家名の柩
- 山崎行政書士事務所
- 5 日前
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序章 断絶の序曲
四谷の空は、青く澄んでいた。六月の陽射しはどこか官僚的な無表情さを帯び、曖昧に照り返す都庁舎の窓に、何の情緒も映さなかった。だが、その日、永田町の奥深く、ある小さな会議室では、言葉が静かに国を殺していた。
「戸籍制度の見直しは、時代の要請です。選択的夫婦別姓は個人の尊厳に関わる問題であり、他国の制度とも調和を…」
官製スーツに包まれた議員が、さながらAIが読み上げるレポートのように滑らかに述べる。言葉は完璧に整っている。だが、そこには血の匂いも、家の温もりも、名の重みも無かった。
そのニュースを、銀座の喫茶室で見ていた男がいた。倉永剛毅(くらなが ごうき)、四十二歳。痩身にして軍人のような背筋の男である。彼の前に置かれたレモンティーは一滴も減らぬまま、既にぬるんでいた。
剛毅は黙って、胸ポケットから一枚の紙を取り出した。倉永家 家系譜。上に墨書で書かれた「家名は命なり」の六字が、奇妙なほど重々しく、そして美しかった。
──日本には、日本のあり方がある。
それは彼の父が、彼の祖父が、そして敗戦の翌年に自決した大伯父が、何度も繰り返した言葉だった。この国の家制度は、単なる法律ではない。それは構造であり、象徴であり、美の体現だった。姓とは、記号ではない。人が人を超えて、生きるための棺である。
選択的夫婦別姓──グローバルスタンダードという名の外圧は、ついにこの国の名を断ち、血を濁し、家をばらばらにしようとしていた。
「これで“家”は、ただの物理空間になるな。誰のものでもない、魂なき集合体に」
剛毅はぽつりと呟いた。
その瞬間、かすかにポケットの中で鳴ったスマートフォン。差出人は──百合野。彼の妹にして、現在、内閣府のジェンダー平等推進会議に名を連ねる人物である。
「剛毅兄さん。来週、家族会議に出てくれる? 私、結婚するの──ただ、名字は変えたくないの」
剛毅は、口元だけで微かに笑った。
「百合野よ。お前は、家の名を捨てて自由になるのではない。自由という名で、家を殺すのだ」
銀座の空には雲ひとつなく、ただ、透明な断絶の気配が、風のように彼の周囲を吹き抜けていった。
やがて、倉永剛毅は席を立ち、家名の柩を守る最後の闘いへと歩み始めた。
第1章 家名の祠(ほこら)
倉永家は、牛込台地の東端にある。幕末に旧士族が築いた石垣を土台に据え、明治の気骨を継いだ洋瓦の屋根が、令和の空にもなお威厳を保っていた。
門は黒檀の如く漆黒で、両脇には風雪に耐えた常緑樹がそびえる。それは家ではなかった──祠であり、記憶の要塞であった。
倉永剛毅は、その門をくぐった。革靴の足音が、玉砂利に無数の死者の声を響かせる。
応接室で待っていたのは、執事の岸田だった。七十五歳、剛毅の祖父の代から仕え、いまや倉永家そのものと化した男である。
「坊ちゃま、奥の間に、おじい様の遺影が新たに飾られております」
剛毅は頷くと、黒漆の廊下を真直ぐに進んだ。その足取りは、まるで祭壇へ向かう戦士のようであった。
奥座敷。床の間の掛け軸には、「名は命なり」と墨書された祖父・倉永篤義の遺筆。その下に飾られた家系図は、百七十年分の男たちの名で埋め尽くされていた。母の名はひとつも、ない。それがこの家の秩序であり、名を守るとは何かを示す物証であった。
剛毅はその前に座し、膝を折った。
「我が名に、恥じなき生を捧げること。これぞ男子の美徳なり」
これは篤義が彼に初めて教えた「言葉の武器」であった。戦後、皇室の在り方が揺らいだ時も、戸籍制度が見直されようとした時も、篤義は頑として口を閉ざさなかった。──国家の秩序とは、家の連続に他ならぬ。家の断絶とは、国の死である。
その哲学を、剛毅は骨の髄まで飲み下していた。
だがいま、その家に、敵がいる。それは他ならぬ、妹・百合野であった。
彼女は東大法学部を卒業後、内閣府の改革推進チームに入り、**“夫婦別姓の象徴”**としてメディアに持ち上げられていた。彼女の名が朝日新聞の一面に載ったその日、剛毅は家系図から彼女の名を切り落とす決意をした。
「百合野は、家を出たのではない。家を否定したのだ」
その言葉を口にした瞬間、床の間の空気がふと重くなる。まるで、百年の墓が目覚めたかのように。
「坊ちゃま…ご兄妹が争うのは、悲しゅうございます」
背後から岸田の低い声がした。
剛毅は振り返らなかった。
「悲しみとは、家名を守る代償だ。情では国は守れぬ」
その瞬間、奥座敷に吊るされた家紋──違い鷹の羽が、風もないのに、かすかに揺れた。
彼の心に浮かんだのはひとつ──百合野を説得するのではない。彼女の思想を、日本という家から追放することである。
それが彼の決意であり、“家名の柩”を守る者の覚悟だった。
第2章 百合野の決断
麻布十番、午後三時。カフェのテラス席で微笑んでいるのは、どこかの外交官夫人か、それともフランス文学者か。だがその女こそ、内閣府男女共同参画推進会議の若き委員──倉永百合野であった。
リネンの白いブラウス。肩まで流れる黒髪に、淡いサファイアのイヤリングが揺れる。佇まいは凛としつつも、どこか挑むような軽やかさがあった。
「兄さんは、まだ“家”なんて言葉に縛られているの?」
彼女の目の前にいるのは、フリージャーナリストの若林章介。週刊誌の特集で「夫婦別姓推進派の象徴」として彼女を取り上げた人物である。
「“家”って、血と儀式と名前でできてる箱だよ。それを壊したら、中から“私”が自由になる」
百合野はそう言って、コーヒーカップに口をつけた。その笑みには、知性と冷徹と、そして一滴の哀しみが混じっていた。
「私はね、あの家に生まれてよかったとも、間違っていたとも思っていない。ただ、“名を継げ”と言われるたび、私が私でいられる時間は削られていくような気がしたの」
彼女が選んだのは、外国籍の研究者との結婚。姓は変えない。子も持つ気はない。それでも、彼女は「自分の選択を“家”に強制されるいわれはない」と、明確に語った。
その夜、百合野は倉永家に戻った。──“最後の通告”を告げるために。
仏間の間接照明の中、兄・剛毅は背筋を伸ばして座っていた。まるで、軍律を前にした反逆兵を待つ将校のようだった。
「お前の名前は、今日で倉永家の系譜から抹消する」
剛毅は静かに、そして決して揺らがぬ声で言い放った。
「家を守るとは、過去に背くことではない。未来に背いても、名をつなぐことだ」
百合野は、兄の前に立ち尽くした。まるで、祝福されるはずの結婚が、家からの破門と引き換えに差し出されたかのように。
「あなたの“家”って、そんなに美しいの? 誰の幸せも計算に入っていない制度が、そんなに神聖なの?」
「制度ではない。象徴だ」
その言葉は、銃声のようだった。剛毅は立ち上がり、掛け軸の前に進み出る。そこには変わらず、あの六文字があった。
──名は命なり。
「この名を捨ててお前が得る自由とは、他人の墓の上で踊る自由だ」
百合野は一瞬、唇を噛んだ。だが次の瞬間、まっすぐ兄の目を見つめて、こう言い放った。
「なら、私はこの家に殺される前に、家を殺すわ。私の名前は、私のものよ」
そして、静かに襖を閉じた。倉永家の奥座敷には、残された兄と、沈黙だけが残った。
剛毅は、しばし動かずに座していた。やがて、祖父の位牌に向かい、ゆっくりと頭を下げる。
「名を捨てし我が妹よ。その自由を、誇りに思う日が来るかは知らぬ。だが私は、この家の名を柩としてでも守り通す」
六月の風が、欅の葉をかすかに揺らしていた。その音は、まるで失われゆく“家”の断末魔のようであった。
第三章 美の国を問う者
六月の陽は、曇天の帷(とばり)の奥で静かに沈んでいた。議事堂の回廊は薄暗く、まるで永遠に続く迷宮のようであった。その中央、まっすぐに歩く若き政治家がいた──篠崎暁人(しのざき・あきひと)、三十四歳。民政党若手のホープにして、社会制度改革の旗手。彼は「次世代の日本」を描くために、あえてその夜、ある男の元を訪れた。
「あなたに会っておきたかった。あなたの言葉が、私の未来にとっての刃だからだ」
そう語り、彼は深く頭を下げた。迎えたのは、倉永剛毅。長い書斎の一隅に、硯と刀剣と骨董とが奇妙に混在するその空間は、まるで言葉の武士道を磨く場であった。
「刃が怖くては、政治家など務まらん」
剛毅は微かに笑い、書棚の一冊を取り出した。それは昭和二十年発行の『國體論』。あの戦火の中でもなお、精神だけは死なぬと書かれた書物。
「君は夫婦別姓をどう思う?」
唐突な問いに、篠崎は目を細めた。
「選択できること自体が、自由の証明になる。そう考えていました。だが……その“自由”が、美しいかどうかは、まだ分かりません」
剛毅は満足げに頷いた。
「そうだ。美とは、時に不自由に宿る。家の名を継ぐとは、自由ではない。だが、それは誇りの不自由なのだ。私の祖父も父も、自由になど一度もならなかった。だが、彼らの死は美しかった」
「その“美しさ”を、国民に強いてよいのですか?」
剛毅の顔から微笑が消えた。
「国家とは、強いることによって育まれる様式美だ。自由に育った国は、やがて自分の姿さえ分からなくなる」
篠崎は、その言葉を受け止めながら、言った。
「もし私が“家”を選ぶのなら、それは制度の正しさではなく──死に方の美しさで選ぶでしょう」
その瞬間、剛毅は静かに刀剣の柄に手をかけた。鞘から三寸だけ抜いたその刃は、光ではなく、覚悟を放っていた。
「ならば見届けよ。美しさの最期を。そして、美しさを捨てるこの国の姿を」
篠崎は深く一礼し、その場を去った。扉の外、夕闇が静かに迫っていた。
剛毅は、ふたたび書棚に目をやる。そこには、百年以上にわたる日本の家制度と皇室の記録が並んでいた。
「皇室も、家も、名も──それらは、法ではなく物語だ」
そう呟いた剛毅の目には、燃えるような炎が宿っていた。それは、国家という美を“死”によって証明しようとする者の目であった。
第四章 家という戦場
その夜、倉永家の大広間には、長火鉢と重厚な座卓が据えられていた。明治様式の障子の奥、灯りはすべて蝋燭。光と影とが交錯する中、兄妹の対峙が始まろうとしていた。
百合野は、黒のスーツ姿で現れた。その姿には、弔いにも似た冷たさがあった。それは自分の“家”に、思想の死を告げに来た者の装いであった。
剛毅は既に席についていた。背筋を伸ばし、手には祖父の遺品である軍刀の鍔を握っていた。それは威嚇ではない。“名”を守るときの礼装だった。
「今日で終わらせに来たの」
百合野は言った。その声には震えも、ためらいもなかった。
「私は結婚届を出すわ。“倉永”の姓は使わない。子が生まれても、あなたの系譜には連ねない。私は私の家をつくる。血も名も、継がない。これが私の答え」
剛毅は、火鉢の灰を静かにかき混ぜ、言った。
「家とは、勝手につくるものではない。名とは、選ぶものではない。それは、与えられた命の一部だ。お前は、命を裁断するのか」
百合野は、兄の視線を正面から受け止めた。
「名のために、誰かが犠牲になり続ける時代は終わったわ。女が名を変えるのは美徳じゃない。それは抑圧の美化よ。兄さんの“美”は、過去への執着でしかない」
その瞬間、剛毅は刀の鞘を床に置き、まっすぐ百合野を見据えた。
「ならば答えろ。名を捨てて得たその“自由”に、死ぬ覚悟はあるのか?」
静寂。
百合野の呼吸がかすかに乱れた。兄が問うているのは、“権利”の話ではなかった。それは、“死ぬに足る生き方”の話だった。
「お前の選んだ名に、血は通うのか。お前の家に、誰が死んで名を遺すのか。お前の物語に、誰が命を捧げるのか。──それがなければ、家などただの箱だ」
剛毅の声は、火のように静かで、氷のように鋭かった。
百合野は拳を握り締めた。それは涙ではなかった。感情ではなく、思想の敗北を悟ったからである。
「……兄さん。あなたの家は、立派だったわ。でも、私は、そこに生きられなかった」
そう言って百合野は立ち上がり、深く一礼した。その礼には、怒りでも侮蔑でもなく、ただ一つの決別が込められていた。
「あなたの“家”と、私の“自由”と、どちらが美しいか──それは、後の日本が決めるわ」
戸が静かに閉まる音だけが、家中に響いた。その音は、まるで長年仕えてきた者が自決した後のように、重く、清らかであった。
剛毅は、一言も発せず、ただ座り続けた。やがて火鉢の炭が崩れ、灰の中に埋もれる。
その瞬間、家の中のどこかで鵺(ぬえ)のような声が啼いた気がした。
それは、家という戦場に残された、名の亡霊の鳴き声だった。
第五章 断章:日本という舞台
彼が「日本」という言葉を初めて意識したのは、小学四年の春だった。
入学式で流された「君が代」の音源は、学校の新しいPAスピーカーを通して、薄く、弱く、何かに怯えるような音で響いた。先生は「形式ですから」と一言添え、日の丸の掲揚を斜めから見つめていた。
そのとき、剛毅の心に、生涯消えることのない疑問が宿った。
──なぜ“国”を、恥じたように扱うのか。
父の書斎には、黒革の背表紙が並ぶ。そこには『万葉集』『国体の本義』『古事記伝』、そして祖父が残した未発表の随想録『家と死』があった。幼き剛毅は、それを読むことで「現代」という虚無から逃げる方法を学んだ。TVのバラエティ番組や、卒業文集に流れる軽薄な“夢”など、彼にとってはただの雑音だった。
中学二年の夏、修学旅行で訪れた京都御所。剛毅は団体行動を離れ、一人で皇居の内堀を眺めた。それは堀ではなかった。自らを削ってでも国家の形を守った、美の結晶だった。
彼はその夜、父に手紙を書いた。
「お父様、私は“名を継ぐ”ことがどんな意味を持つのか、分かりかけてきました。それは、自由を捨てることではなく、命を日本という舞台に捧げる役割を選ぶことなのだと」
その返事はなかった。父はその年の冬、沈黙のまま亡くなった。
高等学校では、生徒会長の選挙が「ポスターにジェンダー的配慮を」と言われ、候補者の姓すら伏せるように指示された。そのとき剛毅は初めて怒った。それは暴力でも論争でもない。式典の場で、堂々と本名を名乗り、父の名を、祖父の名を、声にした。
「私は倉永剛毅。三代続くこの名は、私の誇りです」
会場が静まり返る中、ただ一人、壇上で背を伸ばすその少年の姿に、教師たちは視線を逸らした。
大学では法学を専攻し、国家と制度の関係に沈潜した。だが彼の心は、**法律という言葉の網では決して捉えられぬ“美”**に引き寄せられていた。
──“制度”は国家の骨格にすぎぬ。──“象徴”こそ国家の魂である。
そう確信した剛毅は、就職という世俗の階段を降りることなく、思想の場へと身を投じた。
論壇、寄稿、討論、批判、無理解、誹謗。彼は全てを受け止めた。なぜなら彼にとって、日本とは制度ではなく、舞台装置と演者が血で結ばれた“演劇”そのものだったからだ。
そして彼は、舞台を守るために、いま再び立ち上がる。
国家という名の劇場に、灯が残っているうちに。
第六章 割れゆく檜扇(ひおうぎ)
六月二十日、午後一時。参議院特別委員会室──窓なき空間に集められたのは、制度を操る者たち、国体を忘れた者たち、そして日本を「便利な国」に変えたがっている者たちだった。
傍聴席にその姿を見せた倉永剛毅は、黒の羽織に身を包み、背筋を正していた。かつての日本人が、式日(しきじつ)に見せたあの神聖な態度を、ただ一人の民間人として身にまとっていた。
この日の審議は、「皇室典範の見直し」が主題だった。
具体的には、
女性皇族の婚姻後の皇籍離脱見直し
女系継承の容認可能性
皇族の多様性に関する国民理解の促進
委員長が読み上げるたび、剛毅の心臓に一刺しずつ氷の刃が打ち込まれるようだった。
檜扇(ひおうぎ)とは、皇族の儀礼に用いられる装飾具である。それは“形”を通して“美”と“伝統”を示す、無言の憲章だった。
その檜扇がいま、国会の場で“機能性”や“人権”という刃物によって、音もなく割られようとしている。
「本日、参考人としてお呼びしたいのは、作家であり思想家の倉永剛毅氏──」
会場がどよめいた。政界では知らぬ者のない急進的保守思想家、剛毅の登場は、もはや“国家の反逆者”か、“時代遅れの亡霊”の扱いだった。
演壇に立った剛毅は、一礼ののち、ゆっくりと口を開いた。
「私は本日、この壇上に“血の記憶”を持ち込む者であります。皇室とは、制度でも文化財でもない。それは、日本の“物語”の核です。もしそこに制度的“平等”を持ち込めば、皇室は皇室であることをやめ、ただの人気投票とマスメディアの玩具に堕ちます。」
「女系も、LGBTも、それぞれに人として尊重されるべき存在です。しかし、それを皇室にまで適用することは、国家の“象徴性”を“個人の事情”に引き渡すことに他なりません。」
沈黙。その静けさは、爆音よりも重かった。
ある若手議員が手を挙げた。
「倉永氏、あなたは“伝統”の名のもとに、変化を全て拒絶するのですか?国民感情を軽んじることは、政治的な傲慢では?」
剛毅は一歩前に出た。そして、静かにこう答えた。
「皇室は、国民のために“存在”するのではない。国民が“日本人”であることを思い出すために、そこに在るのです。それは“機能”ではなく、“祈り”です。そして祈りとは、時代に迎合せぬものを信じる力のことです。」
答弁が終わったとき、空気は静謐の極みに達していた。
剛毅が退出したのは、そのわずか十五分後だった。後方の廊下で、彼を呼び止めた者がいた。
「剛毅さん……!」
──百合野だった。
「いまのあなたの言葉は、誰のためのもの? 国のため? それとも、あなた自身の悲願のため?」
剛毅は振り返らずに答えた。
「どちらでもない。これは、“美しい国で死にたい”という、名もなき祖先たちの声の代弁だ。」
その言葉に、百合野は何も返せなかった。
ふと見ると、議事堂の敷石の上に一枚の檜扇の破片が落ちていた。それは、演壇の装飾に使われていたものが、誰かの靴に踏まれ割れたものだろう。
百合野はそれを拾おうとして、やめた。
──この国は、何かを拾うことよりも、何かを忘れることのほうが得意だ。
その夜、議事録に記された剛毅の発言は、“過激な保守的表現あり”として一部非公開にされた。
だが、誰も知らない。剛毅は既に次の一手を打っていたことを。
第七章 血の誇り、名の誇り
市ヶ谷の防衛省裏手。旧陸軍の香りが今も微かに残る、低くひっそりとした一画に、その男はいた。
北園大尉(きたぞの・たいい)。退役した陸自の将校であり、かつては防衛大学校で“国防思想の最後の教育者”と呼ばれた男だ。剛毅とは学生時代からの旧友であり、言葉で戦う剛毅に対し、命令と沈黙をもって忠誠を示す最後の武人である。
「……剛毅、お前の喋る声が、いよいよ“遺書”のようになってきたな」
そう言って笑う北園に、剛毅は静かに頷いた。
「もはや言葉では、国を止められぬ。この国は、“美しく死ぬ”という思想を完全に忘れた。ならば、死をもって証明する他に、思想を残す術はない」
二人は並んで、小さな防衛神社の前に立った。かつては靖国の流れを汲んだとされる、無名の慰霊碑。訪れる者もなく、刻まれた名も読めぬほど風化していた。
「ここに名も残らず死んだ兵士たちがいる。彼らは、姓も家も誇りも、国のために置いていった。お前が言う“名”とは、その逆じゃないのか? 名にしがみつく生き方だと、そう言われたら?」
剛毅は首を振った。
「違う。名にすがるのではない。名を棺(ひつぎ)として生きるのだ。いずれ朽ちると知ってなお、それに身を横たえる覚悟こそ、誇りの証明だ」
北園は、静かに目を伏せた。そして、懐から一枚の封筒を取り出す。
「これはな……自衛隊の後輩たちの署名だ。“皇室の制度的見直し”に対する内部意見書。公には出せない。だが、名もなき隊員たちが、まだ日本を信じている。剛毅、お前の死が、彼らを“名を持つ者”に変えるのかもしれん」
沈黙。六月の風が、神社の竹を揺らした。その音はまるで、剣を鍛える炉の息吹のようだった。
「北園。“血”は、生まれで決まる。だが“名”は、死によって決まる。私は倉永の名を、美しく死なせるつもりだ」
「お前は、名を残したいのか? それとも、“日本”を残したいのか?」
剛毅は答えた。
「その二つは、もはや同じものだ。」
二人は、それ以上語らなかった。言葉は尽きた。残されたのは、決意の交換だけである。
その夜、剛毅は自室に戻り、古い硯を取り出した。硯は、日露戦争の折に曾祖父が戦地で使っていたもの。墨を磨り、白い和紙に筆を下ろす。
「辞世家名とは 生きて守らず死に継がむひつぎとならば 日本の柩(ひつぎ)」
それは、美の国の兵(つわもの)が最後に選ぶ思想の刀であった。
第八章 国葬前夜
その演壇は、まるで祭壇だった。背後には国旗、正面には記者、そして宙には、何よりも**「死の予感」**が漂っていた。
場所は日本記者クラブ。表向きは出版記念会見──だが実際には、**剛毅の“遺言”**が、国家の空気を貫くために用意された舞台であった。
テーマは「国家と家の未来について」。
剛毅は白い麻の和服に、家紋入りの羽織を重ねて現れた。その姿はまるで、これから祝言を挙げる武士のようであり、あるいは自決前夜の貴族のようでもあった。
「皆様、本日は“未来”について話すと申しましたが、私は未来に何の希望も抱いておりません。なぜなら、この国は、もはや“誇り”という死語を必要としない国になったからです。」
記者たちがざわめく。
剛毅は、前に用意された水には口をつけず、まっすぐに言葉を続けた。
「私は“家”という言葉に、幻想を抱いたことはありません。それは重い。苦しい。名を守るとは、時に、愛よりも憎しみを優先せねばならぬ。だが、それでもなお私は、“美しく死ねる場”としての家を信じるのです。」
「選択的夫婦別姓が象徴しているのは、“私”が“家”より優先される時代の到来です。それは自由のように見えて、実は“孤独”の制度化です。家という舟を棄てた者たちは、やがてそれぞれに溺れてゆくでしょう。私は、それに抗いたい。一人でも、名に沈むことを選ぶ者がいたのだと、この国の物語に刻みたい。」
剛毅は一瞬、言葉を切る。そして、最後の言葉を口にした。
「倉永剛毅は、“死に値する名”を遺したく、ここに在る。これが、私の“生きた国葬”であります。」
壇上の沈黙は、もはや拍手も罵声も拒んでいた。それは一つの劇が完結した直後の、神聖な“余白”だった。
その夜、剛毅は倉永家の奥座敷に戻った。障子の向こうには、百合野の影が立っていた。
「兄さん……私、あなたの言葉を否定しながら、どこかで“美しい”と思っていた。でも、そんな美しさに人は耐えられないのよ。美とは、残酷なの」
剛毅は微笑んだ。
「だから私は、美を残すために、自分を差し出す。もうこの国には、“犠牲”の感覚すら残っていないからな」
百合野は、懐から一通の手紙を差し出した。
「あなたの講演、全部書き起こしたわ。公に出すつもりはない。けれど、私が持っている。名を継がぬ妹として、“証人”になる。」
その言葉に、剛毅はわずかに眉を動かした。
「それで十分だ。家とは、“名”のことではない。誰かが、その“物語”を語り続けることだ」
兄妹は、言葉なく見つめ合った。その眼差しには、かつての敵意はなかった。ただ、断絶を超えた祈りだけがあった。
その夜、剛毅は筆をとり、ふたたび辞世をしたためた。
「名もまた 死にて咲かせよ柩(ひつぎ)花誇りの国に 名をしらしめん」
翌朝、彼は静かに最後の身支度を整える。
家名の紋を胸に、祖父の刀を座敷に置き、書を開いたまま、正座する。
それは、誰にも強いられぬ、ただ一人の美の実行だった。
第九章 剣の夜明け
夜が、静かに明けようとしていた。六月二十一日、午前四時──夏至の曙光が、まだ届かぬ東の空。倉永家の奥座敷には、蝋燭がひとつ、淡く揺れていた。
倉永剛毅は、すでに座していた。白麻の袴に、黒紋付の羽織。その背には、家の家紋「違い鷹の羽」が、朝の闇に浮かび上がっていた。
床の間には、剛毅の遺書が置かれていた。墨痕鮮やかに記された四文字──
「名、死して生く」
隣には、曾祖父が日露戦争従軍の折に帯びた軍刀。これは斬るための刃ではない。己を貫くための刃であった。
障子の向こう、静かに正座しているのは北園大尉。剛毅の最期の見届け人として、沈黙を貫いていた。
剛毅は、墨で濃く書いた“家系図”の最終行に自らの名を書き加える。そして、その下に赤く、朱印を押す。それは、生者の印ではなく、死者の署名であった。
「北園。すべて、済んだ」
剛毅の声は静かだった。いや、静かすぎた。それは、すでに人の声ではなかった。“名”そのものが語る声だった。
「お前はそれでいいのか?」北園の問いは、すでに形式でしかなかった。
剛毅は、わずかに笑んだ。
「名を継ぐとは、生き延びることではない。名に相応しい“終わり方”を選ぶことだ。家とは、“死に方を美しくするための制度”だ」
北園は、拳を握った。軍人として数多の戦友の死を見送ってきた男でさえ、この剛毅の死に対しては、**胸をえぐるような苛烈な“敬意”**を覚えていた。
剛毅は軍刀を前に置き、刀身をそっと抜いた。光はなかった。だがその刃には、曇りなき意思があった。
「この国は、美しく死ぬという概念を失った。だからこそ私は、死によって“日本が日本であった証”を刻む。この刃は、思想そのもの。国家への鎮魂である。」
北園は深く頭を下げ、目を閉じた。
そして、蝋燭の炎が、かすかに揺れたその刹那──一閃、空気が裂けた。
音はなかった。ただ、静謐な美がその場を支配していた。
それは死ではなかった。美の完了であり、名の供養であり、国への挽歌であった。
奥座敷の障子が、そっと風で揺れた。その外、夜が明けた。
空は白く、まるで新たな巻物のように広がっていた。“名”の物語が、ついに一つの終章を迎えた。
だが、語り継ぐ者はまだいる。
第十章 名を継ぐ者
火葬場の炉前に立ったとき、百合野は兄・剛毅の顔を見ていないことに気づいた。誰よりも身近で、誰よりも遠かった存在。あの夜の奥座敷に残された辞世の書と、血に染まった刀、そして白紙の“家系図”。それだけが、兄の死を物語っていた。
記者たちは騒ぎ立てた。「思想犯か」「自殺か」「テロ未遂か」だが遺族である彼女が、何も語らなかったことで、その死はやがて“沈黙の死”となった。
──それが、彼の望んだ死に方だったのだ。
四十九日を過ぎた頃、百合野はひとり、倉永家の門をくぐった。誰もいない屋敷。重々しい静けさとともに、家がまだ“剛毅という思想”で満たされているように感じられた。
書斎に入ると、机の上に未開封の封筒があった。彼女の名前で綴られた、兄からの最後の手紙。
「百合野へ お前は自由を選んだ。私は名を選んだ。どちらが正しかったかは、私の死後に分かるだろう。 だが、ひとつ頼みがある。私の名が、暴論とされても、嘲笑とされてもよい。だが、“誰かが語る限り、それは名だ” 名とは、誰かが“語り継ぐ”ことで延命する。それがお前である必要はない。だが、お前が語るなら、それは倉永家が最後に託す“祈り”になる」
百合野は、手紙を胸に抱きしめた。涙は出なかった。兄は、生きていたときから、もうとっくに“死んでいる者”のようだったのだ。
だが今になってようやく彼女は気づいた。あの人は、“死”によってこの国の何かを揺さぶろうとしていた。それは破壊でも否定でもない──静かな修復だった。
それから数ヶ月後。百合野は、かつて自分が語っていた壇上に再び立った。若い官僚や報道関係者たちを前に、彼女はこう語った。
「私には兄がいました。思想家であり、ある意味で“狂人”でもありました。選択的夫婦別姓に反対し、皇室制度の変化に抗い、そして自らを“名の柩”とすることで、思想を遺しました。私自身は、夫婦別姓を選びました。自由を求めました。それでも今、私の中で確かに“名を継いでいる”感覚があります」
会場が静まり返る。
「それは、血ではなく、思想の継承です。名を語る者がいる限り、“家”は滅びません。だから私はこれからも、倉永剛毅という名を語り継いでいきます。私自身が継がぬとしても、“この国の物語”として。」
拍手はなかった。だが空気には確かに、一つの死が、一つの生を残したことへの敬意があった。
その夜、百合野は久しぶりに、兄の墓前に立った。
「あなたの死に方は、私にはできない。でも私は、あなたの“生き方”を、物語にして語り続ける。それが、“家”と“国家”をつなぐ、私なりの橋になると思うの」
風が吹いた。墓前の石灯籠に積もった紅葉が一枚、ひらりと落ちた。
それはまるで、“家名の柩”から抜け落ちた最後の花弁のようだった。
そしてその瞬間、遠くで夜が明けた。新しい名が、新しい形で、この国に宿り始めた。
◆ 完 ◆
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