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灯台のそばで僕らは

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月11日
  • 読了時間: 5分


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ぼくが清水区の三保半島に移り住んだのは、去年の秋の終わりごろだった。東京での暮らしに少し飽いていて、新作の小説を書くために落ち着いた環境を探していたというのが主な理由だ。とはいえ、これまで一度も静岡に縁があったわけじゃない。まるで誰かに背中を押されるようにして、古い灯台の近くにある小さな家を借りることになったのだ。

 家は、道路から少し奥まったところに建っていた。灯台が海岸沿いの防砂林を挟んですぐそばに見える。夜になると、その灯火が一定のリズムで視界を照らし、それがぼくの部屋の壁にかすかな影を落とす。最初は少し落ち着かなかったが、数日もすると、それがむしろ心地よい拍動のように感じられるようになった。まるでぼくの心臓の鼓動と、灯台の明滅が呼応しているかのようだ。

 ただ、肝心の小説はというと、まるで進まなかった。机の前に座っていても頭は空っぽで、ノートを開けば白いページがぼんやりとぼくを見返すばかり。コーヒーのカップを指先でもてあそびながら、時間だけがアナログ時計の秒針みたいに正直に進んでいく。

 そんな状態がしばらく続いたある日、ぼくは家から徒歩で数分ほどの場所にある小さな喫茶店を訪れた。コーヒー豆の香りが漂う店内には、古いLPジャズがかすかに流れている。客は少なく、年配の夫婦が寄り添っているテーブル以外はガランとしていた。

 そこでアルバイトをしていたのが、**舞(まい)**という若い女性だった。髪をひとつに束ね、白いシャツとシンプルなジーンズ姿。彼女はぼくのオーダーをとると、まるで昔からの知り合いかのように柔らかい笑みを浮かべた。

 「灯台の近くに住んでいるんですって?」  と、彼女が言う。 「ええ、最近引っ越してきたんです」 「そうかぁ、あの灯台には不思議な話が多いんですよ。たとえば“時間が止まった部屋”があるって聞いたことありませんか?」 「いや、そんな話は初めてですが……」 ぼくは若干とまどう。彼女は「へえ、まだ聞いてないんだ」と少し得意げに微笑んで、注文のカフェオレを運んできた。

 彼女によれば、灯台の地下室あたりに時間が停止している部屋があると言われているのだとか。そこに入ると、なんだか自分がいつまでも同じ瞬間を繰り返しているような感覚に捉われるらしい――まるで夢物語だ。

 さらに、三保の松原の浜辺では真夜中に**「幻の船」**が現れるという。何かの亡霊船のようなもので、航跡には月明かりが揺らめき、人影らしきものがぼんやり浮かんでいるそうだ。 「まっこと、そんなんありえんけど、こっちじゃそーゆう噂があるんですよ」 彼女は静岡弁まじりに言う。ぼくは少し面食らうが、その混じり合った話し方が奇妙な魅力を帯びていた。

 その日以来、ぼくはこの喫茶店に足繁く通うようになった。舞はどこか浮世離れした印象があり、彼女の話を聞いていると、現実と非現実のあわいをさまよう感覚に囚われる。灯台とその“止まった部屋”、そして三保の松原の幻の船――それらのイメージがぼくの脳裏にまとわりつき、夜な夜な眠りを浅くさせる。

 ぼくは彼女と一緒に灯台まで散歩したり、海を望む浜辺を歩いたりする。たまに、「実際に“時間の止まった部屋”を探してみよう」と冗談めかして言うと、舞は「うん、いいじゃんね」とさらっと受ける。そうして二人で灯台を夜中に巡ったりしてみるが、特に秘密の扉も見つからない。ただ、古いレンガの壁に触れると、何とも言えない暖かさというか、人肌に似たぬくもりを感じるときがあって、そのたびに奇妙な既視感に襲われる。

 春先になり、ぼくは少しずつだが原稿を書き始めることができた。灯台の光が部屋の壁を明るくするときだけ、なんだか文章が生き生きする気がした。だが、ぼくの執筆にはどこか“幻の船”を追い求めるような不安定さがつきまとった。書いているうちに、ぼく自身がいつの間にか架空の世界に足を踏み入れてしまうような感覚があるのだ。

 ある晩、舞が急に「実はね、あの船を小さい頃に一度見たことがあるんだよね」と打ち明ける。深夜の松原を母親と歩いていたとき、沖合に“光る船”が浮かび、誰もいないはずの甲板に人影が映っていた、と。 「そのとき、海から変な風が吹いてきて、一瞬、時間が止まったみたいに感じたの」 ぼくは何とも言えない胸のざわめきを抑えきれず、灯台のほうを見やる。光が規則正しく回転し、闇を切り裂くように照らしている。

 ぼくは思う。「これらはすべて一つの円環のなかで繋がっているのかもしれない。灯台の止まった部屋、幻の船、舞が見る過去の風景……」 でも、結論など出やしない。ただ、ぼくと彼女がその不思議な円環のなかに吸い込まれつつあることだけは確かなようだ。

 そしてある朝、ぼくは目を覚ますと、書斎の机に置かれた原稿が驚くほど進んでいるのを発見する。――まるで夜のうちに誰かが書き足したかのように、ページが増えている。でも文体はぼくのものとそっくりで、まったく違和感がない。ぼくは自分が夢中になって書き進めたのか、それとも“止まった時間”に別の意識が働いたのか、判然としない。

 舞に話すと、彼女はさらりと言う。「へー、いいじゃんね? そういうことってたまにあるよ。静岡では」 と笑う。静岡弁の混じったトーンが、ぼくの混乱を優しく受け流してくれる。

 結末? そんなものは見つけようがない、というのが正直なところだ。ぼくは灯台の近くで淡々と暮らし、書き続けている。舞との関係は、何とも不思議な均衡を保ったままだ。幻の船が本当にあるのか、それともぼくらが一種の夢を共有しているだけなのか、はっきりしない。

 ただ、夜更けに風が吹くとき、灯台の光が部屋の壁をかすめるとき、ぼくは確かに何かを感じる。まるで“港の風”がぼくの中のいびつな部分を撫でていくように。そしてそれは、ぼくと舞を結びつける宙吊りの絆のようにも思えるのだ。

 そうやって日々はゆっくり過ぎていく。清水港の朝には船の汽笛が聞こえ、みかん畑には鳥が舞い、灯台の光は夜な夜な変わらず旋回している。 ぼくはまだ、この不思議な物語の途中にいる。いつか結末が訪れるのか、それともずっと続くのか、よくわからない。ただ、海風にそっと耳を澄ませば、**「灯台のそばで僕らは」**今日も新しい発見を抱えながら、ここで生きている、という気がしてくるのだ。

 
 
 

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