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消える肉体、残る映像

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月15日
  • 読了時間: 6分



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1. 肉体(からだ)だけがバズる時代

派手なスタジオのライトが射し、若きボディモデル・**岳条(がくじょう)**はカメラの前で筋肉を見せつけるようにポージングする。テレビやSNSが喰(く)いつくのは、彼の整(ととの)った顔立ちと鍛(きた)え上げた身体(からだ)。大学時代から剣道や武道に傾倒(けいとう)していた岳条は、最初はただの“道着姿の剣士”としてSNSに動画を上げていたのだが、その引き締まった肉体美にフォロワーが飛びつき、「若きマッチョモデル」としてバズる結果になった。

テレビプロデューサーたちは、口々に言う。「最高の素材だよ、もっと肌を見せてアピールして!」「過激な動きで視聴率を稼(かせ)いでくれ!」

岳条はカメラの前で笑顔を作るが、内心は「こんなやり方、武道の精神とかけ離れている」と苛立(いらだ)ちをおさえているにすぎなかった。

2. SNSの歓声と中傷、そのはざまで

SNSで岳条の投稿に“いいね”が殺到する一方、批判や誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)も増えていく。

  • 「ただの筋肉バカだろ」

  • 「身体売って金を得るゴミ」


    そうしたコメントを目にするたび、岳条は胸に冷たい棘(とげ)が刺さる感覚を覚える。


    本当は彼は“剣道家”としての高潔(こうけつ)な精神を示したいのに、世間(せけん)が求めるのは軽薄(けいはく)な筋肉ショーばかり――。「このままでは自分の肉体が“見せ物”として消費されるだけではないか?」という疑問が日に日に募(つの)る。

3. 武道への想い

かつて剣道全国大会で好成績を収めた岳条は、剣道道場で朝稽古(あさげいこ)を続けているが、今のメディアはそんな彼の“地味な努力”には目を向けない。スタッフは煽情的(せんじょうてき)な演出(えんしゅつ)を望み、たとえば裸に近い格好で木刀(ぼくとう)を振(ふ)るうパフォーマンスを撮影しようとする。「剣道は魂(たましい)の戦いだ。軽々しく消費されていいものじゃない……」三島由紀夫の『剣道論』や『文化防衛論』を読みふけりながら、彼は“肉体と精神”の高度(こうど)な一致を理想とするが、現代のメディア文化は“バズる映像”こそ正義(せいぎ)だという。彼の苦悩は深まる一方だった。

4. 生放送企画──危険な武道チャレンジ

局のプロデューサーが「特番で“危険な武道チャレンジ”を放送しよう!」と企画し、「岳条くん、君の身体を最大限アピールするチャンスだよ」とそそのかす。実際の内容は、刀で物を斬(き)ったり火の中をくぐったり、命がけのスタントに近い行為も含まれる。視聴率を稼(かせ)ぐための過激(かげき)な演出(えんしゅつ)で、SNSも絶対に盛り上がるという理屈だ。岳条は最初拒否(きょひ)したが、「これこそ剣道精神を示す場かもしれない……」という矛盾(むじゅん)した期待も抱(いだ)き、結局企画を受け入れることに。“死と美”に憧(あこが)れる彼は、「生と死の境(さかい)を越えられるかもしれない」と頭の片隅(かたすみ)で呟(つぶや)いた。

5. 本番当日、スタジオでの狂気

そして迎えた生放送の日。スタジオのセットは武道をイメージした和風の装飾(そうしょく)が施(ほどこ)され、大勢の観客(かんきゃく)が詰(つ)めかける。SNSのリアルタイム実況(じっきょう)では「岳条が何かとんでもないことをやりそうだ」と期待と煽(あお)りが渦(うず)を巻く。ディレクターが合図(あいず)を出すと、照明(しょうめい)が落(お)ち、太鼓の音が鳴り、岳条はまばゆいライトに照らされて裸同然(どうぜん)の上半身をさらし、木刀(ぼくとう)を握(にぎ)る。「さあ、岳条くん、身体を張(は)ってもらおうか!」司会者が軽やかに叫び、スタジオが拍手喝采(はくしゅかっさい)で盛り上がる。だが、岳条の表情(ひょうじょう)は冷然(れいぜん)とした決意に満ちている。

6. “死の儀式”に走る岳条

演出が進むにつれ、スタッフが「ここで火の輪(わ)をくぐり抜けて」「ここで刀を使って何かを斬る」と次々指示するが、岳条はその指示を黙殺(もくさつ)するように無言(むごん)で立ちすくむ。「……俺が本当に示したいのは、肉体の真価(しんか)だ。こんな茶番(ちゃばん)はもう耐えられない……」SNSで視聴中のファンが「岳条さん、どうしたんだ?」とざわめき、スタッフが困惑(こんわく)する中、岳条は突然(とつぜん)、用意された刀(かたな)を手に取り、ぐっと握りしめる。そこには“切腹”のイメージが陰(かげ)を落とすかのようだ。

7. 最後の暴走(ぼうそう)と炎(ほのお)

カメラが生放送で追いかけるなか、岳条は今までの鬱憤(うっぷん)を吐き出すように刀を振(ふ)りかざし、スタジオのオブジェやセットを斬り刻(きざ)み始める。観客やスタッフが悲鳴(ひめい)を上げるが、彼はもう我を忘れている。「肉体だけの虚像(きょぞう)しか見ない世界よ、見ていろ……この俺が生と死の極限(きょくげん)を示す!」火薬(かやく)が仕込(しこ)まれていたセットが予想外に爆発(ばくはつ)し、小さな炎(ほのお)が舞台に燃え移る。スタジオは騒然(そうぜん)となり、避難(ひなん)する人々が殺到(さっとう)。しかし岳条だけは、その炎の中をまっすぐ進むかのようだ。

8. 肉体が消え、映像だけが流れる

火の粉(こ)が飛び交う中で、岳条はついに刀を自らの腹(はら)へ……。カメラが辛(から)うじて捉(とら)えたのは、漆黒(しっこく)のスタジオ空間に、彼の真っ白な肉体が一瞬(いっしゅん)だけ浮かび上がる姿(すがた)。閃光(せんこう)が走り、衝撃音が響き、火の手がさらにあがる。 生放送の画面がブツリと途切(とぎ)れ、TV・SNS配信は急停止される。観客は悲鳴(ひめい)と焦臭(こげくさ)い匂(にお)いでパニック状態(じょうたい)。スタッフは必死(ひっし)に消火と救助に走るが、炎の勢いは強く、岳条を救(すく)い出せないまま……。

結局(けっきょく)、彼の身体(からだ)は炎に包(つつ)まれて燃え尽(つ)き、助からなかった。

9. 悲劇のあとに、ネットを駆け巡る“映像だけ”

翌日(よくじつ)、ニュースやSNSでは「生放送で若きタレント岳条が暴走し、炎上事故(じこ)死」という衝撃(しょうげき)的な情報が拡散される。断片的(だんぺんてき)に撮影されていた映像がアップされ、「グロすぎ」「最後の叫びは何?」と人々が興味本位(ほんい)で視聴(しちょう)し、再生回数は一気に跳(は)ね上がる。まさに“消える肉体、残る映像”というアイロニー(皮肉)が横たわる。SNSでは一部が「彼こそ芸術的自己犠牲(じこぎせい)の体現だ」と言い、他方では「バカな自己陶酔(じことうすい)」「迷惑な死に方」と冷たく嘲笑(ちょうしょう)。テレビ局も責任回避し、スポンサーは「想定外の事故だった」とコメントするだけ。結局、岳条が求めた“肉体と精神の一致”も、“武道的な死の美学”も、何一つ真に理解されないまま終わる。

最後の余韻:虚像(きょぞう)だけが生き続ける

数週間が経(た)ち、火災(かさい)の跡(あと)は整(ととの)えられ、スタジオセットは新しい番組に使われ始める。岳条の名前は一瞬だけネットで騒がれ、“危険な自己顕示欲(じこけんじよく)の犠牲者”として片付(かたづ)けられていく。それでもネットの海には、彼が最期に燃え上がった生放送の映像切り抜(きりぬ)きが残され、無数のアクセスを集め続ける。誰も、その奥にある「武士道の渇望(かつぼう)」など理解しようとしない。かくして、岳条の肉体は消え去り、ただSNS上の“映像”だけが幾度(いくど)となく再生され、感情のないコメントが飛び交(か)うのだ。現実世界は淡々と次の話題へ移り、この惨劇(さんげき)をただの“ネタ”として消費し続ける。それこそが**「消える肉体、残る映像」**が示す悲壮(ひそう)で壮絶な教訓(きょうくん)であり、“死と美”が現代のバズ文化に呑(の)みこまれた末の、あまりに冷酷(れいこく)な結末である。

(了)

 
 
 

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