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戦後思想の限界と公共性再定義

  • 山崎行政書士事務所
  • 7月21日
  • 読了時間: 20分


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はじめに

第二次世界大戦後、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下で急激な民主化改革を経験した。新しい憲法の制定によって表現の自由が謳われる一方で、GHQは自ら定めた「プレス・コード(新聞遵則)」によって徹底的な言論統制を行い、占領政策への批判や旧来の軍国主義的価値観の表出を封じ込めた。GHQは日本統治に際し、日本国民が反米的な言論に傾かないよう情報を管理する必要があると考えており、それがプレス・コード発令の背景にあった。

本稿では、まずGHQのプレス・コード思想の思想的背景とそれが戦後日本の報道制度に及ぼした影響を考察する。次に、戦後日本に根付いたリベラリズムの今日的展開を、LGBTQや選択的夫婦別姓などの社会問題に対する報道の扱いから検討する。また、2025年参議院選挙の結果に表れた有権者の価値観の変化や不満に着目し、既存メディア(テレビ・新聞)とSNSにおける公共性の分裂状況を分析する。以上を踏まえ、GHQのプレス・コード思想に由来する戦後リベラル的公共性の限界を論じ、現代的課題に応答しうる新たな公共性の構想(バランス型・多元的・参加型公共性)について理論的展望を提示したい。

第1章 GHQのプレス・コード:思想的背景と戦後報道制度への影響

GHQが1945年9月に発令した「日本に与うる新聞遵則(プレス・コード)」は、占領下日本の新聞・雑誌・通信社・放送局などすべての報道機関に適用される統制規則であり、これに基づいて検閲が実施された。プレス・コードの趣旨は「日本に言論の自由を確立せんが為」と謳われたが、その実態は「GHQおよび連合国への批判」「原爆被害への言及」等を禁じ、占領政策に都合の悪い記事を片端から削除・発禁処分にするものであった。

正式発令に先立つ1945年9月10日の覚書では、「GHQおよび連合国批判にならず、世界の平和愛好的なるものは奨励」とされていたが、9月15日付朝日新聞に原爆使用を国際法違反と批判する記事が載ると直ちに発行停止命令が下され、さらに9月19日にプレス・コード本令が通達された。このように、当初からGHQは占領政策への批判や連合国の戦争責任を問う言論を一切封じる方針であった。

1-1. プレス・コードの内容と統制体制

プレス・コードには具体的に削除・発禁の対象となる記事の30項目が定められていた。主なものは以下のとおりである。

  • GHQおよび連合国に対する批判

  • 占領軍への批判

  • 極東軍事裁判への批判

  • GHQが日本国憲法を起草したことへの批判

  • 検閲の存在に対する言及

  • 中国・朝鮮・満州などへの批判

  • 戦争擁護・神国日本・軍国主義の宣伝

  • ナショナリズムや大東亜共栄圏の宣伝

  • 占領軍兵士と日本人女性の関係報道

このように、占領軍にとって「好ましくない」一切の記事が禁止された。原爆投下や占領軍兵士の犯罪、連合国の植民地支配に関する記述なども厳禁とされ、占領軍を「進駐軍」と呼ばせるなどイメージ操作も徹底された。

検閲の実務はGHQ参謀第2部情報局の民間検閲支隊(CCD)によって行われ、日本人嘱託約5700名を動員し、全国の新聞・雑誌・学術論文・放送・私信に至るまでチェックされ、検閲経費は日本政府が全額負担した。GHQはまた、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」と呼ばれる宣伝工作を通じて、「太平洋戦争は日本国民と軍国主義者との争い」であるとすり替えることで、日本人に戦争の罪悪感を刷り込もうとした。このWGIPにより、日本人の精神的武装解除(war guiltの内面化)を図ったことが、占領期から戦後日本人の歴史意識を形作る大きな要因となったとされる。

実際、新憲法第21条で「表現の自由」が保障されていたにもかかわらず、1952年の主権回復まで言論の自由は有名無実の状態であった。GHQの理念的建前は「言論の自由の確立」だったが、それは占領軍の意図する「責任ある自由」、すなわち占領軍に都合の良い言論のみを許容する自由に過ぎなかった。

1-2. 戦後日本の言論空間への影響

7年間に及ぶGHQの検閲と宣伝工作は、戦後日本のメディアと言論風土に長期的影響を与えた。評論家・江藤淳は、GHQの検閲によって日本人自身がタブーを内面化し「閉ざされた言語空間」が形成されたと論じている。その自己検閲的な「新しいタブーの自己増殖」は独立後も続き、戦後日本の言語空間には現在なおその名残が続いていると指摘される。

例えば、GHQは占領後期に日本新聞協会に働きかけて1948年に「編集権声明」を出させているが、これは一見すると編集の自主権を宣言したものでありながら、GHQの統制方針をメディアが自発的に担保する側面もあった。

検閲そのものは1952年の講和条約発効により失効したが、多くのメディア関係者は占領期の検閲体験から「触れてはならない話題」を学習し、報道において自己規制的な傾向を強めたとされる。実際、占領期の検閲項目であった天皇制やGHQ批判、戦前回顧的論調、ナショナリズムの賛美などは、戦後長らく主要メディアではタブー視されがちであった。

こうした傾向は、日本の戦後言論界におけるリベラル志向の強い「戦後思想」的な言説空間を形成する一因となった。GHQの検閲・宣伝政策は、日本人の記憶にも影響を及ぼしたとされ、戦前・戦中の経験に対する総括の仕方や歴史観にも戦後民主主義的な枠組みを定着させた。その意味で、GHQが持ち込んだ占領期の思想(プレス・コードとWGIPに体現された言論統制と価値観の転換)は、表面的な制度以上に深く戦後日本の精神風土に刷り込まれ、今日に至るまで「見えざる検閲」として作用していると評価されている。


第2章 戦後リベラリズムの展開と報道:LGBTQ・夫婦別姓をめぐる言説

GHQ占領を経て成立した戦後日本の民主主義体制は、基本的人権の尊重や平和主義といったリベラルな価値観を理念として掲げた。これら戦後リベラリズムの理念は、教育やジャーナリズムの根底に流れ続け、政治・社会問題の報じ方にも影響を及ぼしてきた。

高度経済成長から冷戦期を通じて、日本の主流メディア(全国紙・テレビ)は概ねリベラルな論調――たとえば反戦平和主義、政教分離、個人の尊厳重視など――を堅持し、公民権運動や女性解放運動など欧米発のリベラル潮流にも共鳴的であった。21世紀に入り、ジェンダー平等やマイノリティの権利擁護が国際的関心を集める中で、日本のメディアもLGBTQの権利問題や選択的夫婦別姓の是非といった論点を積極的に取り上げるようになっている。

実際、2020年代の国政選挙では、同性婚や選択的夫婦別姓の実現が主要争点の一つに浮上し、新聞各紙は社説や特集でジェンダー平等の課題に言及するようになった。たとえば2025年参議院選挙に際して、多くの新聞社は政党・候補者アンケートに同性婚実現の是非を盛り込み、選択的夫婦別姓制度をジェンダー平等の試金石として論じていた。地方紙や全国紙の一部では、LGBTQ当事者の生活実態を伝える連載、また大手テレビ局による選挙特集番組の中でも、若者が同性婚や夫婦別姓を語る場面が放映されるなど、リベラルな視点からの報道が広く見られるようになった。

しかし一方で、このようなリベラルな報道姿勢に対する反発や不満も、徐々に顕在化してきた。とりわけ保守派や右派論者、またインターネット上のオルタナティブ系メディアの中には、主流メディアが「リベラル偏向」に陥っており、多様な意見を公正に扱っていないという批判が根強く存在している。

LGBTQをめぐる報道は、その典型例である。2018年、自民党の杉田水脈議員が「LGBTには生産性がない」と述べた件が波紋を呼び、主流メディアはこれを一斉に批判。続いて『新潮45』が擁護記事を掲載した際にも、多くの批判が集中し、結果的に同誌は休刊・廃刊に追い込まれた。これに対し保守派からは、「リベラルによる言論弾圧」「表現の自由の侵害」といった反論が起き、SNSなどでは「マスコミによるキャンセルカルチャー」との批判が広がった。

このような事例は、報道の自由と表現の自由のバランス、すなわち報道機関がリベラル的価値観をどこまで推進し、それに伴う反対意見をどう扱うかという点で、重大な課題を投げかけている。

また、トランスジェンダーをめぐる論争では、「女性専用空間の安全性」や「スポーツ競技の公平性」をめぐる議論において、主流メディアが懸念や異論を積極的に報じない姿勢がしばしば問題視されている。これに対し、保守派の一部は「マスメディアは『差別だ』という人権団体に圧力をかけられており、異論は沈黙させられている」と主張し、その背後に米国民主党系団体や国際的なLGBTアドボカシー団体との結びつきを見いだすような陰謀論的視座も拡大している。

これらの主張がどれほど事実に即しているかはさておき、現代日本の言論空間において、「リベラル公共圏」とそれに対抗する「草の根的保守公共圏」との間に、明確な乖離と断絶が生まれていることは否定できない。

こうした分断の兆候は、LGBTQや夫婦別姓といった「アイデンティティ政治」に関する報道姿勢を通じて可視化されたともいえる。かつては主流の公共圏に統合されることを願った少数派が可視化され、社会的承認を獲得する過程にあったが、今日ではその過程自体が新たな分断の源泉となりつつあるのだ。

この章で見たとおり、戦後日本の公共圏は、リベラル民主主義の理念のもとで形成され、そのなかでマイノリティの権利擁護という目標が一定の成果を挙げてきたが、それと同時に異なる価値観や懸念をもつ層の声を取りこぼし、「言いにくい空気」を醸成してきた。

次章では、このような「語られざる声」がどこへ向かい、2025年の参院選でどのような政治的表出を見せたのかを掘り下げてゆく。


第3章 2025年参議院選挙の結果:有権者の価値観変化と言論動向

2025年7月に実施された第27回参議院議員通常選挙は、日本政治の潮目が明確に変化したことを示す象徴的な出来事となった。与党である自民党と公明党は改選議席の過半数に届かず、2007年以来となる与党大敗を喫した。特に自民党は、改選前の勢力を大きく下回る39議席に留まり、比例代表では過去最低水準の得票率に沈んだ。

一方、野党の中でも立憲民主党は22議席にとどまり、野党第一党としての存在感を示すには至らなかった。代わって注目を集めたのは、国民民主党や日本維新の会、さらには新興勢力の参政党などである。特に参政党は、比例代表で14議席を獲得し、前回2022年選挙で初議席を得てからわずか3年で一躍、全国政党としての地位を確立した。

この選挙結果は、既存の政党秩序や保守・リベラルという伝統的なイデオロギー対立とは異なる文脈で、有権者が新しい政治的選択肢を模索していることを浮き彫りにした。

3-1. 「お灸」でも「交代」でもない分散的民意

中央大学の中北浩爾はこの選挙結果について、「自民党にお灸を据えたい層が立憲民主党をスルーして、無党派や新興政党に流れ込んだ」と分析した。つまり、従来の保守与党に対する不満が、そのまま既存野党の支持にはつながらず、むしろポピュリスト的な新党や政策一点突破型の政党へと分散する形で表出したのである。

その結果、自民党は「無敗神話」を誇っていた地方1人区でも次々と敗北し、地方の基盤すら浸食される形となった。特に農村部では、物価上昇や外国人技能実習生受け入れ拡大などに対する不満が強く、農協系団体の支持を背景に「家族・教育・食の安全」を掲げた参政党が支持を伸ばした。

また、立憲民主党の敗因としては、メッセージ力の弱さやSNS時代への対応不足が挙げられる。街頭演説は盛り上がりを欠き、若年層への訴求も限定的だった。これに対し、参政党は動画配信やYouTube演説、SNSを活用して、「政治を自分ごとに」と訴えるメッセージを連日発信。インターネットを介した「草の根運動」的な広がりが功を奏した。

選挙の構造は明確に変わりつつある。自民党という巨大与党、立憲民主というリベラル野党という2極構造に、有権者の支持はもはや集中せず、むしろ多党化と流動性が進み、「分散する民意」「離反する支持基盤」が定着しつつある。

3-2. SNSと言論空間の変容

今回の参院選を特徴づけたもう一つの要素は、SNS上での言論の広がりである。LINEヤフーの検索データによれば、公示日前後の時点で、政党名の検索数トップは参政党であり、他党に対して5倍以上の関心を集めていた。また、参政党関係のYouTube動画は累計1億回以上再生され、支持者による拡散と能動的視聴が合致した「運動型支持」が形成されていた。

このような構造は、テレビ・新聞などの一方向的な報道空間とは異なる「拡張公共圏」の出現を意味する。SNSでは情報が水平に拡散され、視聴者自身が発信者となり、仲間と議論を重ねながら政治的判断を形成する。参政党の政策や理念が「偏っている」かどうかということではなく、「既存の公共圏から排除された問題意識」が新たな媒体で可視化された点が本質的である。

具体的には、選挙期間中にSNSで最も言及された政策トピックは「外国人政策」であった。移民受け入れ、在留外国人支援、国籍取得要件の緩和などについて、既存メディアがあまり正面から取り上げない中で、SNS空間では不安や警戒の声が爆発的に広がった。

このような現象は、単に排外主義的な言説の増加として片付けるべきではない。むしろ、既存メディアや行政が十分に向き合わなかった問題に対し、市民が自ら議論の場を形成した結果と見るべきである。

3-3. メディア不信と「陰謀論的傾向」

さらに注目すべきは、参政党や一部新興政党の支持者に見られる「メディア不信」や「陰謀論的傾向」である。たとえば、ワクチン政策への不信、気候変動の原因に関する懐疑論、外国人犯罪報道への偏りに対する疑念などが、選挙前からSNSで強く語られていた。

調査によると、参政党やれいわ新選組を「好ましい」とする人々は、「世の中には大衆に知らされていない重大な出来事が数多く起きていると思う」や「政治的決定に強い影響力を持つ秘密の組織があると思う」といった設問に対し、強い同意を示す傾向があった。

つまり、右派・左派に関係なく、既存体制全体に対する不信が市民の一部に共通化されており、それが新たな政治勢力の支持へとつながっているのである。

これを単なる「非合理」と切り捨てるのではなく、既存の公共性の枠組みにおいて取り上げられなかった問題、可視化されなかった不安がどこへ向かったのかを真摯に分析する必要がある。


第4章 リベラル的公共性の限界:分断された言論空間

戦後日本の公共圏は、GHQによって移植された自由主義的価値観、すなわち「言論の自由」「個人の尊厳」「民主主義」「平和主義」などを中心に据えた理念的枠組みの上に形成されてきた。戦後リベラル的公共性は、国家主義や権威主義に対する警戒感を内包しつつ、反差別・反戦・人権尊重を前提とした言論空間を築いてきた。

この構造は、一定の時期においては「過去の過ちを繰り返さない」ための合理的な制度的・倫理的合意として機能してきた。だが2020年代以降、その公共性が孕む限界が、複数の方面から明確に露呈し始めている。

4-1. 「単一の正義」としての公共圏の脆弱性

リベラル的公共性の最大の特徴は、普遍的価値に基づいた「理性的な討議」を公共圏の中核に据えることである。ハーバーマスの言う「熟議民主主義」モデルに見られるように、公共圏は市民の理性と論拠に基づく対話によって形成され、共通善を追求する場とされる。

だが、現実の社会においては、価値観・生活様式・知識へのアクセスが均等ではなく、公共圏が真に「開かれた場」として機能することは困難である。むしろ公共性の名の下に、「特定の価値観が正統」とされ、それに異を唱える言説が「差別的」「非理性的」「非科学的」として切り捨てられる構造が強化されてきた。

LGBTQや夫婦別姓といったジェンダー関連の議論において典型的なのが、「人権を守る」というスローガンのもとに、異論の提示が封じられる状況である。たとえば「女性専用空間におけるトランスジェンダー女性の扱い」や「子の姓の一体性を重視する文化的背景」など、慎重な議論を要する問題でさえ、メディアでは「人権」対「差別」の単純な構図に落とし込まれ、反対意見は反民主的なものとして退けられる。

こうした構図は、「正義の独占」に近く、かえって民主的言論の多様性を損なう。結果として、一定の市民はその公共圏に「声を出せない」「共感されない」「歓迎されない」と感じ、別の場――すなわちSNSやオルタナティブ・メディア――に居場所を求めるようになる。

4-2. 「無言の検閲」としての空気の支配

戦後の言論空間においては、公式な検閲制度は存在しない。だが、GHQ占領期に起源をもつプレス・コードの影響は、「報道機関による自主規制」や「市民の間に広がる言論の空気」に形を変えて、今日まで残存している。

いわゆる「触れてはいけない話題」がメディアや学校教育、企業・行政の中に厳然として存在し、一定の立場を公的空間で表明することが「タブー化」している現状は、表現の自由の形式的保障とは裏腹に、実質的な「言論の格差」を生み出している。

これに対して一部の市民は、SNSやYouTubeなどの非公式な言論空間で自由に意見を述べることを選択し、また、それらのプラットフォームこそが「真実の語られる場」であるとの信念を抱くに至っている。彼らにとって、テレビや新聞は「言いたいことを言えない空間」であり、ある種の「権力の代弁者」として映る。

その結果、「公共性」という概念そのものが信頼を失い、むしろ「公」と名の付くものが「私的利益の装置」に見えるという倒錯的現象が生まれている。

4-3. 対抗的公共圏の台頭と公共性の二重構造化

ナンシー・フレイザーは、ハーバーマス的公共圏が前提とする「単一で合理的な公共空間」は、実際には多くの集団を排除する構造であると批判し、フェミニズムや人種的マイノリティ、貧困層などが自らの立場で形成する「対抗的公共圏(counterpublic)」の存在を理論化した。

日本においても、リベラル公共圏に違和感を覚える層が、ネット論壇、保守系シンクタンク、YouTubeチャンネル、地方議会、宗教団体、NPOなど、さまざまな場所で独自の公共圏を育ててきた。それらは必ずしも過激な右派とは限らず、左派的でも体制に批判的な言説、脱成長・反グローバル主義、保守的ジェンダー観、自然回帰的な生活様式など、多種多様な価値観が併存している。

問題は、それらの対抗的公共圏が、主流公共圏とのあいだで議論や交流を持つ機会がほとんどなくなっているということである。言い換えれば、現在の日本社会は、複数の公共圏が「並列して存在」しているだけで、それらを統合する「交差点」や「橋」が存在しない。

このような構造的分断は、「分かり合えなさ」を固定化し、民主主義の機能を根底から揺るがす。信頼と対話を喪失した社会においては、相互監視、排除、集団幻想、陰謀論といった病理が、公共圏の代替物として流通する。


第5章 新しい公共性の構想:バランス型・多元的・参加型の公共圏へ

これまでの章で見てきたように、戦後日本の公共性はリベラル的な理念を基盤として形成されてきたが、その単一的・道徳的な価値観は、多様化・分極化する現代社会において、限界を露呈しつつある。GHQのプレス・コードに起源を持つ「語ってよいこと/いけないこと」の線引きは、結果として一定の言論や価値観を周縁化し、対話のチャンネルを分断してしまった。

現代に求められるのは、こうした分断された言論空間を架橋し、市民が互いに異なる立場を尊重しながら、公共の問題を語り合えるような新しい公共性の構想である。

その中心的なキーワードは、「バランス型」「多元的」「参加型」の三つである。

5-1. バランス型公共性:規範と現実の間に橋を架ける

まず必要なのは、理想的な普遍価値に偏りすぎることなく、現実社会の感情や生活感覚と接続された「バランス型」の公共性の回復である。

たとえば、LGBTQや夫婦別姓の議論において、「人権」を至高の価値として据えるあまり、「不安」や「戸惑い」といった感情的な反応を排除する態度が散見される。だが、公共圏とはそもそも、理性だけではなく、感情や経験も共有しうる場でなければならない。

一方で、感情に流されて事実に反する主張や偏見を肯定してしまえば、それはただのポピュリズムとなってしまう。

バランス型公共性とは、こうした両極の間に「橋を架ける」態度である。すなわち、理念と生活、専門知と素朴な直感、マイノリティとマジョリティ、理性と感情を接続する設計が必要である。

たとえば報道機関においても、一方的な正義の語りではなく、「異なる価値観を持つ人が共存するにはどうすべきか?」という問いを軸に据えた企画や特集が求められる。公的機関の広報においても、「意見の多様性は民主主義の強さの一部である」という認識を明確にすべきである。

5-2. 多元的公共性:公共圏は一つではない

次に重視すべきは、「公共圏は単一でなく、多元的でよい」という前提の再確認である。

ナンシー・フレイザーが唱えた「対抗的公共圏」は、弱者・周縁者が主流の公共圏に入れないとき、自らが声を上げるために形成するオルタナティブな空間である。これを否定するのではなく、むしろ現代社会の構造的多様性を反映した、複数の公共圏の併存こそが、民主主義の健全性を支える。

たとえば、ジェンダーの課題に関しては、当事者が安心して語れる空間、保守的な価値観を持つ人々が排除されずに意見を述べられる空間、その両者を交差させる場など、複数の議論空間が必要である。

また、メディアも「全国民の共通圏」を目指す時代は終わり、特定の関心層や地域、文化的文脈に応じた「専門公共圏」の発展を支援する方向へシフトしていくべきである。その上で、これらが完全に断絶せずに「重なり合い」「対話し」「交渉する」回路を持つ設計が求められる。

具体的には、全国メディアとローカルメディア、専門家と市民、都市と地方といった対話のハブとしての公共機関、大学、NPO、コミュニティ・センターの役割が再注目されるべきである。

5-3. 参加型公共性:民主主義を育て直す仕組み

第三の柱は、「参加型公共性」の構築である。

公共圏が一部の専門家、エリート、メディア関係者だけのものである限り、一般市民との乖離は深まる。市民が「議論に参加し、発言し、共にルールを作っていく」主体として位置づけられる公共性が必要である。

そのためには、まず「語る技術」と「聞く技術」を教育の中に組み込み、討議の作法を社会全体に浸透させる努力が求められる。すでに欧州では、高校・大学において模擬議会、シチズンズ・アセンブリ(市民集会)、対話型学習などが広く導入されており、日本でも主権者教育の一環として取り入れることが急務である。

また、自治体単位での住民参加型予算制度、公共計画へのパブリックコメントの制度強化、地域メディアを活用した住民討議の可視化などを通じて、市民が実際に「参加して公共を支える」実感を得られる場づくりが必要である。

さらに、SNSやデジタルプラットフォームを活用し、市民が直接自らの意見や提案を共有できるオンライン公共圏の設計も有効である。デマや暴言の蔓延を防ぐためには、AIモデレーションや人間による対話的調整がセットで導入されるべきである。


おわりに:戦後思想の限界と公共性の再定義

本稿では、GHQによってもたらされたプレス・コードの影響を出発点として、戦後日本に根付いたリベラル的公共性の構造と、その限界について検討してきた。そして、2025年参議院選挙という現代的な政治イベントを通して、有権者の価値観の多様化と既存メディアへの不信、SNS空間の拡張と分断された言論の実相を照らし出した。

戦後のリベラル公共性は、国家権力への抑制、平和主義、個人の自由、多文化的共存といった理念を日本社会に根づかせることに一定の成功を収めた。だが同時に、その言論空間は、自己規制と空気による統制、そして「語るべきでないこと」とされる領域の拡大によって、批判や異論の自由な表明を阻害する構造も生んでしまった。

2025年の政治的変化は、こうした戦後思想の“静かな限界”を浮き彫りにした。有権者の一部は、既存政党の論理や大手メディアの語りに「違和感」や「欠落」を感じ、ネットや草の根の言論空間へと自己を投じた。それは、公共性の崩壊というよりも、新しい公共性の誕生の徴候として見るべき現象である。

ここで必要なのは、単に「反リベラル」や「右傾化」として社会の変化を断罪するのではなく、むしろ戦後的リベラリズムそのものが抱えてきた構造的な限界――普遍的正義の名による道徳的独占、異論排除の風潮、感情や直感に対する冷笑的態度――を冷静に見つめ直すことである。

日本社会は今、複数の公共圏が共存しながらも分断されている「ポスト公共性時代」に突入している。その中で求められるのは、互いの違いを許容し、正義を押し付け合うのではなく、公共を“ともに作る”ための新しいルールと場づくりである。

本論文では、それを「バランス型・多元的・参加型公共性」として理論的に位置づけた。制度設計、報道、教育、テクノロジー、コミュニティ、すべての領域でこの原則を共有することが、分断を緩和し、信頼の回復と公共圏の再構築につながると信じる。

最後に、哲学者ユルゲン・ハーバーマスの言葉を借りれば、公共性とは「常に未完のプロジェクト」である。私たちは今、戦後という一つの思想的時代を経て、次なる段階に向けてその公共性を再定義する責任を負っている。その作業はきわめて困難で、誤解と衝突を伴うものかもしれない。しかし、異なる声がともに響く社会を目指す限り、公共性は決して終わらない。

 
 
 

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