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届け出の迷宮




ぼくは、都内でこじんまりと行政書士事務所を営んでいる田村(たむら)。世間からは地味なイメージで見られがちな仕事だが、なにげに依頼の内容は多種多様だ。結婚やら相続やら、思いもよらないドラマがときどきある。そして、今日もまた、想像のナナメ上をいくお客さんがやって来た。

第一幕:怪しい依頼人の登場

 昼下がりの事務所に、ちょっと派手めのスーツに身を包んだ男性が訪れた。年の頃は四十代か。キョロキョロと落ち着きがないくせに、身にまとうオーラだけはやたら濃い。「はじめまして。あのー……“林田”(はやしだ)と申します」 なんというか、いかにも作りたての名刺を配る新入社員みたいなぎこちなさ。とりあえず名刺を受け取ると、そこには「林田太郎」の文字。だけど、彼はやけに“林田”を強調しているように見えた。「どうぞ、おかけください」 と促すと、彼は音を立てないようにそろーっと椅子に腰を下ろした。落ち着きがないのか、背もたれにじんわり当たるまでに三十秒くらいかかっている。正直、初対面のインパクトとしてはトップクラスだ。

 さて、肝心の用件を訊ねると、彼が差し出したのは、数枚のバラバラの書類。そのうち、なんと2枚目だけ別人の名前になっているではないか。「これは……“北村”さんの名義ですね」「え、ええと、それは……、ま、まあそういうことになりまして」「なるほど……同姓同名か何かですか?」「いえ、同姓でも同名でもなく……」「……?」

 その直後、彼は「とにかく一切、詮索はしないでほしいんです」と言わんばかりに眉をひそめ、封筒をそっとこちらへ押しやる。想像以上に分厚い封筒。中身は何だろう。まさか札束とか?

 心なしか微妙に震える手元を見つめながら、ぼくは不穏な予感をかき消すように微笑んだ。「……まあ、まずは事情を整理してからですね」

 こうして始まった依頼は、近年まれに見る“厄介”の予感である。

第二幕:そして大混乱の始まり

 翌日、林田さん(仮)の用意した書類をチェックしていると、住所欄が違う、名前が違う、生年月日まで違う――そんな書類がぞろぞろ。いったいどういうこと? と思っていると、彼から電話がかかってきた。「す、すみません、田村先生! 今度はこちらの書類が必要になりまして……」 電話口では何やらバタバタと物が倒れる音がしている。「また新しい名義ですか?」「い、いえ、今度は“本来の私”の名義です」「ああ、本来の、ですね。わかりました(もう手遅れなくらい混乱してますよ?)」

 ぼくはとりあえず役所に確認を取りに行く。すると、窓口の職員も首をかしげて「あら、この人、先日“北村”って名前で住民票の移動手続きしませんでしたっけ?」と怪訝そうな表情。「え、えーっと、それはウチの依頼人が……そのー、えーっと、あれ? あれ?」 完全に思考停止するぼく。職員さんは「この先輩行政書士、大丈夫か?」みたいな目をしている。そりゃそうだ。ぼくが知りたいんだもん。

 なんとか役所での確認を終えたぼくが、急ぎ事務所に戻ると、そこには林田さん本人と、見たことのない女性が二人。いや、正確には“見たことがある顔”なのに“初めまして”という仕草で挨拶してきた。「田村先生、こちらは……北村さんの奥さん、というか、あの……林田さんのパートナー、というか……」「いったいどっちなんですか!?」

 もうわけがわからない。林田さん本人も、まるで演技力ゼロの役者みたいに挙動不審だ。

第三幕:次々と押し寄せる怪しげな人々

 それからというもの、ぼくの事務所には次々と不思議な人物が現れた。 一人はピーターパンみたいな格好の外国人男性。「ハロウィン……ですか?」と尋ねたが、「ハロウィン? ナニソレ」と真顔だ。名刺には“国際交流員”とある。それでいて、日本語はペラペラ。なぜか書類には“林田”の保証人としてサインしてある。 そしてもう一人は和服の似合う熟女。おしとやかに正座しつつ、「先日、夫が届け出ました保険の名義を……」とか言っているのだが、その“夫”が林田さんなのか北村さんなのか、はたまた別人なのか、やはりわからない。

 ぼくは正直、ノイローゼ寸前だ。「ちょっと林田さん、いったいどういうことなんですか! 何人分の戸籍を持ってるんですか!?」 すると彼は汗だくになりながら小声でこう言った。「田村先生、ここでは言えないんです……。とにかく、本当は……その、いろいろあるんですよ……」

 いろいろあるのは分かるけど、これだけ多重人格を疑うレベルの名義を使い分けていたら、下手をすれば犯罪スレスレだ。いや、スレスレどころか明らかにアウトじゃないのか? ぼくの脳内でモラルの警報が鳴り響く。

第四幕:法制度の迷路に振り回される

 が、ここで気付いた。林田さん(仮)は偽名を使っているわけではない。身分証をよく見れば、全部が“本名”扱いになっている。それぞれ自治体や国の制度の盲点をつくようにして手続きされているのだ。 たとえば、養子縁組による姓の変更。海外での国籍取得による別名。離婚・再婚を繰り返すうちに“旧姓に戻す”と“新たに作る姓”を併用していたり……。ようするに、さまざまなタイミングで、きちんと法の手続きを踏んで、いろんな“本名”を作ってしまったらしい。 その結果、「林田太郎」「北村太郎」「木村太郎」「カタカナ表記のTARO」などなど。すべて本当に登録されているのだから、ややこしいことこの上ない。「これ、先生の力でどうにかなりませんか?」と林田さんは泣きそうな顔だ。「いやいや、そもそもなんでこんなことになったんですか?」

第五幕:多重生活の理由

 ついに林田さん(仮)は意を決したように、いままで隠してきた事情を話しはじめた。「実は、うちの父が昔、国際結婚をして、そのまた前の妻との子どもがいて、さらに里子を引き取ったりしていて……」 なるほど、それで海外の名前も混ざっているし、養子縁組も何度かあった。しかも本人はまったく悪気がない。ただひたすらに“周りの人を守りたかった”らしい。 実家の借金問題、親族との相続争い、海外でのビジネスの失敗……。そのたびに違う名義で契約を結び、困った人を助けていたとか。「でも、同時進行でいろんな契約をしすぎた結果、自分でもどの名前で何をしてるのか、わからなくなっちゃって……」 林田さんは頭を抱えた。

 まさかこんなふうに“法制度を縫うように”生きていた人がいるなんて。ぼくは呆れるやら感心するやら、もう笑うしかない。

第六幕:大団円への道

 ともかく、目の前の書類の矛盾をまとめないことには、彼の“多重生活”はさらに複雑化する一方だ。ぼくは決意した。「よし、全部まとめて整理しましょう! それぞれの名義でどんな契約をしたか、どんな書類が必要か、根こそぎ洗い出します。大丈夫、任せてください!」

 すると、林田さんは突然「わーっ」と涙を流して感激し始める。どうやらこれまで「こんなめちゃくちゃな事情、誰も聞いてくれない」と嘆いていたらしい。 ここでぼくは、行政書士としての腕の見せどころだ。書類の矛盾を丁寧に解消し、役所の窓口を何度も巡り、さらには海外大使館にも問い合わせて、一つひとつ重複を解除。数カ月の奮闘の末、林田さんの名義はようやくシンプルな状態に近づいた。

 並行して、彼は家族や知人に本当のことを打ち明けはじめた。誤解が解け、関係者同士でようやく心を通わせることができたようだ。彼のことを心配していた“奥さんたち(?)”も「何やってんのよ!」と呆れつつ安心した様子。外国人の友人も「やっと呼び名が統一されるね」と笑っていた。

最終幕:感動(?)の結末

 すべての手続きが整い、林田さんが“本当の自分”として出直す日がやってきた。もう一度きちんと戸籍を整理し、氏名も一つにまとめて、新しい人生をスタートする。 事務所の扉を開けて、「お世話になりました!」と深々と頭を下げる林田さんの姿は、以前とはまるで別人のように晴れやかだ。そんな彼を見送るぼくも、なんだか胸が熱くなる。「いやあ、今回は波乱万丈でしたね」「本当に、すみませんでした。でも、先生のおかげで救われました。ありがとうございます!」

 そう言って去っていく林田さんを見送りながら、ぼくはポツリとつぶやく。「……結局、あの封筒の中身、見せてもらってないけど……まあ、いいか」

 やがて静かになった事務所で、コーヒーをすすりながらぼくは思う。“法律というのは意外と融通がきく部分がある一方で、その隙間に人生を丸ごと押し込んでしまう人もいるのだなあ。まあ、人っていろいろだ。”

 こうして、ぼくの“林田さん(北村さん、他多数)”騒動は幕を閉じた。書類の山を見れば頭がクラクラするけれど、なぜだか今日は気分がいい。おかしな事件だったけれど、人情ってやつを少しだけ信じ直せたからかもしれない。

 ――届け出の迷宮は、時に人の哀歓や、優しさまでも内に秘めているのだ。

 ぼくは明日もまた、普通じゃない依頼に振り回されるのだろう。でも、ちょっと楽しみにしている自分がいる……。

 
 
 

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