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日輪の背

※以下は『古事記』『日本書紀』に描かれる神武東征などの神話的要素に着想を得たフィクションです。史実の再現や特定の思想の肯定を意図しません。

太陽は、正面から見ると人を誤らせる。眩しさは、正しさに似ている。似ているから危険だ。眩しさに向かって歩く者は、自分が何を踏み砕いているのかを見なくなる。見えない踏み跡ほど残酷なものはない。

日向の浜に船を並べた朝、神武は言葉少なだった。潮の匂いが強く、塩が唇をざらつかせた。若い兵らは興奮していた。新しい土地、新しい敵、新しい勝利。新しいという語の甘さが、彼らの喉を滑っていた。甘い語は腐る。腐った甘さの上で、どんな死も「必然」になってしまう。

私は名もない従者で、矢を束ね、槍の穂を磨く役だった。名を持たぬ者は、時に真実に近い。名がなければ、後世の美談の中へも入り込みにくい。美談は人の死を軽くするから、私は美談を嫌った。嫌うくせに、私は神武の背中に、どうしようもなく心を寄せてしまっていた。

神武は船べりに手を置き、海を見ていた。海は青い。青は無関心の色だ。無関心は残酷で、残酷だから正しい。正しい海の前では、血筋も神勅も、ただの言葉になる。言葉は軽い。軽い言葉が、これから人を重く沈める。

「帰れぬな」

不意に神武が呟いた。誰に向けたのでもない声だった。帰れぬ、という言葉は、決意の顔をする。だが実際は、恐れの裏返しだ。恐れはいつも「もう戻らない」と言って、自分に逃げ道を塞ぐ。逃げ道を塞がれた者は、前へしか倒れない。前へ倒れることが、英雄と呼ばれることもある。だが英雄という呼び名ほど、不潔なものはない。

私は神武の横顔を盗み見た。横顔は美しかった。美しいものほど危険だ。美しさは人を「象徴」にする。象徴になった瞬間、人間は一人で泣けなくなる。

船が出た。櫂が水を切る音は乾いていた。乾いた音は正しい。正しい音ほど残酷だ。波頭が白く砕け、その白さが、何かの始まりではなく「洗い流し」に見えた。洗い流すという行為は、罪の匂いを消す。匂いが消えれば、人はまた同じことをする。

西から東へ、沿岸をなぞるように進むうち、神武はだんだん痩せて見えた。食が減ったのではない。背負うものが増えたのだ。増えたものは目に見えない。見えない重さは、顔の骨を浮かせる。

大和へ入る手前、最初の大きな敗れがあった。敵の矢が雨のように降り、盾に当たって鈍い音を立て、鈍い音の下で人の呻きが消えた。呻きが消えると、世界はただの作業になる。作業になった殺しほど、人を腐らせるものはない。

神武は矢を受けた。矢は胸ではなく、肩に刺さった。刺さった矢が、彼の身体よりも先に「神武」という名を傷つけた気がした。名が傷つくと、人は急に孤独になる。孤独は、王の皮膚の下に最初に生まれる病だ。

夜、焚き火の前で神武は矢を抜かせながら、笑った。笑いは薄かった。薄い笑いは、痛みを隠すための礼儀だ。

「我らは、太陽を正面に受けて戦っていた」

誰かが「不吉です」と言った。不吉という語は便利だ。便利な語ほど危険だ。不吉と言えば、失策を神のせいにできる。神のせいにした瞬間、人は学ばない。

神武は首を振った。首を振る動作が、妙に静かだった。静けさは、決心が人間から離れていく合図にも似ている。

「神のせいではない。――我らの向きのせいだ」

向き。それは地理の話のようでいて、倫理の話だった。向きが変われば、背中が変わる。背中が変われば、受ける光が変わる。受ける光が変われば、影が変わる。影が変われば、人間の罪の形も変わる。

神武は焚き火を見つめ、続けた。

「太陽を背にする。背にすれば、眩しさは敵に行く。眩しさを敵へ渡す。――それが、勝つということだ」

私はその言葉が怖かった。勝つ、という語が、ここまで身体的に語られるのを聞いたのは初めてだった。勝つとは、剣の冴えでも、勇気でも、祈りでもない。光の配分だ。光を配分する者が、国を作る。国というものが、こんなに冷たい仕組みで始まることに、私は胸の奥が冷えた。

冷えると同時に、奇妙な共感が湧いた。神武は残酷だからそう言ったのではない。残酷にならずには、彼は生き残れないのだ。生き残った者だけが、死者を「始まり」にしてしまう。始まりにされる死者ほど、哀しいものはない。

それから私たちは海を廻った。紀伊の岬を回る風は鋭く、皮膚を切るように冷たかった。冷たさは正しい。正しい冷たさが、余計な昂ぶりを剥いだ。剥がれた昂ぶりの下から、疲労が顔を出した。疲労は正直だ。正直な疲労だけが、英雄の仮面を割る。

森へ入った日、空が妙に低かった。木々が空を押し下げているのではない。こちらの胸が重く、空が低く見えただけだ。重い胸は、祈りを欲しがる。祈りは甘い。甘い祈りは腐る。腐った祈りの上に、また次の矢が降る。

そのとき、黒い鳥が現れた。八咫烏。黒は闇の色ではない。黒は、光を抱え込んだ色だ。光を抱え込んだ黒ほど、神話に向いている。

鳥は枝から枝へ跳び、私たちの先を導いた。導かれるという行為ほど危険なものはない。導かれる者は、自分の足跡に責任を持ちにくくなる。だがこのとき私たちは、責任から逃げたくなるほど疲れていた。疲れは人を幼くする。幼さは、神の導きを欲しがる。

神武は鳥を見上げ、ほんの少しだけ眉を寄せた。神の徴(しるし)を前にした顔ではない。自分の人生が、今ここで「物語」にされることを恐れている顔だった。物語にされることが怖い、という恐れは、王の胸に最初に生まれる純粋さかもしれない。

私はその恐れに、どうしようもなく感情移入してしまった。英雄は、英雄になる瞬間に一番孤独だ。孤独は美しい。美しい孤独ほど危険だ。美しい孤独は、人を死へ誘うからだ。

大和へ入った。山々が折り重なり、土地が急に「抱く」形を見せた。抱く土地は優しい。優しさは油断を生む。油断は、死を招く。

戦があった。敵の首領は強く、私たちはまた幾人も失った。失うという言葉は軽い。軽い語の下で、身体が温度を失い、眼が乾き、口が開いたままになる。死体はいつも、最後に何かを言おうとする顔をしている。言えなかった言葉が、こちらの胸へ移ってくる。移ってくる言葉ほど重い。

神武は倒れなかった。倒れない背中ほど恐ろしいものはない。倒れない背中は、周囲の者の「倒れたくない」を無限に引き出す。倒れたくないという執着は、戦場では最も残酷な燃料だ。

やがて勝った。勝利の叫びが上がり、空へ逃げ、山に返って消えた。消える叫びほど空虚だ。空虚はすぐ「意味」を欲しがる。意味は麻酔だ。麻酔を欲しがる者は、勝利の瞬間にもっとも危険になる。

神武は一人、血の付いた草を見下ろしていた。血は赤い。赤は熱い。熱い赤は、すぐ冷える。冷えた赤は茶色になり、茶色は土に似てくる。土に似てくると、人はそれを「自然」と呼びたがる。自然という語ほど残酷なものはない。

私は神武の背後に立ち、声をかけようとして、やめた。言葉は、勝利のあとに余計に卑怯になる。慰めの言葉は死を整えるからだ。整った死は美談になる。美談は次の死を呼ぶ。私は呼びたくなかった。

神武は、私がそこにいることに気づいたのだろう、振り返らずに言った。

「お前は、わしをどう見ている」

突然の問いだった。問いは刃だ。刃は、刺さる場所を選ばない。

私は答えられなかった。神の子と見るべきか。王と見るべきか。どれも違う気がした。どれも正しい気がした。

神武は続けた。

「わしは、ここへ来たかったわけではない」

その言葉が、胸を撃った。来たかったわけではない――それは敗者の言い訳ではない。勝者の告白だ。勝者の告白ほど、聞く者を苦しめるものはない。なぜなら勝者の告白は、勝利の責任をどこにも置けないからだ。

「来なければならなかった。そういう声が、わしの中にある。声は神の声かもしれぬ。だが声の形は、結局わしの喉を通る。わしが言う。わしが歩く。わしが殺す」

殺す、という語を彼が口にした瞬間、風が一度だけ止んだ気がした。言葉が世界の中心に立つとき、世界は息を止める。

神武は、ようやくこちらを振り向いた。目は澄んでいなかった。澄んだ目は正義の目だ。神武の目は、濁っていた。濁りは恐れでも迷いでもない。濁りは、背負ったものの色だ。

「この濁りを、いつか誰かが『光』と呼ぶだろう」

彼は言った。

「呼ばれるたびに、死んだ者は軽くなる。軽くなった死は、また次の足を前へ出させる」

私は息ができなかった。神武は、自分が「始祖」になることを知っていた。知っている者ほど、孤独だ。孤独は美しい。美しい孤独ほど危険だ。けれどこの孤独は、死へ逃げる孤独ではない。生き続けるために、自分の胸を焼き続ける孤独だった。

「お前は、軽くするな」

神武は、私に向けて言った。

「臭いを覚えていろ。血の臭い。土の臭い。怖さの臭い。わしの言葉の臭い。――それだけが、国を“神話”にしないための鎖だ」

鎖。その語は重い。重い語は、なぜか救いに似ていた。救いに似たものほど危険だが、この鎖は甘くなかった。甘くない鎖は腐らない。腐らないものだけが、後世の過剰な美化に抵抗できる。

橿原の地で、神武は座した。人々は頭を垂れ、祝詞が上がり、酒が注がれ、白い布が揺れた。白は祝福の色に見える。だが白は、汚れを目立たせるための背景でもある。私はその白の中に、戦場の茶色を見た。茶色は土の色だ。土は正直だ。正直な土の上でしか、どんな始まりも立てない。

夜、篝火が燃え、影が伸びた。影は、王の影になった。影は、私の影にもなった。影は伸びるほど、いずれ溶ける。溶けるものほど後に残る。

私は酒を口にしなかった。酔えば、今夜は美談になる。美談は甘い。甘いものは腐る。私は腐らせたくなかった。だから、ただ喉の奥で土の匂いを反芻し、神武の言葉の「臭い」を覚え直した。

神武は、篝火の向こうで一人、静かに杯を置いた。杯を置く指が、微かに震えていた。震えは恐怖ではない。恐怖に似た、責任の震えだ。責任の震えほど、人間を人間にする。

私は、その震えに、つい感情移入してしまった。始まりの人が、始まりを祝えないこと。祝えないまま、祝われる席に座ること。その苦さが、私の胸に長く残った。

国は、いつか物語になる。物語は、必ず軽くなる。だが軽くなる前の、あの震えの重さだけは、誰かが持っていなければならない。

私は名もないまま、その重さを持ち続ける。日輪を背にした男の背中を、神話ではなく、ひとりの喉の震えとして覚えている限り。

 
 
 

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