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駆ける光

 箱形の街灯がともる頃、私は工場のシャッターを半分だけ開けたまま、膝にファイルを置いて書類を睨んでいた。広いわけじゃない、どちらかといえば狭苦しい事務スペース。古くから使い込んだデスクの角を指でトントン叩く。自分でもわかるくらい、苛立ちを隠せていない。

 新井製作所――従業員は十五名。創業から三十年が経つ町工場だ。父の背中を追うように、私がここで働き始めたのは五年前。金属加工の現場は肌に合っていると思う。多少薄汚れた作業着で金属粉を浴びるのも悪くない。むしろ誇りにさえ感じていた。

 だけど、最近はそれも何だか色あせて見えてしまう。それというのも、主力の取引先である「大崎パーツ」からの一方的な要求がエスカレートしているからだ。月に一度は「コストダウン」「仕様変更」「納期短縮」の三重奏が押し寄せる。下請法には抵触しているだろうとわかっても、逆らえば取引停止をちらつかされる。弱い立場の町工場はただうつむいて、こらえるしかない。

 今日も届いたメールには、決まり文句が並んでいた。 「今回のロットから単価を一律八%削減した見積もりを再提出願います。厳しい市場環境ゆえ、ご協力をお願いします」  ――協力、か。あいつらが言う「協力」ってのは、いつも誰かに一方的に負担を押し付けることと同義だ。

 遠くで金属加工機が回る低い音が耳に届く。重なって聞こえるのは、先輩たちの息づかい。彼らは日々、追加の仕事を無償同然でやらされている。あちこち改造しなきゃならない図面は、終業間際にバタバタと送り付けられたりする。荒れた息に咳が混じる声もある。頑丈だったはずの町工場が、目に見えない何かにじわじわと蝕まれているのがわかる。

「玲奈、まだ帰らないの?」

 後ろから声をかけたのは父だった。仕事着のまま、油染みがついたタオルを首にかけている。疲れが滲む顔の皺を伸ばすように、タオルの端で額の汗を拭く。

「うん、先にどうぞ。私はもう少し調べものしてから」

 父は小さくうなずきつつ、私が広げているファイルに視線を落とす。そこには中小企業庁や公正取引委員会のパンフレット、それから下請法の解説サイトを印刷した資料が並んでいた。

「大崎パーツのことか?」

 父の問いに、私は曖昧に肯(うなず)く。父ももちろん、このままじゃよくないと思っている。けれど、これまで何度も「我慢するしかない」「相手は巨大企業だ」と言い聞かされてきた。 私だって、できるならいちいち争いたくはない。それでも、このままでは新井製作所は立ち行かなくなる。機械のメンテナンス費も、熟練工の技術継承も、全部がおろそかになる危機感ばかりが増していく。

「玲奈、俺の方が何十年も業界を見てきたよ。この世界は弱肉強食だ。元請けの条件に付き合うしかないってのが、昔からの暗黙のルールだ」

 そう言い切る父の声は、やりきれないほど乾いていた。私は反射的に言葉を返していた。

「でも、だからって未来永劫、泣き寝入りなんていやだよ。こんな風に無理を押し付けられて……人が足りないなら残業を頼むしかなくなる。心身を壊していくのを見て見ぬふりなんて、私にはもうできない」

 父は短く息を吐き出すと、灰色の瞳にちらりと戸惑いを見せた。娘がこんな強い口調を使うのは珍しいと思ったのかもしれない。

「わかった。お前の言うとおりだ。が、どうする? 下請法違反を公取に通報するのか? 噂が漏れたら、大崎パーツだけじゃなく、他の取引先にも“あそこの工場はクレーマーだ”なんて敬遠されるかもしれないぞ」

「わからない。でも……」

 真実は一つだ。今のままじゃ、ここは潰れてしまうかもしれない。その危機感が、はっきりと私の背中を押していた。

 数日後、私は思い切って商工会議所が主催する中小企業向けの無料相談会に足を運んだ。休日の昼下がり、こぢんまりとした会場には同じような悩みを抱えた経営者や家族、従業員らしき人たちがぽつぽつと集まっている。皆どこか疲れた顔をしていた。

 公正取引委員会の担当官と、弁護士らしき人物が並んで相談を受けている。順番を待っている間、私はずっと膝の上に置いた資料を指先でかすかに揺らしながら考えた――あちらを立てれば、こちらが立たない。そんなジレンマばかり続けていたら、結局は何も変わらないままだろう、と。

「次の方、どうぞ」

 呼ばれて立ち上がった時、自分の心臓の鼓動が耳に響いた。でも、あの工場を守るために、私はここに来た。それを思えば怖くない……はずだ。

「なるほど……確かに、これは下請法違反の可能性が高いですね」

 相談員の弁護士は、私が持参したメールや契約書のコピーを照らし合わせ、静かに頷いた。公正取引委員会の担当官もメモを取っている。

「ただし、おっしゃる通り、企業名を出して公に戦うとなると、元請け側からの報復リスクがあります。そこで多くの下請企業が泣き寝入りするのも実情です……」

 彼らは同時に、匿名通報という方法があることを教えてくれた。調査が入り、相手企業が“あれ?”と疑い始めるリスクもゼロじゃない。それでも、一歩を踏み出す意義はあると彼らは言った。

 私は行動する覚悟を固めた。大崎パーツに対して言いたいことを言うだけではなく、その先の“仕組み”を少しでも変える助けになるなら――それは、とてつもなく大きな挑戦だけれど。

 その翌週、父に相談した末、会社として正式な書面にまとめた。無論、危険は承知の上だ。それでも父は、誰よりも苦しむ従業員の姿を目の当たりにし、意を決して印鑑を押してくれた。

 結論から言えば、大崎パーツはしばらくして公正取引委員会から調査を受けた。私たちの存在を名指しで疑ったかどうかは定かじゃない。でも、似たような被害を受けていた他の下請企業も複数あったらしく、調査は思いのほか大規模になった。

 その影響で、大崎パーツは内部文書の洗い出しや購買部門の指導強化を迫られることになったらしい。大々的に報道されるまでには至らなかったけれど、少なくとも“取引先への締めつけ”には一定の歯止めがかかったと聞く。

「会社としては厳しい時期が続くかもしれん」

 父は、ブルドッグみたいにごつい顔を苦しげに歪めながら言った。大崎パーツからの仕事が減る可能性もある。実際、発注量は多少減った。

 それでも、私は生まれて初めて肩の荷が下りた気がした。ずっと心の奥で、「こんなのはおかしい」という違和感がくすぶっていた。それを見て見ぬふりを続けるのは、自分がやりたかった仕事の誇りを否定するように思えたのだ。たとえ規模が小さくても、熱意を失わずに加工技術を守っていけば、手を組んでくれるパートナーはほかにきっといる。

「大変だな……ま、挑戦か」

 現場で作業着を汚しながら、父は苦笑して言う。 鉄粉まみれの作業台には、新規取引を結んだメーカーからのサンプル部品が置かれていた。応援してくれる商社もいくつか見つかって、少しずつだが新しい案件が舞い込み始めている。

「うん、でもワクワクしてる。やっと、うちの工場にしかできないことを見つけられそうな気がする」

 私の言葉に、父はふっと片方の口角を持ち上げて笑った。いつもの無骨な顔が、少しだけ柔らかく見えた気がする。

 工場のシャッターを閉めるのは、いつも午後十時を回る。金属の臭いと、人の体温が混じった空気が充満した作業場から一歩外に出ると、夜風が襟足にひんやり心地いい。振り返れば、動きを止めた機械が月明かりに鈍く光っている。 あの機械だって、職人たちだって、誰かに使い捨てされるために働いているわけじゃない。ここで培われる技術には必ず価値がある。それを守り抜くことが、私の誇りだ。

 ぎい、とシャッターを下げながら、小さく深呼吸をした。大崎パーツの影はまだ残っているけれど、確かに風向きが変わり始めたと感じる。一つの行動が、少しだけ景色を変えてくれた。

 これから先、どんな試練が待っているかわからない。けれど、そうだとしても私はもう後ろを振り向かない。明日もこのシャッターを開けば、工場の中に新しい光が射し込むんだ――そう信じているから。

 私は力いっぱいシャッターを閉め、その手を温かい夜風の中へ伸ばす。遠くの街灯が瞬いた。いつか必ず、私たちの努力が、町工場を守るだけじゃなく、もっと多くの人たちに――小さくても確かな“希望の火”を届けてくれるはずだ。

 
 
 

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