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大東

  • 山崎行政書士事務所
  • 6月12日
  • 読了時間: 16分


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序章(巡視船の命名式)

晴れわたる青空の下、瀬戸内海に面した造船所で新造巡視船「大東」の命名・進水式が執り行われていた。白塗りの艦体は初春の陽光を鏡のように反射し、艤装された紅白の幕と大漁旗が舞台の緞帳のように翻る。その日、岡山県玉野市のドックに集った制服姿の海上保安官たちは、胸に熱いものを感じながら整列していた。周囲には国旗と社旗がはためき、祝賀の楽隊が凛とした曲を奏でる。まるで劇場の開幕を告げるファンファーレのように、式典は厳かな高揚感に包まれていた。

桟橋上では、第5管区海上保安本部長・鍬本浩司が高らかに命名文を読み上げ、新たな船に「だいとう」と名を授ける。続いて金色の大きなくす玉が割られると、五色の紙吹雪が宙に舞い散った。支綱が断たれ、巨体の船はゆっくりと岸壁を離れ、水面へと滑り出す。一瞬の静寂の後、歓声と拍手が湧き起こり、汽笛が高らかに鳴り響いた。命名式という名の儀式は、まるで古式ゆかしい観艦式のごとき劇的演出で幕を閉じた。

若き巡視船乗組員、水島亮介はその光景を人知れず潤んだ瞳で見つめていた。20代半ばの精悍な顔つきには、海と国家への熱い想いが刻まれている。彼にとって「大東」という艦名は単なる記号ではない。それは沖縄県の大東諸島に由来する名であり、祖国の東方の海を守るという象徴でもあった。加えて「大東」の二字には、かつて先人たちが夢見た大東亜の響きすら潜み、青年の胸を鼓舞するものがあった。亮介は自らもこの新造船と運命を共にし、日本の碧き領海を守る盾となるのだと心に誓う。

彼の脳裏には、式典前に上官から聞いた言葉が蘇っていた。「この船は中国公船による尖閣諸島周辺での領海侵入が相次ぐ中、我国の海を守る切り札として建造されたのだ」――まさに今、国家の誇りと主権が試されている。それゆえ3500トン型・全長120メートルの大型巡視船が急ぎ配備され、最新鋭の40mm機関砲や遠隔放水銃、ヘリ甲板まで備えられたのである。亮介は甲板上できらめく紙吹雪の一片を手に取りながら、これは単なる船の進水ではなく、日本の誇りと覚悟の進水でもあると感じていた。彼の胸中で、儀式の祝祭的高揚と使命への静かな闘志とが交錯し、燃え上がるような熱が生まれていた。


第一章(尖閣出航、若き巡視官の信条)

命名式から程なく、「大東」は白波を蹴立てて西へと進発した。航路は東シナ海の果て、沖縄県石垣島を経て尖閣諸島周辺へ――それはこの新鋭巡視船に与えられた最初の任務だった。船上に吹きつける塩風はなお冷たく、しかし亮介の心には確かな火が宿っている。甲板に立つ彼は、朝日に黄金色に染まる海原を望みながら、静かに敬礼して心の中でつぶやいた。「この海こそ我が国の生命線。必ずや守り抜かん」と。

亮介は幼少の頃より、祖父から海と国防の物語を聞かされて育った。祖父は旧海軍の生き残りで、敗戦後もなお日本の誇りを語り継いだ人物だった。少年の日、亮介は祖父から教わったという葉隠の一節を折に触れて思い出す。「武士というものは、一か八かの選択のときには、死ぬほうを先に選ばねばならぬ」――命を賭す覚悟こそが武士道の真髄だ、と。三島由紀夫の小説や評論にも傾倒していた祖父は、「現代人はドラマティックな死を忘れ、ただ日常に埋没しつつある」と嘆いていたものだ。亮介はその言葉を心に焼き付け、祖父の遺影に誓った。「自分は卑怯な生を貪ることなく、いざという時は崇高な死を選び取る」と。

大東の船橋で任務に就く亮介は、新人とはいえ強い理想に燃える巡視官であった。誰よりも早く甲板を磨き上げ、誰よりも遅くまで海図とにらめっこして航路の安全確認に余念がない。先輩乗組員たちはそんな彼を微笑ましく思い、「石頭のガンコ者だが頼もしい奴だ」と陰で評していた。亮介の胸には国家という大義への奉仕と、自己の武人としての矜持が硬い鎧のように宿っている。その眼差しは常に遠い水平線の彼方、尖閣の小さな島影を射抜くように据えられていた。

出航から数日、碧い海原の孤独な巡航が続く。洋上では時折、渡り鳥が甲板に舞い降りる以外、人の営みの痕跡は見えない。しかし亮介の内なる劇場では、絶えず太鼓が鳴り響き、決戦の幕が上がるのを待っていた。彼は夜毎に甲板に立ち、満天の星々に問いかける。「自分の命を賭す価値のあるものは何か」。そして星明かりの下、自問自答の末に出る答えはいつも同じであった。祖国日本――その永遠を守ること、それ以上に崇高な使命は無い、と。


第二章(東京・政界との対比と沈黙)

一方その頃、東京・永田町では重苦しい沈黙が支配していた。尖閣諸島周辺で緊張が高まっているという報は政権中枢にも届いていたが、政府高官たちは声高な議論を避け、会議室には不自然な静けさが漂う。「対策本部を設置すべきでは」「いや、下手に騒げば中国を刺激するだけだ」と囁かれるものの、公の場では誰も断固たる決意を口にしなかった。まるで劇場のスポットライトを避ける役者のように、政治家たちは舞台袖に身を潜めているかのようであった。

内閣の一室では、安全保障に関する極秘の協議が行われていた。出席者は総理大臣以下、数名の閣僚と官僚たち。だが会議は冒頭から歯切れが悪い。防衛大臣が「海上保安庁から緊迫の報告が上がっています」と資料を配っても、総理は神妙な面持ちでうなずくばかり。やがて官房長官が静かに切り出した。「…尖閣付近の問題、あまり大事にせず静観するのも一策かと存じます。世論も敏感ですので」――その言葉に室内の空気は凍りついた。誰もが内心ではこの発言に忸怩たる思いを抱きつつ、結局反論は上がらない。政治の論理は保身と事なかれ主義に傾き、沈黙という名の暗黙の合意が支配的だった。

永田町の外でも、世間一般の反応はどこか鈍く曖昧だった。政府の一部には尖閣諸島への公務員常駐や防衛力強化を唱える声もあるにはあったが、多くのメディアは日々の国内ニュースに忙殺され、尖閣問題は断片的にしか報じられない。国民の関心も薄いのだろうか――実際、内閣府が行った世論調査では「尖閣諸島に関心がある」と答えた人は8割近くに及んだものの、逆に2割ほどは「関心がない」と答えているという。しかも関心がない理由として、「知る機会や考える機会がなかった」「自分の生活に影響がないから」といった声が上位を占めたという。つまり多くの国民にとって尖閣の問題は遠い海の出来事であり、日常の延長線上には存在しないかのようだった。

亮介の乗る巡視船「大東」が緊迫した使命感の中にあるのとは対照的に、東京の街は平穏そのものであった。オフィス街ではサラリーマンが行き交い、繁華街ではネオンが輝いている。防衛や領土問題への言及は、居酒屋の片隅で飛び交う冗談にさえ滅多に上らない。誰もがそれぞれの生活に追われ、劇場の幕は閉ざされたまま。しかしその静けさの底には、漠然とした不安と忸怩たる思いが澱のように沈んでいた。かつて三島由紀夫が「今は大義がない」と嘆いた現代日本。まさにその言葉通り、何のために生き、何のために死ぬのかという問いが、社会全体で意味を失いつつあるようにも感じられた。


第三章(対中公船との緊張と戦術)

やがて、「大東」は尖閣諸島の北方海域に達した。周囲に見えるのは波間に浮かぶ幾つかの岩礁と、遠くに薄く霞む魚釣島(うおつりじま)の輪郭だけである。折しも天候は快晴、視界は良好だった。亮介が双眼鏡で水平線を見渡していたその時、通信士から緊迫した声が飛んだ。

「艦長!方位〇八〇に未確認船影、複数!」

一瞬で艦橋の空気が張りつめる。レーダー画面には、自艦に向かってくる3つの反応点がくっきり映し出されていた。

「中国海警局の公船と推定されます」

副長の報告に、艦長は静かにうなずいた。

ついに来たか、と亮介は喉元が焼ける思いがした。双眼鏡越しに遠方を凝視すると、白い船体に青いストライプ、そして赤文字で「海警」と記された大型船が確認できる。明らかに武装も施されていた。中でも先頭の1隻は船首に76ミリ砲らしき砲塔を備え、その威圧的な姿は5000トン級に匹敵する巨体である。亮介の背筋に冷たい汗が一筋流れ落ちた。

最新鋭とはいえ「大東」はまだ就役したて、乗員も演習以外での実戦的対応は初めてだ。一方、相対する中国公船は近年ますます大型化・重武装化が進んでいると聞く。まさに一触即発の危機が眼前に迫っていた。

艦長は即座に全乗員に配置に就くよう命じ、国際VHF無線で中国公船に警告を発した。

「こちらは日本国海上保安庁巡視船である。貴船は日本の領海に侵入している。直ちに退去せよ!」

しかし返答はない。代わりに距離を詰めてきた先頭の公船が、大音響で汽笛を三度鳴らした。挑発するかのような低い響きが「大東」の船体にも伝わり、鈍い振動となって乗組員の足元を揺らす。

中国公船はさらに接近し、二隻は白昼の海上で向かい合う形となった。距離およそ数百メートル――肉眼でも相手の甲板上に立つ人影が見えるほどだ。亮介は緊張で口内が干上がるのを覚えつつ、それでも毅然と胸を張った。祖国の海を侵犯する者に怯むわけにはいかない。

「放水準備!」

艦長の号令一下、「大東」の放水銃が中国公船の船首に向けて旋回する。同時に相手機も甲板上の消防砲らしきものをこちらに向けてきた。青く澄んだ空と海が、二隻の公船によって真っ二つに分断されたかのように感じられた。

そのとき、近傍の無線に緊急チャンネルの通信が入った。

「…こちら漁船、はえ丸。中国の船に追われている!助けてくれ!」

周辺で操業中の日本人漁船からの救難要請だった。見ると、公船の一隻が離脱し、少し離れた場所で小型漁船を追尾しているのが見える。中国側は領海内にいた日本漁船を追い払おうとしているのだ。

亮介の心に怒りの炎が燃え上がった。

「卑劣な…!」

彼は思わず拳を握りしめた。

艦長はすぐさま命じた。「漁船との間に割って入れ!」

「大東」は機関を全開にし、急旋回で高速移動。白波を蹴立てて中国公船の進路を遮断する形で漁船を防護した。辛くも漁船の進路をふさぐことに成功すると、相手は鋭く針路を変え、接触を避けるように退いた。

やがて日没が近づき、中国公船は姿を消すように海上から退いていった。漁船も無事離脱していった。艦内には安堵の空気が広がるも、亮介の心は晴れなかった。

「これでいいのか…」

彼の胸中には、撃つことも撃たれることもなかった静かな戦いのむなしさが、虚ろな穴のように残っていた。


第四章(政界の妥協と青年の憤り)

尖閣沖の緊迫した出来事から数日後、東京では断続的に関連閣僚会議が開かれていた。だがその席上で交わされるのは歯切れの悪い方針ばかりだった。

「今回の事案、外交ルートで中国側に抗議しますが、現場対応は慎重に」

総理大臣が述べると、外務大臣や官房長官も異論なくうなずく。強硬策は影を潜め、結局「慎重対応」「遺憾の意表明」といった常套句だけが議事録に残った。

政権与党の幹部も「経済関係もある。我々は大人の対応をするしかない」とメディアに語り、野党ですらこの問題で政府を強く追及しようとはしなかった。結局、この領海侵犯劇は国内では大きく報じられることもなく、政府の抗議声明と中国側の反論が新聞の片隅を飾っただけで幕引きとなった。

海上保安庁には上層部を通じて政府から「現場対応をエスカレートさせるな」という趣旨の通達がなされた。要するに、これ以上事を荒立てぬよう静観せよ、というのである。尖閣周辺での巡視船の増派計画も棚上げされ、既存の常態警備体制が維持されるだけとなった。

この報せが「大東」の乗組員にも伝えられるや、士気は露骨に下がった。誰も口には出さぬが、「我々は命懸けで任務を果たしたのに、政治は結局何もしないのか」という失望と怒りが船内に充満した。

亮介はその知らせを聞いた瞬間、全身の血が沸騰するのを感じた。

艦長室に呼ばれ、上官から「無理はするなとのお達しだ」と苦々しく告げられた時、彼は思わず食い下がった。

「このままでは彼らの思う壺ではないでしょうか。我々の領海が犯されているのに…!」

しかし艦長は険しい表情で首を横に振るばかりだった。

「俺だって歯痒い。だが命令には従わねばならんのだ」

その声は悔しさに震えていた。亮介は何も言えず、唇を噛み締めて敬礼し退出した。

命令――その重みは軍紀に準ずるものとして亮介の精神に刻まれている。しかし、心の奥底で煮えたぎる憤怒と無念は抑えようもなかった。

夜、亮介は一人、暗い甲板に立っていた。星明りに照らされた静かな海がどこまでも広がっている。その美しさはかえって彼の胸を刺した。

彼は拳を固く握りしめ、呟く。

「このまま何もせずに見過ごせというのか…」

祖父や三島由紀夫の言葉が脳裏に去来した。

――今は大義がない。しかし人は自分を超える価値を見出せなければ、生きることすら無意味になる――

「自分を超える価値」とは何なのか。亮介にとってそれは国家であり、守るべき同胞であった。たとえ政治が沈黙し、世論が曖昧でも、自分だけは揺るがぬ意志を持っていたい。でなければ、ここまで命を懸けて海に立つ意味がないではないか。

ふと、ポケットの中の小さな紙片に触れた。そこには、彼が折に触れて書き留めていた座右の銘が走り書きされている。

「一死以テ大罪ヲ謝ス」

命をもって大いなる罪を謝す。幕末の志士・吉田松陰が処刑前に残した言葉だという。亮介はそれを自らへの戒めとして肌身離さず持ち歩いていた。

「大いなる罪」とは何か。それは国家の危機に際して何も為さぬことであり、卑怯にも座して見過ごすことではないのか。

そう胸中で自問するとき、亮介の中で一つの覚悟が固まりつつあった。


第五章(決断と最後の警備行動)

翌朝早朝、灰色の曇天の下で「大東」は再び尖閣諸島沖の警戒航行を続けていた。夜明け前から不穏な情報が飛び込んできていた。中国公船3隻が再び接近中との連絡、さらにその中の1隻が漁民を装った中国人一団を魚釣島に上陸させる恐れあり、との情報である。

政府は公式には「そのような事実は確認されていない」と発表していたが、現場には緊急事態に備えるよう極秘の指示が出ていた。

亮介は緊張に喉を焼かれながらも、来るべき時に向け心を静めていた。もし島に敵が足を踏み入れれば、国土が侵されることになる。それだけは断じて許してはならない――もはや彼の覚悟は定まっていた。

午前五時過ぎ、薄明の海上に再び中国公船の姿が現れた。しかも今回は4隻に増えている。旗竿に掲げられた五星紅旗が強風にはためき、不気味なまでに赤く見えた。

「総員配置に就け!」

艦長の怒号が飛ぶ。亮介も所定の持ち場に駆けつけたが、既に彼の胸中ではある決意が炎のように燃え盛っていた。

「大東」単艦でこの数を相手にするのは厳しい。増援の巡視船は向かっているが到着には時間がかかる。島への強行上陸を許せば、取り返しがつかなくなる恐れがある。

亮介は荒ぶる心を抑えつつ、最後の手段に思い至っていた。

その時、中国公船の1隻から小型ボートが降ろされ、黒い点のように見える高速艇が魚釣島へ向かい出した。双眼鏡で確認すると、どうやら十数名の人影が乗っている。

「上陸を企図している可能性大!」

副長が叫ぶ。艦長も血相を変えて指示を飛ばした。

「何としても阻止する!巡視艇を出せ!」

小回りの利く搭載高速艇(RHIB)で追いつき妨害するつもりだ。

亮介は即座に手を挙げた。

「自分が行きます!」

艦長は一瞬ためらったものの、亮介の決死の形相を見てうなずいた。

「頼む、必ず戻ってこい」

その言葉に亮介は微笑んだ。

「御心配なく」

静かに敬礼し、甲板下の高速艇格納庫へ駆け出した。

灰色の波間に、亮介の操縦するゴムボートのような巡視艇が飛び出した。エンジン全開で中国側高速艇に迫る。背後では「大東」が援護するように接近し、大音量で退去命令を叫び続けている。

しかし中国側の母船も妨害するように動きを見せ、「大東」はその対応に足を取られていた。

亮介の艇が孤独に波を跳ねながら突き進む。冷たい海風が容赦なく顔を打ちつけたが、彼の眼はただ一点、目前を走る敵の高速艇に据えられていた。

「あと少し…!」

距離はみるみる縮まっていく。

ついに亮介の操縦する艇は相手の船体に横付けする形となった。互いの船上から相手が肉眼ではっきり見える。中国語の怒号、日本語の怒鳴り声、入り交じる中、亮介は相手艇の進路を塞ぐよう自艇を乗り上げる覚悟でハンドルを切った。

その刹那だった。激しい衝撃音――中国側の高速艇が亮介の艇に体当たりしてきたのだ。

小さな船体は大きくバランスを崩し、亮介は激しく甲板に叩きつけられた。視界が暗転し、耳鳴りがこだまする。頬に感じる海水の冷たさで我に返った彼は、転覆しかけた艇から投げ出されそうになりながらも必死で舵を握り直した。

「まだだ…負けるものか!」

亮介は自らに言い聞かせ、再度相手に食らいつく。だが相手も死にもの狂いだった。再び衝突。今度は相手艇の舷側に自艇の船首が深々と突き刺さった形となり、両艇は絡み合ったまま波間を滑っていった。

混乱の中、亮介は相手艇に飛び移ろうと身構えた。上陸要員とおぼしき男たちが驚愕の表情でこちらを見ている。

「行かせるものか!」

亮介は渾身の力で相手艇のエンジン部に取り付き、工具で配線を断ち切ろうともがいた。

しかし次の瞬間、激しい痛みが腹部を貫いた。相手側の乗員の一人が鉄パイプか何かで彼を殴打したのだ。

膝から力が抜け、視界が滲む。それでも亮介は歯を食いしばり、倒れまいと踏ん張った。

遠くで「亮介!戻れ!」と叫ぶ声がかすかに聞こえた。同乗していた同僚が必死に呼んでいる。

しかし彼にはもう声も届かない。相手艇では複数の男たちが亮介に掴みかかり、殴る蹴るの暴行を浴びせ始めた。

だが不思議と恐怖は無かった。ただ「この命、ここまでか」という静かな悟りが心を支配していた。

彼は血に染まった口元に微笑を浮かべると、小さく呟いた。

「武士道とは死ぬことと見つけたり…」

かつて読んだ『葉隠』の一節が頭に浮かんだ。そして、祖父との約束も。

亮介は薄れゆく意識の中で最期の力を振り絞り、大きく叫んだ。

「天皇陛下、万歳!」

その声は荒れ狂う風に掻き消され、誰の耳にも届かなかったが、亮介の魂は確かに劇的な最期の瞬間に燃え上がった。

高波が打ち寄せ、絡み合った2隻の小艇は大きく揺さぶられた。対応に当たっていた「大東」のクルーたちは遠目にその混乱を目撃し、愕然と声を失った。増援の巡視船がようやく現場海域に到着しつつある頃、亮介の身体は冷たい海中へと崩れ落ちていった…。


終章(国家と個人、死の美学)

その日の午後、東京の官邸には緊急の一報が届いた。

「尖閣諸島付近で海上保安官1名が殉職」

公表は「殉職」だったが、実際には亮介ただ一人が発した独断行動ともいえる勇敢な最期であった。政府高官たちは一様に青ざめ、一人の若者の死を悼むよりも先に、その影響を恐れた。

国会では一瞬だけ彼の行動が議題に上ったが、すぐに外交問題への懸念にすり替えられ、詳細は伏せられたまま幕引きとなった。

新聞は小さく「尖閣周辺で巡視船員死亡、事故か」と報じただけ。世論も大きく動くことはなく、都会の喧騒は何事もなかったかのように続いていく。

しかし、海の最前線で散った亮介の最期は、決して無意味ではなかった。彼の同僚たちは涙を呑んでその死を伝え聞き、「あいつは本物の武士だった」と語り合った。

葬儀はひっそりと行われ、棺には海上保安庁の旗とともに、亮介が肌身離さず持っていた紙片――「一死以テ大罪ヲ謝ス」の言葉が納められたという。その遺影の微笑は清々しく、まるで舞台の幕が下りた後に満足げに客席を見る主演俳優のようでもあった。

三島由紀夫の述べた死生観によれば、人は自分を超える何かのために生きねば、生の倦怠から逃れられないという。

亮介はまさに自らの死をもってその哲学を体現したのかもしれない。

彼の選んだ死は、現代において失われた大義への殉教であり、国家という舞台の上で演じきった劇的な最期であった。

それは一個人の死としてはあまりに重く、大きな犠牲であったが、彼自身にとっては望み得るもっとも崇高な死であったに違いない。

波静かな尖閣の海に夕日が沈む。あの日と同じ黄金色の光が、穏やかな波間を朱に染めていた。

誰にも知られることなく国のために散った若き魂を、海だけが知っている。

国家と個人、その隔たりを超えて亮介は最期にひとつの美を見出した。

死の美学――それは彼が信奉した武士道の極致であり、現代という劇場で失われかけたドラマティックな生の証明でもあった。

彼の物語は静かに幕を閉じたが、その遺した問いかけは、遠い未来までも国という舞台の上で語り継がれていくことだろう。

国家とは何か、個人とは何か。そして人は何のために生き、何のために死ぬのか。

その答えを、海は今も押し黙ったまま潮騒に託している――。

 
 
 

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