞬で汚れる。汚れは、白いものに触れたときに最もよく分かる。

影の持ち主は、どこへ行ったのか。私は周囲を見回した。人がいる。だが、あの影の形の人はいない。影だけが残り、肉が消えた。私はその不自然な交換に、震えた。震えは恐怖ではない。理解が追いつかないときの、肉の抵抗だ。

そのとき、遅れて音が戻ってきた。遠くの崩れる音、燃える音、誰かの名前を呼ぶ声。そして、私の腹の底で、何かがゆっくり崩れる音。それは「形」への信仰が崩れる音だった。

私は、影に手を伸ばした。止めればよかった。触れたくなかった。けれど触れてしまった。触れることで確かめたかったのだ。これは夢ではなく、ここにあるのだ、と。指先は、石の冷たさしか触れなかった。冷たさだけが、あまりにも正直だった。

その正直さの前で、私は初めて泣いた。泣くことは醜い。醜い泣き方ほど、真実に近い。真実に近いものは、救いに遠い。

黒い雨が降った。雨は恵みではない。雨は記憶を濡らし、臭いを固定し、後から何度でも胸の奥へ呼び戻す。私は川へ行き、水を見た。水は、誰の正しさも知らずに流れていた。流れる水ほど残酷なものはない。流れれば、死体も、祈りも、同じ速度で下流へ運ぶ。

その後の年月は、戦そのものより長かった。長いものほど、人を摩耗させる。摩耗した人間は、形を失う。形を失うと、また形を欲しがる。私は形を欲しがった。だからここへ戻ってきた。影の残る石段へ。

今、私の指先は老いている。老いた指は、あの日の冷たさを少ししか覚えられない。覚えられないことが怖い。忘却は赦しに似ている。赦しは甘い。甘いものは腐る。腐った甘さの上で、人はまた大きな言葉を吐き、また旗を掲げ、また美しい死を夢見るだろう。

私はそれが嫌だ。

だから私は、今日も箒を持ち、影の輪郭の周りの埃を払う。払ったところで影は消えない。消えないことが救いでもある。救いという言葉は使いたくない。だが、消えないという事実だけが、私を無関心から引き戻す。

観光客の笑い声が遠のき、川風が少し強くなった。石段の影は黙っている。黙っている影ほど、よく語るものはない。語るのは言葉ではない。冷たさだ。形だ。――そして、形の中に封じ込められた、無数の「いなくなった者」の体温だ。

私は影に向かって、心の中でだけ言う。

美しくならないでくれ。物語にならないでくれ。ただ、ここにいてくれ。

そして私も、ここにいる。醜いまま、生き残った者として。

 
 
 

コメント


Instagram​​

Microsoft、Azure、Microsoft 365、Entra は米国 Microsoft Corporation の商標または登録商標です。
本ページは一般的な情報提供を目的とし、個別案件は状況に応じて整理手順が異なります。

※本ページに登場するイラストはイメージです。
Microsoft および Azure 公式キャラクターではありません。

Microsoft, Azure, and Microsoft 365 are trademarks of Microsoft Corporation.
We are an independent service provider.

​所在地:静岡市

©2024 山崎行政書士事務所。Wix.com で作成されました。

bottom of page