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潮闇の彼方

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月25日
  • 読了時間: 12分



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序章 海峡を横切る予兆

 夜の光浦海峡(こうらかいきょう)を渡る潮風は、しとどに湿りながらも、どこか不穏な気配を孕んでいた。桜浦神社(さくらうらじんじゃ)の傾きかけた文学碑には、新たに献花の束が添えられている。そこには、いまや何人もの名もなき死者たちを悼む想いが混じり合っていた。 ――合田誠二(ごうだ せいじ)、笹川(ささがわ)、秋津(あきつ)。彼らを取り巻いていた闇の正体はいまだ定かでない。 かつて、この地で二度の殺人事件と怪死事件が相次ぎ、さらに日邦(にっぽう)建設の秋津までもが落盤現場で他殺体となって発見された。背景には、大手タクシー会社や陸運局、さらには公共事業をめぐる不正の影がちらついていたが、結局誰ひとり裁かれることもなく捜査は宙に浮く。 それから数週間――桜浦神社では、地盤沈下対策工事が遅々として進まぬまま、誰もが次の“惨事”を恐れつつ平穏な日常を装っていた。しかし、その平穏を破るかのように、小さな漁港で奇妙な噂が流れ始める。 「港湾拡張計画があるらしい……。しかも、それに日邦建設や緑陽交通が再び絡んでいる……」 誰もが顔を曇らせ、口を噤む。あの悪夢の再来を予感させるかのように、闇は海峡の底でうごめいているかもしれない。

第一章 呼び戻される捜査官

 東京で通常業務をこなしていた警視庁捜査一課の都築(つづき)警部補のもとに、久方ぶりに地元署の大迫(おおさこ)刑事から連絡が入った。 「港湾拡張計画をめぐり、不穏な動きがあるんです。しかも、その草案を取りまとめているのは、以前にも名前の出た陸運局幹部や大手ゼネコンの関係者。それに……先日、桜浦神社の神官の一人が行方不明になりました」 神官が行方不明――ただ事ではない。大迫によれば、失踪したのはかねてから神社の地盤沈下対策に難色を示していた杉崎(すぎさき)神官という人物で、裏で「このまま工事を進めると“神事”そのものが破壊されかねない」と訴えていたという。 都築は、これまでの事件との関連を直感的に感じとる。隠蔽されてきた地元の利権構造、消されてきた証拠、そして犠牲となった人々――すべてがまた新しい局面へ動き出したのではないか。 藤枝(ふじえだ)刑事を失った痛みを胸に抱く都築は、三度目の苦い決意を固める。「今回こそ、何としても闇の正体を暴いてみせる」。そう思い、再び光浦の地へ足を運んだ。

第二章 消えた神官と港湾拡張計画

 桜浦神社を訪れた都築と大迫を迎えたのは、当主である宮司と数名の神職たち。彼らは失踪した杉崎神官について、重い口を開く。 「杉崎は、今回の港湾拡張計画に疑問を呈していました。海底の地形や潮流が大きく変われば、当神社の潮満神事(しおみつしんじ)に必要な浅瀬が損なわれる恐れがあると。ところがその調査結果を、誰も聞き入れようとしない。不満を漏らしていた矢先にいなくなったのです」 都築が「杉崎さんは普段どんな行動を?」と問うと、宮司は「工事関係者や地元漁協の人間に会って、独自に資料を集めていたらしい」と答える。 漁協――そこで都築は思い出す。前回の日邦建設と緑陽交通が絡んだ“地盤沈下工事”のときも、漁民の生活や漁場が侵されるという問題が浮上していた。しかし結局、表沙汰にはならず闇に葬られてしまった。今回の港湾拡張が進めば、さらに大規模な利権が絡むことは想像に難くない。 「杉崎は、この計画の危険性をどこまで掴んでいたのか――それゆえ消されたのか」。都築の視線は、神社裏手の文学碑へと向かう。そこには前回、落盤の犠牲となった秋津を悼む花束が新しく供えられていた。

第三章 闇の再来を告げる手紙

 その夜、都築の宿泊先に一通の手紙が投函される。差出人不明の封筒に、手書きの乱れた文字が躍っていた。

「港湾拡張の背後には、緑陽交通・陸運局、さらに別の大手企業が動いている。杉崎神官は真実を掴んでしまった。彼を救えるのは今しかない。さもなくば、あなたも彼と同じ運命を辿る――」

 まるで都築を警告し、かつ挑発するかのような文面。前回までにも、たびたび現われた“差出人不明の封書”を想起させる不穏さだ。 「杉崎神官は、まだ生きている可能性が高い……?」 都築はすぐさま大迫に連絡し、この手紙を解析に回させる。だが、筆跡や使用された紙、インクなどはいずれも市販品であり、決め手となる情報は得られそうにない。 一方で大迫は、港湾拡張計画の事業主体を再調査していた。「今回の拡張には、新たに天洋コンツェルンという大手企業グループの名が出ています。海運・航空まで手広く扱う“総合輸送企業”らしい。陸運局とも蜜月関係だとか……」 “天洋コンツェルン”――それは初めて聞く名前だった。緑陽交通や日邦建設に代わる、新たな“黒幕候補”なのだろうか。都築は、これまでの不透明な力関係が一段と巨大になっているのを感じずにはいられない。

第四章 踏みにじられた漁師の声

 大迫の提案で、都築は漁協の組合長・**木島(きじま)**を訪ねる。木島は港湾拡張の件で行政と対立している人物だが、どういうわけか最近は意欲を失ってしまったという。 漁船の停泊する桟橋で出会った木島は、疲れ切った目をして呟いた。 「俺たち漁師がどれだけ反対しても、“上”は一向に聞く耳を持たない。補償金やなんやらで丸め込まれ、ようやく抵抗を試みた者も、妙な事故や火事で店を失くしたりしてね……。もう諦めるしかないって空気になっちまった」 都築が「杉崎神官もあなた方の側に立って調査していたそうですね」と言うと、木島は重い口を開く。 「ああ、杉崎さんは本気で港湾拡張に警鐘を鳴らしてくれていた。でも、先週を最後に姿を見なくなったよ。彼が何かを掴んでいたのは間違いない……“天洋コンツェルン”だとかいう連中が暗躍しているらしい、と聞いたが、詳しくはわからん」 その顔には恐れと自責が入り混じっていた。「杉崎を止めるべきだったのかもしれない。でも彼は“私は神職としての務めを果たす”と言って聞かなかった」。

第五章 闇を嗅ぎつけた記者

 漁協からの情報を得た都築たちは、次に地元紙の記者・**岡島(おかじま)**を探し出す。岡島は、過去の合田誠二事件や秋津の落盤死亡事件でも独自に取材していたが、何者かの圧力で記事を潰されたという経緯がある。 岡島は都築を見るなり「やはりまた来ましたね」と苦笑する。 「今回の港湾拡張は規模が大きいだけに、関わる企業も強大です。天洋コンツェルンって名前が出始めたのは最近ですが、すでに政府レベルで優先交渉権を握っているらしい。しかも、その背後には政界や陸運局の大物が絡んでいるとの噂でね……」 都築は改めて感じる。この国では、巨大な利権や権力が絡んだ計画に反旗を翻す者は、容赦なく潰される。「杉崎神官は、その真実を暴こうとしたがために……」 岡島は書類の束を取り出し、都築と大迫に見せる。そこには、天洋コンツェルンの海運部門と陸運局が結んだ覚書の一部らしきコピーがあった。 「これが事実だとすれば、港湾拡張後の利権を事前に分配している構図が透けて見えます。私も公にしたいところですが、過去に痛い目を見ているので……あなた方の捜査が進まない限り記事にはできないんです」 その声には悔しさが混じっていた。

第六章 導かれた廃倉庫

 翌日、都築のもとに再び差出人不明の手紙が届く。今度はA4紙にタイプ打ちされた短い文章だった。

「杉崎神官は生きている。旧波止場(ふるはとば)の廃倉庫へ急げ。今夜が“最後のチャンス”になるかもしれない。」

 薄気味悪いほど同じ書式で“誘導”してくる封書。これは罠かもしれない――と警戒しつつも、都築と大迫は無視できない。杉崎を救い出す手がかりになると信じて、夜を待って旧波止場へ赴く。 廃倉庫は冷たい潮風に晒され、金属の扉や壁が錆びついている。電灯も壊れており、辺りは闇が深い。懐中電灯を片手に内部を進むと、奥の一室からうめき声のようなものが聞こえる。 扉を開けると、ロープで手足を縛られた男が倒れていた。息はある。顔を照らすと――杉崎神官だった。青ざめた顔でうわ言のように「神事が……神事が汚される……」と繰り返している。 都築が慌ててロープを解き救急車を呼ぶ。だが、その背後で金属バットを構えた黒ずくめの男たちが現れ、大迫へ襲いかかってきた。 「伏せろ!」 都築は咄嗟に大迫を庇い、揉み合いとなるが、男たちはすぐに倉庫の裏手へ逃げ去った。人気のない波止場には、彼らの足音だけが響き、あっという間に夜の闇に溶けていく。

第七章 沈黙破られた神官の告白

 杉崎神官は命に別状はないものの、体には暴行の痕が生々しく残っていた。病院のベッドで点滴を受けながら、都築と大迫の問いに答える。 「私が調べたところ、今回の港湾拡張は単なる“経済発展”のためだけではありません。天洋コンツェルンは、陸海空すべての輸送利権を抑えようと画策しています。港湾を押さえれば物流拠点を牛耳り、そこに付随する公共事業も丸ごと手中にできる……」 さらに杉崎は、ふらつく意識のまま続ける。 「神社の潮満神事の浅瀬が完全に破壊されれば、伝統行事が事実上立ち行かなくなる。観光客や地元民の反発を避けるため、表向きは“保全工事”を謳いつつ、実際には神事を衰退させて跡地を開発する計画があると知ったのです。私は、それだけは絶対に許せないと思い……」 やがて杉崎は「その裏には、緑陽交通の生き残り勢力と天洋が繋がっている」という衝撃的な言葉を漏らす。あの合田誠二の会社と、いまや地上げのように暗躍する天洋コンツェルンが結託しているのだろうか。 「私が嗅ぎまわっていると分かった途端、連中に捕まって倉庫に監禁されました。彼らは口封じに、いずれ私を“事故死”として処理するつもりだったと……」

第八章 消された資料と葬られる証言

 杉崎の告白で、都築と大迫は“神事を破壊し、その跡地を大規模開発する”という計画の大筋を掴むが、具体的な証拠がない。杉崎も自分が収集した資料を「奪われてしまった」と言う。 「私の部屋に保管していたファイルごと持ち去られました。天洋コンツェルンの協定書や、緑陽交通との契約書のコピーも……」 都築は苛立ちを感じる。これまで何度同じパターンを繰り返してきたか――誰かが核心に近づくたびに、資料は消え、関係者は命を落としてきた。 捜査上層部も本腰を入れない。“港湾拡張計画”に対して、上層部の一部は国策としての必要性を強調する。まるで「事件性を騒ぎ立てるな」と言わんばかりだ。 「まさか、また証拠不十分で終わるのか……」 目下のところ唯一の生存証言者は杉崎だが、彼の証言だけでは天洋コンツェルンを立件できない。さらに、杉崎自身が衰弱しており、今すぐ大きく動くのは危険だろう。 だが都築は、地元紙記者の岡島が持っている“覚書のコピー”を思い出す。ほんの断片かもしれないが、それと杉崎の証言を組み合わせれば、何らかの突破口となるかもしれない――。

第九章 最期の隠蔽工作

 ところが、都築と大迫が岡島のもとへ急ごうとした矢先、地元警察に緊急通報が入る。岡島が乗っていた車が林道で転落したという。事故か、あるいは……。 駆けつけた現場には炎上する車両があり、もはや近づくことはできない。岡島は車中で焼死したと見られる。 「またしても“事故死”扱いか……」 都築は奥歯を食いしばる。岡島が持っていた重要資料の在り処は不明である。まるで、寸前のところで“封殺”されてしまったかのようだ。 救護や初動捜査に追われるなか、再び捜査本部には大きな圧力がかかる。天洋コンツェルンの名は一切報じられず、政治家や官僚からも「根拠のない憶測で風評を広げるな」と念押しがくる。 杉崎神官は辛うじて命を取り留めたものの、精神的ショックから心神耗弱に陥り、捜査協力どころではない。 これでまた闇は深まる一方かと思われた……。

第十章 消えない海峡の闇

 その後、天洋コンツェルンは「地元の文化を最大限尊重する」との声明を表向きに発表しつつ、港湾拡張の準備を着々と進めはじめる。地元住民の中には期待感を示す者も現れ、反対派は孤立しつつあった。 都築と大迫は、杉崎の安全を確保しながら、上層部に捜査報告を続けるが、事件を大々的に扱う動きは一向に出ない。 やがて、桜浦神社の地盤沈下は部分的に補修され、文学碑も最低限の補強がなされて一見落着のように見えた。だが、裏では天洋コンツェルンが掌握した交通利権が着々と勢力を拡大していく。 夜明け前の海峡を見下ろす崖の上で、都築は大迫に静かに語りかける。 「結局、またしても核心には手が届かなかった。杉崎神官を救出できたことだけが、わずかな救いかもしれないが……。あの男たち――闇の組織が相手では、法が届かないのか」 大迫も悔しげに息をつく。「合田誠二、笹川、秋津、そして今回の天洋コンツェルン――どれほどの血と犠牲を経ても、奴らは形を変えて生き続けるのでしょうか」 新たな朝日が昇り、海峡を紅く染める。潮満神事が行われる頃には、また多くの観光客が訪れることだろう。神聖な儀式を執り行う神官たちの背後に、今回も血と陰謀の波が押し寄せていた。 都築は穏やかな顔で佇む桜浦神社の鳥居を見つめ、あらためて決意を噛みしめる。「闇は尽きることがない。だからこそ、僕たちは諦めてはいけない――たとえ、また悲劇が待っていたとしても」。 こうして、光浦海峡に漂う影はいよいよ巨大な何者かへと繋がっていることを確信しながらも、都築は捜査車両へと乗り込む。赤色灯がスイッチを入れられ、少しだけ灯る。が、その微かな光は、海峡の底に沈む黒々とした闇を照らし出すにはあまりにも儚かった。

あとがき

 再び桜浦神社と光浦海峡を舞台に、港湾拡張計画と神事の破壊をめぐる陰謀が浮かび上がりました。過去作同様、核心に迫る直前で証拠は奪われ、関係者は葬り去られる。社会派推理の真髄とも言える「巨大な構造的腐敗」と「個人の力の限界」が、より強いコントラストをもって描かれます。 それでも都築や大迫は、失踪した杉崎神官を救い出し、わずかながらも生きた証言を得ました。これは暗黒の世界にも、一筋の光を投げかける可能性を示すものかもしれません。 とはいえ、物語はまたしても完全な解決には至らず終わります。合田誠二の死から始まり、笹川や秋津が背負った闇は、さらに拡張され「天洋コンツェルン」という巨大企業へと受け継がれる。権力や経済的利害が深く絡まるほど、犯罪の立証は困難を極めるのです。 社会の不正や権力の暗部は、一度の捜査や告発で崩れるほど生易しいものではありません。むしろ、次々と形を変え、より巧妙に牙を剥いてくる――。 本作でも、潮満神事という神秘的な祭礼が、本来もたらすはずの清浄さとは裏腹に、汚濁と暴力に利用されてしまう悲劇が繰り返されました。 「それでも人は戦わなければならないのか――?」 都築や大迫の苦悩は今後も続いていくでしょう。それでも、海峡に昇る朝日を見つめながら、一条の希望を捨てきれない彼らの姿が、読者の胸に淡い余韻を残すかもしれません。 闇はまだ遠く、その彼方に潜んでいる。しかし、それを追い続ける者たちがいる限り、いつの日か新たな光が差し込むことを信じたい――そう願いつつ、四作目の幕をここに下ろします。

(了)

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