影の白粉
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月28日
- 読了時間: 6分

石段は、いつも乾いている。平和記念公園の朝はよく磨かれ、植え込みの葉は無言の光沢を持ち、川面はゆっくりとした呼吸を保っている。ここでは、悲しみさえも整列する。整列した悲しみは、祈りに似ている。祈りに似ているものほど、時に不潔だ。――人は、それで安心してしまうからだ。
私は箒を持ち、石段の隅を掃いていた。観光客が笑いながら写真を撮り、子どもが水を跳ねさせ、鳩が人間の足元を当然のように歩く。鳩の無神経は、むしろ救いである。無神経ほど公平なものはない。
私はふと立ち止まり、指先で石の表面を撫でた。冷たい。冷たさは、過去の温度を拒む。拒まれる温度ほど、こちらの胸の奥で熱くなる。
石段には、薄い染みが残っている。輪郭だけが、かつての人間の姿勢を覚えている。影。影は本来、光に従う従者だ。だがあの日の影は、光のほうが人間に従った。従ったというより、奪った。奪ったものを影として置き去りにし、肉をどこかへ持ち去った。
私はその影の縁を、何度も何度も見てきた。見てきたくせに、慣れない。慣れるということは、赦すことに似ている。赦しは甘い。甘い赦しは、すぐ腐る。腐った赦しは、次の無関心になる。私は無関心になりたくない。
——それでも、私はここで働いている。それは贖罪ではない。贖罪という言葉は、美しすぎる。美しい言葉は、現実の臭いを消してしまう。現実は消えない。消えないから、私は毎朝、箒を持つ。
指先が、影の輪郭の上で止まった。輪郭の内側には、何もない。「何もない」という事実だけが、これほど濃いものになれるのか、と私は思う。濃い虚無。虚無が濃くなると、形になる。形になった虚無は、芸術に似てしまう。似てしまう瞬間、私は自分の中の卑しさを嗅ぎ取って、吐き気を覚える。
私は、あの日も同じ吐き気を覚えた。
八月六日の朝は、蝉の声がうるさかった。うるさいほど生が濃い。濃い生は、死を欲しがる。欲しがる死は、若者にとって美の別名だ。私は十七だった。十七の肉は、世界より先に自分の形を信じる。
建物疎開の作業で、私はここを上り下りしていた。板を運び、釘を打ち、汗を流す。汗は塩辛い。塩辛さは、生の現実だ。現実を抱えたまま、私はいつも別のことを考えていた。
――死ぬなら、潔く。――死ぬなら、姿勢よく。――死ぬなら、誰かの記憶に残る形で。
形。形は救いだ。形があれば、意味が生まれる。意味が生まれれば、痛みは耐えられる。私はそう信じたかった。信じたかったから、姿勢を正し、顔を上げ、空の青さを無遠慮に受け入れていた。
その瞬間、光が来た。
「眩しい」という言葉では足りない。眩しさは眼に来るのではない。骨に来る。骨の中に、白い釘が打ち込まれる。世界全体が白粉を叩いたように白くなり、白の中で、すべての音が失われる。蝉も、釘も、叫びも、沈黙の底へ沈む。
私は自分の両手を見た。両手が、知らない手のように見えた。皮膚の色が変わるのではない。意味が変わるのだ。意味が変わると、手は急に恐ろしくなる。手は、誰かを支えるためにあるのか、誰かを押し倒すためにあるのか、分からなくなる。
白の次に来たのは、風だった。風というより、圧だった。圧は身体から輪郭を奪う。輪郭が奪われると、人は自分の名前を失う。名前を失った肉は、ただの物体になる。物体になった瞬間、私は初めて「死」と出会った。死は観念ではなく、重さだった。
石段に伏せた。石は冷たい。冷たさは現実だ。現実だけが私を救った。救ったという言葉は正しくない。現実は救わない。ただ、私をその場に留めただけだ。留められた肉が生き残った。生き残るということは、偶然という名の不公平だ。
白が引いたあと、世界は別の色になっていた。空は黄色く濁り、木々は黒い影になり、人間は人間の顔を失った。顔を失った肉が歩き、歩く肉が倒れ、倒れる肉がまた起き上がろうとする。起き上がろうとする意志が、どれほど醜く、どれほど美しいか、そのとき私は理解できなかった。ただ、喉が焼けるように渇き、口の中に金属の味がした。
そして私は、石段の上に“それ”を見た。
影。人ひとり分の影が、そこに残っていた。輪郭は驚くほど鮮明だった。肩の傾き、首の角度、膝の折れ具合。まるで、誰かが石の上に黒い墨で人体素描を描いたように、端正で、静かで、――不吉なほど整っていた。
私は息を呑んだ。整ったものは美しい。美しいものほど危険だ。危険なのは、私の胸がその影を「美しい」と思いかけたからだ。思いかけた瞬間、私は自分を憎んだ。憎んでも遅い。心は一瞬で汚れる。汚れは、白いものに触れたときに最もよく分かる。
影の持ち主は、どこへ行ったのか。私は周囲を見回した。人がいる。だが、あの影の形の人はいない。影だけが残り、肉が消えた。私はその不自然な交換に、震えた。震えは恐怖ではない。理解が追いつかないときの、肉の抵抗だ。
そのとき、遅れて音が戻ってきた。遠くの崩れる音、燃える音、誰かの名前を呼ぶ声。そして、私の腹の底で、何かがゆっくり崩れる音。それは「形」への信仰が崩れる音だった。
私は、影に手を伸ばした。止めればよかった。触れたくなかった。けれど触れてしまった。触れることで確かめたかったのだ。これは夢ではなく、ここにあるのだ、と。指先は、石の冷たさしか触れなかった。冷たさだけが、あまりにも正直だった。
その正直さの前で、私は初めて泣いた。泣くことは醜い。醜い泣き方ほど、真実に近い。真実に近いものは、救いに遠い。
黒い雨が降った。雨は恵みではない。雨は記憶を濡らし、臭いを固定し、後から何度でも胸の奥へ呼び戻す。私は川へ行き、水を見た。水は、誰の正しさも知らずに流れていた。流れる水ほど残酷なものはない。流れれば、死体も、祈りも、同じ速度で下流へ運ぶ。
その後の年月は、戦そのものより長かった。長いものほど、人を摩耗させる。摩耗した人間は、形を失う。形を失うと、また形を欲しがる。私は形を欲しがった。だからここへ戻ってきた。影の残る石段へ。
今、私の指先は老いている。老いた指は、あの日の冷たさを少ししか覚えられない。覚えられないことが怖い。忘却は赦しに似ている。赦しは甘い。甘いものは腐る。腐った甘さの上で、人はまた大きな言葉を吐き、また旗を掲げ、また美しい死を夢見るだろう。
私はそれが嫌だ。
だから私は、今日も箒を持ち、影の輪郭の周りの埃を払う。払ったところで影は消えない。消えないことが救いでもある。救いという言葉は使いたくない。だが、消えないという事実だけが、私を無関心から引き戻す。
観光客の笑い声が遠のき、川風が少し強くなった。石段の影は黙っている。黙っている影ほど、よく語るものはない。語るのは言葉ではない。冷たさだ。形だ。――そして、形の中に封じ込められた、無数の「いなくなった者」の体温だ。
私は影に向かって、心の中でだけ言う。
美しくならないでくれ。物語にならないでくれ。ただ、ここにいてくれ。
そして私も、ここにいる。醜いまま、生き残った者として。





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