Sラインの迷宮 第12章
- 山崎行政書士事務所
- 9月17日
- 読了時間: 10分
目次(章立て)
第1章 新静岡〔S01〕— 始発が告げた嘘
第2章 日吉町〔S02〕— 路地裏に置き去りの切符
第3章 音羽町〔S03〕— 高架にこだまする足音
第4章 春日町〔S04〕— 交差点で消えた背中
第5章 柚木〔S05〕— 架道橋の見えない目撃者
第6章 長沼〔S06〕— 車庫の盲点
第7章 古庄〔S07〕— 古地図と新しい証言
第8章 県総合運動場〔S08〕— 群衆の消失点
第9章 県立美術館前〔S09〕— 彫像が見ていた手口
第10章 草薙〔S10〕— 森の踏切と三分の誤差
第11章 御門台〔S11〕— 坂道のアリバイ崩し
第12章 狐ケ崎〔S12〕— 狐火ダイヤ
第13章 桜橋〔S13〕— 夜桜に紛れた短絡経路
第14章 入江岡〔S14〕— 港町の仮面
第15章 新清水〔S15〕— 海霧の発車ベル
※駅名と並びは静鉄公式サイトの駅一覧(S01〜S15)に基づいて

第12章 狐ケ崎〔S12〕— 狐火ダイヤ
1
午前五時十六分。狐ケ崎のホームは、川霧の薄い膜に包まれていた。巴川が作る段丘の縁に駅は乗り、川面から上がった冷えた空気が、坂の途中でふっと滞る。線路の向こう、小さな稲荷社の参道が斜めに上っている。朱塗りの鳥居の両脇に低いLED行灯が並び、薄橙の光が呼吸のように強弱を繰り返していた。
「これが狐火か」佐伯悠人は、鳥居の先に視線を向けた。光は火ではない。電気の明滅。だが、火の名が似合う。人を導く。人を惑わす。「狐火は秒じゃない」隣で真嶋が、腕時計の秒針を見た。「呼吸です。4—6—4くらいの拍で揺れる」「呼吸を数えると、分になる」佐伯は言った。「分を刻むなら、ダイヤだ」
2
社務所で、白髪の矢部宮司が古い台帳を開いた。「行灯は自治会の寄進でな。防犯目的でもあるが、行事の合図にも使う。昨年、企業の寄付でコントローラを新調した」宮司は指先で小さな箱を叩いた。無線式の点滅制御。日の出前は低輝度、祭事ではパターン点灯。ログが残る。木戸(県土木)がノートPCでログを開く。
04:49 Pattern B(点灯) / 05:18 Pattern C(点滅) / 05:26 Pattern C(点滅) / 05:33 Pattern D(間欠) / 05:41 Pattern C(点滅)「四つの点滅が並んでいる。S08—S11で見た数字と同じ帯だ」佐伯は頷いた。05:18(音羽町の通話)、05:26(階段の降下)、05:33(群衆の黒)、05:41(御門台ポート施錠)。狐火は朝の骨を、ここで光にしていた。
3
「狐火ダイヤですか」由比が口にして、少し苦笑した。「誰が組んだ」宮司は首を傾げる。「寄付者の担当が設定していった。若い女性——弁護士と名乗った」高砂。「さらに仕様を提案した男性がいた。『安全余裕180秒を見込む』と」綿貫の言い回しだ。三分がここにもある。
4
行灯の明滅は呼吸のようだが、呼吸は数えられる。市河(音響鑑識)がマイクを行灯に向け、PWMのキャリアに乗る微弱な唸りを拾った。「周波数でパターンが違う。Cは5Hzの緩い点滅、Dは間欠。写真のローリングシャッターに帯を作る」井出(自治会長)がスマホを掲げる。「ランナーが今朝ここを撮っていた。帯が走る」帯の角度を測り、露光と読み出しから時刻を逆算する。05:33の帯は、S08の黒と重なる。光は音よりも遠くへ届かないが、写真には残る。
5
狐火はただ光るだけではない。巴川の水面が、行灯の明滅をひと呼吸遅れで反射し、対岸の石垣に斑を作る。志水(美術館学芸員)が、S09《眼》で学んだ反射の地図を紙に描いた。「川面で一拍遅れ。上流へ0.3秒、下流へ0.2秒。段丘の段で消える」「一拍の遅れは、電話の一拍と同じだ」声が届くまでの遅延。光が川面で躓く遅延。遅延を並べると、導線になる。
6
午前五時二十二分。狐火は落ち着いた呼吸に戻り、巴川の上に薄く光の筋を置いた。「この光、人流カウンタに影響しませんか」南雲(運動場管理)が資料を持って現れた。「LiDARは可視光に鈍感ですが、群衆の反射材が帯で一瞬増光すると、輪郭の統合が起きる。S08のID統合に狐火が後押しをしている可能性」二秒の黒はケーブルで作られた。その直前直後を狐火が揺らす。人を消すのに、光は十分だ。
7
荻野が頭を掻いた。「根津が言ってた。『狐火が点いたら一拍待て』と。『帯が川へ落ちたら歩け』と」「それが合図だ」声が届かない場所で、光が届く。坂で、橋で、川で。狐火が時刻を運ぶ。電話を汚さずに。
8
高砂は、社務所の畳に正座した。「行灯は安全のため。暗闇で転ぶ人が出ないように」「パターンCを05:18/26/33/41に入れた」「宮司が**『祭りの合図に使う』と言った。習俗です」佐伯は矢部宮司を見る。宮司は静かに息を吐いた。「合図は昔からある。『狐の嫁入り』の行列で火を点けたり消したりして、順路と時刻を揃える。今は電気でやるだけだ」習俗は罪を抱え込まない。抱え込むのは人だ。
9
綿貫は、鳥居の外で傘を閉じた。「寄付の帳簿に私の名がある。だから何だ」「あなたは**『安全余裕180秒』を口にした**」「設計の常識だ」「常識を光に変え、光で人を動かし、動いた人で一人を落とした」綿貫は笑わない。笑わないことが、彼の防御だ。「証拠は光か。光は指紋を残さない」「残すのは帯だ。帯は回数を語る。回数はダイヤになる」狐火ダイヤ。光で書いた****時刻表。
10
木戸が段丘の地形図を広げた。「狐ケ崎の段は三段。上段から中段へ視線が落ちる角度で、行灯が最も明るく見えるのが、05:33の太陽高度です」「消失点」S08の列が腹で消え、S09の反射が半歩を刻み、S10の三分が因果を逆転させた。S12では、光が段で溜まり、時刻になる。
11
参道の手すりに黒い粉。ニトリル。箱の縁に斜めの擦過。結束バンド。狐火の箱にも、S08とS11の指が触れている。高砂は小さく言った。「彼(根津)に鍵を渡した。宮司に見せてもらった**。『行事』のためだと」「『行事』は誰のためだった**」高砂は答えない。答えないことで、答える。
12
市河が夜明け前の録音を再生する。狐火のPWMが5Hzで唸り、巴川で一拍遅れる。「この遅れを足音の遅れと合わせると、05:26の階段に正確に届く」光が声の遅延を補正する。合図は一度、光は四度。四度は癖になる。癖は証拠になる。
13
片岡(ランナー)が写真を差し出した。「05:26に鳥居が二度、強く光ったのが見えた。帯が太かった」志水が拡大する。帯の中に薄い横縞。5Hzの階段に0.3秒の位相ズレ。「川が返した」「返りは足音に重なる」狐火は一人を歩かせ、一人を待たせ、一人を押させた。ダイヤは人に割り振られる。
14
荻野が、参道の途中で首を傾げた。「ここ、石が濡れても乾きが早い。昼は影、朝だけ光」木戸が頷く。「段丘の風。上から下へ冷気が落ちる。狐火は冷気で濃くなる」濃い光は、見える。見えるから、使われる。使われるから、罪になる。
15
相良は、稲荷の縁で立ちつくした。「表示の乱れと狐火は関係がない。私は——」「あなたは言葉で灯を点けた。『滞納ロッカーがある』。『鍵はここ』。あなたの言葉で光が道になった」相良は動かない。動かないのが、今の彼の責任だ。
16
根津は、鳥居の下で空を見た。「狐火は昔からあった。俺は少しだけ速度を上げた。5Hzにしただけだ」「あなたはダイヤを書いた。秒で書いた。秒のダイヤだ」根津は肩をすくめた。「秒で書くと、人は動く」「秒で動く人を、誰が見ていた**」根津は笑い、笑みを消した。「外の人だよ」外縁。綿貫の輪郭。
17
綿貫は、稲荷の前で口を開いた。「私は、光を設計しただけだ。安全のために。朝の導線で転ぶ人を減らすために。『狐の嫁入り』の美しい行列を戻すために」「戻すために落ちたのは行列ではない。人だ」「人は落ちたのではない。落ちたのは偶然だ」「偶然の形をあなたは描いた」綿貫は沈黙した。偶然に輪郭を与える者は、意図を持つ。
18
クラウドに残るコントローラのログから、権限の履歴が出た。法人コードで二つの端末が登録。一つは高砂、一つは総務。総務のIPは御門台の回線、登録者名は匿名。「匿名を設計したのは誰だ」匿名は便利だ。便利は罪**になる。
19
志水が、反射のもう一枚を見せた。防火水槽札に映る光の帯が、05:33を頂点に四回、一定の間隔で走る。「狐火ダイヤの視覚化。札は鏡で記帳する」鏡は書かない。映す。映された回数がダイヤだ。
20
市河は、参道の最後の段で耳を澄ました。5Hzの唸りに、0.42秒の歩幅が重なる。人が光に合わせ、光が人に合わせる。「合う」「合うと、嘘は真実に見える」狐火は嘘を照らすのではない。見え方を揃える。
21
検視補強が届いた。三輪のコートの襟に、橙の微繊維。反射布の端糸。S09で回収したRFIDタグの欠番と同じロット。狐火の光が反射し、反射布が微細に剥ける。光は触れない。だが、触れた人を照らす。
22
高砂は、佐伯の前で頷いた。「05:18、05:26、05:33、05:41。四つの点滅は私が入れました。でも、誰かが使うとは思わなかった」「点滅は使うためにある」「善意でした」「善意のダイヤほどよく動く」高砂は顔を上げない。狐火は、目に痛い。
23
綿貫には、もう一つの線が見つかった。狐火の寄付と同じ月に、坂下ポートへの法人コード申請。貸切バスの回線契約の名義。美術館の協賛で反射面の磨き直し。三件の小さな線が、四つの点滅に挿し込まれている。線は外縁から入る。光は中心に届く。
24
南雲が最終確認を差し出した。「S08の人流は、狐火が強くなるとバウンスしてID再付与が増える。05:33の統合直後に再付与が一件。狐火の帯の角度と一致」黒は二秒。帯は数十秒。二秒で消し、数十秒で薄める。狐火ダイヤは、消す術と薄める術の連結器だった。
25
「立件できるのはここだ」佐伯は並べた。
高砂:証拠隠滅ほう助+匿名化装置の供与。
根津:犯人隠避+匿名化の実行。
浅倉:犯人隠避(声の誘導)+業務上過失。
相良:管理過失。
波川電設:復帰未完(業務過失)。
上原:教唆・偽計。
比嘉:傷害致死。
綿貫:匿名化の企図(光・法人コード・協賛の三点連関による共同正犯の余地——検察判断へ)。光で指示する者を、法はどう呼ぶか。呼び方が、次の駅で決まる。
26
夕方。狐ケ崎の行灯は、昼の明るさに溶けていた。狐火は火ではない。光だ。志水が言う。「光は保存されない。像は残る」「残る像がダイヤを語る」佐伯は鳥居を一度振り返った。四つの点滅は、四つの駅を繋ぎ、一人の死を載せ、外縁の者の輪郭を浮かべた。
27
夜。巴川の水面に、稲荷の光がばらけて揺れた。「次は」真嶋が問う。「桜橋〔S13〕。橋桁が持っている。狐火が消える場所だ」橋は流れの上にある。流れは光を流し、言葉を流す。流れの中で、最後の名を掬う。
小結(捜査メモ/S12)
稲荷参道行灯(狐火):無線制御ログに04:49/05:18/05:26/05:33/05:41の異常パターン。
光の証跡:PWM5Hzの唸り→写真帯の角度/巴川反射の一拍遅れ→足音遅延と整合。
人流影響:S08のID統合・再付与が狐火増光と同時刻に偏在。
物証:行灯箱のニトリル粉/結束バンド斜め切断痕/RFID欠番の再使用。
関与整理:
高砂=行灯パターン実装・装備供与。
根津=鍵取得・光合図の実用・匿名化実行。
浅倉=電話誘導。
相良/波川=管理/復帰の過失。
上原=教唆。
比嘉=押した手。
綿貫=安全余裕180秒の概念を光へ翻案し、法人コード/協賛で外縁から実質運用。
総括:狐火ダイヤ=光による時刻表。秒—十秒—二秒—三分の各トリックを視覚で連結し、**証拠の『見え方』**を揃えた仕掛け。
終
狐火は、火ではない。人が信じたい明るさだ。その明るさで、道は整い、心は油断し、一人が落ちた。光は善でも悪でもない。光をどこへ置いたかが、善悪になる。行灯の呼吸は夜に戻り、朝は次の橋へ流れていく。第13章 桜橋〔S13〕— 橋桁に刻まれた名。光が消える場所で、名だけが残る。
— 第12章 了 —





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