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登呂の堤(つつみ)の葬列


登呂の堤(つつみ)の葬列

 静岡市の南部、近代的な住宅街と農地が入り混じる一角に、かの有名な弥生時代の集落跡「登呂遺跡」が眠っている。そこから目と鼻の先にある小高い堤防沿いに、家を構えて暮らす男がいた。高校で国語を教える久保という名の三十代の教師である。

 彼は今年度、初めて三年生の担任を任され、進路指導に翻弄される日々を送っていた。しかし、そんな折、クラスのある男子生徒が唐突に自殺未遂事件を起こした。幸い一命はとりとめたものの、久保の胸には、説明しようもない虚脱感と「生と死」にまつわる不可解な思いが入り交じり、深い裂(さ)け目を残した。

1.弥生への想像

 生徒の自殺未遂事件後、久保は夜になると家にこもって考古学の文献を読み漁るようになった。とりわけ弥生時代の埋葬習俗、死者の送り方や祭祀(さいし)のかたちに惹きつけられる。 ――あの人々は、どうやって死や苦しみを受け入れていたのだろうか。自殺すら、当時の世界観からすれば、どう位置づけられたのだろう。――そんな疑問が、久保の頭から離れなくなったのである。

 ある夕暮れ、自宅の窓から外を眺めると、登呂遺跡の方角にうす暗い月が浮かんでいた。向こうは観光整備が進んでいるとはいえ、真夜中になれば静まり返り、草いきれの匂いが濃厚に漂う場所だ。急に胸がざわついて落ち着かなくなった久保は、思わず外套(がいとう)を引っ掛けて家を飛び出した。

2.堤防の闇

 自宅から数分歩くと、田園地帯と遺跡エリアを隔てるように築かれた堤防が見えてくる。街灯はところどころにあるが、夜の風に煽(あお)られた雑草がざわめき、その陰に波打つような闇が広がる。久保は堤防の上を歩きながら、静岡の夜景をぼんやりと見下ろした。 闇の向こうには、弥生の時代から続く大地がある――土と水、そして人が寄り集まった痕跡(こんせき)。しかし、現代ではコンクリートの道路や住宅が複雑に入り組み、古の集落などはわずかな保存区画に押し込められている。 久保の胸中で、どこか煮え切らぬ苛立ちや焦燥感が募(つの)る。先日、自殺未遂をした生徒と対話しても、どうにもしこりが解消されない。社会というのは、こうも味気なく、表層的な策で人の生死を扱ってしまうものなのか。久保はふと口元を強く引き結んだ。

3.葬列との遭遇

 その夜、堤をゆっくり歩いていたときのことだった。正面の闇から、かすかな灯火(ともしび)が揺れながら近づいてくる。灯火は一つではなく、いくつも並んでいる。篝火(かがりび)のようにも見えるが、何か違う。 立ち止まると、足音も何も聞こえないのに、まるで地面に吸い付くようにして白装束(しろしょうぞく)らしき人々が続いてくるのが見えた。久保は思わず息を呑む。束の間、弥生の埋葬儀礼を再現した幻だろうか、と脳裏をかすめる。それとも、自分の神経が狂いだしたのか。

 その集団はしんとした沈黙を伴って、堤防をゆっくりと進む。最前列の人物が携(たずさ)えているのは、オレンジ色の微弱な炎が踊る松明(たいまつ)だろうか。群像の中央には**竹製の轅(ながえ)**のようなものを担いだ者が見え、そこにはおそらく遺体を安置しているのだろう。ぐらりと傾くたびに、血か泥のような何かが滴(したた)っている気がする。 その匂いは、土にしみこんだ腐敗と、身体を焼くような生々しさを混ぜ合わせたものだった。久保は思わず身震いしながら、それでも目を背けることができなかった。そこには、現代社会の葬儀が失ってしまった、原始的で妖艶(ようえん)な美が漂っていたのだ。

4.美と死の境界

 久保は気づけば、その葬列の後を追うように歩いていた。列の最後尾にいた白い衣の若い女がふと振り返り、久保と視線を交わす。女の瞳は、どこかこちらを誘うように、そして警告するように光っていた。 列は弥生時代の住居跡が残る一帯へ向かって進んでいく。雑草に埋もれた遺構の脇で、松明がくるりと円を描くように一度旋回する。すると、中央に安置されていたであろう遺体の周囲に、まるで何人もの手が伸びて、泥を塗り込み、血を溶かし込むかのように動きはじめた。 久保は呆然(ぼうぜん)と立ちつくしながら、それらの儀式に見とれる。死を穢(けが)れとするどころか、むしろ“生と死が切り結ぶ地点”として崇(あが)め、醜悪なまでに耽美(たんび)な世界が展開されている。空気には土の濃厚な息づかいが満ち、血の匂いが生々しく、夜の闇がそれを包みこんでいく。久保の脳裏には、生徒が未遂を起こした時の血のイメージが重なり、心臓が激しく脈打った。

 ――これこそ、「本当の死」と「生」の交差点なのではないか。 近代的な葬儀の儀礼や病院の管理下での死ではなく、原始の土に還(かえ)る血と泥の儀式。それは、生と死の隔てを薄くしてしまうほどに人間の根源に訴えかける――と、久保は陶酔(とうすい)にも似た感覚を覚える。社会のモラルや合理的な価値観とはあまりに異なる、しかし圧倒的な「美」を孕(はら)んだ瞬間。嘔吐(おうと)しそうなほどの嫌悪感と、胸が痛いほどの欲望。それが入り混じった官能に近い感情が、久保の全身を駆け巡るのを自覚する。

5.儀式の終焉(しゅうえん)と戦慄

 そのとき、誰かが松明を高く掲げた。火が激しく揺れ、周囲の白装束たちの姿を一瞬、眩(まばゆ)いほどに映し出す。彼らの表情は無表情とも苦悶(くもん)ともつかぬ、原初的な仮面のようだ。見れば見るほど、この現実世界とは思えぬ幻影のように久保には見えてくる。 いよいよ高揚(こうよう)の頂点に達したかと思うと、松明の火が急に消され、漆黒(しっこく)の闇が広がった。その刹那(せつな)、辺りには何の気配もなくなる。葬列も人影も消え失せ、久保一人がそこに放置された形になった。

 耳をすますと、すぐ近くでコオロギが鳴き、遥(はる)か向こうでは車のエンジン音がかすかにする。確かにこれは現代の街の夜だ。しかし、久保の意識はまだ泥や血の匂いを嗅ぎ、身体を硬直させている。 そのまま、どれだけ経っただろう。次第に意識が薄れ、座り込んでいた久保は頭を抱えて自宅へ帰る力さえも失いかけた。

6.根源への渇望

 翌日から、久保は授業に出るときも心ここにあらずの状態が続いた。生徒たちの顔は、どこか生気のない仮面のように見えるし、学校全体に漂う空気が、かつては自分が誇りを感じていた“教育”という営みすら、途方もなく色褪せ(いろあせ)て感じられた。 むしろ、夜の堤防を歩けば、またあの葬列と遭遇できるのではないかという期待が胸を支配する。そして、自殺未遂を起こした生徒との面談では、何かを語りかけるよりも、自分が抱えている“美しい死”の幻想を肯定してしまいそうになる。 久保は絶望的な興奮を噛みしめながら、自我が崩れていくのを微かに感じる。それは理性では制御できない、深い底なしの泥沼だ。弥生人が祭礼で死を尊ぶ様を見たという記録はあるが、もしそれが真実なら、いま自分が目撃した葬列こそが、その原型なのではないか。死を穢(けが)れと区別するのではなく、神聖な領域として陶酔する――そこには神話の源流さえ見え隠れする、と。

7.廃墟の祭壇と帰結

 数日後、夜の堤防へ向かった久保は、同じ場所でじっと待ち続けた。しかしあの葬列は現れない。風だけが稲穂(いなほ)を揺らし、虫の声が薄闇を満たす。焦りと期待がないまぜになって、久保の指先は震えていた。 やがて、どこからか犬の遠吠えが聞こえ、現実の気配に引き戻される。灯火の列は見当たらず、静岡の街の灯(とも)りが遠く近く瞬(またた)いている。じっと目を凝らしても闇ばかりが広がる。 失意を抱いたまま、足を滑らせ、久保は遺跡近くの草むらに転んだ。そのとき、手のひらを泥が覆い、頬には稲の折れた茎が触れた。柔らかな土が、彼をまるで下へ、下へと引きずり込むようだった。

(なぜ、あの光景が一夜にして消えてしまうのか。まるで人間が守りきれなくなった“本当の死”への儀式を、この地は夜陰に潜(ひそ)ませたまま消そうとしているのか……)

 久保は泥だらけのまま起き上がり、ふらふらと歩き出す。葬列が残した炭や血の痕跡はない。周囲の田畑は何食わぬ顔をして、月の光を受け止めている。その光景が、久保にはどこか滑稽(こっけい)で、また恐ろしくもあった。

エピローグ:矛盾を孕んだ祈り

 朝が近づくにつれ、遠くの空が白みはじめる。久保は意識の糸が切れそうになりながら家へ戻る道を辿(たど)った。思い返せば、一度見たあの葬列はもはや二度と再現されないかもしれない。だが、あの一夜の体験だけで、彼の死生観、いや人生観は根底から揺さぶられたのだ。 学校へ行けば、また生徒たちと向き合わねばならない。自殺未遂をした彼とは、何をどう語り合うべきか。久保自身、あの葬列を通じて得た「死の神聖さ」に身も心も浸(ひた)したい欲求を拭い去れずにいる。 だが、現代社会でそれを肯定すれば、破滅を招くやもしれない。久保の心は、弥生の暗い祭壇を見た者として、同時に社会を生きる教師として、絶え間ない矛盾の内に苛(さいな)まれる。 朝日の中、彼の目には登呂の地平がいつも以上にまぶしく映る。堤防のそばを通り抜けると、一晩で吹き上がった風により、稲穂が一斉に起き上がったように見えた。それは、死と生のあわいを通り抜け、なおも揺れ続ける人間の宿命を象徴しているかのようだった。

 こうして久保は、心に生まれた「弥生の死生観」と「近代的モラル」の間の修羅(しゅら)を抱えながら、今日も教師としての務めを果たすべく学校へ向かう。ひとたび日常に身を浸せば、あの葬列のことはまるで幻だったかのように薄れていくかもしれない。 しかし、登呂の堤(つつみ)にはいつでもあの闇が潜んでいる。人間の生と死の美学は、時代を越え、忘れられた夜の隙間で妖しく息づいているのだ。久保はそれを知ってしまった――もう後戻りはできない、宿命のごとき思いが、彼の胸にひそやかに燃え続ける。

 以上が、三島由紀夫が描きそうな**「登呂の堤の葬列」**の物語である。生と死の美学が、地中から立ち上る泥と血の匂い、そして近代の虚無(きょむ)が交錯し、強烈な官能と狂気の一歩手前で結ばれる。その光景は、登呂の夜闇の奥底に、今もなおひっそりと潜んでいるに違いない。

 
 
 

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