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潮の鎧

海は鏡ではない。鏡より残酷だ。鏡は顔だけを映すが、海は心臓の裏側まで映してしまう。博多の浜に立つと、鎧の下の汗が塩になり、その塩が皮膚を刺して、まだ斬られてもいないのに痛みだけが先に来る。痛みが先に来るとき、人はだいたい「勇ましさ」を演じてしまう。私はその演技が上手かった。上手い演技ほど、あとで自分を憎ませる。

文永の役のとき、私は若かった。一騎討ちの名乗りが、国を守る作法だと信じていた。敵が名を名乗り、こちらも名を名乗り、矢が飛び、馬が突っ込む。形式が整えば、死に方も整う。整った死は美しい。美しさは、恐怖を薄める麻酔になる。私は麻酔を欲した。

だが海の向こうから来たものは、形式を嫌った。敵は列になり、太鼓のような音を打ち、旗を密林のように揺らし、矢を雨のように降らせた。雨は誰も選ばない。選ばない雨ほど侮辱的なものはない。矢は、名も聞かずに人の喉へ刺さる。私は初めて「戦」が、礼の外側にある巨大な機械だと知った。

その夜、浜の砂に伏せながら、私は生き恥を噛んだ。生き恥は、鎧より重い。

だから弘安の役の知らせが来たとき、私は奇妙に安堵した。「もう一度」――という言葉は、罪の言い訳に似ている。もう一度戦えば、あの夜の屈辱が洗える。洗えるという発想が下品だと分かっていた。それでも私は、洗いたかった。海の塩では洗えぬ恥がある。

石塁は、冬の間に伸びていた。石は冷たい。冷たさは正しい。人間の胸の熱を叱るように、石は海と陸の境に黙って横たわり、こちらへ「守れ」と命じた。守れという言葉は甘い。甘い言葉はよく燃える。だが石の命令は甘くなかった。石の命令は、ただの事実だった。――ここから先は、やらせぬ。

正午前、潮が引いた。引いた潮の跡は黒く濡れ、そこへ蝉の声が落ちる。夏の蝉は、戦を知らない。知らないものほど残酷だ。蝉の声の下で、沖の水平線がゆっくり膨らみ始めた。最初は雲のように見えた。次に、それが帆だと分かった。帆の数が多すぎて、私は笑いそうになった。笑いは薄い。薄い笑いは恐怖の裏返しだ。

敵の船は、海そのものが浮かび上がったように密だった。その密さが、私の「英雄の夢」を一瞬で押し潰した。英雄は、群れの前ではただの肉だ。

太鼓が鳴った。どこから鳴ったのか分からない。海から鳴り、空から鳴り、腹の底から鳴る。音が場所を失うとき、人間は輪郭を失う。輪郭を失ったまま、私は弓を引いた。引き絞る指が震えないのは勇気ではない。癖だ。恐怖は癖に負けるとき、いちばん人を救う。

矢を放つ。矢は飛ぶ。飛ぶが、敵は倒れない。倒れないのは鎧のせいだけではない。倒れる前に、前の者が後ろの者に押し出されている。押し出される肉は、名乗る暇がない。名乗れぬ肉ほど惨めなものはない。私はその惨めさを、敵に対してより、むしろ自分に対して感じていた。

次の瞬間、鉄の破裂が空気を裂いた。音が、鼓膜ではなく骨を叩く。石塁の上の誰かが叫んだ。叫びは熱を持ち、熱はすぐ恐怖に変わる。土が跳ね、木片が飛び、血が顔に当たった。血は温かい。温かい血は、戦の「現実」をいちばん素直に教える。現実は、美学を殺す。

「てつはうだ!」

誰かが言った。私は見た。黒い玉のようなものが飛び、落ち、裂けた。裂けた瞬間、世界が一枚の紙のように破れる音がした。紙が破れる音ほど、生活の音に似た破滅はない。破滅が生活に似るとき、人は泣くこともできない。

石塁の向こうの町が燃え始めた。火は美しい。美しい火は、正義の顔をしない。ただ燃える。燃えるものは正直だ。正直だから、こちらの嘘を焼き尽くす。嘘が焼け落ちると、残るのは「生きたい」という裸の声だけだ。裸の声は恥ずかしい。恥ずかしいから、私は歯を食いしばった。

その夜、私たちは船へ襲いかかった。小舟で、暗い海を滑る。波は黒く、黒い波は刀の鞘のように冷たい。冷たさの中で、船の影が巨大な獣の腹のように浮かび、獣の腹に近づくほど、私の胸は奇妙に静まった。静まるのは覚悟ではない。諦めだ。諦めは、恐怖よりずっと役に立つ。

鉤をかけ、よじ登る。敵の甲板は異国の匂いがした。油と獣脂と、乾いた香辛料の匂い。匂いは国境を知らない。知らない匂いほど、こちらを弱くする。私は弱くならぬために、目を細めて斬った。斬れば世界は単純になる。単純さは救いに似ている。

剣が骨に当たる感触は、思ったより鈍かった。刃が肉を裂く音は、驚くほど生活の音だった。布を裂く音、魚を捌く音、縄を切る音。そういう音の延長に、人が死ぬ音がある。延長であることが恐ろしい。延長なら、また繰り返されるからだ。

敵の顔が見えた。目が、こちらと同じように濁っている。濁りは恐れであり、怒りであり、未練である。未練の顔は万国共通だ。共通であることが、私の刃を鈍らせた。鈍った刃は危ない。危ないから私は、鈍りを怒りで叩き直した。怒りは便利だ。便利な感情ほど、人を人殺しにする。

夜襲を何度も繰り返し、海は次第に死の匂いを濃くした。潮の匂いに混じる鉄の匂い。血と錆の匂い。腐敗の前触れの甘さ。甘い匂いは腐る。腐った甘さは、勝っても負けても残る。残るものほど、本当の戦果だ。

だが、私たちの戦果には、いつも穴があった。奪う土地がない。焼く城がない。討ち取った首はあっても、恩賞の札は薄い。薄い札は胸を温めない。温まらぬ胸のまま人は生きられない。生きられないから、より「立派な死」を欲しがる。立派な死ほど、時代にとって都合がいい。

私はその都合にされるのが嫌だった。嫌なのに、心のどこかで都合にされたい欲望もあった。欲望は汚い。汚い欲望ほど、正しさの衣を着たがる。

そのとき、空が変わった。夕方から、風が止まった。止まった風の静けさは、祈りに似ている。祈りに似た静けさほど不気味なものはない。海が、妙に平らになり、平らな海の上で船の帆がだらりと垂れた。帆が垂れる姿は、首を垂れる人間に似ていた。似ているから、私は笑えなかった。

夜半、空が裂けた。裂けたのは雲ではない。空気そのものだ。風が、神の怒りのように海を押し、押された海が、今度は船を押し潰した。船は砕け、帆柱は折れ、甲板の叫びが風に削られて短くなる。短くなる叫びほど残酷だ。叫びが短くなると、死は「処理」になる。処理された死は、物語にしやすい。

私は石塁の上で、ただ立っていた。立っているだけで、身体が風に持っていかれそうだった。風は肉を軽くする。軽さは自由に似ている。自由に似た軽さほど危険なものはない。風に運ばれて死ねたら、どれほど楽だろう、と一瞬思った。その一瞬が恥だった。恥は生き残りの印だ。

翌朝、浜は異様に静かだった。静かすぎて、耳が壊れた気がした。海には、木片と縄と帆布と、人が浮いていた。浮いている人は、人ではなく黒い塊だった。黒い塊の中に、かつての顔の位置だけがある。位置だけが残ると、心は勝手に顔を作る。顔を作ってしまうと、こちらの罪が完成する。

私は浜を歩いた。歩くたび、砂の下から何かが出る。短刀、矢、革靴の欠片、異国の硬い帽子。拾えば拾うほど、私は何も拾えない者になる。拾ったものは戦利品ではない。拾ったものは、死の証拠だ。証拠は、胸の内へ入るときに一番重い。

その日、誰も勝利を叫ばなかった。叫べなかったのだ。勝ったのは、風だった。勝ったのが風なら、人間の「立派さ」はどこに置けばいいのか。立派さの置き場を失った者は、途端に滑稽になる。滑稽は、英雄譚の敵だ。英雄譚は滑稽を嫌う。嫌うから、滑稽な部分は切り落とされる。

切り落とされるのは、たいてい生き残った者の臭い部分だ。臭い部分を抱えて残るのが、私たちだ。

それから私は、何度も鎧を脱いだ。脱ぐたび、皮膚に残った塩が白く浮く。白い塩は潔白ではない。白い塩は、汗の残骸だ。汗の残骸ほど、戦の真実に近い。

私は鎧を磨きながら、ふと思う。私が守ったのは国か。主君か。家か。いや、守ったのはもっと卑しいものだ。守ったのは、ただ「生きてしまった自分」を、どうにか今日まで保つための薄い形だった。

神風。人はそう呼びたがる。呼べば救われる気がするからだ。だが救われたのは誰か。救われたと言い切れる者だけが、あの風を美談にできる。美談は甘い。甘いものは腐る。腐った美談は、次の戦を呼ぶ。

私は今でも、博多の浜の匂いを覚えている。血と潮と、燃えた木の匂い。そして、風がすべてを押し倒した朝の、異様に清潔な冷たさ。清潔さほど残酷なものはない。清潔さは、罪の臭いを消してしまうからだ。

だから私は、忘れないようにする。風に救われたなどと言って、胸を軽くしないようにする。軽くなれば、また同じ軽さで誰かを死へ送ってしまう。

鎧の内側で、塩は今日も皮膚を刺す。その痛みだけが、私にとっての「恩賞」だ。痛い限り、私はまだ、人間でいられる。

 
 
 

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