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抱きしめる回廊のまんなかで――バチカン・サンピエトロ広場の一日

  • 山崎行政書士事務所
  • 9月16日
  • 読了時間: 4分
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コンチリアツィオーネ通りをまっすぐ歩くと、突然、視界が丸くひらけた。白い列柱が四列で弧を描き、両腕を広げたみたいに人を包みこむ。中央には細い影を落とすオベリスク、左右では噴水が陽を砕いて霧にし、鳩がその霧の中でシャワーを浴びていた。広場は音まで丸い。靴音も笑い声も、石畳の上でいったん転がってから、やさしく消える。

最初の“やらかし”は、記念写真を撮ろうとカメラを構えた瞬間。日焼け止めの手で触ってしまったのか、レンズに白い指紋の雲。慌てて拭おうとすると、隣に座っていたシニョーラがマイクロファイバーの布を差し出し、「Tranquillo」。レンズの曇りがすっと晴れると、列柱の陰影が一本ずつ立ちあがった。視界が整うだけで、気持ちまで正しい高さに戻る。

バジリカに入るセキュリティの列へ。風が通り、つば広の帽子がふわり。前に並んでいた男の子のお母さんが髪ゴムを外し、帽子の内側に通して八の字の即席あごひもを作ってくれた。「Così, il vento non ruba.(これで風は盗めない)」。列はゆっくりしか進まないのに、そういう手当てはいつも早い。

列柱の影に腰を下ろして一息つく。近くの水飲み場では、誰かがボトルを満たし、溢れたしずくが石畳にまるい星を描いた。私は通りのバールで買ってきたトラメッツィーノを広げる。ところが、鳩が突然すぐそばに着地して、びっくりしてパンをひとかけ落としてしまう。拾おうとしたら隣の老夫婦がグリッシーニを二本取り出し、一本を半分に折って笑顔で差し出してくれた。私はポケットののど飴を半分こにして返す。「Half for luck」。言葉は違っても、広場の真ん中ではそれだけで通じる。

広場の端では、色鮮やかなスイス衛兵が静かに立ち、観光客の流れを整えている。私はポストカードを買い、ベンチであて名を書く。ここで二度目の“やらかし”。焦って書き間違え、インクで手が小さく黒くなってしまった。近くの警備員が見て「Piano, piano(ゆっくり)」と苦笑し、売店のシニョーラが少量の炭酸水をしみ込ませた紙ナプキンを渡してくれる。指先をトントンと叩くと、汚れも気持ちも薄くなった。

正午が近づくと、広場に鐘の音が落ちる。人々が自然に黙り、どこからともなく「Pace(平和)」という言葉がいくつも浮かんでは沈む。私は自分の帽子の八の字を指で確かめ、さっき半分こしたグリッシーニの噛み跡を見て、ひとつ深呼吸をした。大きな場所にいると、体に入る空気まで丁寧になる。

午後、列柱の影が長く伸びてきたころ、小さな女の子がロザリオのひもを手首に巻こうとして、するっと外してしまう。見ていた修道女が近づき、端を小さな結び目で留めてあげる。「Basta poco(すこしでいいの)」と微笑む。女の子は「Grazie」と照れ、私は胸の奥でうなずいた。豪華な大聖堂の前で、いちばんよく効くのは、やっぱり小さな直し方だ。

帰り道、広場の真ん中でオベリスクをもう一度見上げる。細い影は、丸い場所を静かに二つに分けて、でも分断せずに立っている。私のポストカードは、Vatican Postの小さな窓口から世界へ出ていった。切手を貼るとき、窓口の紳士が「Per chi?」と尋ね、私が友人の名を告げると、彼は消印をぴたりと端正に落としてくれた。音が小気味いい。

広場を背に歩きだす前に、私はもう一度ベンチに座って、今日のことをメモに書きつける。日焼け止めの白い雲、帽子の八の字、炭酸水のトントン、グリッシーニとの半分こ、小さな結び目のロザリオ、そして鐘の音。どれも大事件ではないのに、列柱の溝と同じくらいくっきりと胸に残る。

バチカンで覚えたのは、大きな場所にふさわしい小さな身のこなしだった。風と和解する結び方、汚れを軽く叩く手、半分こにする勇気、そして「ゆっくり」を合図にする深呼吸。次にまたこの広場に立つときも、私はきっと最初にBuongiornoと言って、結び目を確かめ、誰かと何かを分ける準備をする。そうすれば、両腕のような列柱はまた、初めて来たときと同じやさしさで、私を抱きとめてくれるはずだ。

 
 
 

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