登呂遺跡の土笛(つちぶえ)
- 山崎行政書士事務所
- 1月13日
- 読了時間: 6分

静岡市の南部、駿河湾にほど近い一帯に広がる登呂遺跡。 稲穂が風に揺れる田園(でんえん)の名残を感じさせるこの地に、大学で民俗学を学ぶ女子大生の**萌(もえ)**がいた。彼女は休日になると、ここでボランティアガイドをしながら、弥生時代の生活や稲作文化を訪問者に紹介している。
ある夏の日の午後、遺跡の散策路の隅に、古い土の欠片(かけら)のようなものがひっそり落ちているのを見つけた萌は、不思議な引力に導かれるようにそれを拾い上げた。色あせた土のかたまりをよく見ると、先端に小さな穴が空いている。まるで土笛のような形をしたその破片は、太陽の光を受けてどこか懐かしげに輝いていた。
1. 土笛と夢の始まり
萌はその土笛が気になって仕方がなく、ガイドの仕事を終えたあとも手のひらに抱えたまま帰路についた。夜、いつものように静かな自宅でノートPCを開き、登呂遺跡の資料を読み返していると、知らぬ間に眠気に襲われ、まどろみに落ちていく――。
すると夢の中で、萌は無意識に土笛を唇に当てていた。息を吹きこむと、かすかに“ふぅ……”という柔らかい音がして、まるで風が水面(みなも)を撫(な)でるような響きが部屋に満ちる。瞬間、まばゆい光が周囲を染めあげ、気づけば萌の足元には、昔ながらの高床倉庫(たかゆかそうこ)や竪穴住居(たてあなじゅうきょ)が点在する集落が広がっていた。
「ここは……登呂遺跡? でも、本当に昔の人々が暮らしている……」
目の前には麦わらのような帽子をかぶった少年や、麻(あさ)の衣服を身にまとった女性たちが行き交い、笑い声や仕事の掛け声がこだまする。田には水が張られ、力強く根を伸ばした稲が青々と茂(しげ)っていた。
2. 弥生の集落と稲作の祈り
萌は驚きながらも、集落の人々の間をそろそろと歩いてみる。すると、ある老人らしき人物が近づき、優しいまなざしで声をかけた。
「おぬし、見慣れぬ装いをしておるが、ここは大丈夫か?わしらは今、田の実りが豊かになるよう、毎日祈りと踊りを捧げておるところ。おぬしも一緒にどうじゃ?」
誘われるままに行ってみると、村の中心の空き地で、数十人の男女が円を描きながら踊っている。身振り手振りに合わせ、足元から土の大地の響きがじわりと伝わってくるようだ。踊りのリズムに合わせて土笛を鳴らす者もいて、その音はまるで山と海を結ぶ風のように伸びやかだった。
萌が心を奪われたように見つめていると、いつしか自分が拾った土笛も共鳴するように胸で微かに振動しているのがわかる。息を吹きこむと、ゆるやかな旋律(せんりつ)が踊りの輪に重なり、深い森の奥から鳥の声までこだまするように聞こえるのだった。
3. 未来の行く末を問う人々
踊りが一段落すると、夜の帳(とばり)が集落を包みこむ。焚き火(たきび)を中心に集まった村人たちが、萌の姿を珍しそうに眺めながら、次々と質問を投げかけてきた。
「その服や靴は、どうやって作られておるのだ?」「背中の不思議な箱(リュック)には、何が入っておる?」「もしや、おぬしはこの地の“未来”から来たのか?」
萌は少し戸惑いながらも、現代のことをなるべく優しく説明しはじめる。街には高いビルが立ち並び、人と車であふれ、便利な電化製品やインターネットが普及していること――。すると、村の青年が目を輝かせて、
「それはなんと豊かな世界なのだ。わしらの代には、そんな暮らしは想像もできぬ……」
と羨望(せんぼう)混じりに言う。一方で、白髪の老人がしわがれ声で呟(つぶや)いた。
「だが、その豊かさの裏で、山や川はどうなっておる?わしらは稲作ができるのも、森の水と土のおかげだと思うのだが……未来の人間たちは、はたして自然との縁を切りはしないか?」
その問いかけに、萌の胸はギクリと痛んだ。 彼女がボランティアガイドをしている登呂遺跡の周辺でも、再開発の計画が進んでいることを思い出す。便利さと暮らしやすさのために、昔からの風景や生態系(せいたいけい)が壊されてしまうかもしれない。確かに今の社会はモノがあふれ豊かになった一方で、土地との結びつきを忘れつつある現状があることを、萌はあらためて思い知った。
4. 土地の声と現代の問題
老人は静かに萌を見つめる。火の明かりがその瞳(ひとみ)を照らし、深い皺(しわ)の奥に優しさと憂いが宿っているように見える。
「もし、おぬしが本当に未来から来たのであれば……わしらが大切にしてきた、この“土と水との共生”を、どうか未来でも見失わぬようにしてくれ。この土地がもたらす恵みは、ときに人間の方が、蔑(ないがし)ろにしがちなのだから。」
萌はその言葉を受け止めながら、まるで自分が託されたような責任を感じる。確かに自分も、登呂遺跡のガイドとして“弥生時代はこんな暮らしでした”と説明するけれど、その奥にある本当の思い――土と人間が共に呼吸するように生きるということを、十分に伝えてこなかったのかもしれない、と。
5. 現代へ戻って
やがて、どこからともなく夜明けを告げる鳥の声が聞こえてくると、土笛がひとりでに震えはじめた。萌は体が軽くなるような感覚とともに、霧が立ちこめる視界の中を漂っていく――次の瞬間、布団の上で飛び起きた。
慌てて時刻を確認すると、いつもの朝。まるで夢を見ただけのようだが、手の中にはしっかりと土笛が握られている。しかも、前よりも少し欠片が増えたように感じるのは気のせいだろうか? それとも、弥生の誰かが欠けた部分を“継ぎ足して”くれたのか……?
萌は急いで顔を洗いながら、昨夜の出来事をどう受けとめるべきか考える。気持ちがざわつく一方で、不思議な落ち着きもあった。あの村人たちの問いに、きちんと答えられるように、自分は何をすればいいのか。遺跡の価値をただ教科書通りではなく、心の底から多くの人に伝えたい――そう思うと、胸の奥に小さな炎が宿っているのを感じる。
6. 新たなるガイドの道
その日、萌は登呂遺跡でのガイドをしながら、いつもより熱心に弥生時代の人々の暮らしや自然との結びつきを語った。訪れた子どもや大人たちに、ただ「昔はこうでした」というのではなく、「土や水、稲、森、すべてが繋(つな)がっていた」という世界観を伝えたいと思ったのだ。
参加者が興味津々で耳を傾ける姿を見て、萌はあの集落の老人や村人たちの瞳を思い出す。そして、今自分が受け持っている小さなガイドの仕事が、弥生の人々から受け継いだ“橋渡し”の役目を果たしているかもしれない、と実感するのだった。
7. 再び吹く土笛
夕刻、ガイドが終わって人気(ひとけ)のない遺跡を歩いていると、萌はふと胸のポケットにしのばせた土笛を取り出した。静かに唇を当て、そっと息を吹きこむ。かすかな旋律(せんりつ)が、低い音色で響きわたる。
すると、遠くの田んぼで風がざわりと通り抜け、夕暮れの空には鳥の群れが一斉に羽ばたいた。まるで弥生の村で見た“祈りの踊り”が、この現代の空気をほんの少し振動させたような、不思議な感覚――。
土笛からこぼれた音は、誰もいないはずの空間に優しく広がり、やがて登呂の堤(つつみ)を越えて駿河湾の彼方(かなた)へも届くかのように消えていく。すると、萌の耳には微かに、あの村人たちの声が混じって聞こえた気がした。
「大切なものを、どうか繋いでくれ……」
萌は唇をきゅっと結び、胸が熱くなった。きっと自分は、弥生の記憶だけでなく、この土地の未来のために動きはじめなければならないのだろう。人々が自然と共存し、失われたものを取り戻すために――。
夕空に染まる登呂遺跡のシルエットが、まるで古の集落と今の街並みを重ね合わせるように静かに浮かんでいた。
――土笛の音が、弥生から現代へ、そして未来へと響き続ける。 人々は土と水に生かされてきたことを、 いつか忘れてしまいそうになる。 だが、一度でもその音を聞いたなら、 わたしたちはもう一度、 土地本来の声に耳を傾けるだろう。


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