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潮盟の咎標

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月26日
  • 読了時間: 11分



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序章 黄昏に沈む黙契

 光浦海峡には、夏の終わりの黄昏が訪れていた。海面を渉る風はぬるく、どこか人肌に似た湿度を含んでいる。それは、まるでこの地の闇を薄く覆い隠すベールのようにも思える。 桜浦神社(さくらうらじんじゃ)で執り行われる「潮満神事(しおみつしんじ)」の賑わいが去ったあと、毎度のように繰り返される謎の事件や失踪。 前作『潮痕(ちょうこん)の顕影』では、不審船と「潮痕の岩」をめぐる暗躍、そして行方不明の記者・望月(もちづき)の痕跡が血塗られた旧倉庫に残るという悲劇的展開を経て、捜査はまたも宙に浮いた。巨大企業・天洋コンツェルンは、政治・行政・警察内部と結びつき、あらゆる手段で証拠と告発者を葬り去ってきた。 それでも、この地を守ろうとする者たちの想いは、まだ完全に断ち切られたわけではない。黄昏の光浦海峡で、また新たなる波乱が起きようとしている――そんな予感を抱かせる夜明け前の静けさが、既に街を包んでいた。

第一章 大迫(おおさこ)の違和感

 警視庁捜査一課の都築(つづき)警部補は、以前と同じく“状況収拾”という大義名分の下、光浦署へと再度派遣される。迎えに来たのは地元刑事の大迫。しかし、これまで苦楽をともにしたはずの彼の表情がいつになく硬い。 「都築さん、今回の捜査は上層部から“穏便に済ませろ”というプレッシャーが、いつにも増して強いんです。どうやら天洋コンツェルンが政府レベルの大型プロジェクトを手掛ける準備を進めていて、その邪魔をするなということらしい」 だが、大迫には他にも気になることがあった。署内で「新たな情報提供者」を名乗る人物から数度連絡があり、木島(きじま)の容体を案じる言葉とともに「天洋と外国企業の“密約”が動き出す」という示唆を受けていたのだという。 「まるで、さらなる闇が水面下で成長しているようで……正直、胸騒ぎが止まりません」 都築も「またか」と思いつつ、諦めるわけにはいかない。形を変えて続く“闇の連鎖”を少しでも食い止めたい――それが、いまだこの地に足を運び続ける理由でもあった。

第二章 桜浦神社の幻灯

 一方、桜浦神社では、新宮司の**安西(あんざい)**が襲撃されて負傷した後も、護符や結界による防犯策を試みながら、氏子たちの協力で神社の秩序をかろうじて保っていた。 都築と大迫が神社を訪ねると、安西は顔色を悪くしながらも、「実は今、社宝の一つである“幻灯の鏡”に関する奇妙な出来事が起きている」と語り始めた。 古くから神職が儀式に用いてきたその鏡は、潮満神事の際に月光を受けて特殊な光を放つと言われる。しかし、この数日で神社の蔵から何者かが持ち出そうとした形跡があり、さらに鏡の一部にヒビが入っているらしい。 「神事の小道具のように見えますが、実際には海と月の位相を読むための精巧な工芸品と聞きます。まさか、それを狙う者がいるとは……」と大迫。 都築は静かに首を振る。「ただの工芸品ならともかく、古来の“海潮図(かいちょうず)”と対になっている可能性がある。前回の『潮痕の岩』のように、何か地形や潮流にまつわる秘密と結びついているかもしれない」

第三章 港湾拡張“第二段階”計画

 捜査の過程で、大迫は天洋コンツェルンが「港湾拡張計画の第二段階」に着手するとの情報を掴む。これまでの開発エリアをさらに沖合へ広げ、海底トンネルや新たな埠頭の建設を視野に入れているらしい。 そんな大規模事業を遂行するには、国の許認可や海外企業との提携が不可欠である。それが「政府レベルのプロジェクト」という話と直結しているのかもしれない。 都築は思い返す。緑陽交通や日邦建設の頃から、陸運局や政治家らを巻き込んだ利権と汚職が形を変えて続いてきた。天洋コンツェルンはその総仕上げとして、この光浦海峡を一大国際港に仕立て上げるつもりなのではないか――。 「ならば、さらに多くの人や物資が出入りするようになり、不正取引や密輸も桁違いに拡大する可能性がある」 大迫の表情は険しい。巨大な陰謀の次のステージが始まる前に、何とか手を打たねばならない。その一方で、望月記者や多くの犠牲者の“落とし前”すらつけられていないままでもある。

第四章 木島の告白

 漁協組合長・木島は重傷を負いつつも、意識が回復し、再び言葉を発するようになった。病院のベッドで、都築と大迫は彼から衝撃の証言を得る。 「俺の仲間が、海底に何か封じられているって言ってたんだ……“潮盟(ちょうめい)の契約書”って呼ばれてた。聞き慣れない言葉だろうが、先代の漁師たちが、ずっと昔から受け継いでいる噂があるんだよ」 その「潮盟」とは何か。木島によれば、大昔に地域の有力者や海外商人が結んだ“密約”であり、海峡を自由に使わせる代わりに莫大な見返りを得るという伝承があるという。 「先代の漁師や神職は、それを“封印”しようとしていたらしい。だが時代が変わるにつれ、利権を目当てに裏でそれを再び起こす連中が出てきた――。緑陽交通や日邦建設、天洋コンツェルンも、実はこの“潮盟”を手掛かりに、光浦を牛耳ろうとしているんじゃないか」 大迫は息を呑む。「まさか……そんな伝承めいた話が、本当に現代の企業の利権争いと繋がっているんですか?」 都築は静かに答える。「だが、あり得る。古い因習や土地の習俗が、巧妙に利用されることはよくある。おそらく、桜浦神社に伝わる“幻灯の鏡”や“海潮図”も、この潮盟の契約と結びついているのだろう」

第五章 再び浮上する不審船

 夜の海峡を警戒していた地元漁師から、「最近、不審船が再び出没している」と通報が入る。都築と大迫は、木島から聞いた“潮盟”の話を思い返しつつ、闇の取引が行われる可能性を考える。 実際、湾の奥には無数の入り江や浅瀬があり、密輸や違法廃棄物の処分に最適な場所も少なくない。かつて“潮痕の岩”周辺で怪しい動きがあったように、今回も何かを海底に隠しているかもしれない。 都築たちは小舟で湾内を巡回してみるが、不審船の姿は確認できない。その代わり、人工島の建設現場付近で異様なほどのセキュリティを敷いていることに気づく。 「ここまで厳重とは……。港湾工事の範囲を超えているように思える。まるで“外部の目”を寄せ付けない結界だ」 大迫が目を凝らすと、警備員だけでなく、私服の男らしい人影が巡回しているのが見える。しかも、その連中は無線らしきものを使用し、船の動きを監視しているようだ。 「これは警戒がきついですね。潜り込むのも容易じゃない」 都築はため息をつく。やはり大がかりな“何か”を進めているとしか思えない。潮盟という古い契約を、現代の方法で復活させようとしているのだろうか――。

第六章 幻灯の鏡、破損

 深夜、桜浦神社から緊急の呼び出しが入る。安西宮司がわずかに回復した矢先、神社の蔵に再び侵入者があり、「幻灯の鏡」が完全に破壊されてしまったというのだ。 都築と大迫が駆けつけると、鏡は真っ二つに割れ、その周囲には粉々のガラス片と、血痕と思しきシミが残されている。犯人も負傷したのか、床に引きずるような跡があるが、既に逃亡したあとだ。 安西宮司は蒼白な顔で震えている。「これで海潮図との照合は不可能に近い。鏡の裏面には古い海流や星位を記した刻印があったんですが、もう読み取れないほど砕けています……」 大迫が苦渋の表情を浮かべる。「つまり、“潮盟”の秘密に近づくための鍵が一つ失われたということか」 都築は血痕をじっと見つめる。「奴らは単なる嫌がらせではなく、本気で神社が持つ資料を潰しにきている。あとは古文書や漁師たちの口伝しか手掛かりが残らないのか……。もう一歩遅かった」

第七章 漁師の口伝

 この事態を受け、都築と大迫は木島に協力を要請し、「潮盟」の伝承を詳しく聞き出そうと試みる。木島も重い口を開き、こう語る。 「この地には、昔から“海と陸とをつなぐ盟約”があった。それは、海峡を利用する商人たちが莫大な利益を得る代わりに、地元の氏族へ金や武器を提供するというものだったらしい。かつては戦国期の倭寇(わこう)とも繋がりがあったとも聞く」 さらに、江戸期以降、幕府の禁制品を扱う密貿易の拠点ともなり、やがて時代が進むにつれ、表立った歴史からは消えたが“影のルート”として生き残った――。それが、企業による組織的な密輸や不正輸送に転用され続けているのでは、というのが木島の見解だった。 「“潮盟の契約書”には、具体的な海路や接岸場所、そして“この地を支配した者が得る権利”が事細かに記されていたらしい。それを完全に開いてしまえば、大規模な国際取引が可能になるという噂まで……」 都築は身震いする。緑陽交通、日邦建設、天洋コンツェルン――すべてはこの“伝統の闇”に繋がっているとすれば、今さら一企業や政治家の枠を超えた陰謀と言えるだろう。

第八章 都築の追及、上層部の圧力

 都築はこれまで集めた証拠や証言をまとめ、警察上層部に“強制捜査の必要性”を訴えるが、結果は一蹴される。むしろ「一連の事件を大きく扱わないように」と再度釘を刺される始末だ。 まるで「潮盟」という言葉を口に出しただけで、捜査方針から外されかねない雰囲気さえ漂う。都築と大迫は徐々に孤立しつつあった。 そんな中、警視庁内でも噂が広がる。「天洋コンツェルンが与党幹部と接触し、光浦海峡での“国際貿易特区”を提案している」と。 「国際貿易特区……これこそが第二段階の計画かもしれない。名目は美辞麗句で飾られ、実際には闇の流通経路を公認させる算段だろう」 大迫が苛立ちを露わにする。「まるで古の“潮盟”を、現代的な制度にすり替えるようなものですよ。行政が黙認すれば、密貿易も不正輸送も簡単に合法化される……」

第九章 終わりなき血痕

 その後、桜浦神社近くの波打ち際で、新たな遺体が発見される。首を絞められ、暴行の痕が残る。身元は天洋コンツェルンの下請け会社に籍を置く男と判明したが、詳しい素性は不明。捜査は難航する。 いずれにせよ、またしても“口封じ”とみられる殺害だろうと都築は推測する。幻灯の鏡を壊し、港湾を厳重に警備し、次なる国際貿易特区を画策する――奴らにとって邪魔になった者は、すべて排除しているのだ。 海岸には微かな血痕が連なる。まるで、ここが“海へ沈められる”直前の舞台だったかのように。いや、この地では、古くからそういう陰の儀式が繰り返されてきたのかもしれない――都築は虚ろな思考に囚われる。 「気づけば、いつも同じ結末だ。誰かが消され、我々はまた証拠不十分で立ち尽くす。潮盟の闇に踏み込もうにも、手が届かないまま……」 大迫も疲れ果てた表情を浮かべる。流れた血は波にさらわれ、やがて痕跡すら消される。かつて望月記者もそうだったように。

第十章 沈む盟約の行方

 そして数日後、天洋コンツェルンは「世界的海運企業との提携が内定した」と大々的に発表し、同時に政府筋は“光浦海峡を国際貿易特区の候補地に検討”との報道を出す。マスコミ各社は好景気や雇用拡大を前面に押し出し、批判の声はかき消されていく。 都築と大迫は、桜浦神社の宮司・安西を見舞ったあと、崖の上から港湾施設を眺める。巨大なクレーンや埠頭が完成間近となり、まるで勝利を誇るかのようにそびえ立っていた。 「結局、“潮盟”と呼ばれる古い闇の盟約は、形を変えながら現代に蘇ってしまったのかもしれない……」 都築は唇を噛み、潮騒に混じる工事の騒音をじっと聞き続ける。 そこへ突然、大迫の携帯に着信が入る。画面には“非通知”の文字。「……はい、こちら大迫ですが……」 受話器の向こうから、かすれた女の声がする。 > 「――わたし……まだ……生きて……」 次の瞬間、ぶつりと切れる。声の主は誰なのか。大迫と都築が顔を見合わせ、同じ名を口にする。「――望月記者……?」 しかし、すでに通話は途絶え、再び連絡を取ろうとしても繋がらない。 黄昏迫る海峡の上に、また大きな闇が広がり始める。潮盟の深部へ沈められたはずの存在が、今もどこかで生き延びているのだろうか――。 破れた幻灯の鏡がすべてを映し出すことはない。だが、海底に刻まれた“咎標”は、なおも微かに光り続けているのかもしれない。都築と大迫は霞む視界の先に、新たな決意と恐怖を感じずにはいられなかった。

あとがき

 これまで幾度となく、光浦海峡と桜浦神社を舞台に繰り返されてきた闇。緑陽交通や日邦建設から始まり、天洋コンツェルンへと受け継がれている利権と腐敗の構図は、本作『潮盟の咎標』に至り、さらに深い歴史と習俗の闇へと繋がっていることが示唆されました。 「潮盟(ちょうめい)」という、古来この地に伝わる“密約”の伝承。それは時代を経て、企業や政治の世界に溶け込み、「国際貿易特区」という近代的な装いをまといながら、ますます大きくうねり続ける。 都築・大迫の刑事コンビは、被害者や告発者たちの無念を晴らそうと必死に奮闘するものの、今回もまた完全な解決には至らず、多くの謎と犠牲を残したまま幕を下ろします。 しかし、物語の最後にほのめかされる“望月記者”らしき声――それが真実ならば、彼女はまだどこかで生きている可能性があります。かつて海へ沈められたはずのファイルや契約書、そして幻灯の鏡に刻まれた秘密が、いつの日か再び浮上し、巨悪を暴く切り札となるかもしれません。 「潮を操る者が、この海峡を支配する」――そんな暗い言い伝えが現実味を帯びる中、それでも都築たちは諦めず、次なる事件への決意を新たにすることでしょう。 沈む夕陽に染まる埠頭が、悲劇の舞台と知りながら、今日もまた新しいクレーンが聳え立つ。血と陰謀を上塗りするように進む大規模開発――その奥に光るものは、未来への希望か、それともさらなる暗黒か……。 光浦海峡に吹く風は、今作も読後の余韻として、胸にどこか虚しく、そして僅かながらの光を孕んで吹き抜けていきます。

(了)

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