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登呂の宿– 旧家の夜に瞬く幻

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月14日
  • 読了時間: 6分



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〔薄明の風景に滲む、はかなさ〕

青々とした稲田の向こう、微かな朝露(あさつゆ)が舞い上がる登呂遺跡の風景。その一角に佇(たたず)む大正期の古い屋敷「登呂の宿」は、どこかその身を俯(うつむ)けるように伏せている。訪れる観光客は減り、いまでは民宿のような形で生計を立てているだけ。けれど、その門をくぐると、時間の流れがふっと遅くなる感覚がある。廊下を吹き抜ける風に、ほのかに稲や花の匂いが混じり、はかない音が耳を掠(かす)める――まるで弥生時代の亡霊が囁(ささや)いているかのような、一瞬にして消え去るほど淡(あわ)い音。民俗学者の**由香里(ゆかり)**が、そんな気配を感じ取ったのは最初の夜だった。窓の外、稲の苗が風に揺れながら、まるで幻(まぼろし)の袖(そで)を振るように見える。その光景に彼女は胸を締(し)めつけられるような郷愁(きょうしゅう)を覚え、そっと目を伏せる。そこには“人の生き死に”を越えた静寂(しじま)の美が宿っているかのようで――。遠くで茶畑(ちゃばたけ)の上にうっすらと朝霧(あさぎり)が漂い、登呂の田(た)にはかすかに弥生の息吹(いぶき)が重なる瞬間。はかなく消えるようなその姿は、彼女の繊細な感受性を強く揺さぶり、翌朝には早くも屋敷に滞在延長を願い出るほど、何かに惹(ひ)きつけられていた。

〔甲冑の前で儀式する当主――死と美への誘い〕

この登呂の宿を守るのは、**降矢(ふるや)**という没落しかけの旧家の当主だ。彼の家系はかつて茶商として栄えたが、実は武家の血筋も持ち合わせると誇示(こじ)している。それを示すかのように、屋敷の一室には祖先の甲冑(かっちゅう)が飾られ、夜な夜な降矢がそこに向き合って奇妙な儀式をするという噂が絶えない。降矢は“静岡茶の産業を守り、復興させる”と声高に主張し、しかし同時に危険なほどの美学を周囲に押しつける。たとえば、茶を淹(い)れる所作(しょさ)もまるで剣術のように“きっちりと鍛錬(たんれん)すべきもの”と説き、「古き血が沸(わ)き立たねば真の茶にはならぬ」と口にしては、使用人たちを震え上がらせる。夜更け、由香里が廊下を歩いていると、ふと甲冑の間から唄(うた)でも呟(つぶや)くような低い声が聞こえてくる。そっと障子越しに覗(のぞ)くと、降矢は甲冑の前に正座し、刃(やいば)を思わせる金属の光を手に、まるで自分自身を断(た)ち切ろうとするかの如(ごと)く深い陶酔(とうすい)を湛(たた)えている。その姿は、まさに“死”を愛しながら美を追い求める姿そのもの。彼女はぞっとしながらも目を離せない。あの甲冑が、まるで怨霊(おんりょう)のように息づき、降矢を取り込もうとしているかのように感じられるのだ。

〔揺れ動く都市開発と反骨の若き議員〕

一方、登呂遺跡一帯の再開発を巡って、政治の力が大きく動き出している。地元の若き市議会議員、坂井という男は、都市開発と観光化を推進しようと意気込んでいる。「こんな古臭い家なんか壊して、もっと近代的なホテルやテーマパークにすれば、街は潤うじゃないか」と広言(こうげん)し、地元青年たちを焚(た)きつけてデモを起こそうとする。坂井には“反体制”というより“改革”の面が強く、旧家や遺産を“時代錯誤(じだいさくご)”と見なし、若者の意欲(いよく)や資本を導入して街を変えることが自分の政治手腕(しゅわん)だと信じて疑わない。登呂の宿の解体も視野に入れ、「こんな旧家はもう用済みだ」と発言する坂井の言葉に、降矢は猛反発(もうはんぱつ)。その一方で坂井はそこに血気盛んな若者を集め、**“古い家に固執(こしゅう)するなどナンセンス”**と挑発し、衝突(しょうとつ)の火種が大きくくすぶり始めている。

〔夜、裏庭に咲く幻想の花――弥生からの囁き〕

ある夜更け、由香里は屋敷の裏庭で、不思議な花が淡(あわ)い光を放っているのを目撃する。青白く揺れる花弁(はなびら)は、弥生人の幽霊(ゆうれい)が宿ったかのような雰囲気を醸(かも)し、見る者を異界(いかい)へいざなうようだ。降矢は、それを“先祖の残した苗”だと言い張り、「夜の露(つゆ)を浴びたときにだけ発光する特異な花、まさに武家の血筋が引き継いだ奇跡(きせき)」と恍惚(こうこつ)した面差(おもざ)しで語る。彼にとっては単なる園芸(えんげい)などではなく、祖先の魂が花と化して顕現(けんげん)したという狂信(きょうしん)に近い解釈なのだ。その場に遭遇した由香里は、感性で“はかなくも美しいもの”と感動する一方、同時に降矢の狂気(きょうき)に飲み込まれていく自分が怖い。しかし彼女の目には、確かにあの花が青い光を宿しているように見え、理性では説明できぬ震(ふる)えを感じてしまう。

〔祭の夜に燃え上がる決戦と崩壊〕

こうして全ては、一つの夜に向けて収束(しゅうそく)していく。登呂遺跡周辺の祭が催され、夜には篝火(かがりび)が焚(た)かれて観光客も集まってくるが、同時に坂井が率いるデモ隊も押し寄せ、「古い家を壊せ!」「都市を発展させろ!」と声を上げる。登呂の宿の降矢は甲冑を纏(まと)い、自らの庭に“花”を並べながら、“武家の血筋”を最後まで守り抜くかのごとく叫ぶ。庭ではあの幻想の花々が咲き乱れ、夜露(よつゆ)を受けて淡く発光(はっこう)するかのように見える。人々はその光景に狂乱(きょうらん)し、一方で坂井がマイクを持って権力や保守勢力を罵倒(ばとう)するために煽(あお)り立て、周囲は混乱(こんらん)を極(きわ)める。由香里はその間に立ち、事の成り行きをどうすることもできず、ただ涙(なみだ)を浮かべながら“はかなき破滅”を痛感(つうかん)する。

〔結末:炎上する屋敷、幻想の崩壊と継承〕

デモの騒ぎはやがて暴動(ぼうどう)寸前に発展し、誰かが火のついた棒を投げ入れたのか、あるいは屋敷そのものが自ら燃え上がったのか――とにかく登呂の宿が炎に包まれる。人々が悲鳴(ひめい)を上げる中、降矢は甲冑姿のまま倒れ込み、それを抱くようにして由香里はただ茫然(ぼうぜん)と涙を流す。幻の花も火に照らされ、かすかに青い光を宿したまま焦げついていくのが見える。さながら弥生の亡霊(もうれい)が現代に甦(よみがえ)り、一夜にして散ったかのよう――。坂井は煙に咳(せき)きこみながら「これで古いものは消える」と言うが、その声にはもはや勝利(しょうり)の喜びはない。まるで自分が破壊したものが、実は尊い何かだったと、直感してしまったかのようだ。翌朝、登呂の宿の焼け跡には、かすかに土器の欠片(かけら)や折れた刀の破片(かへん)が見つかる。そこに赤い光が差し込むかのような幻想を見た人もいるという。結局、この事件は地元では「あの旧家が火事で全焼(ぜんしょう)した」としか伝わらない。けれど、実際に夜の庭で何が起こったのかを知る者は少数であり、その誰もが口をつぐんでいる――。わずかに残るのは、三保の海風(うみかぜ)が吹きすさぶ中、燃え尽きた花の灰(はい)が風に舞う姿だけ。あるいは、由香里の瞳(ひとみ)に宿った儚(はかな)き涙が示す美と死の余韻(よいん)だけなのかもしれない。

こうして三人の筆致が融合するかのように、**「登呂の宿 – 旧家の夜に瞬(またた)く幻」**は、幽玄と抒情”、“血と儀式”、“若者の衝動と挑発”が交錯(こうさく)して、静かに幕を下ろすのである。

 
 
 

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