Sラインの迷宮 第13章

目次（章立て）

• 第1章　新静岡〔S01〕— 始発が告げた嘘

• 第2章　日吉町〔S02〕— 路地裏に置き去りの切符

• 第3章　音羽町〔S03〕— 高架にこだまする足音

• 第4章　春日町〔S04〕— 交差点で消えた背中

• 第5章　柚木〔S05〕— 架道橋の見えない目撃者

• 第6章　長沼〔S06〕— 車庫の盲点

• 第7章　古庄〔S07〕— 古地図と新しい証言

• 第8章　県総合運動場〔S08〕— 群衆の消失点

• 第9章　県立美術館前〔S09〕— 彫像が見ていた手口

• 第10章　草薙〔S10〕— 森の踏切と三分の誤差

• 第11章　御門台〔S11〕— 坂道のアリバイ崩し

• 第12章　狐ケ崎〔S12〕— 狐火ダイヤ

• 第13章　桜橋〔S13〕— 夜桜に紛れた短絡経路

• 第14章　入江岡〔S14〕— 港町の仮面

• 第15章　新清水〔S15〕— 海霧の発車ベル

※駅名と並びは静鉄公式サイトの駅一覧（S01〜S15）に基づいて

第13章　桜橋〔S13〕— 夜桜に紛れた短絡経路

1

午前五時四十五分。巴川に架かる桜橋は、夜桜の季節を過ぎても残照をまとうように、欄干のLEDが呼吸する。橋桁の鋼は朝露を吸い、微かな鉄の匂いが川風に混じる。佐伯悠人は、橋の中心に立ち、両岸の段丘を見渡した。狐ケ崎の稲荷から溢れてきた狐火の残光が水面に滓のように漂い、橋脚の影で割れては繋がる。

「ここで消えた」真嶋が欄干を指で叩いた。「S12で拾った狐火ダイヤの05:41の後。御門台へ下った車体28は施錠。綿貫は05:47入館。もう一つ、橋を使った往路があるはずです」「短絡経路だ」佐伯は欄干の内側に目をやる。点検歩廊。通常は施錠。だが、扉の金具に煤が薄く付着している。

2

橋北詰の点検扉を開けると、細い歩廊が桁に沿ってのび、電線管が並走している。木戸（県土木）が姿勢を低くし、端子箱の蓋を外した。「見てください。アーク痕が新しい。火花が飛んだ跡。マグロックの駆動線に一瞬、短絡をかけて解錠させている」端子には、銀色の微粒が付着していた。ヒューズが飛ぶ一歩手前で離した。「誰がやった」由比が問う。「手袋越し。ニトリル。粉が付いてる」木戸が示す。S08、S09、S11で見た同じ粉。道具は一つに揃えられている。

3

欄干の外に、夜桜ライトアップの制御盤が据えられている。志水（美術館学芸員）がメモをめくった。「橋のライトは自治会と企業協賛。寄付銘板に綿貫さんの会社名」銘板の角に、細い擦過。斜め。結束バンドの切り口と角度が合う。「短絡は電気だけじゃない。線路にも地図にも短絡がある」佐伯は、銘板の文字のうち**『BCP回線寄贈』を指でなぞった。「回線」非常用の電源**・回線が橋を渡っている。短絡は、その中にも仕掛けられる。

4

南雲（運動場管理）がタブレットを差し出した。「市の監視カメラが橋の南詰にあります。05:42:01にフレームドロップ。二秒。S08と同じ黒」「狐火の帯のあとだ」市河（音響鑑識）が頷く。「PWMの唸りが橋でも拾えている。短絡で一瞬、電源がノイズを吸って落ちかけた」光と電気。二つの短絡が同時に作動する。扉は開き、目は閉じる。その二秒で背中は渡れる。

5

夜桜は、人の目を甘くする。橋上には提灯の枠が三つ残り、紙は外されているが輪が影を落としていた。井出（自治会長）が言う。「夜桜の時期は、短絡なんてすぐ起きる。湿気と埃で」「人の短絡も起きる」佐伯は橋桁の点検記録簿に目を落とした。夜間点検の欄に署名の抜けが一つ。月曜日。上原が拘置された翌朝。「代行記名だ」「誰が代わりに書いた」志水が小さく答える。「総務の名前。御門台の回線と同じIPから電子署名」回線は二度、短絡された。電気と手続き。

6

橋の北詰で、片岡（ランナー）が手を挙げた。「朝、橋の下から光が一つ、弾けたように見えました。チッと音がして」市河が耳を澄ませる。「アーク音です。0.8kHz前後の短い鋭音。05:41:58」扉が開く瞬間だ。「誰かがここで待っていた。狐火の帯が川面に落ちるタイミングで」狐火ダイヤと短絡が噛み、橋という短絡経路が現れる。

7

歩廊の手すりの隙間に、白い樹脂の粒が引っかかっていた。指先ほどの半透明。由比がライトを当てる。「桜の樹脂。夜桜ライトで温まると溶け、朝に固まる」樹脂は油性。手袋の粉と絡む。鑑識が持ち帰った高砂の手袋から、同種の樹脂が出た。「S09、S11に続きS13にも高砂の手」「彼女は押していない。だが、扉を開け、タグを切り、短絡を許した」許す手が、実行に寄り添う。

8

根津の聴取。「扉は誰が開けた」「俺だ。ケーブルで一瞬、噛ませた」「ケーブルはどこから」根津は口角を上げる。「『夜桜セット』だよ。イベント運営が持ってる。電源を分けるための一時跳ね。綿貫さんの会社」名は出ても、責任は届かない。外縁は、いつも、裏の****名前を使う。

9

浅倉は、ここにも声を落としていた。「05:41、『渡れ』。05:43、『閉めろ』。二回」「扉を閉めたのは誰」「高砂さん。『怖い』と言って躊躇したので、私が**『閉めなきゃ見える』と言った**」声は正しいことを言う。正しいように聞こえるように言う。閉めることが正しさである局面は確かにある。だが、今朝では違った。

10

志水が、橋桁のリベットに刻まれた微細な刻印を指した。「耐震補強の型番。WNT-180」佐伯は眉を動かす。「180……安全余裕180秒」「偶然かもしれません」志水が苦笑する。「でも、この型番を選んだのは納入側。協賛で入った会社しか触れない**」180は三分。S10で見た****三分が、S13の橋桁にも刻まれている。言葉は鋼に移る。鋼は嘘をつかない。

11

南詰の桜並木に、小さな香りの島があった。柑橘。「比嘉の車の匂い」由比が顔をしかめる。橋の下に駐め、歩廊へ上がる。七分の坂の代わりに二分の橋。短絡経路は、距離だけでなく、嗅覚にも痕を残す。

12

市河が、橋の振動ログを見せた。「05:41:59—05:42:03、四歩。二人。0.42秒の二峰と0.48秒の一峰が重なる。根津と高砂」「戻りは」「05:43:11に二歩。扉が閉まる音。金具が噛む。アーク残響はない。閉鎖は手動」電気で開け、手で閉める。電気は匿名だが、手は匿名ではない。

13

高砂は、橋の上で涙をこぼした。「やめようと言いました。でも、彼（根津）が**『ここしかない』と言った**」「ここでなければいけない理由は何だ」「光です。狐火の帯が水面で崩れる。橋の下なら見えない」見えないは安全ではない。見えないは、人を消すために使われた。

14

綿貫は、銘板の前で立ち止まった。「寄付は罪か」「寄付は罪じゃない。だが、『寄付した機器で起きる現象』を知っていて黙っているのは罪に近い」綿貫は首を振る。「あなた方は設計を責める。設計は現実を滑らかにする技術だ」「滑らかにした先に落ちる人がいた」「それは統計だ」統計の外で、三輪は落ちた。

15

荻野が、橋桁に刻まれた小さな傷を指した。「ここ、ケーブルが擦れた跡。夜桜セットのプラグが短く、引いたんだ」プラグの樹脂が剥げ、桜樹脂と混ざる。混ざるは隠す。だが、隠し方には癖が出る。

16

相良は、狐火と橋を繋ぐ言葉を否定した。「私は、光を動かしていません」「あなたは**『時間』を動かした**。時間が光へ移った」相良の沈黙が、橋の音に吸われた。水の音が、言葉より正確だ。

17

検察協議のテーブルに、短絡の図が並んだ。

• 点検扉：マグロック解錠に瞬間短絡（アーク痕）。

• 監視カメラ：二秒の黒（入力ノイズ）。

• 狐火：帯で人流追跡を揺らす。

• 歩廊：振動四歩（二人）。

• 樹脂：桜＋プラグ＋ニトリル粉。

• 銘板：BCP回線寄贈、WNT-180刻印。短絡経路は、物理と手続きの境で成立する。外縁は、境を道に変える。

18

根津は最後に言い残した。「橋は音がいい。鉄の音が、手に残る。俺は押していない。ただ、橋を使った」「橋を使うことが罪になる夜があった。今朝だ」根津は笑わなかった。夜桜の香りはもうない。

19

高砂の供述補強。夜桜セットのバッグの底から、橋のリベット粉が摘出された。マグネタイト。桜橋の鋼特有の成分比。「あなたは橋に触れた」「触れないで開く方法は知りません**」技術は触れることを前提にできている。触れた手は、痕跡を残す。

20

綿貫は、自分の線の薄さを誇り、最後まで線の外に立った。「設計は書類だ。書類は人を押さない」「書類は人を立たせる。立つ場所を決める」綿貫は何も言わなかった。橋桁のWNT-180が朝日で白く光る。三分が鋼に貼られ、朝はそこを通る。

21

最後の検証。市河は橋下にマイクを吊り、木戸は扉の電流値をロガーで取り、志水は銘板の反射角を測る。南雲はカメラのログを同期し、井出は狐火を一拍遅らせる。05:41:58、チッ。05:42:01、黒。05:42:03、四歩。05:43:11、金具が噛む。短絡で開き、黒で消し、歩で渡り、手で閉める。夜桜の季語のように滑らかな列が、罪の季語にもなる。

22

逮捕状。根津——建造物侵入（点検歩廊）・電磁的記録損壊等幇助（黒の作出）・犯人隠避／証拠隠滅ほう助。高砂——証拠隠滅ほう助・建造物侵入幇助。浅倉——犯人隠避・業務上過失。相良——業務上過失（鍵・表示）継続。波川電設——業務過失（復帰未完）。上原——教唆。比嘉——傷害致死。綿貫——共同正犯の余地を残して別件で任意同行。橋は人を渡す。法は、人を戻す。

23

夕刻、桜橋の欄干が金色に曇った。佐伯は、橋上の空白に耳を当てた。二秒の黒。十秒の反射。三分の誤差。七分の坂。狐火の四拍。そして、短絡の一拍。朝は、拍で出来ていた。

24（小結／捜査メモ・S13）

• 現場：桜橋・点検歩廊・夜桜ライト盤・監視カメラ。

• 技術痕：点検扉マグロックへの瞬間短絡（アーク痕／マグネタイト粉）、監視カメラの二秒黒、狐火PWM5Hz残響。

• 物証：ニトリル粉・桜樹脂・プラグ樹脂片・柑橘揮発残滓・銘板の擦過斜線。

• 波形：05:41:58 アーク音→05:42:01 黒→05:42:03 四歩→05:43:11 金具噛み。

• 文証：BCP回線寄贈銘板、耐震型番WNT-180、夜間点検の代行記名。

• 関与：根津（短絡実行／歩廊通過）／高砂（装備供与／閉鎖操作）／浅倉（声）／相良（管理）／波川（復帰未完）／上原（教唆）／比嘉（押した手）／綿貫（外縁：光・回線・寄付の三点で設計的関与）。

• 統合：短絡経路＝（物理短絡＋視覚短絡＋手続短絡）×狐火ダイヤ。

25（終）

夜桜の季節は終わっている。だが、光が揺れる限り、人は揺れてしまう。短絡は一拍だ。一拍で、鍵が開き、目が閉じ、背中が渡る。朝の川風が、欄干の粉をどこかへ運んでいく。粉は消え、線だけが残る。次章——第14章　入江岡〔S14〕— 河口風の逆位相。風が音を逆相にし、言葉をほどく場所で、外縁の名に最後の位相を与える。

— 第13章　了 —